主人公 1
『<白神の森>には行ってはいけない』
僕がばあちゃんから聞かされていた言葉だ。僕が住んでいるのは愛知県の奥三河にある小さな居住区。総住民25名。ほとんどが60歳以上のいわゆる過疎地域だ。おまけにネット回線を通しているのは僕の家だけ。
そんな若者がいない地域に僕がここにいるのはいわゆるいじめが原因。もちろん僕がいじめてはいない。
被害者
そういえば分かるだろう。
僕の両親は二人共健在だ。むしろ、お金を稼ぐだけなら一流でもある。母は大手新聞社の編集長。父は国税庁の職員。母は僕を生んだ後、半年で職場復帰。父は....家にいなかった。まともに会話したことすらない。ベビーシッターと家事代行サービスを雇って終わり。
お金だけはたくさんあるから生活には困らなかった。
いや、困った。親を知らなかった。
幼稚園...小学生...先生から家族の顔を描いてみましょうと言われたとき、描けなかった。家政婦さんの顔も覚える暇もないほど人の出入りが激しい僕の家庭で人の顔など覚えられなかった。
結果、僕はペットの犬と猫を描いた。先生は困惑した。当然だ。自分の親を描かずにペットの絵を描いたからだ。今の僕でも困るどころか関わりたくないと思えるだろう。
だから、いじめられた。親なしの一人ぼっち。周りと環境が異なる子がいれば、それだけで子供はいじめる。僕が小学生で学んだことだ。
中学生。一人の熱血教師が僕の担任になった。あれは...中学二年生だったかな....
両親の血を受け継いだのか成績は文学においては優秀だった。理数系はそこそこ。しいていえば、美術で家族の絵が描けないくらい。教師のお節介で小学生から続いた僕のいじめは公になり、僕の親にも伝わった。
親は謝った。
学校と加害者に対して....
笑えるだろう? 被害者の僕にではなくて、他人に謝ったのだから。
熱血教師が尋ねた。
「何であなた方が謝るんですか?」
「この子は変人ですから」
親公認の変人。親は子供のいじめを隠蔽したかったから謝った。
裏切られた? いや、元々親に伝わった時点で展開が見えていた。熱血教師が泣きながら謝ったよ。
君を苦しめてしまった...。とね。
教師はしばらく休職した。そして僕は転校した。この奥三河の地に...
ばあちゃんの家は初めてではない。むしろ、何回も来たことがある。孫の顔を見せに行くという名目で旅費を貰って一人で長期休みに何回も来た。
おかげで地理には詳しい。ある程度の畑作業や知識も覚えられた。何より....
ばあちゃんに直接名前を呼ばれる自分がいた。
ばあちゃんの家は代々寺の家系だ。と言っても、住職だったじいちゃんは小学生の時に亡くなり、跡継ぎ候補の父はお国のために血税を徴収している。つまり、ばあちゃんが亡くなったら廃寺になる予定。
歴史? そんなもので飯は食えないと父は家を出るときに言ったそうだ。
でも、飯は食える。寺の土地は全てばあちゃんが畑にしたし、山に入って山菜やキノコも採る。動物性たんぱく質は近くに住む猟師さんと野菜で交換。米はばあちゃんが少しだけ育てているし、数少ない檀家さんからお米を貰うときがある。
つまり、父は逃げたかっただけだ。この故郷から縛られずに生きたかっただけ。
ばあちゃんは凄い。
怒れば猪ですら逃げるし、僕がここに来ると言ったときになけなしの年金から蓄えたお金でネット回線とパソコンを買ってくれた。ラジオと新聞さえあれば十分と言っていたばあちゃんが僕のためにここまでしてくれたのだ。
ここに来てからの日々は楽しかった。毎日が充実していた。泥にまみれ、冬の水で凍え、暖かいこたつで温もり、旬の食材を味わった。
だけど、現実は非情だ。
高校生。ばあちゃんが倒れた。そして、そのまま目を覚まさなかった。
死因は脳梗塞。僕が高校三年生の時だった。