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手紙を読もう 紅葉side

 あの男が来てから2週間ほど経過した。大きな問題でも起こさない限り、いちいち報告してくれるなと司に命じているので、悩まされることなく仕事に没頭できた。

 と思っているのは紅葉ばかりで、今まで常に仕事時間を共に過ごしてきた司から見れば、明らかに余計なことを考えないように無理やり仕事をしているようなものだ。


 予定よりずっと早く片が付き、今月末まで終わるわけではないが少なくとも一日中仕事をしなくても、それこそ大きな問題が起きない限り、恙無く終わりそうなめどがついている。全く問題ないから何もツッコまない。


「司、昨日はちょっと根をつめたし、今日は少しゆっくりしましょう。気晴らしに街にでましょうか」

「んー、そうですね。なら午後はお客様が来られますから今から行きますか?」


 朝、最低限の急ぎの書類を見てから、首をまわしてごきっと音をたてた紅葉は、伸びをしながら提案し、司は手帳を確認し、各所の進捗具合と本日の予定を見てから応えた。


「あら、今日だった?」

「はい。今からなら、浅田屋でもさすがに売り切れてないでしょうし、行きますか?」

「いいわね。あそこのアップルパイ最高よねー」

「ですねぇ。私のような執事にまでごちそうしてくださるとは、さすがお嬢様。主の鏡」

「いいけど……あなた本当に調子いいわよね」


 どうせ経費で落とすけれど、いちいち物言いが図々しい。幼い頃からの関係で、若干姉のようにも感じているので許せるが、他の使用人なら即配置換えにしているところだ。

 半目になる紅葉に、司はしれっと答える。


「紅葉お嬢様がお優しいことを、よく知っておりますから」

「はいはい、じゃあ行くわよ」


 執務室からいったん出て、外出着に着替えるため自室へ向かう途中で、いまだ聞きなれない声が耳に届く。


「クレハ!」


 その声に、名前を呼ばれてどきりと鼓動が弾む。いやいや、単に驚いただけだ。だが念のため顔がにやけないよう、紅葉は顔に力をいれながら振り向く。アルノが嬉しそうに近寄ってくるのが見えた。

 そんな風に会えて嬉しい、みたいな反応をされると、嫌でも避けている罪悪感に襲われる。結婚相手を最初からつれなくしているのは紅葉が先だ。仕事があるからとは言え、申し訳なくなる。


 いやいや、どうせこの家を乗っ取ろうとする悪人なのだから、そんな風に感じる必要はない。紅葉は眉が下がりそうになるのを気合でとめる。


『おはよう。ずいぶんと元気だな』


 目の前までやってくるアルノに、主導権を握られないよう先にあいさつする。そんな小細工をする紅葉に対し、アルノは太陽のように晴れやかな邪気のない笑顔を浮かべる。


「おはよう、クレハ。今日はあなたにプレゼントがあるんだ。受け取ってほしい」

『プレゼント?』


 思わず、つんけんするのも忘れてオウム返ししてしまった。だってあんまりに予想外のことを言う。プレゼント? 愛人を作りに行く話はどうなったのか。

 いや、ご機嫌伺いだろう。物で釣られるとでも思っているのか。だいたいお金だってこっちが渡しているのに。受け取ってやるものか。


『イエス。「真心こめてつくったクッキーだよ。さぁ、そっちの執事さんも」』


 クッキー!? え、いや、ちょっと、意味が分からない。

 なぜクッキーをつくるのか。そんなの聞いてない。人のお金で高価なものを買ったなら責めることができるが、手作りクッキーを責めたり拒否する言い訳が思いつかない。


『ありがとうございます、旦那様。恐れ入りますが、急ぎますので』


 戸惑う紅葉をかばう様に、司が受け取ってくれてほっとする。


『うん。お仕事頑張ってください。味わって食べてね』


 アルノはそれで満足したらしく、紅葉が口を開く前ににこにこしたまま階段を上がっていく。それを見送って、紅葉は司をつれて急旋回して、この家で最も防音されている執務室へ戻る。


「……」

「お嬢様、またカッコイイとか言うつもりなら、さっさと済ませてください。アップルパイが売り切れてしまいますよ」

「馬鹿なのっ? 行かないわよっ」


 ソファにうつぶせになって転がる、威厳の全くない主に執事は辛辣な口調で促すが、主は一刀に切り捨てる。


「そ、そんな」

「黙ってよ。混乱しているの。……なんなの、手作りクッキーって。私、何も聞いていないわよ?」


 ショックを受ける執事を無視して、紅葉はため息をつくように文句を言う。頭の中がこんがらがって、いったいどんな感情なのか、自分でもわからない。


「はい。報告していませんね。お嬢様が、私の裁量で好きにして、問題なければ報告するなとおっしゃいましたよね」

「そ、そうだけど、クッキーってなによ」

「クッキーを男性がつくってはいけませんか?」

「そんなこと、言ってないわよ」


 そんなことを言えば、それは紅葉が毛嫌いする、女だからと馬鹿にしてきた人と同じことだ。そう考えてから、はっとする。もしかして自分は、ずっとそれと同じ偏見を持って、アルノのことを見ていたのではないだろうか、と。

 紅葉は急に不安になった。今までは、自分が正しいんだと思ってやってきた。少しばかり意地になって、必要以上に距離をあけたけれど、実際に忙しいし、どうせ悪人に決まっているしすぐに別れるのだと思っていた。だけど、そうではないのだとしたら?


 アルノが本当に、全く問題のない善意の人間だとしたら?


