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言葉を学ぼう

基本的にアルノ視点で、外国語部分は『』で表記しています。

「先輩、夕食の時間だそうです」

「ん。そうか」


 信彦の声かけで、アルノは文字だらけの頭を切り替える。やはり船の中とは違い、揺れず船員の声が響かない静かな環境では、とても勉強がはかどる。久しぶりに没頭したので、少し気持ちがいいくらいだ。

 腕をあげて背筋を伸ばしてから立ち上がる。3時間ほど机に向かっていたので、少し肩が固くなっていた。こまめに休憩をとればよかった。実家なら定期的に侍女が休憩の声をかけてくれていたが、付き人が本職でない上に、一人で荷解きもしてくれているのだ。贅沢は言えない。


「信彦、夕食のメニューは?」

「知りません。行ったらわかるんじゃないですか?」

「……」

「何ですか、その目は。付き人と言っても、メインは通訳と教育係なのを忘れないで下さいよ」

「わかった。精々よくしてくれる友人程度の期待にしておく」


 付き人としてやる気がないな、とは思ったが、やる気がないのは先の発言からわかっていたことだ。今まで実家で仕えていてくれたような付き人を期待してはいけない、と再度意識を改める。

 場所は既に把握してくれている信彦に案内され、アルノは食堂へ移動する。晩餐会が開けそうな大きさのテーブルの端に、ぽつんとある一人分の食器にアルノは首をかしげる。


「俺だけ?」

「の、ようですね。確認してきます」


 部屋を出る信彦に、アルノは息をつきながら席につく。食堂内には、アルノが座ったのを見て食事を運んでくる侍女はいるが、席を引いたりはしなかった。

 学園では付き人なしで寮生活だったので、苦ではないが、実家と同じような生活を考えていたので、なんだかなぁと思う。そして気持ちを切り替える。

 建物こそ豪華だが、ここは貴族の家ではないのだから、平民になったつもりで生活するのが違和感を感じなくていいだろう。幸い、そう言う生活にも馴染みがあるし、それはそれで気楽だ。そう言うつもりで行こう。


「前菜の、ほうれん草とベーコンのキッシュです」


 給仕がアルノの母国語でややつたない発音ながらも説明しながら皿を置いていく。メニューはもとより、アルノに合わせてくれているらしい。こっちの国の料理を楽しみにしていたけど、まあ気遣いなのだからありがたく受け取っておこう。

 食事をはじめてすぐに信彦は戻ってきた。


「奥様はお忙しいそうです」

「奥様?」

「……先輩の嫁のことです」

「ああ、クレハ、だったか。はは。奥様って。じゃあ俺は旦那様か」

「そうですよ。なに笑ってるんですか」

「実感がないなぁ、と」

「そうでしょうね。とにかく今は時期的にあと一月は忙しいそうです」


 と、信彦は腹立たしげに言って、使用人にあるまじき態度でアルノの隣の席についた。


「先輩を馬鹿にするにも程がある。請われてやってきたってのに、なんなんだ、本当に!」

「そう怒るなよ。お前のも頼んでやるから」

「先輩こそ怒ってください、てか、いや、使用人が主人と一緒に食べたらおかしいでしょう。それこそ、先輩が舐められます」

「いいだろ。別に」


 確かにここでは別に食べさせる前提のようだったが、一人で食べているなら他の誰に失礼と言うこともない。客ではなくここが自分の家になるのだから、礼儀うんぬんにそこまで堅苦しくなることもないだろう。

 アルノの実家も確かに貴族だし、この食堂より立派な部屋もあったが、それはあくまでパーティーや会食でつかうものだ。普段一人で食べるときは部屋まで持ってきてもらうか、ここより狭い別の食堂をつかう。その時は普通に家族バラバラで気ままに食べていたし、信彦も一緒に食べることもままあった。どうしてこれから毎日三食死ぬまで続く食事の時間まで、堅苦しくしなければならないのか。好きなようにしたい。


「と言うか、座ってから言うか?」


 そもそも、使用人に徹すると言うなら席につく時点で駄目だろう。アルノの指摘に、はっと信彦は目を丸くして慌てて立ち上がる。

 どうやら相当腹をたててるらしい。アルノはくすりと笑う。信彦はむっとしつつも、確かに自分が軽率だったので謝罪するため頭を下げる。


「申し訳ございません、旦那様」

「ふはっ。や、やめろよ。ワインがこぼれるだろう? だいたい、俺たちの仲じゃないか」

「そうもいきません。今は主と僕です」

「まあ、お前がそう言うならいいさ。一人寂しく食べさせてもらう。もちろん、話し相手くらいにはなってくれるんだろう?」

「旦那様が望まれるのであれば」

「だから、笑わすな」

「わざとですよ、先輩」


 信彦はにっと生意気そうに笑う。それにアルノは笑いながら、やっぱり付いてきたのが信彦でよかったと感謝した。









「んー。はぁ……信彦」


 きりのいいところまでテキストが進んだところで、集中力がきれたのでアルノは大きく伸びをした。

 本日は滞在も3日目だ。昨日は一日勉強で費やした。そして今日もそのつもりだったが、疲れたな、と思った。旅の途中も大して他にやることもなく、ほとんどを勉学に費やした。そしてついたばかりで生活の勝手もつかめないので昨日丸一日まではおとなしく勉強していた。

