第7話
春生がまず止めるべきは、ヴィルであった。相手も怒りを含んでいることは含んでいるのだろうが、ヴィルが剣を抜いた時のリアクションを見る限り、今、この時点においては、まだびびってくれている。萎縮している。
春生は、思い切って、ヴィルの肩をとんとんと叩いた。反応はない。気づいていないかのようだ。しかし、依然として、相手の男三人が剣を抜かないのを確認すると、ヴィルは少しだけ視線を後ろへ向けようとした。目を離す訳にはいかないから、お前が自分の視界へ入れ、という意味である。
春生はそれを悟って、ビルの横手へと移動。出来ることなら、もうこのまま双方の間に割って入りたいところだが、急ぐのは良くない。まずは、ヴィルを落ち着かせることが先決だ。
「お、おい、待てよ。お前、ここでの立場をどうしてもいいっていうのか?」
「…………」
沈黙するヴィルに、春生は諦めることなく言葉を続ける。
「なぁ、こんなところで人間同士戦って何になるっていうんだ? 自分に損なだけだろ。やめとけって」
「…………」
なおも沈黙するヴィルだったが、運が悪いことに、ここで相手の男たちが口を挟む。
「そうだ、そこの男の言う通りだ。なっさけねぇこと言ってやがるが、正論だぜ? 別に俺たちは構わねぇけどよぉ、お前が損するだけなんだぜ? そんなことも分からないから、馬鹿にされるんだろうがよぉ~」
「なにをぉおお!」
ヴィルは、春生の言葉には実に無関心であったが、男たちの言葉の一つ一つには過剰に反応する。とにかく、馬鹿にされるということにはめっぽう弱いらしい。今にも男たちに切りかからんとするヴィルの両肩をなんとか抑える春生。ヴィルの力の前では、春生の力など無力に等しかったが、それでも、まだ、ヴィルに残されていた僅かな冷静さが味方をし、引き留めることには成功する。
春生は、一瞬、ヴィルを馬鹿にすることによって、馬鹿だからこの場を収めることが出来ないのか、と挑発し、退かせるということを考えた──が、恐らくそれは逆効果になるであろうことが予想できた。少し引き金を引けばもう発射される銃のような状態なのだ。刺激するのは良くない。引いてくれる、ということも考えられなくはないが、それをするのは博打である。二分の一。ヴィルのことを、さほどまだ分かっていない現段階において、そんな博打を打つのはあまりにもリスクが大きかった。何せ、外れれば春生の今後の生活が成り立たなくなってしまうのだ。
最後の最後に、博打を打つのは仕方ないにせよ、今、彼女を挑発することで目的を達成させようとするのは、あまりに無思考。ギリギリの、本当にギリギリの局面ではあったが、春生は、まず、ヴィルを引き留めるために、なんとかする必要があった。そんな追いつめられた中で、春生がとっさに思いついた行動、そして、最後に頼れる行動、それは──
「ヴィル! すまない、俺が悪いんだ! 謝らせてくれ!」
謝罪! ここにきて、謝罪。いざという時の謝罪。春生に取れる行動はそれしかないのだ。何を謝るか? そんなものは謝り出してから考えればいい。そんなある意味冒涜的な謝罪であったが、春生にかかれば、いついかなる状況において、自分の悪いところを作り上げ、何に対しても謝ることが可能なのだ。
「……な、なにを……」
ヴィルは、勿論、訳が分からない、といった顔で春生を見る。それはそうだ、誰がどう見ても、これまでの過程において、春生が謝るような要素は何一つなかったのだから。けれども、それは甘い考えである。春生にかかれば、謝る原因なんて虫が飛んでいたでも構わない。それほどの世界に生きてきた男なのだ、春生という人間は。
「いーや! 僕が悪かった! まず、第一に、実は、僕はこれ──紹介状を持っているんだ。これを持ってギルドに行けば、ヴィルはもっとわりのいい仕事を受けることが出来た。これを、もっと早くヴィルに渡せなかったのが悪いところの一つ目だ」
「だ、だから、そんなことは関係ないだろっ、今はっ」
ヴィルが戸惑いつつも、春生を止めようとするが、春生はまだ続ける。
