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急ごう 紅葉side

 アルノとの生活は、受け入れてみれば、全く違和感がなかった。

 アルノはけして紅葉の生活を強引に変えようとしなかった。仕事には全く口を出さない。それどころか、仕事内容すら興味がなかったらしい。さすがに驚く。


 気まぐれで、命令を受けてこつこつと仕事をすることに向いていないと言うのは、確かにそうかもしれない。お菓子作りも気まぐれで、庭仕事なんて顕著で、明日植える予定と言っていたのに急に出かけたり、自由に過ごしている。

 だけどそうして過ごしている日々を、気負うことなく笑顔で手紙で報告してくる。毎日話をするようになっても、手紙はなくならなかった。文章量は少なくても、手紙だけは毎日欠かさず書いてくれる。


 そんなアルノに、気を許すようになるのにそれほど時間はかからなかった。

 アルノが紅葉に無邪気に笑って、お菓子や花を差し入れたり、一緒食事をするたびに、仕事で思う通りに話が進まなかったりしてささくれた心が癒されるのを感じた。

 感情をださないよう、商売相手に舐められないようにと気を張って生活していたのに、アルノと顔を合わせるたびに、少しずつ壁が壊れていくみたいに、アルノ相手には素直になっていくのを自覚していた。


 もう、疑う余地はない。本当にアルノは、何の裏もなく、ただ子供のまま大人になってしまって、そしてそれに何も思わず、子供のままでいたいのだろう。

 紅葉はその保護者として、選ばれたのだ。それを思うと、何だか不思議な気分だった。


 だってそうだろう。結婚相手として、対等であるものだ。保護者とか、それで面倒をみてあげるとか、そういう関係は何か違う気がする。保護者と被保護者の関係は夫婦としてふさわしくない。

 だけどそれを望んだのも自分の都合でもある。それに何より、そう言う現実的な都合を勘定しなくても、アルノと言うほかにない特別な存在を、紅葉だけがアルノにとっても特別な存在とし、アルノをそのままであれと守ってあげて、紅葉だけが彼に特別な笑顔を向けてもらえる。そう思うと、とても誇らしいような嬉しいような、そんな気持ちで胸がいっぱいになる。


 この気持ちを、何といえばいいのだろうか。紅葉は知らない。


「だから、恋でしょう?」


 司が自分の右手人差し指のさかむけを撫でつけながらそう言った。

 やる気がなさ過ぎて首にしたくなるが、休憩中で個人として意見を聞きたいと言って話したのでそういうわけにもいかない。


「だからね、そう言う単純な話じゃないの」

「要はー、昔ながらの感覚で男性を一方的に養うことに抵抗があるけれど、実際問題それ以外の相手は難しくて、アルノ様はぴったり当てはまるし、しかも理想のタイプで大好だってお話でしょう?」

「り、理想のタイプとか、そんなこと言ってないわ」

「いや、何ですか。特別な存在って。ただ子供なだけでしょう。働きたくない時点で、一般的にはかなり最低の男性ですからね?」

「そ、それは、でも」


 かなりの暴言を呆れ顔で言われて、反論したくて口を開く紅葉だが、言える言葉がでてこない。そんな紅葉に司はため息をつく。


「はいはい。女当主にはこれ以上都合いい人いないというお話でしょう? 世の中上手くできておりますね。世間一般の庶民では考えられないことです」

「……せ、世間とか、そう言う次元で計れるひとじゃないのよ、アルノさんは」

「はいはい。恋ですね」

「ま、真面目に聞いてるのよ?」

「真面目に聞ける内容ではありません」


 怒られた。

 しかし紅葉は本気も本気だ。アルノにどういう感情を持っているのか、自分でも把握できないのだ。

 アルノに対して、普通に話していても楽しいし、この状態で過ごしていくことに異論はない。だけど何だかもやもやする。自分の気持ちがよくわからない。

 このままアルノに流されて何となく仲良くやっていいものか。紅葉には圧倒的に男性と仲良くした経験がないので、どうしていいのかわからない。


「……アルノさんって、どう、思う?」

「だから子供ですよね」

「そうじゃなくて、その、私のことを、どう思っているのか、よ」

「母親ですか?」

「……ほんとに? その」


 毎日日々あったことを報告するとか、マジ子供がお母さんに報告してるんじゃないだから。と思っていた司はからかい半分でそう答えたのだが、紅葉は不安そうにうつむき気味になってしまった。その反応に慌てて司は言葉を追加する。


