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父と話そう

 夕飯に合わせて家に帰ると、信彦から電話がかかってましたと言われた。それだけならふーんと言うだけだが、かけてきていたのがアルノの実家からだと言うので話が変わる。

 どうやらこっちに来るつもりらしい。帰ったら連絡をするように伝言を承っているとか。


「へぇ。何しに来るんだろう?」

「旦那様の様子を見に、に決まってるでしょう。心配されてましたよ」


 そうだろうか、とアルノは疑わしく思った。別に家族と仲は悪くないし、良かったけれど。ニートになってからは当たりが強かったし、学園時代も騎士時代も家から出ていたけどそんな心配とかされてなかった。だって普通に考えて、大の男のことをそんなに心配するものだろうか。


「じゃあ、さっそくかけてみるか。電話番号は?」

「自分の家の番号も覚えていないんですか? と言いますか、訪問について話すなら奥様とでしょう? 普通に。旦那様はニートなんですからいつでもいいでしょうけど、奥様はお忙しいんですから」

「そういえばそうか。じゃあクレハ、お願いしてもいい?」

「え、ええ。わかったわ」


 スケジュールの確認の必要もあると言うことで、執務室に移動して電話をすることにした。アルノも少しくらい話すか、と言うことで着替えてから集まり、電話をかけてもらう。

 執務用の机には椅子が一つなので、座っている紅葉の横で、立ったまま机に軽くもたれる。上からこうして見ると、黒いつるっとした髪がよく見える。


『もしもし』


 通話を始めた。取り次いでもらい、父親と話し始めたらしいのを察しながら、手持無沙汰なので何となく紅葉の髪に触れてみる。一房持ち上げてみたり、こすってみたり、撫でつけてみたり。

 当然自分の髪なので紅葉はすぐに気づいて顔をあげる。話したまま、眉をよせて左手でしっしと追い払うしぐさをされた。ひどい。


『はい、その日程なら構いません。はい』


 仕方ないので、そのままぐりぐりと頭を撫でてみる。ほほう。なかなかいい頭の形だ。まん丸で、手触りもいい。


『少々、お待ちください』


 紅葉は電話口にそう言うと、アルノに受話器を向けた。


「はい、交代よ」

「あ、ありがと」


 いつのまにか会話が終わっていたらしい。受け取って耳をあてる。父親の息遣いが聞こえるかと思うと、少し気持ち悪い。


『はい、かわりました。アルノです』

『アルノか。元気にしているなら、手紙の一つもよこしなさい。皆、心配しているぞ』

『すみません。心配されているとは思っていませんでした』

『何だ? 怒っているのか? お前の希望通りの環境にしてやっただろうが。とは言え、やはり国外で、急な話だったからな。少しは悪かったと思っている』

『いえ、結果的にはよかったです。クレハと出会えたことは感謝しています』

『龍宮から聞いたが、いい仲になれたらしいな』

『はい。だから心配いりませんよ』

『だろうな。お前は昔から……まぁとにかく。何だかんだでどんな環境でもうまくやるだろうと思っていた。だが、わかるだろう? 父上は心配している。だからクレハさんには伝えたが、父上とエルマーが行くから、よろしく頼んだぞ』

『え? エルマー兄上が?』


 アルノの二人いるうち、下の兄がエルマーだ。上ならともかく、下の方はアルノに突っかかってくるところもあったので、家の中でもっとももアルノを心配していないと思っていたが、そうでもなかったのか。


『父上のお目付け役だ』


 疑問が透けていたらしく、そう付け加えられてアルノは納得する。例えば仮に祖父がまだ帰らないと言い張った時に、強引に連れ帰れるとすれば下の兄だろう。年齢の割に体格のいい祖父は、同じく体格のいいエルマーでなければ難しい。三人兄弟の中で、最も祖父の血を濃く引き、最も大きい体を持つのがエルマーだ。


『わかりました。では、楽しみにしているとお伝えください』


 予想外ではあるが、しかし来ると言うなら歓待しよう。わざわざ他国まで様子を見に来てくれるのだ。もうアルノもいい大人なのに過保護だなとは思うが、悪い気はしない。


 そこから少し近況について話し込んでしまった。まだこちらに来て、半年も経過していないが、何だかずいぶん久しぶりに感じた。せっかく電話と言う便利なものがあるのだし、そうでなくても、手紙の一つくらい送ってもよかったかもしれないと、反省した。

