第17話
その言葉は、つまるところ、春生がカリナを全面的に信用するということを表していた。その行為こそが、春生が見せた誠意の表れである。
さらに言うなれば、カリナが許す、許さない、ということに対する返事など聞いていない。春生は決して、許してくれるなら、言う事を聞く、と言っている訳ではないのだ。春生は、とにかく、カリナを信じる、どうあろうと信じる、ということを申し出ているのである。
これが誠意の形だと言えよう。何かをする代わりに、許してくれ、というのは、交渉である。それは謝罪ではない。謝罪というのは、己が悪であったということを詫びる行為。決して、相手に要求を突きつけてはいけないのだ。そして、今、まさに、春生が行ったのは正真正銘の謝罪であった。
そんなことを、カリナは感じた訳ではない。けれども、カリナは、そこに確かに誠意を見た。
結果として、それにより、カリナの心は大きく動いた。
「──分かりました」
言うと、カリナはヴィルへと歩み寄る。両手の平をヴィルへと向ける。攻撃をしようとしているのではないということは、彼女の表情を見ればわかった。カリナは魔力を発した。たちまち、彼女の魔力はヴィルの体──主に、頭を中心にほのかな光で包み込む。
その様子をあっけにとられて見ているのは、カリナ以外の面々全てだ。ヴィルの体はふわりと軽く浮き上がり、上がった顔は、穏やかな表情で、致命傷とも思われた傷は完全に癒えており、ヴィルの体が立ち上がり、彼女を纏う魔力の光が薄らぐとともに、閉じられていたヴィルの目が徐々に開く。
「……私は!? ……!」
叫ぶヴィル。そして、カリナをキッと睨む。
「何故治した!」
まるで恩義を感じていないような様子に、春生がおろおろする。
「マツオが協力をすると言ってくれましたからね。それに、死なれては私の強さを認識してもらえないですし……」
これまで見せた事のない笑顔をにこっと見せるカリナ。笑ってない。納得しろ、いいな、という脅迫めいた笑顔に見える。
「……ぐっ」
ヴィルは、渋々認める。流石に、一度完全に敗北してしまい、さらに傷を治されたとあっては、これ以上の抵抗は彼女のプライドをさらに失墜させる行為になってしまうということを悟ったのだ。力で屈服させる、とはまさにこのことか。
「──あ、そうだ!」
春生は、そんなすっかり覇気をなくしたヴィルを見て、あることを思い出す。そして、カリナへ助力を求めることにした──。
「よぉし! 行くぞ! 目指すは、ルブニュス!」
ピゼットを発つ馬車に乗り込み威勢よく言うのは、見違えるほど元気になったヴィルである。
何があったかということは、彼女の腰元を見れば良く分かる。そこには、大きめの剣スターカと、それに対比するように小さめの剣──かつて、彼女が別れを告げた、ヂェリコーがあった。
「──機嫌良さそうですね」
カリナがヴィルに聞こえない音量で、隣に座る春生へと耳打ちする。はは、と苦笑いで返すと共に、
「本当にありがとう。助かった」
と、ヴィルのヂェリコーを取り戻すためにお金を支払ってくれたカリナへこっそり礼を言う。
「金貨一枚くらい、なんてことはないです。……ところで、そういえば、まだ、貴方がルブニュスに行って、それから私たちがやることを聞いてませんでしたね」
彼女が言うルブニュスとは、キストニア連邦の一大都市であり、末端部にある都市であり、さらに、モンスターと人類の境界線にある唯一の大都市でもある。主に、モンスターの侵攻を防ぐための要塞的な役割も果たす都市であり、ここが陥落すれば防備を十分に整えていない他キストニア連邦内の領土は大きな危機にさらされることになる、といった特色を持つ重要な軍事拠点である。
揺れる馬車で、カリナは続けて語る。
「簡単に言えば、もうキストニア一国の力では魔王を止めることはできません。無理です。お手上げです」
真面目な顔で言う。深刻そうというよりは、ただただ、事実を事務的に伝えている形だ。
「……はぁ」
と、言われても、春生に特に危機感は湧かない。そもそも、春生はキストニアという国に対して何か思い入れがある訳でもない。けれど、ヴィルはそうはいかないようだった。
「なにぃ!? そんな馬鹿なことがあってなるものか!」
今にも立ち上がらんとする勢いで、対面に座っているカリナへ、ぐんと顔を近づけて迫る。
「だからこそ、貴方を召喚したんです、ハルキ・マツオ。あなたには──」
カリナが春生へ体を少し向け、言う。
「魔王と交渉してもらいたい」
「……は?」
思わず漏れ出る春生の疑問の声。
「あー、前にも言いましたが、私を筆頭として、魔王討伐には行ったんですよね。でも、負けたんです。完敗です。お手上げです」
お手上げです、と言いながら、カリナは真顔で両手を上げるポーズを取る。ふざけているのか、ウケを狙っているのか、反応に困る春生を差し置いて続ける。
「だから、もう、とにかく、話し合いか何かで平和的な解決を取るべきだ、って意見が連邦議会から出ましてね……」
「えぇ……」