「あ、はいはい。つまり女性として見られているか、ということですよね。それは大丈夫ではないでしょうか? 普通にデートとかされてるわけですし。可愛いとか魅力的だとも言われたのですから」

「そうだけど……その、彼って、女性の扱いに慣れている感じだし」

「それはそうですね」

「それに……その、そういうのも全然ないし」


 最初に手を繋ごうとしたきり、アルノからは積極的に触れようとする素振りすらない。

 女性として見られていなくて、単に今の環境を守るために事務的に仲良くされているなら、辛すぎる。愛人を作れなんて、最初にいきって言っちゃったけれど、今となっては早く追い出そうなんて毛ほども思わないし、そんなの絶対許せない。


「紳士なのではないですか? 夫婦なのはあちらもわかってらっしゃるのですから、大丈夫ですって。そのうちあります」

「そ、それはそうかも知れないけど……そういう、義務とかじゃなくて」

「あー、つまり旦那様からも恋愛感情を持ってほしいわけですね」

「……何というか、そういうわけでもないのだけど」

「もうそれはいいです。とりあえず、ご自分からアプローチされた方がいいのではないですか?」

「じ、自分から? そんな……はしたないわ」

「どんな想像されてるんですか。普通にですよ? 手を繋ぐとか、距離をつめるとか、ボディタッチするとか、そういうことです」


 どんな想像と言うか、それは普通にはしたないと思う紅葉なのだけど。どうやら司とは感覚が全く違うらしい。長い付き合いだが今まで恋バナなんて一切していなかったので、新たな発見だ。特に喜ばしくもない発見だが。

 しかし、他に思いつくこともない。別に紅葉はアルノに恋をしているわけではないけれど、彼以上に条件が合って癒される雰囲気で見ているだけで嬉しくなるような人材は他にいないわけで、なので彼を引き留めるためには当然のことだ。


「……わ、わかった。やってみるわ」

「お。とうとう認めましたね。私としても、お嬢様には幸せになってほしいですし、私は全く魅力的には思いませんが、人としては悪くないですし、応援しますよ」

「ありがとう。でも、一言余計だわ」


 少しは積極的になってみよう。そう決めた紅葉だった。








 とは言え、そんなに急に変えられるわけもなく、次のデートもアルノから誘われてしまった。

 しかし平日夜と言えば普通に仕事で忙しい。アルノとは共に食事をする時間を作ってはいるので、わかっていないのかも知れないが、特に休日の前はいつも夕食後も遅くまで仕事をしているのが常だ。

 だけど


「駄目? もちろん遅くても大丈夫だよ。いくらでも待つし」


 なんて可愛らしく言われてしまえば、イエスと言うしかない。

 自分からも歩み寄ると決めているし、昼だけでなく夜もデートしたい、何て言われたら、紅葉だってしたいに決まってる。

 まだ週末まで時間はあるのだから、それまで頑張ればいいだけだ。


 紅葉はいつもならゆったりした春の時間を、張り切り気味に仕事をこなしていった。ついでにできることは早めにすませ、休日急に仕事が入らないようにしておこう。

 夜を終えたら、次こそアルノを自分からデートに誘う。そう紅葉は決めて、年甲斐もなくわくわくしていた。


 ついに今日の夜がデートだ。朝からそわそわしてしまいそうになるのを隠す紅葉に対して、アルノはにこにこして無邪気にアルノは昼食の席でもデートのことを話題にしてくる。


「楽しみだね、クレハ」

「まあ、そうね」


 とっても楽しみ! とまでは言えないけど、イエスと言えるようになっただけ素直になってきている。


「今日は俺も少しはしゃれた格好をするつもりだから、楽しみにしていてよ」


 え。いつもの少しよれた服装でも様になって格好いいし、今までのデートの時もすでにぱりっとした格好で格好良すぎるのに、もっと洒落ちゃったらどうなるの。と思ったがそんな軽口をきけるわけもなく、紅葉はふぅんと興味がないそぶりをした。


