ピクニックに行こう3
「よし、ここよ」
公園に入ってから紅葉に誘導されるまま進むこと30分強。割と坂道を登らされた。紅葉は大丈夫かな、と少し思ったが、軽やかな足取りで進んでいた。
丘の手前にあった大樹を避けて、回り込むように時々ベンチやひらけた休憩所があるハイキングコースを上がっていき、紅葉に示されたのはまだ頂上ではない、道途中にある休憩所だ。
立ち止まって言われるまま顔をあげると、大樹を少し下に見下ろし、綺麗に並んだ木がまるでそれぞれが一つの花のように見える。
「いいね。上から見ても絶景だ」
「でしょう? 一番上だと、また人も増えるから、このくらいがちょうどいいのよね」
紅葉はベンチに座ってアルノを促してくるので、お隣に失礼する。ベンチに横並びだと自然と距離が近い。自分から近づくのは慣れているけど、意識せずに近いと不意打ちで少しどきっとしてしまう。
誤魔化すように笑顔で殊更元気に、持っていたバスケットを膝に乗せる。
「じゃあ、お楽しみのお弁当にしようか」
「そんなに楽しみにしていたの?」
「もちろん。ハードルあげちゃうよ」
「いいけど、勝手に期待しすぎてがっかりしても、私のせいにしないでよ」
「心配性だなぁ」
軽口をたたきながら、目で了解を取って蓋をあける。中からはサンドイッチがでてきた。サラダも入っていてプチトマトの彩りがいい。無難でちょうどいいチョイスだ。
顔をあげると少し不安げな紅葉と目が合ったので、にこっと笑う。
「おー、美味しそう。ありがとう、クレハ。俺のためにわざわざ作ってくれて」
「まぁ、私も食べるから、それにそれほど手間でもないわよ」
「クレハって女子力高いんだね、意外に」
「最後の言葉は余計よ」
「あれ? 自然なつもりだったんだ」
からかうと口をつぐんで眉をよせた。実際、仕事ばりばりしているから、家事とかできるとは思ってなかった。紅葉もそれは自覚しているらしく、膨れ顔だけど反論するつもりはないらしい。
ずいぶんと気安く感情を見せてくれるようになったのが嬉しくて、笑うとますます紅葉は気分を害したらしい。
「もう。笑わなくてもいいでしょう。はい、食べるわよ。まず手をふいて」
「え、わざわざ拭かなくても」
「いいから」
紅葉は自分の膝にバスケットを移動させると、ハンカチを渡して手を拭かせる。その間に、バスケットの中に納めていた水筒を出してカップに二人分そそいだ。
「ありがとう。クレハって、前から思ってたけど結構面倒見がいいよね」
アルノはハンカチを返して代わりにカップを受け取り、微笑んでお礼を言うと紅葉は少し照れたように顎をひく。
「あなたがしっかりしていないだけじゃないかしら」
「ひどいなぁ」
「いや、まあ……男の人だし、そんなものよ」
つれない言葉に苦笑すると、紅葉はうっとしたように言葉を濁してからフォローをした。別にこんなことで傷ついたり怒ったりはしないけど、紅葉が本気でアルノを悪く思っているわけではないらしくて、嬉しい。
用意ができたので昼食を開始する。ぬるくなっているお茶を飲むと、ここに来るまででのどが渇いたことを自覚する。一気に飲んでしまって、息をつくと、紅葉はくすっと笑ってお代わりを入れてくれた。
お礼を言って、カップはいったんベンチに置き、サンドイッチに手を伸ばす。
「こっちがキュウリとレタス、ハムのサンドイッチで、マスタード多めよ。こっちが炒り卵とハムをマヨネーズであえたマスタード抜きよ。で、こっちは餡子とバターのデザートよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、サラダからもらおうかな」
紅葉は平静を装っているようだけど、さっきからお茶にも手をつけておらず、ちらちらとアルノの様子を見ているので、気になっているのが丸わかりだ。意地悪せずにさっさと口にする。
「ん。美味しい。粒マスタードがきいてておいしいよ」
「そう。よかったわ」
