プロポーズをしよう
「お邪魔しまーす」
昼食を終えて、信彦を呼んで車で家に帰ったところで、自分の部屋に紅葉を招こうと思っていたのだけど、紅葉が自室にと誘ってくれた。お茶も入れてくれるとのことで、早速中に入る。
と言っても入ったのは執務室だ。執務室から奥に部屋がつながっていて、そこがプライベートな寝室になっている。紅葉はお湯等の用意でいないのに勝手に入るわけにもいかない。
何度かこの部屋に来てお茶した時と同じソファに座って待つことにした。そっと紙袋を机にのせて中を上から覗き込む。にんまりと、思わず頬が緩む。
すでに結婚しているのに、改まってプロポーズ何て、聞く人によっては間抜けな話だと笑うかもしれない。だけどいびつに始まった二人の関係は、こうしてちゃんとけじめをつけるべきだ。何より、紅葉なら笑ったりせず、喜んでくれるだろう。
紅葉の反応を想像して、にやにやしながら待っていると、すぐに紅葉が部屋に戻ってきた。お茶を入れてくれてから、向かいに座った。確かに普段は司もいるので、いつもの席だとこうなる。これはアルノが失敗だった。なので立ち上がって、紅葉の隣に座りなおす。
「隣、お邪魔するね」
「え、あ、ええ。どうぞ」
立ち上がって近づこうとするアルノに不思議そうな顔をした紅葉に、一応声をかけながらも返事を待たずに座った。紅葉は一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、戸惑いつつも頷いてくれたのでよしとする。
「ありがとう。うん。美味しいね」
元の席に合わせておいてくれたカップを取り寄せ、一口いただく。熱々より少し冷めた、ちょうどいい温度だ。紅葉は少し呆れたように苦笑してから、自分もカップに口をつけた。
そのカップがテーブル上に戻るのを確認してから、改めて声をかける。
「じゃあクレハ、プレゼントしてもいいかな?」
「ふふ。変な聞き方。もちろん、いいわ。お願いします」
「さぁ、開けてみて」
「ええ」
座りなおして体が斜めになるように紅葉に向かい、紙袋から出して箱を紅葉に渡す。紅葉も態勢をややアルノ向きに直してから受け取り、嬉しそうに目を細めた。目元から、優しさがあふれるような、柔らかな微笑みで、見ているだけで嬉しくてたまらなくなる。
紅葉は左手の上に箱を乗せて、右手の指先でそっと箱の表面を撫でてからゆっくりと箱をあける。金具の反動でぱかりとあっけなく箱は開いて、すでに紅葉も見慣れたネックレスが姿を現す。だけど紅葉はたった今初めて見たみたいに、ほうと小さく息をつきながらそっと箱をテーブルに置いて、丁寧な手つきでネックレスを持ち上げる。
「俺がつけてもいい?」
紅葉はアルノを見て、はにかみながら声を出さずに頷く。少し紅潮した頬で、可愛らしさの中から色気を感じる。アルノははやる気持ちを抑えながら、ネックレスを受け取る。アルノに背中側を向けて、うつむき気味になって右手で髪をどける紅葉。アルノはそのうなじの美しさに、その白い肌に口付けたい気持ちを抑えて、チェーンが引っかかったりしないようゆっくりとチェーンをまわして金具を止めた。
「はい、できたよ。見せて」
「ありがとう」
紅葉は手を下ろしてゆっくりと回って、右手の指先をネックレストップに添えるように触れながら、アルノに向けて微笑む。
「すごく、似合っているよ。とても綺麗だ」
「ありがとう、アルノさん。でも、くどいようだけど、もうこんなに無理しなくてもいいから、ね?」
「うん。わかってる。あのね、クレハ。聞いてほしいんだ」
「? なあに? なんでも言って?」
なんでも何て、簡単に言ってくれる紅葉は、だけどきっとアルノが多少無茶なお願いをしても簡単に叶えてくれるんだろうなと思わせるほど、優しい笑みを浮かべている。
こんない余裕たっぷりな紅葉が、アルノがプロポーズすればどんな反応をするのだろうか。アルノは少しだけ悪戯するみたいな気持ちで、早くなりそうな心臓を落ち着かせるように意図的にゆっくり呼吸をしてから、ゆっくりと言葉を出す。
「俺の国では、プロポーズをして結婚をする時には、ネックレスを贈るんだ。こっちで言う、指輪だね」
「えっ、そ、それって、その」
「もう結婚してる、なんて言わないでよ?」
「い、言わない、わよ」
アルノのこれだけの言葉で、もう何もかも伝わっているのだろう。紅葉は真っ赤になって、落ち着きのない子供みたいに目線を泳がせ、無意識にか右手を軽く閉じたり開いたりしている。
そんな姿に、くすっと笑って、アルノはそっと紅葉の右手をとって、それで自分に向いた紅葉の視線を捕まえるみたいに上体を紅葉に寄せて顔を覗き込む。
「クレハ、あなたが好きです。愛してます。一生、一緒に居たいです。俺でよければ、結婚してください。一緒に、幸せな人生を歩いてください」
「……はい」
紅葉はアルノを見つめたまま、かすかに震えながら頷いた。