 そして今日、ふいに集中が途切れて、ついにやる気もなくなった。正確に言うと、やる気がなくもないがそれ以上に他のことがしたい。机にかじりつくのに疲れた。


 適応能力が高いアルノは早くもこの部屋で過ごすことに、この館の空気にも慣れてきた。緊張からの逃避で勉学に励むのにも限界だ。もともとやる気のない科目を毎日黙々と続けられるほど勉強そのものが大好きでもない。

 気分を変えよう、と手を止めて信彦に声をかけた。


「……? 信彦? どこ行ったあいつ」


 返事がなく振り向いたが、部屋のどこにもいない。いつの間にか出て行ったらしい。確かに集中していたが、一声くらいかけていけばいいのに。

 まあ、信彦は信彦で忙しいだろう、と諦める。と言うかよく考えたら、一服するには監視がないほうが都合がいい。ぶらりと屋敷の中でも散歩をすることにした。まだ食堂や入浴場、便所の必要最低限しか場所を知らないわけだし、これではいけないだろう。


「っと、メモくらい残しておくか」


 部屋を出ようとして、信彦と入れ違いになっては悪いので、一言メモを机に残しておく。これでよし。

 アルノは首を回してコリをほぐしながら、揚々と部屋を出た。見慣れた赤絨毯の敷かれた廊下を、とりあえず行ったことのない左へ進む。


 そしてすぐ隣の部屋を開けてみる。自分が使っているのと同じようなつくり、家具の配置がされているが誰も使っていないらしく小物はなく、人の気配がない。使われていない客間らしいな、と思ってからハタと気づく。

 自分、もしかして客間に案内されてる? と。とても今更である。信彦は最初から気づいて、アルノのいない間に抗議していて、それについても一か月後には時間ができるのでとにかくしばらく我慢してくれと言う返答だった。


 だが気づいたからと怒ることはない。確かに、婿として迎える態度ではないが、あまりに急な展開だ。恐らく自分の家側が追い出そうとさっさと手を回したのだろう。そのおかげでこちらもバタついている可能性がある。なら怒っても仕方ない。むしろ、こっちこそ急に来たと疎ましがられているのかもしれない。

 それに思い当たり、アルノは仕方ないかと息をつく。第一印象が悪かったとして、過ぎたことは仕方ない。これから時間はたっぷりあるのだから、まあ何とかなるだろう。

 元来のんびりした性格なので、そんなものだ。


「え!?」

「おっと。えーと。『掃除?』」


 なんとなく部屋に入って、窓から外をみると微妙に位置が違うからか、端に街並みが見えた。そうしてぼんやりしていると、扉が開いて入ってきた侍女がアルノに気づいて声を上げた。

 話しかけようとして、言葉の違いを思い出して、初の現地人との会話に少しどぎまぎしながら声をかける。


『あ、は、はい』


 単語のみなので、間違っていない限り通じない訳がないが、問題なく意思疎通できている様子にほっとして微笑む。


「『ごめんね。』もう行くから、存分に掃除しておくれ」

『は、はい』


 まだ言い回しなどは咄嗟に出るほど習得していない。後半は雰囲気で伝わればいいなという希望をこめて普通に母国語で言いながら、邪魔をしてはいけないのでとアルノはさっさと固まっている侍女の隣をすり抜けて部屋をでて、さらに左へ進む。

 しばらくは客間が続いているだろうし、すこしそのまま廊下を歩く。それにしても、とアルノはため息をつく。あの侍女、驚きすぎだろう。意図しない部屋にいたのだから驚くのも仕方ないが、住んでいるのだから、あそこまで固まらなくてもいいのに。それか、言葉が分からないからと困っていたのだろうか。自分がつい身構えたように。


 そうであれば少し申し訳ないが、存在は知っているのだろうし、少しは心の準備をしておいてほしいものだ。侍女の教育がなってないなぁ。と思いつつ、馴染んでもらうためにもどんどん館内をうろついて、使用人達に顔を見せて回ろう、と前向きになってみた。

 うろつく大義名分もできたので、恐れることなく進んでいく。


 廊下の角を曲がり、目についたドアを開ける。すでに掃除中で、侍女が振り向き驚いた顔を見せる。


『こんにちは』


 にっこり笑って挨拶してドアを閉めて、何事もなかったかのように次へ行く。何だか楽しくなってきた。こんな風にお供をつけずに、見知らぬ館を探検するなんて子供のころ以来だ。驚く顔を見るのも、少し面白くなってきた。


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