携帯通信機を使おう
「てなわけで、じゃーん。携帯通信機です!」
帰ってすぐに夕食をとり、部屋に戻ったところでようやく携帯通信機を取り出す。信彦もまた興味深そうに手元を覗きこんでいたので、もったいぶりながら箱から出して見せた。
「ほぅ。なるほど。順調に貢がせてますね。さすが旦那様」
「やめろ」
「軽い冗談じゃないですか。夫婦仲がよろしいようで、ようござんした」
「? ござん? なに?」
「すみません。あんまりに流暢なので、旦那様が外国籍なことを忘れてました」
とりあえず取扱い説明書を読みながら、本体は信彦に渡してやる。信彦は珍しく子供みたいに素直に喜んで、へーと声をあげながら携帯通信機を手にする。
「ふむ。なるほど。通信機としての使い方はわりとわかりやすいな。基本は同じみたいだ。問題は通信文かな。キーボードじゃなくて、数字のボタンと同じボタンを使って文章をつくるらしい」
「らしいですね。自分も使ったことはないです」
ああだこうだと言いながら、色々と機能を試してみる。
割合シンプルなものでボタンの数も通信機と基本は同じだ。まずは電話をかけてみる。
数コール待つと、すぐに応答してくれた。
『もしもし』
電話をしたことがないわけではないけど、耳元で話されてるみたいで、ぞわりと背筋が泡立つ。慌ててアルノは口を開く。
「あ、もしもし、クレハ? アルノだけど、テストのために電話しました」
『そう。じゃあ、通話は問題ないのね』
「うん。次は通信文送るけど、気にしないでいいから。じゃあね」
電話をきる。その短さに信彦は意外そうだ。
「素っ気ないですね。もっと愛の言葉でも囁いたらどうですか?」
「何でだよ。テストなんだから」
慣れない感覚だが、紅葉の声が耳元からするのは悪くない。だけど信彦の前で戸惑うような格好の悪いところは見せたくない。腐っても先輩だ。
そして通信文だ。仕組みは単純だ。数字と一緒にボタンに小さく文字がある。ボタンを押せばその文字が順番に出てくると言う寸法だ。
「くくく、れれれれ、あっ、しまった、押しすぎた」
「その左下の矢印を押せば逆回りできるみたいですよ」
「なるほど。よし。は、へへへへ」
「あの、声出さずに押せません?」
「信彦にもわかりやすく声に出してあげてるんだよ?」
「いりませんよ」
「なんだとー。よし。じゃあ、とりあえずこれで」
テスト、のみ書いて送ってみた。よしよし。これで操作は問題ない。少し時間がかかってしまったので、もうこれ電話か、いっそ同じ家なんだから直接声かけたほうが早いのに、意味あるのかな。と思いつつも、できたことには満足する。
ピロリロリン
「お?」
そうこうしてると返信がきた。紅葉からの通信文で、開くと『受信テストとして送ります。』とのこと。
「なるほどなぁ」
送る時点では意味がわからなかったが、こうして返事をみていると、わからなくもない。離れていてもすぐ手紙が届くのは、悪くない。
急ぎじゃないし、電話をするほどじゃないけど、気持ちをすぐに伝えたいとき、手紙を送るより気軽に送れる通信文は、悪いものではないのだろう。
なにせこれなら、紙もペンもなくてもすぐに書ける。なるほど。わかってきた。
「機嫌がいいですね」
「まぁね。これはいいかもしれない。気に入った」
「よかったですね。ところで旦那様、質問してもいいですか?」
「なに?」
改まった声で聞いてくるので、顔をあげると信彦はいつもだけど真顔でアルノを見ていた。
「奥様のこと、好きなんですか?」
「うーん。そうかも」
「いや、本気で聞いてるんですから、真面目に答えてくれません?」
「真面目だよ。人間、そんな簡単に恋に落ちるわけないじゃん」
年上と知って、魅力的には思えてきた。だけど好みのタイプだから誰でも好きになるわけじゃない。やっぱり一言でくくれない性格と言うものがあり、相性がある。
夫婦と言う関係がすでにあるので、好きになるよう努力もするつもりだ。でもまだ、アルノと紅葉はやっと会話を始めたばかりだ。
本当に好きだどうだって言うのは、まだこれからだとアルノは思う。
