第19話
「そもそも魔王ってなんなんですか?」
魔王がいるところへ向かう道中。道は険しい。道なき道。あるのはモンスターたちが通っているであろう獣道のみ。森林の中を歩く。その道のりは、エルフの集落へ向かった時とは比較にならない程入り組んでいる。
そんな険しい道中、春生はカリナに尋ねた。これから交渉しなければならない相手の事を少しでも知っておくためだ。何せ、魔王と言われても春生が考えるのは世界制服をもくろむ魔物たちの親玉、という印象くらいしかないのだから。
「魔王──モンスターたちを統べる司令塔のようなものです。モンスターたちは、基本的に、人類の領土に立ち入らないような辺境の地で、それぞれが独自の生態系を築いてくらしています。そんな中に突然変異的にいきなり現れるのが魔王……。魔王の出現は、突発的で、その出現は、モンスターたちの変則的な行動、人類の領土への執拗な侵攻、あるいは、モンスターを狩ることを生業としている一部の冒険者たちによる遭遇報告によって明らかになります。魔王の目的が一体何なのか、その真相は定かではありません。これまで人類と対峙した魔王が何を語ったかは知りませんが、全て、勇者らの手によって駆逐されてきましたからね」
春生がイメージしているものとは少し違うのかもしれないが、おおよそ、イメージ通りで間違いないのかもしれない。
険しい道を息を若干切らして進みながら、カリナは続ける。
「辺境の領土──キストニアのような国は、そうした魔王の出現に対応しなくてはならない……。故に、他国が攻めてくるということはほとんどないのですが、一方で、相手は人間ではない。情け容赦などありません」
「……で、そんな情け容赦ない相手に交渉、って、大丈夫なんですかね?」
春生の疑問に、カリナは、うーん、と少し考えてから、
「そこは、仮にもこのカリナ・ルーツが召喚した人間なのですから、適性がある、ということにしときましょう!」
「しときましょう、って……」
春生のメンタルは、エルフたちとの修羅場、その他、色々な修羅場を乗り越えたことにより、若干は強化されていたが、それにしたって、いきなり、そんな一国を背負うような交渉が出来るだろうかと言われたら、果たして疑問であった。
道中、何度もモンスターに遭遇した。
しかし、その際におけるカリナやヴィルの活躍は目覚ましく、後ろでびくびくと雨に濡れた子犬のように震えているだけの情けない男春生をよそに、二人の女性はそれはもう鬼神のごとき活躍ぶりを見せた。
カリナの魔術はモンスターの攻撃を寄せ付けず、瞬時にそれらを塵へ還すほど強力で、春生の目から見ても、相当に強いという事が分かるほどだった。魔王討伐隊というのは、当然このような強さの人間が複数人参加して編成されたものであったが、それでもなお、敵わないほどに、今回現れた魔王は強敵であった。かつてないほどの危機なのだ。
カリナの活躍とともに、ヴィルもまた、それ相応に活躍していた。手に持つ二本の長さの異なる剣を自由自在に操り戦う様子は、春生の目から見れば相当にインパクトがあった。カリナの戦いは基本的に魔力によるものであり、春生がこれまでの人生で目にしてきた戦闘シーンとは一線を画すものであったが、ヴィルはそうではない。
ヴィルの戦いっぷりというのは、春生が元いた世界でも十分に再現できるものであったため、春生から見ると非常に激しいものに見えた。舞う血しぶき、切断される四肢、相手が人間であったならばどれだけ恐ろしいものであったか。幸いにも、襲い掛かってくるモンスターたちはどれも人間には程遠い見た目をしており、それは、春生の精神を安定させるために一役買っていた。
「まだ着かないのか?」
道のりは徒歩。出発してからすでに一日。またモンスターに遭遇し、それを切り払った後、ヴィルがカリナに問う。
「あら、もう疲れましたか? 大丈夫ですよ、私一人でも、マツオを魔王のところへ連れて行くことくらいなら簡単ですから」
にんまり笑うカリナ。ふん、と返すヴィル。歩きながら、春生も問う。
「あー、でも、魔王って言うからには相当奥にいかないとダメなんだろうな」
