第16話
ざわざわと野次馬が騒いでいる。頭を抱えているのは、ギルド職員だ。ギルドから外へ出る時、ヴィルとカリナのただならぬ気配を察して一緒に外へ出てきたらしい。春生がどうしたものかと腕を組んで見ている横で、
「あ、ああ、ああ、の! あの二人! いやいや! あの竜人の小娘、一体何をしようってぇのぉ~? なぁ」
などと聞いてくる。一から説明すると色々と長くなってしまうため、簡潔に、
「なんか、決闘するらしいですよ」
と、とても短く簡潔に伝えると、
「らしいですよ、じゃないよ! 止めなくていいの!? あの竜人の子はあんたのツレでしょ!? 相手が誰だか分ってるのぉ? あのカリナ・ルーツ──このキストニアで数少ない前魔王討伐に関わったお方なんだぞぉ?」
「あー、まぁ……そうらしいですね。ただ、多分、止めても止まらないですから、あいつ」
例え相手がどれだけ実力者であろうとも、ヴィルのことをある程度知ってしまっている春生は止められないと確信していた。これまでの事態とは訳が違う。確かに、エルフ族のゴタゴタの際は、春生の一声でなんとか行動を押しとどめたヴィルだったが、今回はそんなタイミングもない。差し迫った危機ではないのだ。
というより──ヴィルを止めたところで、多分カリナは納得しないだろうと考えられた。前回のエルフ族の時は、ヴィルが一方的に侮辱された訳だが、今回は、ヴィルが堂々と喧嘩を売ってしまっている訳だ。これでは、プライドの高いヴィルが止まるはずもないし、さらに、喧嘩を売られた側であるカリナを説得する術を春生は持ち合わせていない。
「かぁ~! 知らないよ、どうなってもぉ~」
職員は、額に手を当て、どうしようもないというポーズを取る。春生もまた、どうしようもない、という心境なので、これはもう戦いの火ぶたが切って落とされるのを待つほかなさそうだった。
今回のバタバタは、前回、このギルド前で行われたヴィルと良く分からない男三人組のバタバタとは訳が違った。
どうやら、カリナ・ルーツという人は、知られている人には知られているようで、誰かがその名前を口にしたからか、二人を取り囲うようにして集まっている野次馬は、明らかにカリナ目当てのようだった。ギルドの職員のように、容姿は知らずとも、名を知っている人は相当に多かった。
勿論、その名は伊達ではない。国家召喚士と言えば、あたかも、複数名いるように見られがちな役職名であるが、実のところ、彼女の地位はその想像──春生が思っていたよりも相当に高かった。
国家召喚士の座にいるのは彼女がキストニアの人間となってからは彼女ただ一人。主に、国の危機──魔王の登場、対処不能時──に、勇者を召喚するという重大な責務を追う彼女の仕事を全う出来るのは、魔力が高く、相当の年数経験を積み、更にその中でも天賦の才に魅入られたごく一握りの天才だけである。この事実は、この連邦──いや、大陸に住んでいて、多少、人間と魔物のゴタゴタを知っているような人であれば誰もが知っているくらいの常識である。
では、ヴィルは知らなかったのか、といえば、そうでもない。ただ、その認識が、キストニア内部にいる人間よりも薄かったのだ。彼女の出身地イェテボリーテは北の地。魔物の脅威に対しても、他国の力を借りることなく幾度となくその生存圏を守ってきたような地域であり、他国、他地域の冒険者を多少軽んじる傾向にある。
そんな訳で、ヴィルは今、カリナと向き合っていた。
ヴィルは剣──スターカを抜く。ギラリと煌めく刀身を片手で握り、もう片方の腕を添える。
「……?」
ここで顔をしかめたのはカリナだった。
「ナイトハルトと言ったかしら。貴方、本当は剣を二つ使う、ということはないかしら?」
カリナは違和感を感じ、それが何なのか即座に突き止めていた。そして、その指摘は間違いないことである。ヴィルは、本来持っていたはずの剣、ヂェリコーを手放していたのだから。
「──」
けれど、ヴィルはそれに返答することなく、カリナを睨み返した。まるで、そんなものは必要ないとばかりに、ふん、と鼻で笑う。
「……まぁ、いいけれど」
カリナが、はぁ、とため息をつく。野次馬たちの騒音が一瞬消える。
「絶対に負けちゃうよぉ、彼女」
春生の隣の職員が、春生に向かって呟く。どうするんだ、と言わんばかりの顔で。けれど、春生はそれに答えることはできなかった。
「剣、一本でいいんですね。じゃ、どうぞ。本気でかかってきていいですよ、防壁張ってますから」
カリナは、誰もが気づかないうちに、魔力の壁を自身の体にまとっていた。言われてみれば、彼女の体の周りを薄いベールのようなものが包んでいるように見える。
カリナの挑発を受け、ヴィルは駆け出す。カリナの攻撃を警戒しながら、まずは己の剣の射程圏内へと入るべく前進──勢いに任せ、剣の振りが届くか届かないかの地点で、剣を斜め下に構え、そのまま切り上げる、という動作を見せる。
