拒否しよう 紅葉side
この話は紅葉側の視点なので、アルノの言語を『』で表記しています。
「冗談じゃない! ふざけるのもいい加減にしてください!」
紅葉が正式に当主の座をついで7年が経過した。紅葉のように学園でたての若輩者が代替わりするのは珍しい。だと言うのに襲名したのは、両親の経営の才能が全くなかったからだ。地味に続いてきた商家をつぶすのは惜しく、強引に説得して紅葉が采配を握りだして一年後には文句を言えない程度に赤字を止め、今では押しも押されぬ急成長した立派な成金だ。
すべて自分だけでなした己の実力だとは言わない。両親が少し無理して通わせてくれた、貴族も通うランクの高い学園で得たコネも知識も必要だったし、何より運もあった。しかしそれらも含めて紅葉が努力してきたからだ。
褒め称えろとは言わないが、家のことについて口出しをしてもらいたくない。まして赤字続きを平然と出していた父には。
「ふざけてなんていない。紅葉のことを思って言ってるんだ」
父は強引に紅葉に見合い話を持ってきた。結婚適齢期を過ぎそうなくらいなのは自覚しているので、そこまでなら許した。受けるつもりはないが。しかし今回、まさかの婚姻済みと言う話だ。こんな馬鹿な話が合っていいのか。顔も知らないどころか、その話すら知らないまま結婚しているだと!?
そしてその相手が、遅くとも一週間以内に来るだって? ふざけている以外の何だというのだ。相手は他国の貴族の三男坊? 乗っ取りか。野心はないなどと、そんな話が信じられるわけがない。まして父のように人を見る目がなく騙されて、財産の半分まで一時は手放した人の推薦だなんて。
「とにかく、もう決まったことなんだから、いいね」
父はそう言うと逃げるように家を出て行った。数か月前から両親は家を出て、少し離れたところで隠居生活を決め込んでいるが、まさかこのためだったのでないだろうな、と邪推したくなるほどだ。
しかし父の言う通り、正式に書面で決まったものを一方的に破棄することはできない。まして相手は他国の人間で、さらに貴族。やり方を間違えば国際問題になりかねない。
「ただでさえ忙しい時期に……っ!」
まして今は決算期。今月末まで気を抜けない。猫の手だって借りたいくらいに忙しい。そんな中、突然湧いてきた不審者の相手をしている暇はない。
「司、わかってるでしょうね?」
「はい。すぐに手配いたします」
最低限のことはするが、構っていられない。それを説明して、しばらく放置することにした。事実であるし、その間に問題を起こしてくれれば万々歳だ。さっさとお帰り願おう。紅葉はすこしでも不審な動きをしようものならすぐに追い返してやると決めた。とりあえず一か月、様子見のつもりで自由にさせてやろう。それで相手の狙いをはっきりさせてやる。
紅葉は苛立たし気に頭を掻きむしりながら、足音高く部屋をでた。今日すべき処理だって、まだまだたくさんあるのだ。
そしてその四日後、ついに到着すると先ぶれがあった。時間はあまりないが、さすがに初日から全く無視するわけにはいかない。最低限、体裁を保てる程度には歓迎しなければ、こちらの落ち度で返したとなれば後々ややこしくなる。
当然話す内容も、相手の態度によりどのように望む結果まで話を持っていくかの流れもシュミレート済みだ。相手のプロフィールだって頭に入れている。学園を出て働きだし、すぐに辞めて働いていない。そんな根性もなければやる気もない、貴族のボンボン一人くらい言いくるめられないはずがない。他国の貴族でしかもこの短期間では人となりまではわからないが、想像くらいつく。金目当てのろくでなしの能無しだろう。
『初めまして、紅葉さん。アルノ・フォーレルです』