「ええ、そうですね、そもそも、モンスターたちの領域というのは果てしないものと言われてますから。ああ、懐かしい、その昔、領域がどこまで広がっているのかという調査に行った日々が──」
遠くを見つめるカリナ。
「……で、どのくらい広かったんですか?」
「うーん、そうですね、その時は、一年くらい旅をしたでしょうか……」
「えぇ……」
若干引き気味に答える春生。
「あ! 勿論、私一人ではないですよ! あ、すみません! もしかして……マツオ、あなた私のこと狙っていました?」
「……い、いや」
全くもって見当違いな質問をされたため、再度、引き気味に答える春生。冗談なのか、どうなのか、判断しかねるところである。
「あー、大丈夫です。魔王は、今、人類の地を侵略しようと前線まで来ていますからね。根城も分かってます。常に魔力探知をしていますから、強大な魔力を持つ魔王がどこにいるのかということは手に取るようにわかるんです。そうですねぇ──何泊かすることにはなるでしょうが」
こうして、春生にとっては実に長い旅路を突き付けられ、まだ黙々とモンスターたちの領域を進む旅が続くということが明らかになった。
「──かといって、寝込みを襲うようなことはしないでくださいね。私、これでも立派な魔術師なので、寝ている時に触れた人の腕が吹き飛ぶような防御術をはっているんですよ」
何故か春生がカリナに気があるかのような状況になっているのは全くもって意味不明であったが。
その後の旅路は、さほど変わり映えしないものであった。
途中、カリナの言った通り、野営することにもなったが、持ってきた食料は十分にあったし、宿泊地にはカリナによる術式で防御され、誰一人として見張りを行わなくても寝込みを襲われることはなかったため、寝心地はさておき、さほど怯えるひつようはなかった。
モンスターたちと戦うのは専らカリナとヴィルだけであり、その二人の戦いっぷりを見るに、これなら魔王でも倒せるのではないか、と春生が考えてしまうくらいには負けそうな要素はなく、まさに一騎当千状態であった。
奥地へ行くにともなって、いかつい外見のモンスターも増えてくる。カリナ曰く、ここらあたりのモンスターの死骸を持ち帰るだけでも、金貨何枚、何十枚の価値にはなる、という話らしい。それだけ強敵で、希少価値の高い副産物が取れるのだという。けれども、今回の戦いはそれが目的ではない。モンスターたちの死骸は無残に捨て置かれ、それら屍の上に、道のりは続く。
かれこれ数日。
「……さて、ここです。この奥に強い魔力を感じます……相手も気づいているでしょうが」
到着したのは、茂みの中に隠れる天然要塞とも言えるであろう大きな洞窟の入り口だ。周囲のモンスターの数は、これまでの戦闘よりも格段に多かったが、おろおろしている春生をよそに、カリナとヴィルが問題なく片付ける。
まるで全てを飲み込むかのような真っ黒い口を広げている様は、地獄の入り口のように見えた。心なしか、中から、奇妙なうめき声などが聞こえてくるように思える。
「洞窟といっても、さほど深さはない、はずです。魔王の護衛たちが出てくるとは思いますが、そいつら程度では、人の言葉を理解出来るとは思えないので──倒していくことになりますね」
「え、倒すんですか!?」
春生が衝撃の声を上げる。
「……? それ以外にあるのか?」
ヴィルが、春生の声に疑問の声を投げかける。春生は、えぇと、どうしたものか、と思ったが、仕方なく説明することにした。
「だって、今から行くのは、ほとんど敗戦のための交渉みたいなものでしょ? それをしにいくのに、その相手の直接の部下を殺したリしていったら、殴り込みにいっているようなものなんじゃ……」
カリナが少し考える。
「しかし、そうしないと、魔王の元にはたどり着けませんよ……?」
「いや、でも、だって、おかしくない!? 大体ね、二人とも、いやいや、あの将軍もだけどさ──」
いよいよ、魔王との交渉を目前に控え、春生は、これまで思っていた不満をぶちまけることを決意した。このまま突っ込むのはあまりにも無謀だとようやく気付いたのだ。目の前にして。