「第二に、あの時、お礼も言わずに、そのまま去らせてしまった。あの場で引き留めればよかったんだ。そして、その場で店主にこの紹介状を書いてもらうべきだった! これは僕がするべき行動だった。本当に申し訳ないっ!」
男たち三人からしたら蚊帳の外。彼ら三人をそのまま放置するのも、問題があるにはあるのだが──今は、そうするしかなかった。春生の体は一つしかないのだから。
ヴィルは、春生の謝罪に対して、疑問を覚えている。それはそうだ、無理やり謝罪をしているのだから。であるからして、春生は、謝罪の中にある一つの工夫を取り入れる。
「このままだと、ヴィルも困る──けど、実は、それと同時に、僕も困るんだ……。今、詳しい事情を話している暇はないけど、ヴィルがこの地にとどまれないようなことになってしまえば、結果的に、僕がとても困る。本当に困る。だから、どれだけでも謝るから、ここは、なんとか、その剣を収めてくれはしないだろうか!?」
春生は、男たち三人にまで聞こえるような声で、自分が困る、という旨を伝える。これは、ある種の賭けだった。こればかりは、賭け。けれど、決して分が悪い賭けではないと考えていた。何故なら、このヴィルという人物について、春生はただ一つ分かっていることがあったからだ。それは、プライドが物凄く高いということ。それは、つまり、自己犠牲をしてでも、自分の誇りを守りたいということであり、裏を返せば、自己犠牲が発生するような状況であると、一歩引くことが出来なくなる可能性が出てくるということだ。
どういうことかといえば、まさに、今、この状況。ヴィルは、己の立場を犠牲にしてでも、男三人に斬りかかろうとしている。だから、もう引くに引けない──ただし、それは、自分の事情でころころと意見を変える訳にはいかない、という意味で、である。ここで、意見を変える理由が、春生のため、という言い訳を与えてやったのだ、それも、春生が謝罪をする中で。
これによって、ヴィルに退路が用意されたこととなる。ヴィルは、自分の都合で引くのではない。あくまで、春生がひたすら頭を下げて、自分のために引いてくれ、と言ってくるから引くのである、という大義名分を与えられたのである。
「……うぅん……そこまで、言うのなら……だ、だけど、私は悪くない……! あいつらがっ!」
退路が与えられてからのヴィルの引き様自体はは、思ったよりも素直であった。春生は、再びヴィルの怒りが爆発しそうになるのを、まぁまぁまぁまぁ、と無理やりなだめて、肩を持って、後ろを向かせる。
ヴィルは、自分のプライドを貶されるということには人一倍敏感であったが、人のことに関しては、それ程、執拗に拘る訳ではないらしい。この事実は、春生と店主のいざこざをかなりの長い時間眺めていたということからもよく分かる。冷たい訳ではない、が、今回のケースに関しては、春生がそれ以上のしつこさでお願いしたからこそ、彼女の自尊心を刺激した形となったのだろうと予想できた。
さて、と春生は心の中で気を引き締めなおす。
本当に春生が謝罪しなければならない相手、それは、ヴィルなんかではない。彼女に対する謝罪は、交渉色が強い、儀式的なもの。だが、次の相手は、そうはいかない。
「……えぇと、あの、ですね」
まずは低姿勢、ひたすら低姿勢。プライド? そんなものは置いてきた。春生が挑むのは謝罪。それも、今回は自分の過失ではない。完全にヴィルの過失である。春生自身、ほぼそう考えていた。だからといって、ヴィルに謝らせる訳にはいかない。彼女は頭を下げないだろう。間違いない。下げる訳がない。だって、本当なら今頃殺し合いが始まっていたんだもの。よく剣を収めてくれた。収めてくれただけで十分だ。いっそのこと、春生はもうヴィルをこの場から遠ざけておきたいくらいだった。
「おうおうおう! 黙って聞いてれば、なんだぁ? ええぇ!? そんなんで俺たちの腹の虫がおさまるとでも思ってんのかぁ!?」
「おぉう! そうだぞぉ!? なんだぁ、クソガキがぁ! そんなヒョロヒョロの体に訳の分からない真っ黒で気持ちの悪い服を着てぇえ! 何のつもりだぁ!?」