「……司、もしかして私、あの人に、失礼なことをしたんじゃないかしら」

「は? 今更すぎますが、もしかしてそれは冗談で言っておられるんですか?」

「……少しくらい、フォローしてくれてもいいじゃない」


 わかっている。思い返して、どこをどう見繕っても、自分の態度は失礼にすぎる。本当はそっけなくするにしても、こちらに落ち度がない程度にして、仕事が落ち着くころには尻尾をださせて、と考えていた。

 だけどあんまりにアルノがイケメンだから、理想を詰め込んだかのような容姿と物腰だから、どうしていいのかわからなくて、あんな風になってしまった。だけどもちろん、そんなのは彼には関係がない。ただただ失礼すぎる態度だった。


 もちろん、まだわからない。まだ、尻尾を出していないだけかもしれない。それを判断できるほど、紅葉は彼と会話すらしていない。だからこそ、偏見なく接していかなければいけない。忙しいのは嘘ではない。だけどできることはある。

 今からでは遅いかもしれない。だけど、少なくともアルノは紅葉にクッキーをくれた。まだ、歩み寄ろうとしてくれている。ならば、まだ手遅れだということはないはずだ。


「で、なんですか? これから、真面目に旦那様のこと見てみますか?」

「……うん。そうする。初めから、そうすべきだったわ」


 決心したように顔をあげて、司にではなく独り言を言うような調子で起き上がる紅葉に、司は微笑む。司としては、今回の結婚はけして悪い話ではないと思う。もともと政略結婚としてこれ以上ない、貴族の相手だ。それになにより、悪人ではなさそうだ。紅葉が幸せになるというなら、ずっと見守ってきた司として、これ以上嬉しいことはない。


「そうですか。なら私から言えることは一つだけです」

「なに?」

「まず、手紙から読んでください」

「ん? ……手紙?」

「はい。個人的な書信も来ていると、お伝えしたと思いますが」

「ああ、あったわね。もしかして、お父様か、誰か、婚姻関係の書類が届いていたの? そういうものは私信じゃなくて、普通に渡してくれないと」


 文句を言いながら、紅葉は立ち上がって机に近寄る。整理された机の上から、仕事関係の書信が次々いれられる箱、を避けてその下の私信をためている箱を開ける。最近は仕事仕事で、友人等からの手紙は後回しで全く見ていない。

 一度は司が目を通した上で回されるので、私信でも急ぎの内容なら先に渡してくれるはずなので、内容的には問題ないのだろうが、一言言ってほしいものだ。


 そう思いながら手紙の束を手に取り、ぱらぱらとめくって差出人を見ていくと、予想外の人物が目にとまる。それも1つ2つではない。


「えっと……え? これって、その。え? アルノ・フォーレル、さん、から?」

「そうです。まさか誰? とはおっしゃいませんよね?」

「い、言わないけど……どうして、手紙なんて」


 同じ家に住んでいるのだ。直接言えばいい。使用人を通じて司に言えば、要求にだって応えているはずだ。

 困惑する紅葉に、司は呆れたように隣まできて手紙を奪い、手早く仕分けていく。アルノのものと、それ以外で。


「お嬢様、仮にですが、あれだけつれなく忙しいと言われてるのに話しかけてきたら、それはむしろこっちの都合を考えてないと思いませんか?」

「まあ、それはそうだけど」

「だけどそれでも、あなたとコミュニケーションをとりたかったんでしょう。その手段が手紙なんて、可愛らしいじゃないですか。私はそう言う人、嫌いじゃありません」

「……」

「お嬢様も、手紙を書かれてはどうでしょう?」


 手紙の内容も全て司は把握している。もちろんそれだって、偽ろうと思えばできることではあるけれど、少なくともそんな意図があるにしては呑気で口説くつもりにしては日記みたいな、そんな手紙。

 隠したってなんだって、文章にはその人がみえると司は思う。真正面から向き合ってはどうか、と言いたくなるくらいには、人柄が見えてくる。


 少なくとも司には、いいんじゃないかと。紅葉にいい相手じゃないかと思うのだ。

 アルノの分だけを日付順に並べて紅葉に渡して、司はそっとその背中を押してあげようと、思っていたことを告げることにする。これは使用人としてではなく、長い付き合いの1人間としての意見だ。


「お嬢様は、人を見る目がないお父上が決めた縁談だからと、疑っておられますけど、私は逆だと思います」

「逆って、なにがよ?」

「人を見る目がないかも知れません。すぐ騙されてましたし、商売の才能がなかったと思います。だけど、人として見たなら、とても好ましいと思います」

「そんなの……言われなくてもわかってるわよ」


 他でもない自分の父親だ。確かに家を傾けたけど、悪人なんかではない。むしろ、商売をして誰かと戦うには優しすぎたのだ。

 確かにいまだに自分を子供扱いして、口を出そうとしてくるところは腹立たしいし、時には疎ましくさえある。だけど紅葉は社会に出るほど、親の心根の優しさを感じずにはいられない。


 子供みたいに不満げに、唇をとがらせる紅葉に、司は優しく微笑んで頷く。


「はい。だから、旦那様のお家の、長年続く貴族の、人を見る目がある方から、この人の娘なら旦那様を嫁がせてもよいと見られたのではないか、と思うのです」

「……なるほど」


 司の言葉に、紅葉は納得した。そう言うことなら、見初める力はなくても、見初められる側としてなら、父ならあり得ると思える。

 そして同時に、それが真実なら、アルノの紹介文にも全く嘘がないことになる。野心がなくて、働きたくないなんて、絶対嘘だと思っていたけれど。


「……さっそくだけど、ちょっと、読んでみるわ」

「はい。ではまず、お茶をいれますね。冷めないうちに、クッキーをいただくとしましょう」

「そうね。お願い」


 紅葉はその手紙を落とさないよう両手で持って、執務机から離れて、席についた。


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