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庭に出よう

「さて、じゃあ手紙も書いたことだし、ネイティブの話し方でも教えてもらうか」

「はい。じゃあこれでも読んでください」


 ついでに軽く繁華街を見て回ってお菓子をつまみに買ったりしてから館に戻り、手紙を書き終えていい気分転換にもなったのでそうお願いしたが、信彦は本を一冊渡してきた。

 受け取ると、小ぶりな冊子は可愛らしいピンク色で、花柄の模様があり、タイトルは「笑わない王子と恋する令嬢」だ。どう見ても恋愛小説だ。別に嫌うわけではないが、これで勉強?


「……手抜きじゃないか?」

「話し言葉の勉強に、これほど適したものはありません」

「じゃあ、もしかして信彦もうちに来たときはこう言う小説で?」

「まさか。馬鹿にしないでください」

「おい」


 半目になるアルノに、信彦は真顔からふっと笑って肩をすくめるが、本を回収しようとはしない。


「冗談です。ですが先輩にはそのほうが向いてますよ。口説き文句ものってるでしょうし、ちょうどいいじゃないですか」

「ふむ。一理ある」

「……本気ですか?」

「お前と言う奴は。まあいい。読んでみるか」


 語彙力はまだまだ自信がないので、長文を読むのはあまり気は進まないが、これが勉強手段となれば仕方ない。辞書を片手に読んでいくことにした。


 再び机に向かい、集中し始めたアルノに信彦はうんと頷く。素直に従ってくれて、実に教えるのが楽だ。元より信彦は人に物を教えるのが得意なわけでもない。と言うかアルノが初めてだ。

 学園生の時分は、同級生に勉強を教えてくれと頼まれることが珍しくなかったが、その度におすすめの参考書を渡しては不満を言われた信彦なので、教師役もしろと命令されて戸惑ったが、やはりテキストを渡して勝手に勉強してもらうのが一番だ。事実自分もそれで学んだのだから、問題ないだろう。


 信彦はアルノがおとなしく勉強していることを確認してから、部屋を出た。仕事はこれだけではない。









「くそ男じゃないか」


 とりあえず一章を訳し終わったところで、思わずストーリーに対して不満が口から出た。いやだって、あまりに男がくそすぎる。女の子が主人公なので、男の詳しい事情は分からないが、女の子に対してあまりに冷たい。

 こんなものを喜んで読んでいるとは、この国の女性はどうなっているんだ、と無駄に壮大な愚痴をこぼしながら、アルノは本を閉じた。そろそろ空腹になってきた。夕ご飯か、まだならまだで何か胃に入れたい。


「信、って、またいないのか」


 信彦はすぐにいなくなる。そりゃあこれが掃除や給仕の専用の人間ならば、その仕事が終わり次第黙っていなくなるのが普通だ。しかし日常全ての付き人なのだから、基本的にずっと一緒にいるものだろう。せめて一声かけてほしいものだ。


「うーん」


 勝手に出歩くな、とは言われてないが話しかけるなと言われてしまった。信彦からはうろうろするなと言われてしまった。しかし縮こまっていても仕方ない。確かに仕事中に話しかけるのは迷惑だったかもしれないし、いきなり「こんにちは」だけ言いまわるのも不審者のようだったし、それで迷惑がられたのだろう。今日のところは自粛しよう。

 とは言え、このまま待っていても仕方ない。どうしたものか、と考えながらひとまず本を閉じて机の端に整理したところで、端に紅葉当てに書いたラブレターが目についた。うむ。これを出していくか。話しかけなければいい。信彦の言葉はまあ、無視をする。


 部屋を出てすぐそばの階段を下りる。今いるのは三階で、紅葉がいるのは二階である、と言うことは説明はされていないが察している。しかし仕事中のところ訪ねていく気はない。紅葉の付き人である司に渡せれば一番いいが、そうもいかないだろう。ならば誰かに渡してくれと頼むしかない。

