招待客を接待しよう
そしてついに、アルノと紅葉が神に永遠の愛を誓う、結婚式の日が近づいてきた。
冬を過ぎた、新芽の季節。アルノの友人は招待した人が全員、とはいかないけれど、それでも示し合わせて32人もの人が来てくれることになったのは、十分だろう。二か月を捻出するには、いまだ学生だったり社会人であれば、かなり無理がある。
来てくれたのは、家に入っていたり実家での仕事のため融通がきいたりする人だけだ。ちなみに無理だろうと思いつつも、招待しないことで相手の面子をつぶしても申し訳ないので、招待自体は友人すべてで100人以上に送っている。
家として付き合いがあるだけの相手にも送っているが、そちらからは基本的に文書や贈り物だけで、基本的に実家から母と祖父、親戚筋数人が来てくれるだけだ。無理もない。
アルノ側の人数が決定してから、紅葉の方も合わせた人数になるよう招待を送った。と言っても、仕事の関係者を入れるとどうしても絞り切れないので、そこは割り切って身近な人だけにすることにした。
幸いと言ってもいいのか、地元でアルノより出席率が高い紅葉だが、元の友人数がアルノより少ないので想定よりもちょうどで釣り合った。
船旅と言うことで、余裕を見て式の一週間前にあたる本日、アルノの客人が到着した。と言っても館では客室全てを使用しても、32人だけでなく、最低限でお願いしたそれぞれの付き人を合わせ100人近い
人数を滞在させることは難しいので、近くのホテルを貸し切って宿泊してもらう。
アルノの実家が手配した船で来てもらったため、当然全員同時の到着で、アルノは信彦と共に客人たちを、まとめてホテルへ案内した。
『おめでとうございます! アルノ先輩』
『おめでとう、アルノ君。やっと年貢の納め時が来たのね』
『ようアルノ! おめでたいなこんちくしょう!』
道中から挨拶もそこそこに、たくさんお祝いいただき、ありがたいことこの上ない。アルノはいやー、どうもどうも、と軽く返礼しながら引き連れて移動した。
ホテルにて荷物をすべて片付けさせ、落ち着いて全員食堂に座らせてから改めて挨拶する。
『皆さま、よく来てくださいました。まぁ、堅苦しいことは置いといて、式は明後日だし、ゆっくりして行ってください』
『あなたは相変わらずですわね』
アルノの立ち位置から一番近い席を陣取っていた居丈高な女性、学生時代の先輩であるジョセフィーヌが、アルノのゆるい挨拶に呆れて声をだした。
アルノはにこっと笑って、これはこれはとわざとらしくかしこまった態度をとる。
『ジョセフィーヌ先輩、お久しぶりでございますね。こんな遠方まで足をお運び頂き、恐悦至極に存じます。あなたも相変わらず、お美しいですね』
ジョセフィーヌはこの場において、もっとも身分が高い。生家もだが、嫁ぎ先は第五王子であり、いまや王族の一端を担うのだ。今回もアルノの友人でもある王子の代理も兼ねているので、彼女にだけさらに改まって挨拶してもおかしくない。
けれど言われた本人であるジョセフィーヌは不快そうに眉をしかめた。
『ふん。しらじらしいことを。あなたが私たちに一言もなく婚姻するような、薄情な後輩であることは皆さまご存じだと言うのに』
『そう冷たい言い方しないでくださいよー。美しい顔がゆがんでますよ。おや、しかしおかしいですね。さすがジョセフィーヌ先輩だ。ゆがんでなお美しいですね』
『おやめなさい。私がこの世で最も美しいのは当然ですが、婚姻したあなたが過度に私を賛美するのは、気持ちのよいものではありませんわ。いくらあなたが軽薄で口がよくまわるしか能がないとしても、それは奥方にだけ発揮すればよいのです』
『失礼いたしました。さすがジョセフィーヌ先輩、お気遣い感謝いたします』
はきはき物を言われるのが好きなアルノは、ジョセフィーヌの尊大な物言いに、あー、やっぱりジョセフィーヌ先輩との会話って振り切れていて気持ちがいい。と思いながら微笑む。
しかしその相変わらずの様子を見ても、胸がときめいたりはしない。やはり自分には紅葉だけだなぁと改めて愛を実感する。ジョセフィーヌへの思慕は、それこそ子供のものだったと自覚される。
『まぁ、とにかく、疲れたでしょう。ごゆっくりどうぞ』
『アルノ! ゆっくりするのはいいが、お前は話し相手になってくれるんだろうな?』
『そうですよ。わざわざ来たんですから、順番にホスト役をしてくれるんですよね?』
『まぁまぁ。みんなが俺を大好きなのはわかってますから、もちろん順番にお話しさせていただきますよ』
『抜かせ! おい、せっかくだし酒をもってこい』
『それがいいな。お前たちも持ってこい』
『昼間からお酒何て。私にはお茶を用意なさい』
それぞれ付き人に命じて、好き勝手に片やお茶会の用意をさせ、片や飲み会の用意をさせる。その様子を見ながら、あー、やっぱり全員同時に来てもらうのは止めた方がよかったかもしれない。と思った。
○
「う、う……?」
冷たいものが頭からかけられ、アルノは呻きながら目を開ける。何だかくらくらする。
なんだ。いったい何が起こったんだ?
