アプローチをしよう2 紅葉side
アルノがいつもと違う、言いたげな雰囲気だとして、それを聞くことは怖い。だからなかったことにする。
まだ、アルノから言い出さないのなら、それがどんな内容だったとして猶予があると言うことだ。ならその前に、紅葉が頑張ればいい。そう、そしてそれは今だ。
景色の良さも、天気のよさも、穏やかで心地よいこの空間そのものが、アルノがいるからあるものだ。アルノがいなければ、一人でここに来たって意味がない。
これをずっと保っているためには、頑張らなければいけない。それを改めて感じて、紅葉は姿勢を正した。
「……」
沈黙する間も、ちっとも苦痛ではない。ちらりとアルノを見ると、のんびりと前の景色を見ている。隙だらけだ。ゆっくりと息を吐く。怪しまれないよう、落ち着いて。
手汗が出てきたので、そっと拭う。
やることは簡単だ。ベンチの上に置いてある、アルノの手に重ねるだけだ。握るよりさらにハードルは低い。
それでいて、好意は伝わるはずだ。今まで散々つれない態度をしてきた。だけど、本意ではない。勇気を出さないといけない。アルノが歩み寄ってくれたように、紅葉も、近づかないと。そうでないと、本当の夫婦として寄り添うとは言えない
「……」
口の中にたまった唾を飲み込む。左手が震える。ぐっと手を握ってそれを止める。そして視線は前にむけたまま、手を開いて、左手をそっと膝からおろした。
その熱に触れた瞬間、思わず手を引きそうになったけど、思い切って力を入れてベンチに手をつく。アルノの手ごと押しつぶすように。だけどもちろん、アルノの手は潰れたりせずに紅葉の手を乗せている。
「クレハ?」
突然の紅葉の行動に、アルノは驚いたような声をあげる。それに耳まで熱くなっているのを自覚しているけど、何でもないみたいに微笑んで見せる。
「なに? アルノさん」
これが、精一杯だ。
そんな紅葉に、アルノは目を開いて口も開けて、これ以上ないくらいの笑顔を向けた。嬉しくてたまらないような、何か素敵なものを見つけたような、そんな純粋な笑顔で、向けられただけで頭が真っ白になりそうだった。
「クレハ……好きだ」
「……え?」
そんな笑顔に見とれていたので、言われた言葉が理解できずに聞き返してしまう。
「あ」
そしてそれに対してアルノは、自分で言って驚いたみたいにきょとんとして、それからまた微笑んだ。
何でもないみたいに、ごく普通のことをするみたいに、アルノは紅葉の手をとった。そして未だ頭がついていかない紅葉に向かってそっと、優しい声で言うのだ。
好きだと。形だけでは嫌だと。恋人になってほしい、と。
「え、あ……えっ」
それを聞いて、ようやく展開に追いついて、そして一気に混乱した。
「えっ!? な、こ、こ!?」
こ、恋人!? え? 今告白された!? は!? え!?
突然すぎる。さっき手を重ねただけなのに、効きすぎている! こんなの予定にない! 予定ではこう、ちょっといい雰囲気になって、帰り道も手を繋いだりしちゃってから、来週のデートを約束したりして、とか、そう言うところからアピールしていくはずだったのに!
固まってしまって、何といえばいいのかわからなくて、だけどじわじわと喜びがしみ込んでくる。
アルノの言葉は、疑う余地がない。こんなにまっすぐに目を見て言われて、信じない訳がない。突然すぎたけど、計算外だけど、本当にアルノが紅葉を好きだと言ってくれるなら、これ以上に嬉しいことはない。
嬉しくてたまらなくて、だけどどんな顔をして何を言えばいいのか、頭の中はめちゃくちゃで、やたらとアルノに握られた手の熱さとか、全身から噴き出る汗とか、そんなことばかりが嫌に敏感に感じられて、口を開けたままなのに喉が震えずに音が出ない。
「ぷっ。く、くくっ」
何か言わなきゃ! と焦る紅葉に、耐えきれないとばかりにアルノが噴出した。その瞬間、飛び上がるほど驚いてしまう。
え、わ、笑った? え、もしかしてからかわれてる? そんなでも、たちが悪いそんな冗談を言うタイプとは思えないし。
混乱しすぎて目が回りそうな紅葉に、アルノは笑いをこらえて、悪戯っぽい笑顔のまま、何とか言ってよと促してくる。
「何にも言わないと、オッケーだって、勝手に解釈しちゃうよ?」
冗談なんかじゃなくて、無様にも動揺してしまっている紅葉の反応から、アルノは紅葉の気持ちに気づいている。それが分かって全身が溶けそうなほど恥ずかしくて、でも何か言わなきゃいけなくて、とにかく声を絞り出す。
「あ、ぐ……お、おけ、お、オッケー、です」
何だ、オッケーですって。軽すぎるしそんなの紅葉のキャラではない。アルノの言葉につられ過ぎだ。逐一自分のらしくなさに後悔する紅葉に、アルノはにかっと太陽みたいに笑って、躊躇いなく紅葉をそっと抱きしめてきた。
「あ、あ、あ、ある、あるのさんんん?」
え、ちょ。だ、抱きしめられてる!