自分から討伐へ出向いておいて、いざ負けたら今度は話し合い、だなんて順番が逆だと思うが、と考える春生であったが、ここは大人しく話の続きを聞くことにした。
「大体ですね、本当は、私がどこかから本物の勇者を召喚して、世界を救ってもらう予定だったんですよ。それをですね、召喚はしたのにどこにされたのか分からないわ、どこの誰が召喚されのたのか分からないわ……おっと、失礼」
言ってはいけないことを言ってしまった、とでも言うかのように、カリナは片手を口に当てる。
「そ、それは……その、私が言うことでもないかもしれないが、大丈夫、なのか? 他国の力を借りてでも、討伐を目指した方がいいのでは……」
ついに、ヴィルが口を挟む。
「あー、それは無理ですね。分かっているかもしれませんが、実のところ、連邦の国内で既にモンスターの凶暴化等々色々影響が出ていてですね、通商路では商人が被害にあうケースがそれはもう多く──つまるところ、資産の貯えが急激に減っているんですよ、キストニアの。ああ、これはくれぐれもご内密に。商業大国の我がキストニアでは国力に関わることですから」
「えっ……それって……」
ここで、春生は思い当たる。
「もしかして、ピゼットの行商人がエルフに襲われているってのは、あれ──」
「どうやら、そのようだな。ただの勢力圏争いにうまいこと利用しようとしたといったところか」
ヴィルも理解したようで、春生の言葉に同調する。一つ疑問が解決、である。カリナはそれらの言葉を聞いて、何かを察したのか、
「ということで、国内にも色々と混乱の火種がくすぶっているんですよ。今、この弱みを他国に表立って見せれば、キストニア連邦は魔王と人間の挟み撃ちに合う──分かりますよね」
その言葉に春生は、確かに、と頷く。それに気を良くしたのか、カリナはさらに続ける。
「──と、言う訳で、魔王との交渉のテーブルにつけるのはハルキ・マツオ、貴方しかいない訳です!」
「いやいや、それは、おかしい! ……よね?」
あまりに自然な様子でカリナが推してくるため、春生はたまらずヴィルに自分の意見は間違っていないはずだよね、という同意を求めるも、
「ううん、難しいことは私には分からないが、エルフとの交渉は見事だったと思うぞ」
などと、逆に背中を押される形で返される。
「……まぁ、なんでもする、と言った手前、受けない訳にはいかないんですけど、もっと、こう、適材適所ってもんがあると思いますよ……?」
そう言うものの、カリナの表情は相変わらず変化ない。
「それについては大丈夫です。上位の召喚術というのは、その場における適材適所を召すためのもの。確かに、場所とか、世界とか、力だとかは間違えてしまったけれど、他はうまくいっていますので」
もはや、何が大丈夫なのか分からない。
「他って……?」
すると、カリナは、うーん……と、春生とヴィルが眠ってしまっているのかと不安になるほど考えた後、こう答えた。
「言語の適正化とか、ですかね……」
ここでまた、春生の疑問が一つ解決した訳だが、それと引き換えに、物凄く大きな不安の種を背負ってしまった訳である。
それから数日の移動を経て、一行はルブニュスへと到着する。
未だに腰に二本の剣があることが嬉しくてたまらないヴィルはルブニュス到着にもまた何故か大はしゃぎで、
「血の匂い! 戦場の匂いだな!」
なんて、戦闘馬鹿のようなことを口にしていたが、それと対照的には、春生はルブニュスの景色を見て、虚しさ、恐ろしさ、そういった感情を覚えた。
人々の顔が浮かない。誰もが、疲弊しているようにさえ見える。春生からはそう見えた。
ルブニュスは、街一帯を城壁で囲んだような城塞都市であり、到着してすぐに、大歓迎されたカリナらは、見晴らしのよい城壁上部の見張り台のような部屋──司令室へと案内された。そこから見下ろす景色は、ルブニュスの様子が実に良く分かるものであった。
城壁はところどころ破壊され、街にも何度かモンスターの群れが侵入したらしく、家屋が燃え尽きていたり、破壊されていたりしている場所が目立つ。戦火の拡大によって、この街にとどまっている人の多くは防衛任務に携わる人、それらの防衛任務の傍らで商売をする者、もしくは、この街から離れられないような貧困層ばかりになっていた。もはや、この街の平穏な生活、日常は破壊されていたのである。この街の防衛を担う将軍がここへ来るまでの間、春生は窓からそんな外の景色を眺めていた。
「……大変そうですね」
「魔王の脅威とはそういうものだ。次、総攻撃が来たら相当な被害が出るだろうな」
呟く春生に、ヴィルが答える。カリナは木製の椅子に腰かけ、これまた木製のテーブルに肘をついて、窓の外を眺める春生にちらりと視線を移しつつ、一人ポツリと呟く。
「お手上げです」
ちなみに両手を小さく上げている。気に入っているらしい。春生から見られていることにも気づかず、何故か一人で肩を震わせている。
春生は思った。この人、本当にお手上げと思っているのだろうか、と。




