第12話
春生の生命の危機は去っていた。春生は安堵のため息をつき、へたへたとへたり込んでしまっていた腰を上げ、立ち上がる。ぱっ、ぱっと土や落ち葉を払い、もう一度、大きく深呼吸。
そして、目の前の光景を見る。腹と腕を見事なまでに引き裂かれた巨体──死んでしまっていれば、化け物というよりは、イノシシか、ゴリラか、その間の生物──とても人間には見えないナニカであった。
とにかく、命を助けられたということに変わりはない。はっ、として春生は、戦闘によって僅かにズレたらしい装備を整えなおしているヴィルへ向き直ると、頭をぐっと下げる。
「申し訳ない! 勝手に一人で走り出して、こんな迷惑をかけてしまって……! なんといって詫びたらいいのか……!」
これまで、ただの脳みそ英雄気取りのおバカとほんの僅かでも、ほんのすこぉーしでも思ってしまっていた自身の非礼までも詫びるがごとく、春生は全力で声を上げる。何せ、命を救われたのである。それも、自分勝手な行動によって起きた自己責任に近い形でのトラブルだ。さてさて、どんな言葉が返ってくるのか、ハラハラしている春生に返されたヴィルの表情は、実に平然としたもので、どうやら、春生の謝罪に対して、戸惑いを覚えているような表情であり、返された言葉は、
「ん? 剣士が人を守るのは当然のことだ。……あぁ、でも、そうだな、こういう危険なところでは私の後ろを歩いた方がいいだろう」
きゅぅ~ん、と春生の胸はトキメク──なんで自分は女の子に胸ときめかせているんだなんてことを思いつつも、春生は続いてお礼を言うと、ヴィルは少しだけ微笑んで、
「何、当たり前のことをしたまでだ。気にする必要はない。さぁ、行こう」
なんてクールに返してくるものだから、春生には、情けないやら、頼もしいやら、色々な感情が入り混じる。そして思ったのは、あれあれ、実は、やっぱり、こいつはちょっとプライドが高い面があるだけで物凄く良い人なのでは? ということである。
過剰に評価するつもりはないにせよ、これまでのありとあらゆるマイナスの評価を覆すほどに、春生は、ヴィルに対して好感を覚えてたりしていた。
歩みを再開して少し経つ。二人の間に会話は特にないが、別に気まずい空気が流れているという訳でもない。一件以来、春生はヴィルの後ろを離れないように行動することを心がけ、ヴィルは着実にエルフの集落へ向けて歩みを進めていた。
何も意図して静寂を続けている訳ではないため、ふと、気になって、さっきの化け物は何だったのか聞いてみることにする。
「あぁ、あれか。あれは、オークと呼ばれているモンスターだ。辺境の森や、山といった地帯には良く住んでいるな。今回は一匹だったが、群れで行動していることも多い。アレにやられるような冒険者はまずいないだろうが、武器も魔術もつかえない人間が戦って勝てる相手ではないだろうな」
春生にとって、何もかもが新しい知識過ぎて、ついていけないというのが本心である。
「そうなんだな。ところで──」
春生が続いて質問しようとしたときだった。
「止まれッ! 伏せろッ!」
目の前を歩くヴィルが大きく声を上げたかと思うと、ヴィルが勢いよく振り向いて、春生に抱き着くように飛び掛かってくる。何事か、と思う春生が抵抗する隙もなく、そのまま後ろ向きに押し倒されるような姿勢になる中で僅かに視界に入ったのは、頭上を、シュッ、シュッと風を切って駆け抜けていく何かであった。
バタンと地面に背をつき倒れ込む。ヴィルがその上へと覆いかぶさるようにして倒れ込む。まるでヴィルに襲われたような形になっているが、春生が抗議の声を上げるよりも先に、ヴィルが春生に顔を近づけ、囁くような音量で言う。
「敵だ、いいか、声をあげるな。位置がばれる」
ヴィルとあまりにも密着しているため、色々な意味で心臓がどきどきしてしまう春生であったが、どうやら、そんな状況ではないらしい。ヴィルが言うには、敵がいる、ということであり、さらに考えれば、ということは、先ほど頭上を通過したのは、敵の攻撃であるということだろう。
