アプローチをしよう 紅葉side
アルノを手に入れたい、そう思った紅葉は、まず司に相談した。と言っても、今日は仕事が休みで、すなわち司も休みだ。
朝食後、携帯通信機での相談をした。業務外で司に連絡したのは始めただけど、顔を合わせていないと、思っていたよりずっと素直に気持ちを伝えることができた。
『ようやく観念されましたね』
「その言い方はともかく、まぁ、そうよ」
『とは言っても、特にアドバイスすることもありませんけど』
「ええ? そんな冷たいことを言わないでよ」
せっかく恥を忍んで相談しているのに、さらっと流されそうになって、思わず非難する紅葉に、司はため息をついた。
『冷たくありません。そんなの、先日にもうしたじゃないですか。アプローチしてください』
「う……そうよね。それしかないわよね」
『はい。もうすぐにでもデートに誘ってください』
確かにその通りだ。デートに誘って、積極的にアプローチする。それしかないのだ。ただ、どうにも勇気が出なくて司に背中を押してほしくて電話をしたのだ。ただ、それだけなのだ。
紅葉はぐっと口を結んで、司に話したことで頭の中もすっきりしたので、気合を入れる。
「そうね。じゃあ来週にでも」
『呑気な事をおっしゃって。せっかく三連休なんですから、今日でも明日でも誘いましょうよ』
「えっ、そ、それはさすがに急すぎないかしら。何というか、がっついているみたいじゃない?」
『がっついてくださいよ、27歳』
「つかっ! う、うう、司ぁ……あなた、まじで、この、年齢を言うのはやめなさいよ」
元々少しは気にしていた年齢だけど、アルノと年の差があることつい年齢を意識せずにはいられない。だと言うのにそんなことを言われて、本気で切れて怒鳴りそうになったが、万が一にも外に声が漏れてしまったら大変だ。
歯を食いしばって耐えた紅葉に、電話越しにもそれを察した司は気まずげに声をだす。
『あー、その、なんかすみません。逆鱗にふれてすみません。でも本当に、旦那様って顔はいいわけですし、お嬢様が公認で愛人OKお金出すとおっしゃられたわけで、本気で愛人になりたいって人が出ないとも限りませんよ。もちろんそれで別れるならいいですけど』
「う。そ、それはその、嫌だけど」
『では、頑張ってください。私はこれから忙しいので。ではお嬢様、よい休日を』
「あ、ちょっと」
引き留める間もなく切られた。紅葉はうーと子供じみた唸り声をあげて、携帯通信機を机におろした。
しかし結論はすでに出ている。やるしかないのだ。
昼食の時間に誘うしかない。さすがに今日の今日と言うのは少し。明日だ。明日にと誘おう。さっそく今から明日のデートの服装も考えておこう。
クローゼットをあけて、引っ張り出して組み合わせ、鏡の前で悩んでいると、昼食の時間になったので、気持ちを切り替えどきどきしながら食堂へ向かう。
そして昼食をとりながら、会話にも区切りができたところで改めて口を開く。一緒に出掛けませんか?と。
思っていたよりすらすらとは言えなかったけれど、アルノは気にせず了解し、無邪気に喜んだ。そして明け透けに好意を隠そうともせずに
「クレハの為なら、予定があっても優先するよ」
なんてことを甘い微笑みで言うのだ。なんだこの人は。すでに惚れられているのかと己惚れそうだ。誰にでもこんなことを言うイケメンとか、何という悪魔なのだろうとすら思ってしまう。恐ろしい。だけど言われて悪い気分ではないし、肩ひじ張らずにアプローチすると決めたのだ。
紅葉は何とか素直にお礼を言う。
行き先はアルノの提案ですんなりと決まった。何度か行ったことのある近場の観光地だ。そこなら穴場も知っているし、紅葉がリード可能だ。
それにピクニックとくれば、お弁当だ。ここは普段見せれない女らしさをアピールするのだ! と思い切ってお弁当作りを提案する。
一瞬黙って用意して、と考えたけどアルノが注文したり、最悪先に手作りされたりしたらたまらない。女子力の高いイケメンとか、天使か。
とにかく、それにもOKをもらった。お弁当は何とかなるだろう。学生時代は休日は学食が使えないので、それなりに料理もしていた。それほど凝った料理は無理でも、ピクニックくらいわけはない。
あ、そうそう。ピクニックとなれば服装も考えなければ。今までは何だかんだいつもの普段着だったけれど、そんなお堅い服だけではなく、女性らしいところもあるのだとアピールしたい。さっそく司に相談して、最悪服を買いに行かなければ。
うきうきしながら昼食を終えて部屋に戻ろうとすると、アルノに声をかけられた。
「ねぇクレハ、この後部屋に遊びに行ってもいい?」
「えっ、だめっ」
そ、それは、是非! と言った方がいいのはわかるけど、今はまずい。服が出しっぱなしだ。それに明日のことを考えるのに、どれだけ時間があっても足りない。
思わず答えてから、言い方があまりにもまずい。何とかフォローしながら部屋へ退散した。
あー、やってしまった……。
いや、落ち込むのは後回しだ。今はできるだけのことをしよう。紅葉は自分の頬を叩いて気合をいれて、携帯通信機を手に取った。
