狼? 1
あれから数時間経過していた。
いつの間にか霧が出ている。山の気温は変わりやすいというからか?
太陽が朝、家を出たときは晴れて見えていたのに曇って今は見えない。
そういえば<白神の森>がどれくらいの大きさなのか知らない。
地元民も知らないからスマホの衛星写真で大体の規模を昨日確認したぐらいだ。
....時計が欲しい。
スマホも腕時計も太陽の位置で時間を把握するつもりだったから置いてきてしまった。というよりもGPSが付いているから置いてきた部分が大きい。
最も僕のお腹の調子で今が昼頃ぐらいなのは分かっている。
それからも僕は前進した。歩いていると、霧が晴れてきて前の景色がはっきりしてきた。
だけど、そこは僕の考えていた景色ではなかった。森を抜けたら普通は周囲を見渡せる場所に出るか、または開けた場所には人工的な建物がある。
まして、日本だ。この奥三河の地には平坦な土地は居住区にでも行かない限り滅多にない。
それなのにこれはどういうことだろう?
霧が晴れた先は広大な草原だった。それしか言えない。
牧草地? いや、それにしたら家畜がいないし、逃亡を防ぐ柵も張り巡らされていない。
日本...だよな? それすら怪しいと疑う気分になった。
元に戻ろう。これで森の大きさが大体分かった。それからどこかで死のう。
僕は来た道を戻った。
....戻れなかった。
理由は分からない。ただ、森に入る時に少し斜面を登ったつもりだが今回は斜面を下ったり、登ってすらいない。まっすぐ進んだはずだ。
さっきとは違って霧は晴れているから見晴らしはいい。太陽も確認できた。
....あれは何だろうか? 太陽の隣に赤く光る巨大な星みたいな物がある。
北極星? いや、昼間からあんなに光らないし、そもそも赤い光なんて帯びていない。
しばらく歩いていくと...水の音が聞こえた。
川だ。
確信した。
僕は迷ったようだ。
ばあちゃんが言っていた帰れないってこういうことだったのか?
森に入る前、太陽は右にあった。そして今は左…西側にある。<白神の森>は居住区から北にある。つまり僕は北に向かって進んでいたはずなのだ。
方角が間違っているとは到底ありえない。
では、これはどういうことだろうか?
悩んでいると急に茂みの方から何かが近づく音が聞こえてきた。
もしかして...熊か?
ありえなくはない。ここは自殺希望者が来る森でもある。
森に入って死体どころか骨すら見ていないことから何かが死体を消していることが分かるがそれが熊なら合点がいく。
熊と遭遇した時、死んだふりが有効という対処法があるがあれは間違っている。
熊は動物の死骸もちゃんと食べる。そして嗅覚も犬と同レベル。そこに時速60㎞で獲物を追う足があるとすれば日本における山の食物連鎖で頂点に位置するだろう。
ならどうするか?
答えは荷物を置いて逃げる。つまり、僕が持っている食料を置いて逃げるだな。
いくら後で死ぬ気でも、できるなら苦しまずに死にたい。
もう充分苦しんだからこれぐらいの我儘があってもいいだろう。
とりあえず茂みから離れて見晴らしの良い場所に移動する。姿を確認したら一目散に逃げるためだ。
さっきまでの近くの茂みが揺れている。気づくのが遅かったら逃げられなかっただろう。
僕は目線を離さずに一歩ずつ下がった。
茂みが大きく揺れると…現れたのは魏色の毛並みをした犬だった。
なんだろうか? あの犬種は...大型犬なのは分かるが知っている限りの犬種に覚えがない。
犬はこっちを見たが興味がないのか、そのまま川の水を飲み始めた。
とにかく離れた方が身のためだ。50mぐらい離れているが犬の足の速さならすぐに追いついてしまう。
だがここで僕は気づいた。
川の反対側も何だか様子がおかしい。
そう思った瞬間だった。
突然、反対側の森から大蛇が現れた。それこそ、さっきの大型犬より何倍も大きい。
そして、そのまま大型犬を喰らった。
あの蛇は何だ? 大型犬をそのまま捕食するのに、ものともしないサイズは聞いたことも見たこともない。
大型犬は抵抗もできずにそのまま大蛇に飲み込まれてしまった。
呆然とする暇はない。急いで姿を隠すのが先だ。
僕が近くの茂みに姿を隠した瞬間に大蛇に何かが飛びついた。
銀色の犬だ。
だがさっきのサイズとは違う。
大蛇並みの大きさだ。
飛びついた犬は大蛇の顔を一部分を噛み千切った後、距離を取った。
さっきの喰われた犬は子犬でこっちが親犬か?
多分そうであろう。親犬の近くにもう一頭大型犬クラスの犬がいる。
そして親犬を見ていると顔つきが違う。
あれはどっちかというと狼だ。
シンリンオオカミ?それとも絶滅したニホンオオカミか?
いやそれとは全くサイズが違う。
もしかして.....
「フェンリルか?」
北米神話に出てくる名前を口から思わず出てしまった言葉に反応したのか親犬がこっちを向いた。
そして子犬に何かを促した後、こっちに子犬が向かってきた。
しまったと思った瞬間にはもう遅い。
僕の目の前には子犬がいて、いつでも飛び掛かれますよという顔で親犬に目を向けた後、僕を監視し始めた。
あれだ。まずは邪魔者を消してから後はそのまま親子そろって一匹ずつ仲良くご飯を食べようということか。
要は獲物が消えないように監視を付けただけみたいだ。
...死体を食べていたのは熊じゃなくてこいつらなのかな?
人の味を覚えた獣は狂暴だと言うし、こんな最後を迎えるとは思いもしなかった。
しばらく、親犬と大蛇は睨みあった後、大蛇が攻撃を仕掛けた。
それを親犬はかわす。そして大蛇の喉に噛みついた。
大蛇も負けてはいない。親犬の胴体に体を巻き付けて絞め殺すようだ。
親犬の体に蛇の胴体がどんどん食い込んでいく。
そのまま時間が過ぎる...
そして勝敗が決した。
親犬が大蛇の首をそのまま噛み千切ったのだ。
胴体に巻き付いていた蛇の体は千切れた瞬間に締め付けるのをやめて、そのまま地面にほどけ落ちた。
そして親犬の勝利の遠吠え。子犬もそれに習って遠吠えする。
近くにいると耳が痛い。
親犬は子犬を見た後、子犬も監視していた獲物を仕留めるべく僕に顔を向けた。
僕はどうやら終わりのようだ。短い人生でごめんとばあちゃんに会ったらそういっておこうと覚悟を決めた。
それがいけなかった。親犬は油断したのだ。
大蛇は体が千切れた後も生きていたのだ。
そして隙を見せた相手の足に食らいついた。
親犬の悲鳴。子犬もそっちに注意が向く。
僕はそのまま逃げれば良かったのだが、なぜか逃げなかった。
親犬は噛みつかれた足をそのまま大蛇の頭ごと沈めた。
それから約3分。
親犬に噛みついていた大蛇の頭は酸素不足による窒息したのだろう。親犬の足から離れてそのまま流れていった。
同時に親犬が横に倒れる。どうやら噛みつかれたときに毒が回ったようだ。
そして近づいてきた子犬に対して子犬の顔を舐めた後、そのまま動かなくなった。