 もちろん内心は楽しみで仕方ない。

 どんな格好をするのだろう。もちろん、紅葉自身もオシャレをするつもりだ。今まではお昼にちょっとお出かけくらいだったので、気合の入れた格好をしては逆に恥ずかしいと普段着の内から綺麗めのものを選別した程度だった。

 しかし今回は夜で、司からのリークによるとそれなりの高級レストランだ。そんなのオシャレしない訳がない。


 業務の合間に司に相談して、何度も鏡を見て確認した。この格好を見て、アルノが何というか。そう思うと、緊張して落ち着かなくなる。

 それを誤魔化すように、紅葉は仕事を終わらせにかかる。15時の休憩の時間に、早くもお出かけ用の服装に着替えた。どうせもう数時間のことではあるが、今日のデートだけではなくぎりぎりまで仕事を片付けて、明日にも繋げたい。それにもし電話か何かで本当にぎりぎりになってしまってから、慌てて着替えるよりは事前に用意しておいて、直前に着替える方がいい。


「あら、時間がずれてるわ」


 左手につけた腕時計の時間がずれていた。秒針がしっかり壁掛け時計と同期して動いていることを確認してから、時間を修正する。半年ぶりだからずれていたのだろう。危ない危ない。


 それからラストスパートだと、確認すべき書類に目を通していく。


「あ、お嬢様。もう時間じゃないですか?」

「! あ、まだ大丈夫よ。ぎりぎりまでするから」

「あ、そうですか。すみません」

「いいのよ。ちゃんと時間は見ているから安心して」


 司に言われて腕時計を確認すると、時間はまだ5時半だ。もう1時間、6時半までを目途に考えよう。車でなら10分ほどだ。化粧直しをするにしても、すでに着替えもしているので、30分あれば十分間に合う。


 そうしてさらに熱中し、そろそろか、と司に言われる前にちらりと自分から時間を確認するが、まだ6時すぎだ。そろそろアルノが出るころだろうか。

 今回は別々に出ると言う趣向なので、時間が近づいてきたことで落ち着かなくて、いっそもう出たいくらいだけど我慢する。今出たら、せっかくのアルノの提案が台無しだ。


 そうしてもう一度集中しよう、と考えたところでとんとん、とドアがノックされた。司に出てもらうと、アルノの付き人の龍宮がいた。アルノに何かあったのだろうか? もう一度時間を見るが、6時10分だ。


「あの、お店から予約時間を過ぎているのに来ていないと連絡があったのですが、もしかして紅葉様、まだいらっしゃるんですか?」

「え? はい。そうですけど……え? 何時ですか?」

「7時の約束ですよね?」

「え? お、お嬢様!?」


 ドアを開けたままされたので、会話は普通に聞こえる。だけど意味が分からない。約束は7時だ。間違いない。ならどうして過ぎてるなんて連絡があるんだ?


「お嬢様! 7時なら過ぎてるじゃないですか! なにのんびりしてるんですか!?」

「え? まだ6時過ぎ……あっ!」


 はっと気づいて、壁かけ時計をみると、時間は8時を過ぎていた。腕時計は、6時10分のままだ。さーっと、血の気が引く音がして、紅葉は椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がる。


「あ、アルノさんにすぐ連絡して!」

「通信機なら、部屋にあります」


 そこに店からも連絡があって気づいたのだと、呑気に龍宮は言ってくるが自分の主を待ちぼうけさせているのに何も感じないのか!


「司! 車出して!」


 紅葉は鞄を掴んで走り出す。最悪だ!

