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突然の客を迎えよう

 アルノがこの家に婿入りして、半年以上が経過した。すでに日常は安定して、まるでもうずっと何年も共に時間を過ごしたように、これから死ぬまでこの時間が続くと根拠もなく思える。

 そんなある日、突然の訪問客が、館の玄関を勢いよく開けた。


『アルノ先輩! 先輩! どこですか!!』


 先ぶれもない、突然すぎる訪問だったが、使用人を連れた見るからに貴族らしきお嬢様の訪問に、たまたま近くに居た侍女が、慌てて片言でとりあえず客間に通した。

 勢い込んでいた客だが、その拙すぎる言葉遣いに毒気を抜かれたように従った。そしてわかりやすく、こちらの言葉をつかって、アルノを呼ぶよう指示した。


 そしてアルノは首をかしげつつ、念のため信彦を伴って部屋に向かい、ノックした。


「はい。どうぞ」


 客人としては態度が大きいが、それよりアルノは何となく聞いたことのある声に首をかしげた。

 本来なら、侍女にも名乗ってくれればよかった。と言うかそれが普通だ。いきなりきて名前も名乗らず家人を呼び出すとか、無礼にもほどがある。しかし客人は自分から名乗らず、アルノの客みたいなので侍女も聞けなかったらしい。


 信彦を目配せしてから、アルノは意図的ににっこり笑った状態でドアを開けた。


「こんにちは、あ」

『アルノ先輩! お会いしとうございました!』

「わ!?」


 相手の出方が分からなかったので、アルノでーすなんて軽いノリで行こうとしたのだけど、ドアを開けた瞬間に立ち上がって駆け寄ってきた客人に言葉は遮られた。思わず体を引くアルノをかばうように、信彦が一歩前へ出た。


『ん? あなた、確かアルノ先輩にすがっていた、龍宮、だったかしら? こんなところまでついてきていたのね。なかなか見どころがあるわね』

『そうですか。お席におつきください。先輩が困っています』

『そうだね。えっと、ミリア、座って落ち着いて話そうか』

『はい!』


 客人はミリア、アルノの後輩にして信彦の同級生だった、故郷の貴族令嬢だ。何故ここにいるのか、疑問は尽きないが、とりあえず落ち着かせよう。

 促すとミリアは従順に頷いて元の席に座ったので、アルノはその向かいに座る。ミリアは隣に座ってほしかったらしく頬を膨らませたので察したが、アルノがそれに応える必要はないので無視をして先に話しかける。


『やぁ、久しぶりだね、ミリア』

『はい! ずっと、会いたかったです。でもすぐには整わなくて、だから私頑張りました!』


 興奮した様子で笑顔でそういわれたが、意味が分からない。整うって、わざわざここにくると言うことだろうけど、頑張る意味が分からないし、別に来ていいよとか言ってないのだから、何も整っていない。

 けれどアルノはそれを顔に出さず、にこにこと微笑んで見せる。


『そっか。頑張ったんだね。偉いなー』

『はい! あの、それで……』


 ミリアは元々赤かった頬をさらに染めて、耳まで赤くなって、両手を合わせてもじもじさせた。それから勢いよくアルノを見つめて立ち上がり、テーブルに手をついて身を乗り出して、大きな声をあげる。


『私と結婚してください!!! 一生養います!!!!』


 ……。

 いやちょっと、意味が分からないし、ちょっと恐い。


 ミリアは確かに後輩だし、仲良くしていた。学生時代は普通に友人同士で集まって、遊んだりもしたし、勉強会で教えてあげたりとか、そう言う付き合いはしていた。

 卒業してからは個人的に約束して会うまではしていないけど、たまに街で見かけたら話したりしていた。アルノがニート生活していても好意的なままで、かなりの高位貴族で懐も暖かいらしく何度か奢ってくれていた。