 実は母親からは先日手紙も届いていたし。返事を書いてあげればよかった。書く気はあったけど、面倒でまだ書いていない。あとで書くことにしよう。


『では、失礼します』


 電話を切る。ふぅと息をつくと、すかさず横からカップを出された。途中で紅葉が席を立ったのはもちろん気づいていたが、飲み物を用意してくれていたらしい。


「ありがとう、クレハ。ごめんね、急にうちの親が」

「いえ、他国に行った家族を心配するのは当然のことよ」

「と言うか、気づいちゃったんだけど、いい?」

「? なに?」

「俺、クレハの両親に挨拶してないよね?」


 とても今更ではあるけれど、結婚の役所的手続きしかしていない二人は、本来すでに踏んでいる段階を全くこなしていない。交際できた喜びで浮かれていたが、これは問題ではなかろうか。









 何故か紅葉には嫌がられたが、一か月後には祖父と兄が来てしまうのだ。その前に済ませたい。と熱く希望すると、調整すると請け負ってくれた。

 翌日にはもう日程を組んでくれて、とても急ではあるけれど、四日後の平日の夜、夕食を共にとることになった。


「クレハ、おかしくないよね?」

「大丈夫よ、アルノさん」


 そして当日。アルノは当然正装をしていたけれど、交際相手の親に会いに行くなんてしたことがない。レストランでのドレスコードならまだしも、相手の自宅に行くのに適した格好ってどの程度なのか。紅葉に確認して言われたとおりの格好をしたけれど、どうにも不安だ。


「と言うか、アルノさん。その確認、三回目よ?」

「わかってるけどさ」


 すでに家を出て車の中だ。なのでおかしかったとして、約束の時間も決まっているのでどうしようもない。それはわかっていても、手持ちぶさたで聞いてしまうのだ。


「アルノさんって、緊張とは無縁だと思っていたわ」

「緊張するよ。だって、初めてだし。と言うか、挨拶に来るのが遅いって怒られないかなぁ」

「大丈夫よ。失礼をするかも、なんて緊張する必要はないわ」

「そうはいってもねぇ」

「と言うか、逆にうちの親が失礼なことをするかもしれないから、先に謝っておくわ。ごめんなさい」

「……どんな人なのか、とても気になってきた」


 今更どうにもならない。ここは腹をくくっていくしかない。アルノはぎゅっと自分の手を握って緩めて、緊張を逃がす。

 はあ、と息をつく。そうしていると、紅葉が声をかけてくる。


「もうすぐ着くわ。ほら、あそこよ。あ」

「ん?」


 言われて顔をあげると、こちらへ向かって手を振っている男女が立っているのが見えた。


「……両親よ」

「なるほど」


 車は静かに近寄り、すぐ前で停車した。窓ガラス越しに会釈してから、車を降りる。


「いやぁ、初めまして、アルノ君だね。私は紅葉の父の秋人あきひとです」

「私が、母の美野里みのりです」


 すぐに二人がほがらかに挨拶してくれたが、こういう状態で自己紹介することは想定していなかった。ええっと。とりあえず普通に挨拶しよう。


「初めまして。ご挨拶が遅れましたこと、大変申し訳ございませんでした。こ」

「まあ、とりあえず中に入りなさい」

「あ、はい」


 玄関を開けて促された。確かに玄関先で長々話すのもおかしいけども。会話を遮る話し方に、紅葉が眉をしかめた。


「父上、無作法ですよ」

「立ったまま迎える方が無作法だろうが」

「まず玄関で待っているのがおかしいんです」


 とにかく、中に入れてもらった。ごく普通に周辺に並んでいるのと同じような一軒家で、メイドなどはいないようだ。ダイニングに通されると、すでに料理が用意されていた。


「さぁさぁ。まずは夕食にしよう。母さん」

「はい。さ、アルノ君も紅葉も。座って座って」

「は、はい」


 二人のテンションについていけないまま、アルノは気づいたら席につけられ、乾杯をしていた。二人はにこにこしていて、気のいい知り合いみたいな顔をしていて、戸惑ってしまう。とりあえず勧められるまま食事を開始する。