明らかに頭を狙っての攻撃であり、殺意が目に見えている。一体自分は何度ヴィルに命を助けられれば気が済むのだろうかとうなだれる春生であったが、そんなことを考えている暇はない。今、春生とヴィルは敵の攻撃に晒されているのだ。
「──なにものだ」
遠くからか、近くからか、分からないような位置から声が聞こえる。ヴィルのものでも、春生のものでもなかった。その声は、二人に問いかけているのだと思われた。春生がまずそれによって思ったのは、相手が意思疎通の可能な相手であること。それに加えて、攻撃をされたということは相手は自分たちに対して敵対しようとしている存在であることだ。──もっとも、こうしてこちらが何者か確認するというのならば、先ほどの攻撃はなんだったのか、という話になるが……。
「……ヴィル! ヴィル!」
「……なんだ」
姿勢は相変わらず変わらないままであり、春生は目の前に垂れ下がる銀髪の内にある耳に向けて最小限の音量で声をかける。気づいたのだ。
「返事をした方がいい! 相手は、こっちがどういう存在なのか全て知っているんだ。だから聞いているんだ。そうじゃなかったら攻撃した後にわざわざ話しかけたりするものか、そうだろ」
ヴィルは、きょろ、きょろ、と周りを見渡しつつ、返答する。
「──なるほどな。多分、話しかけている声は魔力によるものだろうが──そう考えると、相手はとっくにこちらの正体をどこか遠方から掴んでいるのかもしれないな。確かに、言う通りだ、頭いいな、ハルキ」
楽しそうに感心していた。いやいや、春生が言いたいのはそんな自分の推察力が高いだとかそういうことでは断じてないのである。
「だ、だったら! ほら、早く名乗り出た方が……!」
「いいか──? 答えは、こうだ」
ヴィルは、にやっと笑ったかと思うと、一瞬にして跳ね上がるようにして立ち上がり、手を口に構える。まだ仰向けに寝転がった姿勢のまま、一体何のポーズかと思う春生。何か、口から吐きだそうとするようなポーズに思えた。
すると、どこからか、再び先ほど春生とヴィルに呼びかけた声が聞こえてくる。
「──一体何のつもりだ……?」
それに対して、ヴィルは悪そうな笑顔を浮かべて返答する。
「そちらが奇襲をかけてくるというのなら、こちらもそれ相応のやり方がある! 私はイェテボリーテの竜人族、ナイトハルト家のヴィルヘルミーネ。お望みとあらば、竜人族に伝わるブレスを見せてやろう!」
春生は考える。ブレス、ブレス──息? 息というのならば、そのポーズにも納得がいく──ああ、そうか、と閃く。多分、おそらく、春生の推測であるが、ヴィルは口から炎か何かを吐くぞと脅しているのであろう。それがどれほどの火力なのかは分からないが、彼女の様子を見るに、生半可なものではないと考えられる。ここは森。あっという間に炎は燃え広がる立ろう……。
この少々強引とも思える交渉は、明らかに相手との力試しである。駆け引きである。そして、実際に、相手の攻撃の手は止まっている。ということは、ある程度有効な交渉であったことは確からしい。けれども、春生にとってしてみれば、心臓バクバクである。一体どこからこんな度胸が湧いてくるのかと、好戦的女剣士ヴィルを少し呆れた眼差しで見つめる。
「……いいだろう。分かった。こちらが引こうじゃないか、竜の子よ。私たちは、この森に住むエルフ族。私はここの一族の副長をしているフォーキスだ」
どこかから聞こえてきていたはずの声は、いつの間にか、春生の視界に入っている人物から発せられていた。なんとも強引に、まるで映画の中の駆け引きかのように、どうやらヴィルは駆け引きを成功させたらしい。
「ほら、いつまで寝転がってるんだ。起きろ」
ヴィルが春生の手を引いてその身を起こす。春生があれよこれよと考えている間に、なんとまぁ、驚くべきことに、こんな強引な駆け引きの元、ヴィルと春生の命の危機は去っていたらしい。春生はため息をつきつつも、現れたエルフを名乗る男を見る。いつの間にか、その後ろには三人、四人の従者らしき男たちが控えていた。