 と言うか、それも信彦に頼めばよかったと今更気づいた。よし、信彦を探そう。


「……」


 一階に着いたところで侍女がいた。無視もおかしいので会釈だけしてすれ違う。そのまま一周するも見当たらないので、何となくまた玄関から出てみる。

 夕日がとても強くて眩しい。眉を寄せたところで、視界の端にポストが見えた。


「あ、ちょうどいいな」


 実家にはポストはなかったが、これが郵便物を無人でも受け取るためのものであることは知っている。これに入れておけば、いずれ紅葉の手に渡るだろう。きちんと封筒に名前も書いているし、チェックを受けても届かないと言うことはないだろう。完璧だ。

 アルノは中に入れて満足して、それからその向こうに花壇が続いていることに気づいた。出入りの際には気に留めなかったが、せっかくなので見に行くことにした。


 奥まった細い小道を進み、角を曲がって館の側面へ来ると、割合広くて大きな花壇が広がり、中央にベンチもあり、遠くに東屋もあるのが見えた。自分のいた部屋からは反対の屋敷裏手側に面していて山がある状態だったが、西側にはしっかり庭があるようだ。

 木々はそれなりに立派で、しっかり剪定もされているが、花壇は玄関側だけ花があったが、ほとんど使われておらず、多少雑草があるくらいだ。もったいない。


『誰だ? 勝手に庭に入ってくるのは』


 壁沿いに歩いていると、東屋のさらに奥から声がかけられた。陰になっていたが、よく見ると小道の奥から男が歩いてきた。小柄なずんぐりした体格の、祖父と同年代かと思われる老人だが、背筋もしゃんとしている。


『私はクレハの夫だ。クレハはここの当主だ』

『ん? ああ、あんたが。と言うか、こっちの言葉が話せるんだな。おっと。話せるんですね』

『私の言語は上手ではない。しかし。私は言葉を勉強している。あなたはここの庭師ですか?』


 しばらく会話して、彼はここが紅葉の先代から仕える庭師であることが分かった。暇なので会話相手になってほしいとお願いすると、彼は戸惑いながらも仕事をしながらでもいいなら話し相手くらいはいいけれど、と言ってくれた。

 これは嬉しい。信彦とだとどうしても甘えて母国語を話してしまうし、何となく通じてしまう部分もあるので、やはり全然知らない他人と会話するのが一番練習になる。何より、こうして部屋から出てくる大義名分にもなる。部屋にこもりきりは体に良くない。室内で多少は体を動かしてはいるが、やはり体がなまるし。

 ついでにここで体を動かして言いと許可ももらう。邪魔はしないようにと言われたが、そのくらいはっきり言ってもらうほうが、こちらも気を使わないでよいので助かる。


 じゃあまた明日、と機嫌よく屋敷も戻ろうとすると、玄関で信彦と鉢合わしになった。


「先輩! またふらふらと!」

「わ、わかったわかった」

「何がわかったって言うんですか」

「お前が怒っていることはわかった」

「……とにかく、夕食の時間です」

「おお。待ってました」


 呆れかえったような信彦について、食堂へ行き夕食をとる。味は美味しいが、やはり一人では味気ない。


「なあ。クレハはまだ忙しいのか? 夕食くらい一緒に食べれないのか?」

「そうなんでしょうね。とりあえずその要望は伝えておきます」

「うん。頼んだ。あ、そうそう。あと、明日から庭で鍛錬することにしたから」

「鍛錬? ああ、あのいつもやってた剣術の?」

「ああ。やっぱり筋力トレーニングだけじゃなくて、剣も振らないと調子が出ないしな」


 学園で学ぶ前から、貴族男子のたしなみとして剣術は学んでいた。もはや日課となっていて船でもしていたので、ここにきてしていなかったのも地味にストレスだったのだ。それだけでもいい傾向だ。このままここでの快適な生活を手に入れたい。


「いいですけど。いったい何のために鍛えてるんですか? ニートの時も欠かさずしてましたけど」

「楽しいだろう? お前も授業であっただろ?」

「いやいやしていました」

「信彦、それで上位に入ってたんだから、嫌味にもほどがあるだろ」

「先輩に言われたくありません」

「なんだよ。次は好きでやっていたのに、三番より上になったことがない俺への嫌味か。まあ、とにかくそういうことだ」

「わかりました。庭師の正明さんですね。確認しておきます」

「頼んだ」


 信彦が司を経由して話を通し、正式に許可が出た、と入浴後に報告がきた。そんなことまで許可がいるのか、と改めて実家との違いを感じた。


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