 あ、美味しい。とか思っていると、紅葉はカップに口をつけて形だけ食事を始めてから、二人に向かってため息混じりに苦情を言う。


「父上、母上。アルノさんが戸惑っているでしょう。なんですか、このいい加減な対応は」

「そうは言っても、仕方ないだろう。もう私たちは使用人のいる立場じゃないんだ。今のありのままの姿を見せるべきだと思ったんだ。それが、誠実と言うものだろう?」

「ありのままって、飾らないのが誠実さになるわけではありません。そんな風だから、父上は……すみません。今日は、こんな話をしにきたわけではありません」


 ついつい以前にもした言い争いの内容を口にしそうになって、紅葉ははっと口をつぐんだ。今日はめでたい報告にきたのだ。

 そんな紅葉に、父親の秋人


「わかっている。正式に夫婦として心が通じたから、挨拶に来たんだろう? アルノ君、君の義理の父として、一つだけ聞かせてほしい」

「はい。なんでしょう?」

「紅葉のことをどう思っているんだい?」

「はぁ? ちょっと父上?」

「もちろん、愛しています」

「アルノさん! 馬鹿真面目に答えなくてよろしい!」

「もう、紅葉ったら。そんな風に声を荒げて、殿方の会話を遮るものではないわ」

「だからそういう……ああもう!」


 突然切り出す父に、普通に答える夫、おっとりと注意してくる母に、紅葉は頭をかかえて怒鳴った。

 普段はすました紅葉も、両親の前ではこんなにも簡単に感情的で、子供みたいになるとは。アルノは驚いたけど、それが許される関係を築いているのだなと思った。

 アルノの家では、どうしても父親は多忙で顔を合わせることもそうそうない。週に一度あるかないかだし、距離を感じるものだ。だからこんな風に、物理的にも近い距離で普通に話をしているのは新鮮だった。


 紅葉の反応に、秋人は笑ってから、アルノに向かって改めて口をひらいた。優しい父親の顔をしていた。祖父以外からそんな顔を向けられるのは初めてで、何だかアルノは嬉しいと共にくすぐったくなってしまう。


「ありがとう、アルノ君。こんな娘を愛してくれて」

「いえいえ。とても素敵な娘さんで。むしろ、こんな素敵なお嬢さんを育ててくださって、ありがとうございます」

「まぁ。アルノ君って、とってもいい人ね。王子様みたいだわぁ」

「ありがとうございます。光栄です」

「二人が愛し合っているなら、私たちから言うことは何もない」

「結婚式には呼んでほしいけど、時期も落ち着いたらでいいし、いつでもあわせるからね」


 美野里の言葉に、秋人は顔を向けてにっこりほほ笑んでから、またアルノを見る。

 

「ああ。二人のペースで、新しい生活をつくっていきなさい。紅葉をよろしく頼んだ」

「はい。ありがとうございます。御義父様、御義母様」


 今まで、貴族ではないと言うことを、深く考えていなかったけれど、こんな風に気取らない夫婦を見ていると、これがそういうことなのかな、とアルノは思いながら頭をさげた。紅葉は照れくさいようで、拗ねたような眉をよせた顔で、会話に参加せずに料理を口に運んでいた。

 そんな二人を見て、二人は顔を見合わせてにっこり笑って、二人だけでまた乾杯をした。


「よし。今日はめでたい日だ。いやー、結婚させてよかった。まさかこんなにすぐに、二人が仲良くなるとは」

「そうねぇ」


 それからは、まるで前から知り合いだったみたいに気安く、会話をしながら食事をした。昔の紅葉のことも聞いたりして、紅葉は怒っていたけれど、アルノはとても充実した時間を過ごせた。

 迎えを呼んで、挨拶してから家を出た。車にのっても、まだ紅葉は二人に色々な昔話なんかをされたことに腹をたてているらしく、膨れっ面だ。そんな顔を見ていると、つっつきたくなるけど、余計に怒られるだろう。

 それにアルノもまだしばらく、楽しかった余韻に浸っていたかったので、一言だけ感想を伝えることにする。


「クレハ、楽しいご両親だね」

「……だから、緊張する必要はない、と言ったでしょう?」

「確かに」



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