もちろん紅葉の返事はわかっていた。だけどどうしてだろう。こんなにも、胸が熱くなる。お互いに気持ちはわかっていて、どうしてこんなに震えるほどの喜びと、叫びだしたいほどの情熱が体を駆け巡るのか。
「クレハ、口付けてもいいかな?」
「……馬鹿ね。そんなことまで、いちいち聞かないでよ」
可愛すぎる紅葉に、もはや何も躊躇う障害のなくなったアルノはそう尋ねたけど、紅葉は照れたのかそんな風に言いながら、ゆっくりと目を閉じた。アルノはそれに、黙って行動で応えた。
○
プロポーズをして、手続き的なものだけではなくて精神的にも夫婦になることが決まったアルノと紅葉は、それからたくさんのことを話した。具体的には結婚式について。元々いずれは上げることになってはいたが、こうなってはできれば早めにきっちり決めたい。
それに指輪だって二人で決めたいし、義務的に親族だけで、なんて冷たい式じゃなくて、幸せを他のみんなに分け合うような幸せな式にしたいし、友人だって呼びたい。もちろん親族にも正式にそういう関係であると伝えたいし、タイミングがいいことに、もうすぐアルノ側の親族の祖父と次兄が来るのだ。
どうせ父親は来られないだろうし、それなら祖父が代表だ。日程等について話すのにこんなに都合がいい人はいない。それと費用についてだ。紅葉の貯金だけに任せるのは抵抗があるが、これから二人で結婚式用資金として貯めるのは時間がかかり過ぎるし、半分ずつでアルノの貯金からと言うのも紅葉は難色を示した。
どのみちすぐにとはいかないので、数か月先になるので指輪などの費用はアルノでも折半できるが、さすがに式となると大きすぎる。と言うことで、祖父に相談することにした。と言うのも、貴族の婚姻は若年で卒業後すぐにすることも多く、式の費用は新郎側の家が全て負担すると言うのが一般的だからだ。
紅葉は貴族ではなかったが、アルノの実家がそのつもりでいるのなら勝手に紅葉側が負担しても好意ではなく逆に家を馬鹿にしているとみられる可能性もあるので、一度確認を兼ねて相談すると言うことで話は決まった。
「あー、お祖父様が来るのが、凄く楽しみになってきた。あ、その前に、クレハの両親の改めて挨拶に行ってもいいかな? あと、指輪はオーダーメイドで時間がかかるし、明日にも一度店に行こうか」
「慌てないで。うちはいつでも大丈夫だと思うわ。一応確認するけど。あと指輪は了解したわ。ところでアルノさん、私も聞きたいのだけど」
「なに?」
「その、不勉強で申し訳ないのだけど、アルノさんの国で結婚指輪の代わりで私にネックレスをくれたということだけど、私の側からは、何をプレゼントすればいいのかしら」
申し訳なさそうに眉を寄せながら尋ねられた。しかしその返答にはアルノは困った。何故なら、ネックレスは、心を守る、独占する、と言うような意味合いで一般的だけど、男性側にはこれだと型に決まったものがない。
同じようにネックレスを返すこともあれば、指輪や耳飾り、またはネクタイピンなどの装飾品が多いけど、場合によっては代々の家宝を渡すとか、何なら杖や万年筆などの実用品であることもある。
と言うことを説明すると、紅葉はうーんと考え込むように左手を自分の顎に当てた。
「アルノさんは、これがいいっていうものはないの? 例えばご実家では代々こうしてるとか、お祖父様はこうだったとか、そういうものでいいのだけど」
「代々決まってはないね。お祖父様は確かネクタイピンだったけど、俺には関係ないからなぁ」
「そうね。たまのデートの時しかつけないし。私も、できればあなたにずっとつけていてもらいたいもの」
さらりと言われた言葉は、紅葉は何にも思っていないようで自分の思考に没頭しているけれど、アルノは何だか紅葉の独占欲の表れのようで、何となく嬉しくてにやけてしまった。
「とりあえず、検討してみて候補が出たら相談するわね」
「うん。わかった」
「それじゃあ……あら、もうこんな時間だわ」
「ああ。本当だ」
ふいに紅葉が顔をあげたので、アルノも振り向いて壁にかかっている時計をみると、夕食の時間まであと30分ほどになっていた。まだ余裕はあるけれど、まだまだ夕方前だと思っていたので驚いた。
「着替えもしていないし、今日のところは一端解散しましょうか」
「わかった。じゃあクレハ、後でね」
アルノは紅葉の部屋を出て、だけどすぐに歩き出さずに、そのまま閉めたドアを見つめる。紅葉と正式に婚姻した。そして口付けも済ませた。真剣に式の話も進めている。
じわじわと、それらすべて含めての幸福感が改めてこみあげてきて、アルノはだらしなくにやつく顔を隠さずに、鼻歌混じりに踵を返した。このまま部屋に戻って一人でいても、気持ちが落ち着きそうもない。夕食時にも浮かれたままでは、紅葉に呆れられてしまうかもしれない。と言うことで、信彦の部屋に行って自慢することにした。