いきなり男たちが血気盛んになる。予想はしていた、していたが、ここまで早い転身とは……。戸惑う春生、言われても聞こえないふりをしているヴィルをいいことに男たちはここぞとばかりに罵声を浴びせる。
「なぁ!? いきなり間に入ってきて、俺たちが、はい、そうですか、と引くとでも思ったのかぁ?」
「えぇ!? なぁ、お前があの女とどういう関係なのかは知ったこっちゃねぇけどよぉ、それなりに何かしてくれるんだろうな!?」
春生は、すぅと呼吸を整える。
「ええ、とですね……。言わせてもらってもいいですか?」
キリと、男たちを睨みつけるような目で見る。一瞬、ほんの一瞬、男たちが尻込むのを春生は見逃さなかった。そのわずかな戸惑いは、何から生まれたものだろうかと考えれば、恐らく、まずはヴィルの知り合いらしいという男たちの推測。その推測は、即ち、こいつもいきなり攻撃しようとしてきたりするんじゃないか、というような恐怖心をほんの僅かに抱かせたはずである。第二に考えられるのは、男たちが僅かに触れてきていた春生の服装だろう。やはり、どこを見ても春生のような服を着ている人間は誰一人としておらず、それ故に、きっと、春生が着るスーツという服装は、これまた不可解、即ち、僅かに恐怖心を抱かせるには十分なのである。
それに加えて、先ほどまでヴィルにぺこぺことしていた男がいきなり向き直って、少し鋭い目線をしてきたのだ。ほんの僅か、本当に、僅かな恐怖心を抱いてしまうというのは、人ならどうしようもないことなのだ。
つまり、この一瞬だけは、何の力もない春生が、男たち三人相手に上の立場を獲得した瞬間であった。
それを悟ってか、悟らずか、春生は、大きく、大きく、頭を下げた。腰から体を降り、深々と頭を下げ、精一杯に、相手の目線の下へと自分の体を落とし込む。攻撃ではない。謝罪である。そして、相手が何かを言うよりも前に、顔の向きが地面を向いていても相手に十分届くくらいの音量で言う。
「本当に! 本当に! 申し訳ありませんでした! 今回の件、全て、自分の責任です! 何分、自分もこの辺りのことを何も分からないような人間です。色々とここのしきたりに反したことをしてしまったのだと思います。郷に入れば郷に従え、この地で長いこと活躍しているであろうあなた方先輩に対して、大変に失礼な態度を取ってしましました!」
春生がとにかく言葉を発し続ける。
「な、いきな──」
途中、そうはさせるかとばかりに男三人のうち一人が口を挟もうとするが、春生はそれを遮るかのように、さらに続けた。
「つきましては! 今回の責任は、この自分が取ります! ですので、どうか、今回の件は多めに見てもらえませんでしょうか! 元はといえば、自分が、この女剣士と遭遇してしまったのがことの始まりなんです。偶然とはいえ、自分がここにいなければ、こんなことにはならなかった。ただ、ただ、悔しい……! 人に迷惑をかけてしまったことが、ただただ、悔しいんです! 大変申し訳ありません。今後、自分の行動には十二分に注意をして、ここに長く滞在する人に行動の在り方を聞いて、勉強して、二度と同じような迷惑をかけることをないようにしますので!」
春生は思いつく限りの自分の責任、改善点をひたすら述べ続ける。一方的な謝罪。もはや、ただの主張と言っても過言ではない。そこに、本来の謝罪の形はなく、半ば押し付けのようになっている、攻撃的な謝罪である。謝罪にあってはならない禁を、春生は自ら分かって破っていた。
謝罪とは、時と場合によっては、軽い脅迫となり得る。ここで、改善点を述べてはいるが、抽象的な案であり、それによって改善されるかどうかなんてことは分かりようがない。即ち、改善点を述べているようで、述べていない。これは、謝罪と見せかけた懇願、要求である。こちらは何一つとして責任を取ることは出来ないが、許せ、という脅迫なのである。
脅迫なのだ。この謝罪は、謝罪にあって、謝罪にあらず。こんな謝罪をしようものなら、相手に謝罪の意図など伝わらない、相手をなだめるどころか、怒らせる可能性さえある。悪い謝罪。全く褒められない謝罪。
だが、この場においては、春生が行える最大の防御であり──攻撃であった。