応接間に行って、その姿を見た途端、紅葉は先に一発かましてやろうと思っていたのも忘れた。立ち上がりにこやかに挨拶するアルノに、反射的に挨拶を返してから、はっと意識を取り戻す。
これ以上ここにはいられない、と紅葉は即座に作戦を変更して、とにかく伝えるべき用件だけを早口に説明して、アルノとの会話を拒否して逃げるように執務室へと戻った。
「お嬢様、どうされたのですか? いくらなんでもあの態度は失礼にすぎます」
「う、うるさい!」
「お嬢様?」
部屋に入るなり、当主になる前から付き人をしてくれて仕事の上でも非常に役に立ってくれる、公私を超えた付き合いの司から叱責を受けるが、それどころではない。紅葉は落ち着こうと席に着くが、どうにもならずに両手を顔にあてる。
その不審な主の態度に、普段冷静で表情を崩さない司が不思議そうにして紅葉の顔を覗き込もうとする。
「なんなのよ……反則でしょ。司、知ってたの?」
「何のことでしょうか?」
「あんなに、あんなに、あの人が……」
「アルノ様ですか?」
「あんなにっ、格好いいなんて!」
歯を食いしばるように言われた言葉に、司は一瞬「はあぁ?」と雇い主に対してあるまじき声をあげそうになったのを耐える。何を言い出しているんだ。そんなことでここまで反応しているのだとしたら、過剰反応にもほどがある。
「……確かにお綺麗な顔をされていましたが、それほどですか?」
「それほどどころじゃないわよ! 何なの、あのさらさらの金髪に綺麗な瞳にすっとした鼻に輪郭にもう、もう完璧に王子様じゃない! あーーー……お父様めぇ」
今まで浮いた話の一つもなかった紅葉なので、長い付き合いの司にしてもてっきり紅葉はそういったことに興味のない金勘定が生きがいの人間かと思っていたが、意外なことに他国の王子様が好みだったらしい。
「……よかったですね。夫になられる方が理想の容姿で」
「よくないわよぉ。あんな顔、絶対チャラちゃらした女たらしに決まってるわ! 絶対に追い出してやる!」
「はぁ。予定通りでいいですけど」
紅葉は改めて、あのイケメンの本性を暴いてやるんだから! と息巻いた。
○
初日二日目とさすがにおとなしくしていたようだが、三日目にそうそう騒ぎを起こしてくれた。と言っても屋敷内をうろついていた、と言うのはわかりやすい悪行ではない。しかし侍女に対して微笑んでまわり、イケメンだとヒソヒソ噂されていて、これは自分の顔の良さを分かっていてまずは環境周りから味方にしていずれのっとってやろうとしているに違いない、と紅葉は曇った色眼鏡越しにそう確信した。
それを話すと自分の味方であるはずの司はどことなく冷ややかな相槌であったが、ことアルノに関してはついつい顔に血が上ってしまう面食いの紅葉は気づかない。
紅葉は侍女の一人から報告を聞くや否や、処理途中の書類も置いて、注意の一つもしてやろう。そして改めて初日に言えなかったことを伝えてやろう、と司を連れて部屋を出た。
階段の前でちょうど会えた。その顔を見た瞬間、心臓がうるさくなったのはあれだ。別に他意はない。声をかけ振り向かせる。
「クレハ、こんにちは。いい天気ですね」
アルノはそう、嬉しそうに爽やかな微笑みを浮かべ、丁寧で綺麗な発音で挨拶した。きつい声だったはずなのに、穏やかな声音でかえされ、一瞬だけ驚き、それからかっと体中が熱くなってきた。それをごまかすため、紅葉はぐっと全身に力を込めて眉を寄せた。
こちらの言葉で話しかけてくるなんて、予想外すぎる。そりゃあ本人もこっちで住むつもりなら、言葉の一つも覚えて当然かもしれないが、まるで自分のために言葉を覚えてくれているみたいで、たまらない気持ちになる。ましてそのきれいな発音。異国人丸出しなアルノの色彩から放たれているのに、違和感がない自然な話し方で、そうですねと微笑み返したくなる。