カリナはそれに対してまるで反応することをしなかった。その場にいた誰もが、まさか、動作についていけていないのだろうか、という思いに駆られていた。しかし、そんな訳はない。そのことは、カリナ自身が十分に分かっていたし、誰よりも、ヴィルが感じ取っていた。
ヴィルは肌でピリピリとした魔力を感じていた。殺気に近い、強い気力。その強さは並々ならぬものであり、この最初の攻撃が相手に致命傷を与える可能性はゼロだと感じた。その最初の一撃を繰り出すべく、見る目線の先に感じたのは、ただヴィルを面倒くさそうな顔で見る目線。完全に見えているのだ、動きが。けれども、避けようとはしない。ピクリとも動かない。
ダメだ、やられる、とヴィルは強く感じた。この攻撃をこのまま繰り出したらやられる。その余裕が相手にはある。魔力も感じる。故に、ヴィルは、下から薙ぎ払うような切込みをフェイントとして押しとどめ、手首をひねり、攻撃を突きへと変える。
全力だ、魔力壁を破らねばならない。その魔力壁を破れなかったら、反撃を食らう。だからこその相手の余裕なのだ。ヴィルはそう考えた。故に、剣先へと己の魔力を集中させ、威力を高める。
カリナが表情を変える。彼女は、目をほんの少し見開く。ヴィルは思った。驚いている、と。だから、行ける、と確信した。
そのまま、ヴィルの激しい突きは、ガン、と岩にぶつかったような音をたて、ビリビリとさらに激しい音をたてながら、まるでカリナの腹部に食い込むように、透明の空間を引き裂いていく。これが魔力壁。野次馬が騒ぎ立てる。
「おい! あの竜人の姉ちゃん、すごいんじゃないのか!?」
「勝つぞ、勝っちまうぞ!」
その歓声は、けれども、ヴィルが素早く剣を引き上げ後退したところで、どよめきとなる。何故引いたんだ、というような疑問の声が上がる。春生から見ても、それは不思議な光景だったが、当事者の二人には嫌と言うほど原因は分かっていた。
「あら、どうしました? もう少しだったのに」
「──くっ」
ヴィルは厳しい目つきでカリナを睨みつける。
「さ、どうぞ、どこからでもかかってきてください。もっとも──この魔力壁、竜人族ごときに破られるとは思いませんし……今も、もう少しで剣ごと折れていたところでしたが……。さて、来ないなら、こちらから行きますね、忙しいので」
まるで悪者が正義の味方を懲らしめるかのように物を言うカリナ。カリナがひらりとその服の裾を宙に舞わせる。動いているのか、動いていないのか、判断できないような滑らかな動きは、カリナの足によるものではなく、彼女の魔力による半浮遊状態による移動を意味していた。
スアァ、とヴィルに迫る速度は、春生の目には追えないほどに早く、瞬きした次の瞬間、カリナはヴィルの目の前。顔と顔の距離は僅か数センチといったところか。
「……!!」
ヴィルはとっさに後退しようとするが、その反応は既に遅すぎた。カリナのか細い右腕はまるで猛禽類の足が獲物を捕らえるような速さで、力強さで、ヴィルの画面を掴み──そのままヴィルの頭を地面へと打ち付けた。カリナの表情は、そんな激しい行為に反比例するように、冷静に、どこを見るでもなく、ただ、ヴィルを獲物として見ているかのような冷めた目つき。
確かに数秒前までそこに立っていたはずのヴィルの体は、腰を折るようにして突っ伏し、顔は上がった土煙でどうなっているのか良く見えない。ピクリピクリとわずかにヴィルの体が動いているようにも見えるが──竜人族の証の尻尾はだらりと力なく垂れ下がり、角は──どうなっているのかまるで見当がつかない。
「ヴィル!!」
叫んだのは春生。地面にめり込まんばかりの勢いで叩き付けられたヴィルの顔はピクリとも動かない。野次馬たちも騒ぎ始める。
目の前に表れている光景は、春生が想像していたものより、よっぽど熾烈で、恐ろしい光景だった。
「おいおい──」
「いくらなんでも──」
「死んじまったんじゃないのか……?」
言葉のうずが広がるが、誰一人として彼女たち二人に近づこうとする者はいない。春生は、けれども駆けだした。駆け寄らずにはいられなかった。この場で、彼女たち二人に近づく権利があるのはきっと自分だけだと気が付いたからだ。
「ヴィル! おいっ!」
駆け寄り──明らかになるのは、彼女の顔が無残な状態になっているということ。角は両方折れ、画面からは出血。流石に、地面にめり込んでいないものの、顔だけを突っ伏して、下半身の姿勢をまるで動かすこともなく、そこにあるのは、変わり果てたヴィルヘルミーネ・ナイトハルトの姿……。
春生の中で、何かが爆発した。
今、自分がやらなければならないのは何か、という思考が頭の中をぐるぐると駆け巡った。今自分は、この、自分とヴィルを見下ろす国家召喚士とやらに対して何をすればいいのか──怒る? 悲しむ? 敵を討つ? 命乞い? どうする……?