 車に飛び乗り、司に可能な限り飛ばさせるがもともと大した距離ではないので、それほどの短縮が望めるわけではない。無作法ではあるが、最低限、化粧直しをしておく。


 ああ、最悪だ。せっかくのデート。外での待ち合わせ何て、本当に恋人みたいだなんて浮かれていたけどこんなことなら却下しておけばよかった。

 外で一時間以上も待ちぼうけさせるなんて、お腹だって減っているだろう。夜の繁華街で一人でぽつりと待ち続けるなんて、どんなに心細く孤独であることだろう。


 怒っているだろう。いや、それどころじゃない。まだ戻ってきていないし、道でも見かけていない。ならもしかして、怒ってそのままどこかへ出かけて、それこそ本当に他の女性に声をかけてしまっているかもしれない。

 これからだって、思っていたのに。最初にあんな悪印象で、アルノが優しいから何でもないみたいにスタートを切れて、二人の関係はまだまだこれからだったのに、せっかくのデートに何の知らせもなく特別事故などがあったわけでもないただ仕事をしていただけで遅れるなんて。


 もう取り返しがつかないかもしれない。

 泣きそうになる紅葉に、運転席の司が告げた。アルノの姿が見えた、と。


 顔をあげると、繁華街の入り口近くに立っているのが見えた。普段のアルノにしては珍しく、いらだったようにうろうろしている。

 居てくれた! よかった! と思うがすぐにでも、と弱気になる。どんなに怒っているだろう。わかっている。全面的に紅葉が悪い。あんな風にせわしなく動き回り、眉を寄せているアルノなんて短い付き合いとは言え今まで見たことがない。


 しかし、行かない訳にはいかない。 車がアルノの近くで停車するので、そっと下りた。

 車に気づいたアルノは近寄ってきて、紅葉と目が合うなり、ぱっと表情を明るくさせた。


「クレハ! よかったぁー。何かあったんじゃないかって、心配してたんだ」


 その言葉を聞いて、泣きそうになった。ああ、どれだけこの人は、純粋なんだろう。怒るでもなくて、取り繕うでもなくて、よかったと心から笑顔で言える人が、どれだけいるのだろう。


 ああ、もう、耐えられない。この人が好きだ。

 もう、誤魔化せない。どうしたって、この人と別れるなんて無理だ。


 紅葉は、アルノが好きだ。当たり前みたいに紅葉を理解しようとする寛容で、馬鹿みたいに優しすぎる、そんなアルノが、愛おしくてたまらない。

 それをもう、偽ることもできない。自分を誤魔化すにも限度がある。こんなにも高鳴る心臓を、どうしてなかったことにできるのか。こんなに、切ない胸の内が、恋じゃないなんて言えるのか。

 好きで好きでたまらない。そして、アルノにも同じように紅葉のことを思ってほしい。

 それを自覚した。だけど今は、それを伝えるにはタイミングが悪すぎる。


 泣くのをこらえながら車のドアを閉めて、司にはお礼を言って帰らせ、わざとゆっくり動いて涙をなんとか引っ込ませてから、アルノに謝罪する。


「ごめんなさい。その、仕事をしてたら、つい」


 仕事をしていた。それは本当だ。だけど今日じゃなくてもいいものだった。時間に余裕があると思って、勘違いしたのが原因だ。それだって、もっとちゃんと確認すればよかった。腕時計が壊れていて、秒針が正しいだけで、長針と短針が正確に動いていなかった。しかも今もそれをつけたままだ。

 言い訳のしようがない。自分のミスだ。だけどアルノは、そんな紅葉に笑顔を向けた。


 もう、間違いたくない。これ以上、アルノに嫌われたくない。

 紅葉は心に決めた。もう、格好悪くても、恥ずかしくても、アルノを手放さないよう、努力しよう。アルノを失うことを考えたら、アルノが他の女性を愛することを考えたら、少しくらいの恥がなんだ。好かれるための努力をしよう。


 仕事をおろそかにするわけではない。それでは、肝心のアルノを養うことができない。それだけが紅葉に求められる、アルノの結婚条件なのだ。

 それとは別にして、仕事以外の部分では可能な限りアルノに使いたい。いや、それは嘘だ。単に、自分がアルノと過ごしたいのだ。仮の夫婦としてではなく、本当の夫婦になりたい。


 その後、時間を勘違いしていたのが原因だと改めて謝っても、アルノはやっぱり怒らずに許してくれた。単に遅れたことを許してくれただけではない。誤魔化したことだって、アルノにとっては大したことではないのだ。

 本当に、凄い人だなと思った。この人を手に入れたい。そう、強く思う紅葉だった。


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