彼らの服装は一様に民族的で、茶色をはじめとした色彩の布は地味、質素、貧相、という言葉を当てはめざるを得ないものであったが、それと正反対であるかのように容姿は美しく、彼らを率いる副長を名乗るフォーキスはおよそよくイメージされがちな権力者のような様ではなく、言うなれば美青年といったところだろうか。髪の色は誰もかれも色素が薄く、金髪や、それに近い茶髪。色素の薄さでヴィルに並ぶ。こんな中では、一人黒髪である春生は、ちょっとばかり浮いているんじゃないかと気になってしまう。
「初めまして、自分は松尾春生です」
起き上がって挨拶した春生を、フォーキスは一瞥したかと思うと、一言も返答せず、すぐヴィルを見る。
「それで──竜人族が一体こんなところで何をしているのかな」
春生は少しだけ、ムッとするが、事を荒立てるまではない。今、この場の主導権を握っているのは間違いなくヴィルであるからだ。この交渉をうまく引きだすことが出来たのはヴィルであり、春生はおまけに過ぎないのだから。
「そちらこそ、一体何の真似だ。先の矢、当たっていたら死んでいたのではないのか」
ここで、ようやく、春生は最初の攻撃が弓矢によって行われたものであるということを理解する。フォーキスは、難しそうな顔で返答する。
「あれは睡眠薬を塗っただけの吹き矢だ。当たっても致命傷にはならない……。最近、ここらをエルフ族ではない人々がうろうろとしているようでな。必要な措置だったんだ。……さて、こちらは質問に答えた。そちらも答えてもらおう」
「ああ、そうかい。じゃ、任せたよ、ハルキ。私はごちゃごちゃとした話し合いは苦手なんだ」
いきなり指名された春生は、あたふたとしながらも、自分へと会話のバトンが渡されたことを理解する。途端、フォーキスの目つきが、より一層険しいものになった気がするが、そんなことを気にしてはいられない。
「ええぇと、ですね。今回、ピゼットの街から、色々と伝言を承ってまいりまして……」
森がざわめく。何か恐ろしい出来事を伝えるかのように、怒りを感じているかのように、ざわ、ざわ、としているように思えた。しかし、それは、単なる風──のはずだ。だが、フォーキスの目つきはより恐ろしいものになっていた。ギン、と春生を睨んでいる。後ろに従うエルフたちも、険しい顔で春生を睨みつけているのが分かる。
何かまずいことを言ってしまったのだ、と春生は直感する。しかし、今更どうしようもない。どの部分がまずかったのかさえ分からないのだ。フォーキスから吐き出される言葉を待つしかないのである。
フォーキスは、怒りを堪えるように、それでも堪え切れないような、そんな表情で、言葉を吐きだした。
「人間がっ……! のこのことっ! 一体、ここに何をしにきたっ! 竜人族の彼女がいるからこうして会話をしてみれば、よりにもよって、ピゼットの連中だとッ! 何をしにきたっ! 言えッ! 返答によっては、命はなくなるものと思え!!」
物凄い剣幕。今にも飛び掛かりそうな勢いのフォーキス。どうやら、ピゼットという単語を出したのがいけなかったのだろう。これが、ただの冒険者、通りかかっただけ、ということであるならば、あるいは、コトは丸く収まっていたのかもしれない。春生がどう答えたものかと悩んでいると、見かねたヴィルが口を挟む。
「いきなり失礼だろう、その物言いは。人間というだけでそこまで言うというのは、おかしいと私は思うが」
待て待て、と春生は思うがもう遅い。ヴィルは、このエルフの集落とピゼットの街の関係性についてほとんど話を聞いていなかったのだ。ピゼットの名前をいきなり出してしまった春生にもミスはあったものの、ここでヴィルが喧嘩腰に物を言ってしまったことによって、フォーキスの我慢はいよいよ限界を迎えていた。
「竜人族だというから情けをかけてやったものの、そうまで言われては我慢ならんっ!!」
怒号と共に、傍に控えている何人かが吹き矢を構える。耐えがたい、ピリピリとした空気が一気に彼らの場を包み込む。春生は、エルフと言えば弓なイメージがあったけど、吹き矢とか使うんだなぁ、なんて呑気なことを考えるが、どうやら、それどころではない状況に突入しようとしているようだった。