ほっとしたように紅葉は微笑んでから、それを誤魔化すように自分もサンドイッチに手を付けた。
「今日、ほんといい天気だよね」
「ええ。ピクニック日和ね」
「花も綺麗だよね。クレハってここはよく来るの?」
「いえ、もう何年も来てないわ。5ね……え、10年?」
思い出そうとして、それほど時間がたっていることに一人で驚いている紅葉に笑って声をかける。
「じゃあ、よかった。いつも来ているよりは、紅葉も楽しんでくれるよね」
紅葉はそれにはっと意識を戻して、アルノの顔を見てからふっと微笑んだ。
「ええ、もちろん。楽しいわ」
その微笑みを見ていると、何だか照れくさくて、アルノは二つ目のサンドイッチに手を伸ばした。
○
デザートまで食べ終わり、バスケットを膝からおろしてからお茶を飲んでゆっくりする。
「ふぅ……いい天気だなぁ」
「ふふ。アルノさん、そればっかり言ってない?」
「だって本当にそうなんだもん。天気がいいから景色もよくて、気持ちがいいんだ」
「そう」
優しい風が吹いて、髪を揺らす。紅葉の髪は肩までのショートカットだけどアルノよりは当然長いので、乱れないよう髪をそっと押さえた。そうしながらも、ずっと優しくアルノに微笑んでくれている。
「そうね。気持ちがいいわね」
その表情を見ると、何だか自分がとても子供になったようで少し恥ずかしいような不思議な気持ちで、それと同時にドキドキしてきた。
「ねぇクレハ……聞いてもいい?」
「何?」
「クレハはなんで俺と結婚したの?」
「え? どうして、急に」
「いや、俺の家が強引に決めて、迷惑してるんじゃないかと思って」
「そんなことないわ。家同士のことについては、むしろ、得ばかりだもの」
今でこそまだ始まっていないが、アルノがいることによって、アルノの実家とも商売を始めることが決まっている。主に輸入先としてももちろん、輸出先としても期待できる。
急な話で、仕事の話は全くできていないが、少なくともそうだと聞いていて、信彦とはその条件の詳細について話しているらしい。それは知らなかった。
でもまぁ、それはそれだ。そういうことはあるだろうと思っていた。と言うかそうでなければアルノが結婚できるわけがない。政略結婚であることはわかっている。
ただアルノが聞きたかったのは、自分についてどう思っているか、だ。
最初はあれだけ攻撃的な態度だったから、少なからず家の得以上に紅葉が納得する前に話を通されて、拒否感があったはずだ。そもそも、現状すでに商売はうまくいっているのだから、無理をする必要もない。
だけど今は態度も軟化して、うまくやっていけるのではないかと思う。
そこで気になる。最初に勢いで書類的手続きで結婚したのは、本意ではなかっただろう。でもその後、忙しい仕事が終わってから、向き合ってくれる気になったのは何故だろう。
今こうして夫婦、と言うほどでないけど、デートを一緒にして結婚生活を送ってくれているのは、ただの義務感なのか。それとも、少しは期待できるのか。
最初は単なる義務感程度でよかった。アルノも仲が悪いよりいい方がいい。と言うくらいにしか思っていなかった。
だけど、今は正直に言って、紅葉を可愛いと思う。いつもきまっていて格好いいところもいい。意外と世話焼きなところも素敵だ。気が強いところも、軽口を言ってくれるところも、きついことを言ってから言いすぎたと自分で少し引いた顔をしているのも、可愛いなと思う。
だからただの義務とか、子守みたいなつもりなら、嫌だなと思う。
「そうだったんだ。仕事のことは全然知らなかったよ」
「龍宮さんから聞いてないのね。本当に、興味がないのね」
「う、うん」
「アルノさんらしいわね」
「……あのさ、クレハ」
俺のことをどう思っているの、と、聞きたい。だけど何とも思ってない。そういうことは愛人に期待してほしい、何て言われたら。今そんなことを言われたら、最初とは違って、平常心ではいられない。
それで取り乱したら、きっと紅葉に迷惑だろう。