思わず頭に手をやると、ぐっしょりと髪も顔も濡れている。雨? と考えたが、ここは室内だ。と思いながら起き上がると、目の前にいる人物に意識が覚醒させられる。
「おはよう、アルノさん。ご機嫌うるわしいようで、何よりだわ」
「……」
紅葉だ。そして思い出す。
そうだ。式参加のためやってきてくれた友人たちをホテルに案内して、それから請われるまま持て成して、そして昨日の夜、ようやく屋敷に帰ってこれたのだ。久しぶりだし、アルノ自身も話が弾んで楽しくて、毎日注がれるまま酒を飲んで語らっていると、ついつい長引いてしまった。
「おはよう、クレハ」
「ええ。今はもう午後だけれども」
「ああ……怒ってる?」
「無断で家を何日も空けて、夜中に騒がしく帰ってきて人の部屋まで着て、勝手に昼間までベッドを占領して怒らないほど心の広い人間ではないわね」
「ああ……クレハのベットか。通りで気持ちよく眠れると思った。もう一回寝てもいい?」
「怒るわよ?」
「もう怒ってるし、いいかなって」
「いいわけないでしょう」
段々頭がさえてきた。確かに昨日の夜はそんな感じだった。うん。怒っても仕方ない。一応無断外泊に関しては、電話しておいたけど、急であったのは間違いないし、まして式前の忙しいときに何日に宴会して夜中に起こされて腹が立たないはずがない。なるほど。
うんうんと頷いて一人呑気に納得しているアルノに、紅葉はため息をついて髪をかき上げた。
「とは言え、水をかけたのはやり過ぎだったかも知れないわ。ごめんなさいね」
「ううん。目が覚めてすっきりしたよ。ありがとう、クレハ。じゃあ俺はシャワーを浴びてくるね」
「よろしい。二度寝するとしても、自分の部屋へ戻るように。いいわね」
「はーい」
あくびをしながら部屋をでると、入れ替わりに侍女たちが入ってきた。掃除をこれからするのだろう。その為に起こされたのだろう。申し訳ない。つけっぱなしの腕時計をみると、時間はこれから昼食をとっていいくらいの時間だ。
早くすれば、紅葉と共に昼食をとれるかもしれない。アルノは慌てて歩き出した。
シャワーをあびて身支度を整えてから食堂に行くと、ちょうど紅葉が出ていくところだった。
残念だけど、改めて謝罪して、また後でいい時間にでもお茶を持って行くと言うと、紅葉は怒りを持続させてはいないようで苦笑して受け入れてくれた。
食事を終わらせるころに信彦がやってきた。こいつは小憎たらしいことに、アルノと同様に客人の接待をしつつも、毎日せっせと屋敷に帰っていた。いや別に悪いことではないけど、昨日醜態をさらしてしまっただけに、何となく巻き添えにできなかったことが悔しい。
「旦那様、よくお戻りで。私はこれからまたホテルの方へ向かいますが、どうされますか?」
「俺は今日はいいよ。昨日で、全員とそれなりに時間をとってこれたしね」
ありがたいことに、わざわざ来てくれただけあって、みんなアルノとたくさんの話をしたがった。アルノもそれに応えたかったし、話して話して話しまくっていた。それで今日までに、何となく気持ちが落ち着く程度には話した。
信彦だって、単に役割として接待しただけでなく、アルノの客人とはそれなりに知り合いも多いので、いくらか話したりもした。アルノが何度も話すのは億劫だろうと、アルノの近況や経緯について信彦が説明してまわったりもした。
信彦ももう、客人とそれほど話すことがあるわけでもないが、しかし普通に、招待しておきながらホテル手配したからはい自由にして、と言う訳にもいかないので、融通する権限を持った人間がホテルに常時しておく必要がある。
信彦が行くなら問題ないだろう。アルノは信彦といくつか情報共有をしてから、信彦を見送った。
それから自室で軽く二度寝してから、お茶を用意してもらって紅葉の部屋へ向かう。事前に手作り菓子を用意しておかなかったのは申し訳ないが、仕方ないだろう。
紅葉に迎えられて、アルノは向かい合ってソファに座ってお茶を飲んだ。そしてここ数日について報告していく。