そのことに遅れて気が付くけど、だからどうしたって話で、分かったからってどうすべきか。ていうかちょー汗かいてるし匂いとかしないかなとか考えたら余計汗がじわじわしてくるし、アルノの胸に頬をあてる形になるからその胸板の厚さにどきどきしてやばいし、ていうか化粧が服についてしまうし、でもこれを拒否したら悪いし、そもそも自分だってどうせならもっとアルノを感じたい!
混乱のあまり言葉とも言えない声を思わず漏らしてしまったけど、アルノが気にしていないみたいに黙って抱きしめているから、紅葉も腹をくくってそっと、手をアルノの背にまわした。
するとぐっと頭にも何かが押し付けられて、これアルノの頭なのではと気づいて死んだ。
○
アルノの気が済むまで抱きしめられた紅葉は、長湯した後のようにぼんやりした状態になっていて、そっと離されたけど言葉が出なかった。
まっすぐアルノの顔が見れなくて、顎を引いて視線をさげてしまう紅葉に、アルノは何気なくその右手を紅葉の頬にあてるようにしてそえて、小指を顎に引っ掛けるようにして顔を持ち上げた。当然、視線が合う。
「あ、アルノさん!?」
「ごめん、強引で。でも、紅葉の顔が見たいから。顔、下げないでよ」
促されるまま顔を上げるもののやっぱり恥ずかしくて名前を呼ぶも、アルノは微笑んでそう言うと手を下げた。
そんな風に言われたら、顔を下げるなんてできない。と言うか、もう全然だめだ。なんだこれ。
アルノの好みになれるように、大人っぽく、年上らしくいようと思ったのに、リードするどころか手のひらで転がされてしまっていると言ってもいい。おかしい。
告白だって、あんなに慌ててめちゃくちゃになる予定ではなかった。計算が崩れた。もちろんアルノが紅葉を好いてくれているなら、それ以上はないし早まったのはいいのだけど、あそこまで狼狽えるのはない。もっと普通に答えたかった。
いや! 今からでも遅くない。そう、いつだって遅すぎることはない。少なくとも人間関係にのみ限れば、誠意を見せるのに手遅れ何てことはない。いつだって決めた今がその時だ! それが紅葉のビジネスの鉄則だ。
「アルノさん。その、さっきはみっともないところを見せてごめんなさい」
「ん? ああ、全然。むしろ、可愛いとこ見せてもらっちゃって、ありがとう」
「ぐ」
う、うううぅ。否定的な感情で受け止めていないのはありがたいけど、恥ずかしいのは違いない。あんなにバカみたいな反応していたのに、可愛いって。年下の癖に、アルノは余裕があり過ぎるのだ。
そうだ、アルノなんてこんな馬鹿みたいにイケメンで、神様が依怙贔屓したとしか思えない美形で、王子様と言う夢と希望をつめこんで具現化したみたいな容姿なのだ。
こんなの、絶対モテモテでウハウハで、それこそ生まれた時から女性に囲まれてきたに決まっている。紅葉とは異性交遊における経験値が違いすぎる。別にそれで自分の経歴を恥じるつもりもないし、男性に純潔性を求めるわけではないけれど、悔しい。とりあえず悔しい。
アルノの好み関係なく、歩んできた人生を誇りに思っている紅葉として、いいようにからかわれて悔しくない訳がない。年下でなくたってからかわれたくないのに、相手は6つも年下なのに。
「……」
でも何が悔しいって、悔しいとは思っているのにそんな風に穏やかに微笑まれてしまって、そんなアルノにときめいているし、そんなアルノを好きだと思っている自分に悔しい。
「あれ、怒った?」
「……別に、怒ってないわ」
「そう。よかった」
ぐむむ。怒ってないと言ったけれど! 普通に信じて安堵するところじゃない! 紅葉は子供っぽくも怒っていることが分かりやすく、眉をしかめながら言ったのに。
むくれる紅葉を嘲笑うように(当然そんなつもりはないだろうけど)、アルノはさらににこにこと微笑む。
「クレハ、好きだよ」
「! さ、さっき聞いたわ」
「何度でも言いたいくらい、好きなんだ。駄目?」
「べ、別に、駄目じゃないわ。と言うか、何でも駄目かって聞くの、やめてよ……」
好きと言ってもらう分には、何度言ってもらってもいいけど、駄目? と聞かれるとどんな内容でもかなえたくなるし、やめてほしい。でもその駄目? ってちょっと小首傾げて聞く顔はあざといくらい可愛すぎて何度でも見たい。何というジレンマ。
「あれ、駄目?」
「だ、だから……駄目ではないけど、その、困るから」
「そうなの? じゃあ、あんまり好きって言わない方がいい?」
「!? そ、そうじゃないわ。その」
駄目って言ったのはそのことじゃない。だけどどういえば伝えられるのか。アルノは本気で嫌なことを提案してきたこともないし、構わないと言えば構わないのだけれど。
「……私も、好き、です」
結局、曖昧のまま、脈絡もないけど、気持ちだけを伝えた。
さっきは言えなかった気持ちを、きちんと言葉で伝えたのだ。これは大きな一歩だ。
「ありがとう、クレハ。俺も大好き」
たとえ、軽くアルノがさらなる好意を伝えてきて、言葉に詰まって再び無様な姿をさらしたとしても、進歩してないわけでは、ないったらない。




