魔法を見せよう
腹ごなしにぶらついてから、公園をぐるっと回ってベンチの一つに並んで腰かけた。天気も良好で、このまま一人でのんびりしていたら、寝てしまいそうなくらい、いい陽気だ。
空を仰いで息をつき、そっと右側の紅葉を見る。紅葉は微笑んでいる。何だか、くすぐったい笑顔だ。魅力的だなと思うと同時に、何故だか少し恥ずかしくなる。何もかも見透かされているみたいで。
「クレハ、いい天気だね」
「そうね。もうすぐ雨季になるけど、それまでは基本的に天気がいい日が続くわ」
「そうなんだ。それはいいね」
「私は雨も嫌いじゃないけれどね」
「そうなんだ? どうして? 土砂降りの中走り抜けるのが気持ちいいから?」
「そんな特殊な趣味はないわ」
特殊な趣味と言われてしまった。アルノの国では、夏季は特に突然の大雨が短時間だけ降ると言うことが少なくない。当然用意なんてないので、皆が止まって雨宿りをする。雨宿り中の、なんとなくゆるやかで見ず知らずの人と話して時間をつぶす時も好きだけど、そんな数メートル先が見えないほどの土砂降りの中で、人のいない街道を何も考えずに走るのは気持ちがいいのに。
紅葉はアルノの問いかけを思い切り冗談だととったらしく、肩をすくめて否定すると、そうじゃなくてと言葉を続ける。
「そうじゃなくて、雨が降っているときの、他の音が聞こえなくなる時とか、雨上がりの虹の美しさとか、そういうところよ」
「あー、それもいいよね」
確かにそれも悪くない。大雨の中、聞こえないのをいいことにふざけて叫びまわったり、虹を追いかけて走り続けた少年時代を思うと、少し心がワクワクする。
紅葉とは全く楽しみ方が違うのだが、それに気づかず相槌をうつアルノに、紅葉は微笑みながらも苦笑する。
「ええ。でもどれも、しばらくお預けね」
「あ、でも、虹だけなら見れるよね。一足先に見てみない?」
「え? ああ、アルノさんは器用だものね」
提案すると、きょとんとしてから公園を見渡して納得したように頷いた。どこに納得する要素があったのかアルノには理解できなかったが、了承をもらったので、早速虹をつくることにする。
「どのくらい大きくしよっか」
「指定できるの?」
「もちろん」
「じゃあ、他に人もいるし、小さいのでお願い」
「了解」
さて、ではどのくらいの大きさにするか。そう難しいものでもないので、頑張ればこの公園を覆うくらいはできるけれど、今回は小さいものをご所望だ。
となると、見やすいように手のひらサイズ、くらいがわかりやすくて、手に触れる距離の虹と言うのも印象的だし見映えもいいだろうか。
よし、とアルノは頭のなかに規模を思い浮かべ、膝の上に置いた右手の人差し指で、とんとんと膝を叩いてリズムをとる。そして集中して力を集めて、心を込めて唱える。
「光よ、輝け」
頭の中でしっかりイメージして、正確に魔力を流し、声を出すのに合わせて右手の手のひらを胸の前まで持ち上げる。それに反応して、アルノの右の手のひらの上で光がわかれだし、小さな七色の橋が姿を見せる。
「……えっ!? え? いや、ちょっ、えっ? ある、アルノさん?」
「うん? なに?」
我ながら完璧に、大きさ角度共に想定通りにできた。と自画自賛しながら、何故か戸惑いの声をあげた紅葉を振り向く。
紅葉は目を真ん丸にしていて、年よりずっと年下に見えて可愛い。けれど、何をそんなに驚くことがあるのか。
「い、今の」
「うん。魔法だけど。ちょっと得意なんだ」
現代において魔法はあくまで趣味と言うのが一般的ではあるけど、貴族の多くが幼少期に習わされる。楽器を習うのと同じくらいだ。向き不向きが大きいのが、かつて魔法が兵器だった頃、貴族は強大な魔法が使えるほど持て囃された名残で、基本的に今も貴族の多くが魔法は得意だ。
その中でも、アルノの家は古くから貴族同士の婚姻を続けてきたので、比較的魔力がある方だ。そして本人の気質にも合ったらしく、魔法は得意だし、教師からも魔法使いになれると言われた。
最も、魔法使いとして生計をたてるのは、芸事で生計をたてるのと同じだ。道は険しく、そもそも清く正しい騎士を目指していたアルノにはいくら才能があっても、魔法使いの道は望まなかったが。
しかしそれなりに楽しんで学び身につけた魔法なので、自信があるし、どや顔でそう胸をはった。そんなアルノに、紅葉はぽかんとした顔のまま口を開け閉めして、ゆっくり口を閉じて右手で口元を抑えた。
「ほ、本当に、魔法なんて、あったの?」
「え? あるよ? 普通に。え? 確かに、こっちで魔法を使う人はほとんどいないって聞くけど、まさか魔法の存在そのものを信じていないってことはないよね?」
以前に庭師の正明と話した時にも、普通に魔法を使わないのかと聞かれたことがある。なので、魔法がある、ということは当然のこととして知られていると思っていた。しかしこの紅葉の反応。まるで、魔法そのものが夢物語だと思っていたかのような反応だ。