ダメだ。これではあちらの思うつぼだ。クレハは奥歯に力をこめて、口を開く。彼がどれほど話せるかわからない以上、自分もまた彼の母国語で話しかけなければいけないけれど、彼の前で、自分はきちんと声が出ているのかさえ自信がなくて、また早口になってしまって、それさえ恥ずかしくなる。
『申し訳ないが、話しかけるのはやめてもらいたい。どうしても暇で話し相手が欲しいなら、街へ出るといい。あなたと話してくれる女性はいくらでもいる。金銭も余裕がある程度に渡すつもりだ』
言い切って部屋に戻って、強くドアを閉めてから紅葉は机につく余裕もなく、窓際のソファに仰向けに身を投げた。どうしてあんな物言いをしてしまうのか。嫌われたのではないか、と考えてから、自分で自分を殴りたくなる。何を、馬鹿な。まるで好かれたいみたいじゃないか。
貴族の三男坊なんて、野心にあふれて女をのし上がる道具にしか思っていない、女を見下す最低な人だと決まっている。以前に紅葉がいいな、と思った人がまさにそうだった。たった一度のその経験だけが、意固地に紅葉の中に強固な思想となってこびりついている。だから紅葉は、アルノを拒否する。紅葉はアルノが自分を裏切ると信じているし、だから絶対に信じたくない。
だと言うのに、紅葉は今、何を思ったのか。悔しい。悔しくてたまらない。自覚はしているが、面食いで簡単にときめいてしまう自分が嫌になる。
「紅葉お嬢様」
「……なによ」
「調べた情報と、少なくともこの数日の使用人からの報告では、大きな問題のない人物かと思いますが」
「そ、そんなの、いい顔して自分の株を上げようとしているだけに決まってるわ。たった数日で何が分かるのよ」
「その通りですね。さすが、会う前から悪人ときめつけていたお嬢様。仰る言葉の重みが違いますね」
「首にするわよ、糞執事」
「できもしないことを」
「うるさい。うるさい! 黙りなさい!」
「うるさいのはお嬢様ですし、そうやって子供みたいに癇癪を起すのはやめてください。今ご自分がおいくつかお分かりですか?」
「うーるーさーい!!」
紅葉は起き上がってソファに置いているクッションを力いっぱい司に向かって投げた。普通に避けられて、紅葉はだんだんと音をたてて立ち上がり、怒鳴る。
「仕事するわよ!」
と、そうして仕事を始めたはいいが、アルノが女性を口説きに行くと言って屋敷を出たことは、逐一行動を報告するよう使用人に命じているためすぐに紅葉に伝わった。当然、怒髪天をついた。
ふざけるなよっ!! と言葉にはしなかったが、精いっぱい歯を食いしばって耐えて、その代わり天板を叩き割る勢いで机をたたいた。
「………いーーー、ったぁ」
「たまに思うのですが、お嬢様は馬鹿ですね」
「断言するんじゃないわよっ!」
確かに嫌われるような態度をしたし、自由にしろと言ったが、本気で行くか普通。別に彼に好かれたいわけでは全然ないし、ひどい男であれば追い出す口実になるので好都合なわけだけれども。
と紅葉は脳内で誰にしているのかわからない言い訳をしながら、ふつふつと湧き出るいらだちをぶつけるようにだんだんと机を軽くぶつける。
「……どうしてそのようにいらだっているのですか? アルノ様のことが嫌いなら、公然と愛人を作ってもらったほうが、離縁するのに都合がよいでしょうに?」
「……ええ全くその通りだわ。全然、全くいらだってなんかないし、ちょー都合がいいわ」
「ちょー、とか。いい年してその言葉遣いはどうかと」
「黙りなさい! と、も、か、く! 私はあんな男に関わっている時間はないの。もう報告なんかしなくていいから、あなたの裁量でうまくやってちょうだい」
「わかりました」
司は呆れたように肩をすくめてから、有能な部下そのものの綺麗なお辞儀で紅葉の指示に応えた。