第13話
春生に対して、この場において一番喧嘩早いのは誰か、という問いを投げかけられたら、ヴィルヘルミーネ・ナイトハルトという答えを返す。無論、無条件で彼女が怒りっぽいという訳ではない。己のプライドを傷つけられるような発言、その他、彼女の信念に沿わない発言などに対して、猛抗議をするというだけのことである。
だが、今回ばかりは、フォーキスの発言は見事にヴィルの地雷を踏んでいた。
「竜人族も所詮はその程度、ただ人間に媚びへつらう馬鹿者だったということだな、見損なったよ……」
この一言を皮切りに、ヴィルがフォーキスたちに斬りかかろうとする。同時に、従者たちは吹き矢を射る。ストストとしたかしないか分からないくらいの小さな音でヴィルに攻撃は命中する。しかし、いくら強い催眠作用を持つ薬物といえども、彼女が斬りかかるよりも前に動きを止めることを不可能であった。
ヴィルが抜いたスターカはフォーキスの首をめがけて振りかざされる──
判断しなければならない。春生は、判断を迫られた。どうする、自分は、どう動くべきなんだ……? 末に──
「待て! 待つんだ! やめろ! 斬ったらダメだ!!」
春生がかけた声はそれだった。声をかけたところでどうなる、ヴィルが止まるのか、そんな疑問を思い浮かべる時間はない。彼が与えられた時間はあまりに少なく、彼の手で直接的にヴィルを止めるために体を動かすことは困難であり、間に合わない可能性の方が高かった。そんな中で、声による制止を行ったのは、正しい行動だと言えよう。
しかし、それと、結果が伴うかということは別問題であった。春生の声はヴィルの耳に届いていた。しかし、その後も剣筋は寸分違わずフォーキスの首をめがけて進み、進み、そのままフォーキスの首は飛んだ──と、その場にいた誰もが思った。いや、ヴィル、以外は。
フォーキスの首を間違いなく狙っていたスターカは、フォーキスの首に振れたところで止まり、代わりにヴィルの鋭い眼光がフォーキスの顔を貫く。フォーキスは、ごくり、と唾を飲むことも出来なかった。それによって動いた喉が刃に触れてしまうかもしれないという恐れからである。
場にいる者は全てが凍り付いていた。動けない。誰もが。
何秒、何十秒かの時間が流れた後、その静寂を破ったのは、他でもないヴィルだった。
ふら、とよろめいたかと思うと、そのまま地面へ倒れ込む。吹き矢による攻撃の効果が表れたのである。
「ヴィルッ!」
春生はとっさにヴィルに駆け寄り、体をゆする。死んでしまったのか、と疑うほどに体は重たく、揺すって、揺すって、もう一度声をかけようとしたところで、
「先にも言ったが、寝ているだけだ」
と、フォーキスから言われる。春生はフォーキスを見上げる。額に汗がにじんでいるように見える。そして、その表情からしてどうやら嘘ではないらしい。
「拘束しろ」
フォーキスが従者に命じると同時に、数人の従者が春生の体を押さえつけ、両腕を後ろに縛る。他数名は、何やら人を運ぶための道具を組み立て始めているらしかった。それを見るに、最初から、眠らせて拘束する気だったのだろう。そして、その攻撃にはタイムラグがある。故に、ヴィルが森を燃やそうとしたときに、交渉に応じたのだ。そう考えれば合点がいく。春生は少し乱暴な取り扱いに若干の苦悶の表情を浮かべながら、では、一体、何故殺さなかったのか、と考えた。
そももそも、ギルドの話では、ここら一帯で頻繁に行商人が襲われているという話だった。けれども、自分たちは何も金目の物を持っている訳ではない。
もっとも、そもそもここは通商路ではなく、さらに奥深くに入った地点であるからして、それらと同時に考えるのはおかしなことかもしれないが……。
その後、春生とヴィルは拘束されたまま、エルフの集落へと連れて行かれた。一応は、当初の目的地へと到達できた訳である。拘束されているが。
エルフの集落は、ピゼットの街と比べると実にこじんまりとしたもので、森を切り開いた中に存在し、木造の家屋が十数件立ち並びんでいる間に春生の知らない、恐らく小麦か何か──何かしらの作物が生えた畑が点在するというものだった。現代日本で生きてきた春生に取っては、ちょっとした秘境であり、人生で初めて見る景色に、拘束されているにも関わらず舞い上がりそうになるも、その気配を察したのか春生の拘束を握る従者のエルフに、キッと睨まれ大人しく連れられるがままに歩く。
