92話 「役目」
行動には理由が存在する。
手の届かない強者を恐れ、弱者同士で固まろうとするように。
石を投げられている者を見て、訳も分からないまま共に投げてみるのも、見て見ぬふりをしてみる――そんな選択にもそれぞれ明確な理由がある。
私が野良神を狩るのもそれだ。
好奇心から始まり、今に至っては将来的な脅威を排除する、という正当な理由がある。
「…………」
――だから、私のこの行動にも理由があるはずなのだ。
(なぜ、私は距離をとった)
児戯に等しい戦闘だったはずだ。
あとほんのわずかの間で、すべてが片付いていた。
しかし、まだ小娘は生きている。
――なぜだ?
分かっている。私が殺しそこなったからだ。
――なぜだ?
…………攻撃を中止し、小娘から距離をとった。
――なぜ?
「…………」
分からない。
「…………」
…………距離をとった?
「…………………………違うな」
私は回避行動をとったのだ。
無意識的に。反射的に。考えるよりも先に。
「……まだ違う」
………………甘んじよう。
回避行動と言えば聞こえはいいが、つまり私は逃げたのだ。
目的の達成、その目前で。
本質をはき違えるほど私は愚かではないはずだ。
そうだ。私は逃げた。
だが――
「……いったい私は何から逃げたというのだ」
堂々巡り、沸きあがる疑問。
自惚れるわけではないが、私は神だ。
この世界の頂点にして、絶対者。
遍くものが届かない到達点。
そんな私が、一体なにから逃げだすというのだ。
最も考えうるのは、新たに出現した存在を脅威だと私の本能が判断した……という線だが。
「…………」
いいや、やはり、それはない。
言葉を交わさずとも、私を酷く恐れているのが手に取るように分かる。
一人はかわいそうなほど膝を震わせながら私を凝視し、もう一人は呆然としている。
敵意はある。だがそこに脅威を感じる程の闘気も、殺気もありはしない。
「杞憂だったか」
ふふ。他人を臆病などと笑う資格は私にはないな。やはりこの場において私に害をなせる存在など――――。
「………………?」
…………これは、どういうことだ?
博識な私も、この感覚には覚えがない。
脅威もない。危険もないと判断したはずだ。
それなのに――
――なぜ? 私の身体は震えている?
―――――――――――――――――――――――――――――
言葉はなかったと思う。
突然焦ったように走り出したランスの背中を眺めながら、なんとなく。
……そう。なんとなくだ。
「……」
僕は、この光景を予想していた。
爆発音がきこえて、ランスが走り出したその時に、もう分かってた。
道中で聞いた言葉が。ランスの声が僕の頭の中で繰り返す。
『みんな楽しみに待ってるんだ。君は笑うかもしれないけど石とかを並べてね』
砂煙が目に痛かった。
足元には散らばるようにして綺麗な石や、花びらが散乱している。もちろん、元は建物だったであろう残骸も。
…………。
こんな時でも、不思議と僕は冷静だった。
たぶん、僕自身は、これからなにをすればいいのかを分かっているから。
「…………」
けれど、その前に。目の前で固まる友人に、どう声をかければいいのかが分からない。
子供たちの姿は確認できるけど、元は何人いたのかを僕は知らないし、それにクロエの傷だって――。
「――あの子は」
僕の眼は、その少女に釘付けになった。
顔にある火傷のような傷と、癖のある紺色の髪。
一度この街で会ったことがある子だ。
不意に目が合う。
瞬間、鼓動がうるさいくらいに高鳴るのが分かった。
身体が、熱い。
「……ランス――」
そう僕が口にした瞬間だった。
「――ボクが囮になる」
ランスは硬い声色で言って、視線だけを僕へと向けた。
「だから君は今すぐクロエたちを連れてここから離れるんだ」
ランスの声が震えているのがわかった。
「……」
意図は理解できる。けれど、それは僕の役目だと思ったから。
「ランス。それは僕が――」
「君も分かってるはずだッ!」
空気が振動するかのような大声と同時に、僕の肩も震えたのが分かった。
恐怖ではなく、驚きからだ。
はじめて聞くランスの怒声。
必至の形相で僕を睨むその眼に僕は圧されたのだ。
息を切らしながら、ランスは絞り出すかのような声で続けた。
「……アレはボクらが束になってどうこうなる存在じゃない」
フッ、とランスがぎこちなく笑う。
「犠牲は少ないほうがいいだろ?」
「……ランス」
「それにね、ユノ。犠牲といっても、別にボクは死ぬつもりでいるわけじゃないんだ。考えもある。あれだけの爆発だ。きっと暗部も動いてる。ボクがするのはそれまでの時間稼ぎ」
ランスは再び視線を前に戻すと、腰に差している剣の柄に指を絡めた。
「ボクが知る限り、アレに対抗できるのは数字持ちだけだ」
……………………。
僕はどうするべきだろう。
ランスの覚悟に、強く心をうたれていた。
死ぬかもしれない敵を前に自分が囮になるといえる人間が、果たしてどれほどいるだろうか。
――と。
そんなことを思う一方で、僕はランスに伝えるべき適切な言葉を探していた。
囮は自分がするともう一度いっても、恐らくランスの決意は変わらない。
では、自分が形だけでも幹部であることを正直に伝えればいいのだろうか。
……なんだかそれも違う気がしてしまう。
「……」
こんな状況でなにを悠長な、と我ながら思う。けれど、やっぱり思ってしまうのだ。
炎のように揺らめく人型の黒い影。
表情も分からないはずのソレの眼が、僕を向いているのだと分かる。
――ほら、やっぱり。
【恐怖をまるで感じない】
強いのは分かる。
ランスが脅威に感じるのも理解できる。
けれど、やっぱり思ってしまうのだ。
――ルシファーほどじゃない。
あの頂には、ほど遠い。
「……」
僕はルナからもらった短刀片手に、足を前に進めた。
なんだか、えらく、思考がクリアだ。
あれこれ難しく考える必要なんてない。やることなんて最初から決まってるんだから。
「……ユノ?」
ランスの驚いた表情を見た。不安そうな、か細い声を聞いた。
「――ユノ!」
クロエの声が聞こえた気がした。焦ったような、大きな声を。
「ユノ! 君は一体何を――」
ランスの声。
僕は振り返って笑顔で言う。
「それは、僕の役目だ」
女神アテナの脅威になり得る存在。
それだけで理由は十分なのに。
「すぐ終わるから」
ランスの目が大きく見開いた。
――気がした。