 そんな感じの関係だったけど、それも特に珍しいことではない。アルノの後輩は他にもいた。と言うか先輩とも同級生とも仲良くしていた。ニートのアルノに説教して職を斡旋しようとしてくる人もいれば、アルノらしいと笑う人もいた。でもそのいずれも、アルノに対して軽蔑の目を向けたりしなかったし、普通に奢ったりしてくれた。アルノは女性に限らず、何だかんだと優しくしてくれる友人知人は多かったのだ。


 そんなわけで、もちろんミリアと特別な関係ではなかった。

 ミリアとは普通に仲のいい後輩だ。だからこそ、求婚される意味が分からない。それにミリアからもそんな秋波を送られたなんてことは、覚えがない。


 アルノはひきつりそうになる頬を抑えて、可能な限り優しく微笑んだ。


『うわー、驚いたなぁ。ミリア、俺のこと好きだったんだ?』

『は、はい……初めて会った時から、大好きです!』

『そっか。ありがとう。でも俺、もう結婚しているんだ』


 知っているよね? と笑顔を崩さないまま尋ねる。

 知っていなければ、こんなに離れたこの家まで、来るわけがない。どういった経緯で知ったのかは知らないけど。


『はい……知ってます。今、アルノ先輩が、お相手の方と仲良くされていることも、知っています』


 なんで知っているの? と言うのは置いといて、じゃあどうして結婚してくれなんて言うのか。よくわからないぞ。

 さて、どう聞こうか、と悩んでいると、部屋がノックされた。紅葉が来たのだ。突然客人が来て、いかにアルノの知り合いだとしても紅葉に報告がいかないはずがない。まして相手は若い女性だし、不審だ。

 かなり早く来てくれた方だ。アルノはほっとしつつも、それを下手に表に出さないようにしながら、紅葉を部屋に入れて、自分の隣に座らせる。


 知り合いでもない紅葉が隣に居れば、ミリアも少しは冷静でいられるだろう。わずかに、アルノと結婚しようと言うミリアが、紅葉に悪意を持つ危険性も脳裏に浮かんだけれど、隣でアルノが守れば問題ないだろう。その程度のことはできる。

 それにプロポーズされたなんてこと、目の前でしないと変に誤解されたり、おかしなことを後から紅葉に吹き込まれても困る。


 紅葉が入室した瞬間から嫌そうな顔をしていたミリアだったが、はっきりと口に出して拒否することはなく、一応挨拶は普通にしてくれた。

 突然のプロポーズに、正気を疑う部分もあったが、やはり初対面の人間への礼儀などはするあたり、頭がおかしくなっているわけではなさそうだ。


『それでは、ミリア様』

「言葉を楽にして結構よ。訪問しているのはこちらなのだから、私が合わせます」

「はい。それではミリア様、私にも関係のある話、とは何でしょうか?」


 年下で招かれざる客の癖にとっても上からのミリアだが、相手は他国の貴族、しかもアルノの家より高位の令嬢だ。紅葉は丁寧に言葉を選んだ。

 そんな紅葉に、ミリアはふぅんと頷いてから、鷹揚に馬鹿馬鹿しいにもほどがあることを言った。


「今までよく、アルノ先輩のお世話をしてくれたみたいで、ありがとう。でももういいわ。あとは私がやるから、あなたは離婚してちょうだい」

「……」


 紅葉はあらゆる感情を感じない、無理やり固めたような微笑みになった。そしてそのまま首を回してアルノをみて、口の動きだけで尋ねる。どういうこと? と。しかしアルノにも意味が分からない。


「ミリア、俺とクレハが結婚して仲良くしていることも知っているのに、どうして離婚して君と結婚することになるのか、ちょっと説明してもらってもいいかな?」

「はい! もちろんです、あの」


 紅葉に対する上からの、特に感情をこめない淡々と普通のことを言っただけ、みたいな顔から一転。アルノの問いかけには恋する乙女そのものみたいな顔で説明を始めた。その内容は、頭が痛くなるようなものだった。