集落の長の家と言われた場所の一室へと連れて行かれ、そこの隅へと座らされ、拘束された。
「牢があればいいんだけどな」
なんてことをフォーキスが言い捨てると、見張りらしい一人の若いエルフだけを残し、去っていってしまう。一室は薄暗く、どうやら、食料などをため込んでおく貯蔵庫のような役割を持つ場所だということが周囲にある物のおかげで分かる。
どうしたものかと考えていると、横に同じく拘束されたヴィルが視界に入る。むにゃ、むにゃ、と気持ちよさそうに眠っているため、無理に起こすこともないだろうと考え、暗さに目も慣れた春生はひとまず周りを観察した。
床は木製。どうやら下から隙間風が吹き込んできているようだ。食料の保存のために通気性を良くしているのだろうか? 部屋の隅には何袋かの麻袋がある。中に入っているのものが何かは分からない。他にあるものといえば、何個かの窓に、農機具とみられる物、弓などの武器、といったところだろう。
それらの物を置くにしてはどうにも広すぎるとは思ったが、すぐにその認識は間違っていることに気が付く。部屋を見渡せば、何か作物の種、小麦か何かがちらほらと床に散らばっているのが分かる。本来ならば、麻袋はもっと沢山あるのだろうと推測できた。きっと、今は収穫の時期ではないのだろう、と春生は勝手に予測する。
辺りを物珍しそうに見る春生は、ふいに視線を感じる。はっとなって横にいるヴィルを見るも、まだ眠っている。となると……部屋の中にいるもう一人の生物、エルフ。春生が顔をそちらへ向けると、ふい、と何事もなかったかのようにその顔は別方向を向いてしまう。
「おーい」
「…………」
当然、返答はない。話すな、と言われているのかもしれないし、フォーキスの一連の反応を見るに、エルフは人間が嫌いなのかもしれない。ううむ、と春生は考える。竜人族、エルフ族、そんな種族をいつの間にか自然と受け入れている自分に多少戸惑いながらも、考える。
さて、今自分が置かれている状況はどういう状況か、ということについてだ。
悪い、というのは確かだが──さて、どうしたものか。どうするもこうするも、相手が何を目的として自分たちを拘束したのか分からないのだ。考え得る理由としては、人間がエルフの集落に近づいたから、くらいだろうか……。
となると、今置かれている状況というのは、実はそんなに重大ではないのかもしれない──きちんと訳を話せばなんとかなるのかも──春生がそう考え始めた時だった。バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきたのである。それは、建物の外から、ガヤガヤという話声と共に訪れた、春生たちがいる建物の扉が開けられる音がしたかと思うと、数人分の足音が建物内になだれ込んできた。けれど、それは春生たちがいる部屋へ向かってくることはなく、そのまま別の部屋へと行ってしまったようだった。
「何事だ? なんかあったのか?」
春生が見張りのエルフに聞いてみるが、
「…………」
彼も気になりながらも、返答はない。気にしている様子を見るに、彼もまた知らないところでの話なのだろう。緊急事態、という言葉がぴったり当てはまるように思えた。
遠くから声が聞こえてくる。話し合い、というよりは、言葉の投げつけ合い。故に、大声での会話となっており、春生たちが声や物音を立てなければその内容を十分に聞き取ることが出来た。
「人間どもだ! 騎士団が向かってるとか!」
「馬鹿な! いやいや、そんなはずはない──あっちにはこちらを攻めるような口実なんてある訳がないんだ!」
「あいつらが秘密裏に連絡したんじゃないか! あいつら二人とも殺すしかない!」
「待て! おい!」
色々な言葉が入り混じる中で、再びドタバタと足音が聞こえる。そして、それは、今度は間違いなく春生たちがいる場所に向かってきているようだった。
「ハッ! このっ!」
そんな中、春生の隣で寝ていたヴィルが目を覚まし、暴れようとして、あれ、と首を傾げる。
「あー……おはよう」