春生が悩んだ数秒の間、カリナは何を言うでもなく、ただ、ただ、春生を見ろおしていた。冷たい目で。
春生は、がば、と視線を勢いよくあげた。ヴィルに駆け寄ったことによって、ちょうど、春生はしゃがんだままの姿勢でカリナを見上げることになる。
「…………」
「…………」
両者の沈黙。二人の視線は、バチバチと冷たい火花を散らすようにぶつかり合う。野次馬たちの喧騒はより一層大きなものになり、止めないでいいのか、だとか、あの坊主もやられちまうぞ、だとか言った声が飛び交う。けれど、春生の耳にそれらの声はもうまるで入ってきていなかった。
春生はこの次に自分が取るべき行動を決めていた。
視線を合わせたまま、体の向きをカリナへと向ける。そのまま、しゃがんだ姿勢を持ちあげ、ゆらり、と立ち上がる──という訳でもなく、正座のような格好になる。
カリナの視線は恐ろしいものに見えた。春生の横では、ひゅぅ、ひゅぅと小さく、小さく息をするヴィルの呼吸音が聞こえる。
春生は、この場における最善の行動を考える必要があった。それは、戦う事──敵を取ること──ではない。そんなことは、何も生み出さない。腰抜けめ、それでも男か、というヴィルの言葉が聞こえてくるようだったが、それでも、春生はそれらは最善策として考えていなかった。
──謝る。
これが春生の出した結論である。ヴィルが勝手に挑んだ戦いである。カリナが売った喧嘩でもある。春生はただの傍観者である。一体全体、どこに春生に責任があろうか。けれども、春生はこの結論を出した。
正座のまま、軽く頭を下げ、そして、言う。謝罪の言葉を。これが春生の戦い方だった。
「身内が迷惑をかけて申し訳ないっ……! どうか、この非力な男、松尾春生に免じてどうか、どうか、許して欲しい」
「……? 一体、何を言って──」
戸惑うカリナ。しかし、戸惑っている今こそ、春生が言いたいことを言うチャンスでもあるのだ。
「勿論、今回の戦いは二人の間で決まったこと──けれど、それは、自分にも責任があります」
カリナが怪訝な表情をするも、春生はさらに続ける。振り絞るような声で。
「止めなかった。この一点、自分はカリナさん、あなたの話を聞いていたにも関わらず、戦いを止めなかった。完全に、自分の過ちです」
無論、春生は、例え止めたとしても、ヴィルが言うことを聞かないだろうと思ったから止めなかった。
「どんな事情があるにせよ、止めなかったことによって、カリナさんの手を煩わせることをしてしまった……。それだけならまだしも、それによって、自分は、あなたの言葉を信じていなかったことを証明してしまった……! 本当に、本当に、申し訳ないっ……!」
カリナはその言葉を考えた。確かに──そう言われてみれば、そうかもしれない。最初は、関係のない人間が何をいきなり、と考えていたカリナだったが、春生の言葉を聞くにつれ、次第に、春生のいっていることがあながち的外れではないような気がしてきていた。
「本当に──申し訳ない」
春生は、ここで切り札を繰り出す。謝罪における誠意を。最大限の誠意を。
「自分に出来ることなら、そう、勇者が、どうだとか、その件に関して、カリナさんの言う事を全て聞きます!」
「あ、ああ、それは、助かるけれど──まだ、内容を何も話していないような気がするけれど?」
カリナは言う。確かに、春生は、カリナから、どうしろということを要求されていない。けれど、それこそが春生の狙いであり──誠意だった。