 元々ミリアはアルノが大好きで、アルノが軽口で働きたくないから誰か養ってくれないかなーみたいなことを言ったから、それからアルノを養う立場を得るために、努力してきたらしい。

 アルノが自分にそんなことを言ったのも、自分に気が合ってそうしてほしいと言う願望があったと解釈したらしい。ごめん。覚えてないし、たぶんそんな気もなかったです。


 で、親に認めてもらって正式に家を継いで、アルノを養える立場になったので、アルノを婿にと家に話を通そうとしたらしい。科学が幅をきかせる現代になっても、貴族においては政略結婚は珍しくない。アルノに直接言ってふられたら怖いので、遠回しに結婚しようとしたらしい。

 しかしそのすぐ後に、アルノには思いあっている相手がずっといて、つい最近結婚が決まって家を出たと聞かされた。調べて何とかして別れさせてやろうと思ったら、まさかの海外でしかも貴族ですらない。

 驚いて、そしてミリアは気づいたのだ。これはおかしい、と。父親に問いただすと、いくら貴族位に問題がなくても全く仕事をしないと豪語している人間を婿にするのは抵抗があったし、向こうからも大貴族の婿何てと躊躇われたので、とにかく急いでアルノをよそに婿に出して、話を合わせてそういうことにしたらしい。


 なんてかわいそうな。と言うことで当然アルノの実家に圧力をかけた。アルノを不幸にするのか、早くこちらに呼び戻せと憤ると、その返答は、きっかけはそうでも実際に今二人は思いあって幸せにしているというものだった。許せなくてここまで勢いでやってきたらしい。

 一応ここまでの船旅の期間で、頭も少し冷えて、本当に幸せにやっているのかもしれない。と考えたらしいけど、でもアルノは優しいから誰とでも仲良くできるし、自分の方がよりお金のある生活を保障するし、実家に近いから友人とも遊べるし、貴族として生活できるのだから、自分と結婚する方がいいに決まっている。

 アルノが今は抵抗したとしても、無理やりでも結婚すれば今紅葉と仲がいいように、将来的にはミリアを愛するだろうし、結果的により幸せになれると主張したのだ。


「……」

「と言うことで、結婚しましょう、アルノ先輩。私が、今よりずっと幸せにしますから!」


 どうしよう。これ。その主張はわかった。ここまでやってきてプロポーズしたその経緯はわかった。

 紅葉を愛していて、これ以上の幸せはない。そう言っても、独自の脳内アルノ君は一緒に住んだら愛してくれる設定らしいから、納得してくれないだろう。

 実際、本当に無理やり結婚させられていたなら、多少情はわくし、相手から好かれる努力はするつもりだし、それなりに仲良く夫婦をするだろうとは思う。それがミリアであろうと誰だろうと。


 でも今、紅葉はかけがえのない存在だ。今更言われても困る。もうアルノは、人を心から愛して愛される幸せを知っているのだ。今更そんな政略結婚をしたくないし、まして政略でもないミリア以外誰も望んでいないことをするわけがない。

 そして、何より腹が立つのは、紅葉を何だと思っているんだ。けれどそのまま怒っても、きっと伝わらないだろうし、感情的になってはいけない。冷静に、説得して、穏便に帰ってもらおう。


 アルノは呆然としたように固まっている紅葉の手を、テーブルでミリアから見えないことを確認しながらそっと撫でて、優しい声を意識しながら応えた。


「そっか。ミリアの気持ちはよくわかったよ、ありがとう、俺のことを考えてくれて」

「えへへ、そんな、そんなことありませんよ。このくらい、なんてことありません」

「うん。でもごめんね。俺は、年上が好きだから、ミリアのことを紅葉より好きになることはないよ」


 だからミリアが、紅葉以上にアルノを幸せにすることはできない。そう伝えると、ミリアは予想外のことを言われた、ときょとんとした。

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