紅葉はどうやら、アルノが女性ものの香水の匂いをつけていたことで、余計に腹をたてていたらしいが、それは誤解も過ぎるので何とか説明してわかってもらえた。と言うか疑ってはいなかったらしいが、それでも愉快なものではないと言われた。
元々、招待した全体数では男性の方が多いが、きてくれたのは婚姻して家に入って時間的猶予のある女性が多かった。なのでどうしても女性に会うことになってしまうのだ。もちろん女性とは付き人を数えずに二人きりになることを避けているし、以前のように気安く触れたりなんてもってのほかだ。
とは言え密室で長時間話していたので、匂いがついてしまっていたらしい。昨日の夜はその場に男性もいたので、身の潔白は簡単に説明できるけれど、いい気分ではなくなったことは取り返しがつかない。
アルノは改めて謝罪した。
許してもらえたけど、明日からは必ず帰ってくるよう釘をさされた。当然そのつもりなので、一も二もなくうなずいた。
「もちろんだよ。クレハが望むなら、もうホテルにはいかないよ」
「言えそれはさすがに。普通に、ホストとしては行ってちょうだい」
「あ、そう? じゃあ行くけど」
「ええ。ただ……その、言いにくいのだけ」
「ん? なに?」
「あなたが以前好きだったジョセフィーヌさんとは、その、できればその人とは、二人きりにならないようには、してほしいわ」
奥歯に挟まったかのように言いにくそうにしながら、紅葉はそう言った。ジョセフィーヌについて、後から知られてこじれても嫌なので、ちゃんと事前に話している。元カノでもなんでもないしもう結婚しているけど、紅葉はいい気持ちではないだろう。だからといって、立場的にも呼ばない訳にもいかない。
それは紅葉も理解をしているし、アルノが明け透けなので信頼してくれているようだけど、それでも複雑な気持ちであるようだ。
わかった上でも嫉妬してくれるのは、わりと嬉しい。アルノはにっこり笑う。
「大丈夫だよ。わかっている。それに、クレハの方が美しいから、心配しないで」
「……あなた、記憶がなくなっているの? 私、一度ホテルに行って皆さんと一通り挨拶をかわしているのよ?」
嫌そうな顔をされたけれど、身に覚えがない。アルノは首を傾げる。
「え? 覚えているよ? 二日目にきてくれたよね? 一緒に挨拶して回ったよ」
「ええ。だから、ジョセフィーヌさんより美しいなんて、わかりきったお世辞を言われても困るわ。何というか、本当に、この世のものではないくらいの美人じゃない」
「確かに美人だけど、クレハの方が綺麗で可愛いよ」
「……あなたって本当に、馬鹿なんだから」
紅葉は喜んでいるのか嫌がっているのかわかりにくい渋面で、カップを口に運んだ。
「とにかく、そういうことで、あなたは自分の客人を持て成しておいて」
「それはいいけど、もうすぐ式だし、俺にもできることがあったら言ってよ? 前から言っているけど、あんまり何も言ってくれないし」
「他国からの貴族の客人なんて、あなた以外にはできないから、それが一番助かるわ、他のことはしておくから、それだけは失敗のないようお願いね」
真剣な顔で言われた。言われてみれば、アルノにとっては友人だけど、紅葉からすれば貴族と言うだけで気を遣う対象なのだろう。どうもこの国では、貴族と平民に溝があるような気がする。ここはひとつ、安心してもらえるような話をしよう。
「そんなに気にしなくても、気のいい人ばかりだよ。寝起きにパイぶつけたり、落とし穴に落としたりしても、笑って謝ったら許してくれたし。女の子にはさすがにそこまでしてないけど」
「あなたって本当に、恵まれた人ね」
安心させようと思ったのに、何故か嫌そうな顔をされた。別に全員にそういうことをしたわけではなくて、数人のノリのいい相手にしただけなのだけど。
でも確かに、恵まれているのは自覚している。友人の中には、そういうことをしたら烈火のごとく怒りそうな人もいるけど、その人たちもいずれもいい人だ。
「うん。クレハと言い、俺って本当に、人との出会いに恵まれていると思うよ」
「そう言う……まぁ、いいけど。とにかく、お願いね」
「了解」
呆れられたようだけど、とりあえず紅葉の希望は了解した。精一杯、紅葉を安心させてあげよう。