司はとても面倒そうに、そして嫌々感を隠さずに電話にでたが、なんとか相談にはのってもらえた。
○
さて、ピクニックだ。お弁当を手に玄関に向かう。アルノはまだ来ていない。アルノは紅葉が待っていても、慌てたりしない。きちんと約束の少し前に来る。
下手に気をつかって紅葉より前に来られても、それはそれで紅葉もさらに前に来たりしても意味がないので、いいのだけど。だけどやっぱり、女性との待ち合わせに慣れているのだなと思ってしまう。今だって
「そう言う服も似合うよ。可愛いね」
なんて平然と言うのだ。その気軽な一言で、どんなに紅葉が嬉しいか。浮かれて空に浮き上がりそうか、そんなことはわからないのだろう。だけど嬉しい。頑張って服を選んだ甲斐があるというものだ。
お礼を言って、そっと似合ってると言葉を返す。本当はカッコイイ! まで言えたら満点だけれど、さすがにそれは。
それにアルノは年上が好きなのだから、容姿にきゃーきゃー叫ぶようなところはマイナスだろう。あくまで年上の余裕を見せるのだ。
話は何となくアルノの学生時代へと進んだ。
軽く話しているが、女性の登場回数が多い。嫉妬してしまいそうだが、アルノも気を遣っているらしく、そういう感じのストーリーは一切なかった。
それにアルノが軽快に身振り手振りをまじえて、面白おかしく話すものだからついつい引き込まれてしまう。他国との文化の違いは認識しているつもりでも、主観を交えてされると一風変わって聞こえる。
それに、そうでなくてもアルノの話は面白くて、すぐに目的地へとついてしまった。
「それで、あ! 見えてきたっ」
アルノの声につられて顔を向けると、前方に目的地が見えた。途端に子供みたいに目を輝かせて、早く行こうと急かしてくる。
可愛くて仕方ない。もうほんとに。くすくす笑っていると、アルノは紅葉の背中を押してきた。
そうはいっても、力なんてはいってなくて、紅葉が立ち止まろうと思えばできる程度だったけど、アルノに触れられていると思うと背中でも気恥ずかしくて、つい逃げるように足を速めてしまう。
だと言うのにアルノときたら、早く見たいんだもん、何て言って子供そのものだ。それでも意識する自分もおかしくて、笑ってしまう。もう、アルノに関しては何をしていても好きだと感じてしまう。
その後も肩を抱かれたり、どきどきポイントはあって、どんどんアルノのことを好きになってしまう。アルノにアプローチして好かれるつもりが、逆に自分こそ好きになっていく。
気にしない素振りで、普通に会話をしているけど、心臓が加速するのは止められない。この人はどうやったら自分だけを見てくれるんだろう。本気で知りたい。
こんなにも人を好きになるなんて、知らなかった。紅葉はそんな自分をさとられないよう、アルノを連れて歩く足に力をこめてぐんぐん進んでいく。
穴場である、丘の中腹にやってきた。ベンチもあって、人気もなくて、最高のデートスポットだ。友人とのお花見スポットだったけど、本日からデートスポットになった。
アルノにも好評なようで、機嫌よくベンチに腰掛けると、思いのほか位置が近くてどぎまぎしてしまった。
だと言うのに、アルノと来たら平気な顔だ。悔しい。好かれるために年上ぶるのとは関係なしに、紅葉は負けず嫌いなのだ。年下に動揺していることを悟られたくはない。
平静を装いながら、昼食を開始する。
「ん。美味しい。粒マスタードがきいてておいしいよ」
こそこそ様子を伺って、言葉だけでなく表情も確認したが、気を遣われたわけではなく素で言ってくれているのを確信し、アルノの言葉に内心ガッツポーズをする。アピールはばっちりだ。
食事を終えて、のんびりとお花を見る。この時間のなんと穏やかなことか。
アルノと言うかけがえのない存在をこの場で独り占めして、特別な時間を過ごしている。こんなに幸せなことはない。例えアルノに特別な感情はなくても、かけがえのない時間にはかわりない。
そう堪能していると、ふいにアルノは真面目な声を出した。
「クレハはなんで俺と結婚したの?」
え? 結婚、自体は政略結婚として家の利益のために決まったものだ。アルノ側ならともかく、紅葉の家にはプラスしかない縁談だ。
しかしアルノはどうやら、自分の家の方が大きいので無理にねじ込まれたのではないかと、気にしていたらしい。そこはしっかりと否定しておく。
とは言え、だとすると、本当に紅葉の最初の態度は最悪だの一言に尽きてしまうのだけど。アルノはそこには触れない。優しい。
「……あのさ、クレハ」
と、話が区切れたところでまたアルノが真剣な顔で何かを言いかける。
その表情は何だか切なそうで、見ていると胸が苦しくなる。何を言われるのか。もしかして、本当に愛人を作ったとか?
「ごめん、なんでもないよ」
緊張するが、数秒間をあけてから、アルノは微笑んでそう否定した。
気になる、だけど聞きたくない。と言うジレンマで、紅葉はそこには突っ込まずに、相槌を打つだけにとどめた。