なんと声をかけていいか分からない春生は、そんなことをヴィルへと告げる。ヴィルが、今の自分の状況を思い出そうとしていたその時、バタン、と大きな音をたてて春生たちのいた部屋の扉が開いた。
入ってきたのは数名のエルフ。その後ろから追うようにしてフォーキスら。ガツガツ、と乱暴に春生たちに迫ってきて、戦闘の一人が腰に下げていた剣を抜く。
「こいつらをここで打ち捨てる! 人間を生かしておく意味がどこにある!」
春生は、命の危機を悟る。唐突に訪れる命の危機。ヴィルは、ギリギリと歯ぎしりをしながら、殺気溢れた目で、剣を構えるエルフを見上げている。
「……ううむ、確かに、意味はない。人間はともかく、竜人は危険なのは先によくわかっているしな」
フォーキスも言う。
さて、春生は──どう出るのか。いや、そんなことを考えるよりも前に──
行動に出た。
春生は頭を下げた。
深々と。
拘束された状態で下げうる限りの力で頭を下げた。その姿勢は自然と土下座に近いものになるが、意図してのことではない。けれども、この姿勢というのは春生にとって実に都合のよい姿勢ではあった。
とにかく、謝罪した。何に謝っているのかなんてことは後から考えればいいと言わんばかりに、必殺の謝罪を決め込んだ。頭を下げる。この姿勢こそ、相手に敵意の無さ、申し訳の無さ、ありとあらゆる、無さを見せつけているのである。
あまりに唐突な行動に面くらったのか、エルフたちは、おどおどと互いに顔を見合わせていた。フォーキスも同様に一体彼は何をやっているのかという疑問を覚えると同時に、けれども、彼のその行動に、敵対の意志を感じることは出来ず、故に、叱りつけることもできず、春生が綺麗に腰を折り曲げ頭を地面へすりつけんとする様を見つめる他なかった。
そして、実のところ、剣を構えているエルフから見ると、その春生の姿勢は、潔く、覚悟を決めた姿勢に見えた。首が露出しているのだ。この男は、まるで切ってくれと言わんばかりの姿勢を晒け出しているのである。これは春生が意図したものではなかったが、効果としては非常に高った。
春生はタイミングを計る。どこで口を開くべきか、ということについての、だ。これは実にシビア。先の会話からして、今の状況がは全く穏やかではない。春生は頭を深々と下げながら、状況を分析していた。とにかく、穏やかではない。それと、人間が──恐らく、ピゼットの連中が何かしらの行動を起こそうとしているということ──この二つの情報しかない中で、何を、どのようにして、謝罪するのか、それを考える。
土下座という形は、今回はあくまで勝手にそうなっただけの話であり、これもまた春生の意図したものではない。これは高等なテクニックである。どこで頭を上げるか、非常に重要な問題なのだ。そして、十分に考慮しなければならないのは、このエルフの文化圏において、土下座という文化は恐らく存在しないであろうということ。もっといえば、謝罪という文化が意味をなすものなのかということも分からない。
そんな中で、拘束され、ヴィルという剣も失っている春生が、顔を上げるタイミング──これは、馬鹿みたいに重要なことだった。
頭を下げてから経過した時間を春生はしっかりと数えている。今、現時点で、およそ、二十秒。相当経った。待ち過ぎてはいけない。こちらがアクションを起こすまで相手は待ってくれている状態なのだから。ここで、相手にバトンを渡してしまえばおしまいだった。首は飛ぶ。春生の人生はそこで終わり。謝るも何もない。
どこで顔を上げるか──そんな馬鹿みたいな答えのないような問題に春生は挑む。
三十秒──限界。ここが限界。もう一秒遅くてもいけない。早いのはまだ助かる、が、遅いのはダメ。ここで春生は決意しなければいけない。次に起こすアクションを──
だが、上げない。春生は顔を上げなかった。
スッ、と誰かが息を吸う音がしたかのように思われた。エルフが、声を上げようと準備したのだ。
ここ。春生が勝負するのはこの一瞬の隙。相手が、驚きという感情を怒りへと昇華しようとしたその瞬間。春生は顔を伏せたまま、声を上げた。出来る限りの大声を。
「申し訳! ありませんでした!!」
まるで怒声。故に、エルフは皆、驚きのうえに驚きを上書きされる。それが春生の狙い。感情を揺さぶり、壊す──! これまでに起きていた人間との間のいざこざを忘れさせるかのように──。




