89話 「閃光」
その街は間違いなく暗く醜い場所だった。
地を掘り返せば、骸が出てくることも決して珍しいことではない。
そんな街に連なる家々の内の一つから、小さくも温かな光が闇夜を灯すように漏れ出していた。
家とは名ばかりの、あばら屋根。
壁の隙間から入ってくる冷たい風は、時折饐えた匂いを運んでくる。
「すげー! パーティみてぇ」
しかし、そんな場所でさえ子供たちの声は明るかった。
彼らの拠点とも言うべき屋内では、子供たちが手分けして花や石を並べてほの暗い室内を飾り立てていた。
所々に穴があいている古めかしい机の上には白い蝋燭が立てられており、緋色の炎がゆらめくたびに、薄い木の壁に子供たちの影をゆらし映した。
「クロエねぇ! ランスたちっていつくんの?」
栗色の髪の毛をした活発そうな少年が、瞳を輝かせながらそうクロエに問いかける。
その両手には日が明るいうちに見つけてきたであろう、色とりどりの花が握られていた。
「うーん。もう少し、かな? だから来る前に準備終わらせちゃわないとね」
そう笑顔で言ってクロエは少年の頭をわしゃわしゃと撫であげる。
「うわ! やめろよブス!」
言って少年は楽しそうに笑みを浮かべつつも、クロエの手を煩わしそうに払いのける。
クロエの額に青筋が浮かんだ。
「はぁ? だれがブスだってー?」
「うわ、やべ! みんなにげろー!」
その声をきっかけに子供たちがギャーギャーと騒ぎながら狭い室内を走り始める。
「ったく」
そんな子供たちの様子を眺めながら、クロエは一人ため息をついた。
しかし、そこに暗い表情はない。
あるのはどこか呆れ交じりの笑みと、子供たちを見つめる優しげな瞳だった。
普段よりも子供たちに笑顔が多いのは、気のせいではないことをクロエは知っていた。
きっと、楽しみなのだろう。
言葉を借りるわけでは無いが、これから行われるのはパーティのようなものなのだ。
もちろん、これまでもランスやクロエの提案で似たような催しをしたことはあったが、今夜のそれは一味違う。
それを誰よりも実感しているのは、他でもないクロエ自身だ。
(まさか、この場所に……ね)
感慨深そうに、クロエは口許に笑みを浮かべた。
初めてのことなのだ。誰かをこの場所に招くということ自体が。
もちろん、これまで身寄りのない子供たちを招いたことはあるが、それとはやはり違う。
ユノ・アスタリオはクロエたちにとってはじめての客人であり友人なのだ。
その特異さを子供たちも感じ取っているのだろう。
普段よりも笑い声が絶えないことにもうなずけるというものだった。
「…………」
ふと、子供たちを眺めていたクロエの瞳が、吸い込まれるようにして一人の少女へと向いた。
視線の先には屈んだ格好で眠たそうな瞳を足元へと向け、床に置かれた白い花をツンツンとつつく少女の姿。
その微笑ましい光景に、再びクロエの頬がふにゃりと緩んだ。
同時に、そういえば、と思うのだ。
彼女――ネムもユノと同じで少し特殊な立場であったことを。
いつからかだったかはクロエも覚えてはいない。
自然と、子供たちに寄り添うようにして現れた不思議な少女。
気づけばネムの存在自体、クロエにとって違和感の無い存在になっていた。
この街では珍しくはない、名前の無い少女。
年齢も知らない。声も聴いたことはない。
それでもクロエにとっては大切な家族の一員であることだけは確かだった。
だからクロエは――――その違和感を見逃さなかった。
「……?」
はじめに感じたのは、やはり違和感。そうとしか言い表せない、曖昧なものだ。
突然ゆっくりと立ち上がり、屋根越しに空を見上げるように顔をあげたネムを見て、抱いた感想がそれだった。
なぜ? と問われても明確な答えをクロエ自身も持ち合わせてはいない。
強いて言えば、そのゆっくりとした動作が普段よりも――どこか――焦っているように見えたから。
「……ネム?」
小さな胸騒ぎそのままに、クロエは気づけば少女の仮の名を口にしていた。
返答はない。それだけならば問題はないはずだった。
「…………」
突然ネムが一つしかない拠点の出入り口に向けて走りはじめる。
その速度は酷くゆっくりとしたものだったが、ネムが走る。それが珍しいことであることをクロエは知っていた。
――覚えた違和感は疑心へと変わる。
「どこいくのー?」
「おれもー!」
ネムが、走る。それは子供たちにとっても珍しい光景だった。
故に、続くようにして好奇心そのままにネムの背を追って子供たちが走り始める。
「っ! 待って!」
焦り大声で叫びながらクロエは子供たちを追って家を出た。
――瞬間――クロエの視界の端で閃光が奔る。
「――――」
闇色の視界が一瞬にして白く塗りつぶされた。
静寂の街に轟く、鼓膜を裂くような爆発音。
生まれた衝撃は、クロエたちの拠点はおろか、連なる家々をも吹き飛ばした。
黒い空に向かうようにして昇る砂煙が、月の光に照らされて白く輝く。
時間の経過とともに薄らいでいく砂煙の中で、少女の姿が徐々に鮮明になってく。
クロエは両手に握った短剣を構えた格好のままで立ちすくんでいた。
「…………」
――奇跡だった。
短剣を握った両手が酷くしびれている。
訳も分からないまま振りぬいた短剣が、ナニカを切り裂いたことだけは理解していた。
そして何よりも、切り裂けたという現実そのものが、奇跡であることも。
「……ッ」
身体の節々に鈍痛を覚えつつも、クロエは祈るような気持ちで恐る恐る背後へと視線をやった。
「――――はぁ」
身体の中心からせりあがってきた安堵のため息。
クロエの視線の先では、怪我ひとつないまま呆然と立っている子供たちの姿が。
しかし、誰一人としてその視線が自分を向いていないことに、クロエはすぐに気が付いた。
栗色の髪をした少年が空を指さして言う。
「クロエねぇ……あれ……」
クロエは、少年の指先の向こうを辿るようにして顔をあげた。
月と星だけがあるはずの夜空を。
「――――」
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