「皆、魔王──いやいや、魔王様に対する敬意が足りていないんじゃないの? そりゃあ、僕は、魔王様がどんな人なのかは知らないよ。けれど、少なくとも交渉できるだけの知能を持っている生物で、もっといえば、人類を壊滅させるくらいの強さ、それにともなった頭の良さは持っているんじゃないのか?」
「それは、その通り、ですね」
「そもそも、そんな評価こそが上から目線なんだと僕は思うよ。なんで、交渉しに、それも、謝罪に近いような交渉をしに行くのに、そんなに上から目線なんだ? まるで自分たちが有利な立場にいるかのように……。それはあまりにも自分目線じゃないのか!?」
「……それも、そうですね」
カリナは、なんとなく、一応、納得したようで、少し考えると、
「……では、気配を消しましょう。それで、護衛たちを避けつつ、魔王の元へと向かいましょう。何とかなる、と思います」
「消すって?」
春生が聞くと、カリナは何やら短い呪文のようなものをぶつぶつと呟く。何か起きたようには感じなかったが、
「……ほぉ、これは強い術式だな」
ヴィルが感心の声を上げているので、どうやら何かが起こったらしい。
「これで、しばらくの間は、程度の低いモンスターには気づかれません。あまり長時間となると話は別ですし、魔力を多く使うからあまりやりたくはなかったんですけどね」
「はぁ、そんなことが」
感心する春生らは、そうして、洞窟の中へと入っていった。
魔法とは便利なもので、暗闇の中でも視力を確保する魔法なんかをかけてもらったりして、洞窟の内部の探索は実に容易であった。ヴィル曰く、
「なんだかんだいって国家公認の人間の力は侮れない。これほど沢山の術式を容易に操るとは、その実力認めざるを得ないな」
らしい。それなら最初に喧嘩売らなければよかったのに、などと思う春生。闘争本能的な何かがうずいたのか。
そんなことを考えている間にも、狭かった通路が開け、ひときわ広く、まるで部屋のようになった区画に出る。
「…………」
春生にも分かった。気配を感じたのだ。強い気配。ビリリと脳に衝撃を走らせるような、強い気配だ。
どうしようかとヴィルとカリナを見る。カリナは、その目線の先に、何かを捉えているようだった。ヴィルは──恐ろしいものを見る眼で、けれどお、負けじと踏ん張っている、そんな様子である。
春生には、その気配の正体を察知することは難しかったが、少し考えれば、それが何かということは分かった。間違いないだろう。魔王──そう呼ばれる存在が、この先にいる。
刹那、ボォオオ、という音が連続でなる。ボッ、ボッ、ボッという音が何かと思えば、それは、その広場の壁際に設置されていた松明に火が灯った音であった。殺風景で土の壁は剥き出しの大広間──その奥に、ポツリとある椅子。まるでどこかから取ってきた廃棄物のように薄汚れた椅子であったが、その大きさやつくりは実にしっかりとしていた。
カリナが、一歩、二歩、とそこへ向けて迫っていく。警戒しているのか、いつもよりも相当に足取りは重たい。
ヴィルが、それになんとかついていく。
二人の後ろに、春生はついていった。
魔王との対面──
「…………」
相手は一言も話さない。命を狙われている存在だというのに、椅子に深く腰掛け、ひじ掛けにずしりと両腕を置いて、微動だにしない。春生が受けた印象は、退屈そう、というものだった。
まるで、訪問者など気にしないかのように構えている。けれど、広間の松明に火が灯ったのは、間違いなくこの魔王の仕業であり、カリナの気配を消す魔術によって魔王が春生らに気づいていないということは決してあり得ないのだ。
向かい合う三名。
魔王の身体は、黒のボロきれたマントに包まれており、顔も奇妙な仮面に覆われており、頭には悪魔のような角が生えていて、肉体は人型であるということ以外、さして分かるような特徴はなかった。それがまた不気味さを増長させる。春生は思った。こんなやつが町中あるいていたら絶対すぐ捕まるだろ、と。しかし、そんなことを口に出していう訳にもいかず、とりあえずは黙っていることにした。
「……お久しぶりです」
口を開いたのはカリナだったが、
「…………」
それに対して、一言も返答はない。不気味さ、恐怖、不安、そんな感情が、カリナ以下三名をしっかりと、がっしりと、包み込んでいた。