紅葉は眉を八の字にして、困ったように視線をそらす。
「……だ、だって、見たことがないんだもの」
「えー……」
情報が溢れる現代において、見たことがなくても実在するものなんて沢山あるだろう。例えば図鑑一つ見たって、そのすべてを見たことがある人がいったいどれだけいるのか。殆んどの人が見たことがなくて、だけど書かれているものの存在を疑うことなんてないだろう。
見たことがないから、存在を信じてなかったなんて、乱暴な話だ。呆れてしまう。
「あのさぁ、クレハ。泳いでいるのを見たことがなくても、深海魚は存在してるって信じてるでしょ? それと同じだよ?」
「し、深海魚って。そう言う扱いなの?」
「そう言うって言うか、うーん。と言うか、クレハ、言ってもいい?」
「え? な、なにを?」
「俺は、クレハに喜んで欲しくてやったわけだけど、嬉しくなかった?」
驚いている顔も可愛いけど、そんなに戸惑ったみたいに混乱されると、何だか悪いことをしたみたいな気になる。アルノは単純に、紅葉の笑顔が見たいから、虹をつくったのに。ただそれだけだったのに。
魔法を自慢する面が全くないとは言わないけど、ちょっとした特技を披露するくらいのつもりで、そんなに引っ張って話すつもりもなかった。こっちでは珍しいのだから、喜んでくれるだろうと思ったのに。
そうガッカリしながら尋ねると、紅葉ははっとしたように眉をあげてから、虹を見てアルノを見て、いやっと声をあげた。
「ちがっ、そ、そう言うわけじゃないのよ。その、ごめんなさい。驚きすぎただけで、うん。綺麗よ、綺麗。嬉しい。嬉しいわっ」
「そんな、無理はしないでいいけど」
「ほんとよ……その、ごめんなさい。頭がついていかなくて、虹の綺麗さを、楽しめなかったの」
紅葉はしゅんと肩を落としたアルノの背中にそっと手をやり、ゆっくり撫でて慰めつつ、アルノの様子をうかがいながら気まずげに口を開く。
「アルノさん、その、よく見せてもらっても、いいかしら?」
「もちろん」
ささ、どうぞ。と急にニコニコして右手を差し出すように紅葉に向ける。紅葉はまじまじと顔を寄せて見る。
「ねぇ、触ってもいい?」
「触れないけど、どうぞ?」
紅葉がそっと右手をだして、人差し指だけ伸ばして光のある部分をつつく。だけどもちろん、触れられるわけもなく、指は光の帯を通り抜ける。
「ああ……何だか、凄く、不思議な気分だわ。それに、綺麗……影になっているのに、見えるのね」
「うん。陰って言っても、真っ暗でなければ光があるわけだからね。俺はそれの一部をわけて光が見えるようにしてるだけだよ。水晶でも同じようになることあるでしょ?」
「これって、プリズムみたいなことを、魔法によって行っていると言うこと? 意外と科学的なの?」
「科学的って言うか、単に自然におき得ることだし、科学的、なのかなぁ?」
そもそもアルノにとって魔法は技術のひとつなので、改まってそんな風に言われてもピンとこない。口笛を鳴らして、科学的と言われるようなものだ。全ての現象が、突き詰めれば理屈があり、科学的と言えなくもない。
首をかしげるアルノを見て、紅葉はほぅ、と息をついて、ゆっくりと微笑んで、小さく声をもらす。
「……凄い。アルノさんって、本当に、王子様みたいね」
そういわれて紅葉を見ると、何だかうっとりとした柔らかくて可愛らしい顔をしていて、アルノまでうっとりしてしまう。何て愛らしいことを言うのだろう。王子様みたいなんて、少女だって言うのを躊躇うことを。
「じゃあクレハは、お姫様かな?」
微笑んでそう言うと、紅葉は小さく口を開けてはっと息を吐いて、頬をカッと染めて視線をそらした。
「な、何よ、急に。お姫様なんて、お、おかしなこと言わないでよ」
「おかしなことって、クレハが先に王子様って、言ったんじゃないか」
「えっ……え? く、口に出てた?」
「出てたよ」
紅葉はカーっと、さっきとは比較にならないほど真っ赤になった。無意識に言ってたのか。何それ。可愛すぎる。
「そ、それ、は、えと、な、なんと言うか。誤解よ。違うの。そんなこと言ってないわ。そう、空耳なの」
何を言っているんだろう、この可愛い人は。ここからさらに突っついて、可愛がりたい気持ちになったけど、まだ付き合いたてだし、ここは引いてあげることにする。
「そうなんだ。じゃあ仕方ないね」
「そ、そうなの。仕方ないのよ。そっ、それより! その、魔法について、もっと知りたいわ」
「わかった。何から知りたいの?」
「そもそも、どういう仕組みなのかよくわからないのだけど」
虹は消して、説明を交えながら魔法を見せたりすると、紅葉は子供のように喜んでくれて、魔法を覚えていてよかったと心から思った。