「ごめん、なんでもないよ」
もう少し、仲良くなってから聞こう。まだ出会って三か月もたっていないのだから。そう言い訳して、アルノは笑って誤魔化した。紅葉は不思議そうにしたけど納得したようだ。黙って前を向くと、紅葉も前を向いた。
「……」
しばらく様子をうかがったけど、紅葉は景色を楽しんでいるようだし、自分もそうすることにした。実際、いつまで見ていても飽きないくらいだ。
こんな風に、二人だけで過ごす時間を、何でもないみたいに過ごす。そういうのって、なんだかすごく、特別だなとアルノは思えた。
ふと、紅葉が落ち着かないように手を動かしている。声をかけようかと思ったその時、紅葉は手を下ろした。アルノの手の上に。
「!」
押し付けてくるその手は、柔らかくて暖かくて、一瞬、何が起こったのかわからなかった。どういうことなのかわからなくて、混乱のまま紅葉の名前を呼ぶ。
「クレハ?」
「なに? アルノさん」
紅葉はゆっくりと、何でもないみたいに振り向いて応えたけど、見間違いようがないほど真っ赤になっていて、目元がかすかにふるえていて、例えようがないほど、愛らしい顔をしていた。
そして、そんな可愛い顔を、アルノの為にしているのだ。アルノを意識して、アルノだからそんな顔をしているのだと、理解した瞬間、胸の奥から熱い気持ちが溢れてきた。
紅葉のことが好きだ、と。何一つ引っかかることなく思えた。
今までだって気になる人はいたけど、その人たちはいつも、アルノではない別の誰かの為に可愛い顔をして、アルノのことなんて眼中になかった。それでも可愛いと思っていた。だけど、自分の為に向けられて、こんなにも違うものか。
可愛い、だけじゃない。愛おしくて、抱きしめたくて、今すぐ立ち上がって走り出して叫びだしたいような、そんな気持ちだった。体の中にエネルギーがあふれて弾けそうだ。
「クレハ……好きだ」
「……え?」
「あ」
思わず、告白していた。意図しないまま、口からするりと出ていた。
それは紛れもない本音だけど、今告白するつもりなんてなかったのに。勝手に、思いが溢れた。
だけど、それほどに自然な気持ちだったのだ。
ならばもう、隠す意味もない。
アルノは自分の右手の上にのる紅葉の手をとり、両手で握って持ち上げる。
ぽかんとした顔のままの紅葉を正面から見つめて、もう一度繰り返す。
「クレハ、あなたのことが好きだ。俺たちはすでに夫婦だけど、そんな形だけのものじゃなくて、ちゃんと付き合っていきたい。だから、まずは俺の恋人になってくれませんか?」
敬語になるつもりなんてなかったのに、何故か最後は敬語になってしまった。しかも疑問系。自信がないのがバレバレで、少し恥ずかしい。
「え、あ……えっ、えっ!? な、こ、こ!?」
「駄目かな? 紅葉は、俺のこと、義務的な相手としか見れないかな」
「……」
紅葉はぽかんと口を開けて、耳まで赤いどころか首も指先まで赤くして、そのまま固まったように動かない。見つめあうこと、3秒。耐えられなくて、吹き出してしまう。
「ぷっ。く、くくっ。く、クレハ。何とか言ってよ。ねぇ、何にも言わないと、オッケーだって、勝手に解釈しちゃうよ?」
「あ、ぐ……お、おけ、お、オッケー、です」
つつかれたダンゴムシみたいにびくっと身を震わせて、紅葉は舌をもつれさせながら、紅葉らしくない言葉ながらもそう、アルノの申し出を了承した。
そんな紅葉に、アルノはたまらなくなって、両手を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。
「あ、あ、あ、ある、あるのさんんん? あ、あ、あうお、お?」
混乱しているらしい紅葉はあわあわと発音のおかしな声をあげるけど、アルノを押しのけたりするでもなく、しばらく声を出してから、そっと、アルノの背に手を添えた。
拒否されないことが嬉しくて、アルノはその腕に力をこめて、腕の中の紅葉の髪に頬ずりした。