「まあ、今のところ、気になる人ってとこかな。可愛いし、たまにドキッとする」
「はぁ。そうですか。早いところラブラブになってくれたら、安心して帰れるんですけど」
「またそんなこと言ってー。俺のこと好きなんだろ? 一緒に余生を過ごそうじゃないか」
「嫌ですよ。これからばりばり働きます。若年寄は一人でしてください」
「ちぇー。まあいいや。じゃあ具体的にいつまでいてくれるの?」
「そうですね……二人が本当に夫婦になって、初夜でも迎えたらですかね」
具体的に言わないと言うことは、期日は気にせずにアルノのペースでやっていけば、安心できるまでいてくれると言うことだ。
優しい後輩に、アルノはにこっと笑って労いの言葉をかける。
「ノブヒコ……気持ち悪いね」
「旦那様には負けますよ」
信彦も珍しく、笑顔でそう返した。
○
「と言うわけで、じゃーん、携帯通信機ー」
「はあ。良かったな」
「マサアキの番号も教えてくれないか?」
「悪いが、持ってないんだ」
「ええっ。そんな……マサアキといつでも会話できると思ったのに」
「持っていても教えたくなくなることを言うんじゃない」
翌日、正明に自慢しつつ番号を交換しようとしたのに持ってなかった。がっかりだ。信彦も持っていないし、今のところ登録番号は紅葉の携帯通信機と、この家の固定通信機の2つのみだ。
「番号を登録したい。みんな持ってるんじゃないの?」
「そりゃあ、貴族ならみんな持ってるもんだろうけど、庶民、まして俺みたいな年寄りが持ってるわけないだろうが」
「えー。じゃあ誰なら持ってるの?」
「仕事で必要な人なら持ってるんだから、そうだな。番号を登録したいなら、行きつけの店の番号を聞くとかどうだ?」
「おお! いいな!」
それならたくさん登録できるぞ! とアルノは上機嫌でお出かけをすることにした。本日する予定だった花の剪定とか土の手入れとかは翌日へ繰り越しである。趣味でしているみたいなものなので、水やりなどの毎日必ず必要な最低限の世話だけしたら後は気分である。
こういうことができるから、ニート最高だなとアルノは思う。正明はもとより、みんな当たり前に働いていて、凄いなと思う。今の自分ではとてもじゃないが、あの勤勉な騎士時代には戻れないし戻りたくない。
てなわけで、とりあえず名前も知っていて一番スムーズに教えてくれそうな行きつけの花屋へ向かう。
「トヨー」
「ああ、いらっしゃいませ。今日はおひとりですか」
「うん。それでさ、実は携帯通信機を手に入れたから、番号教えて欲しいんだけど」
「いいですけど、うち、配達はしてませんよ」
「いいのいいの。番号集めたいだけだから」
「ふふ。子供みたいですね」
笑われたけど番号は教えてもらった。これで3件だ。できれば10は集めたい。と目標高く、アルノは意気揚々と花屋を後にする。
と言うか店の電話番号なら、先日アップルパイの予約を信彦にさせたように、屋敷の使用人に聞けば、ある程度番号が一覧でわかる。店側としても一般に公表しているので、いちいち聞きに来る方が稀で面倒だったりする。しかし会って本人の了承の元教えてもらわないと、番号を集めた気にならないのでそこは気づかないことにする。
街に出れば、名前を知らなくても、顔なじみはそれなりに多い。アルノは金髪碧眼で、この国ではあまり見ない色合いなので、見るからに異国人として割と人目をひく。
そんな人物が突然現れて当初は遠目に見られていたが、目が合うたびににこやかに微笑んでみせて、定期的にぶらぶらしていると、何となく街行く人も慣れてきている。喫茶店なんかに入ると店員にも声をかけられたりして、今では世間話をするような相手は何人か思いつく。
「いらっしゃいませ」
「やあ。今日は買いに来たんじゃないんだけど、ちょっといいかな」
「はい?」
何度か足を運んだ園芸関係の店はすんなり教えてもらえた。ついでに名前も知れた。宅配もやってるよとのこと。
他にも雑貨屋、喫茶店、レストラン、菓子屋等回ってみた。雑貨屋には断られた。二か所の喫茶店の店の番号はゲットした。、レストランは店の番号だけでなく、一店では店員の番号までゲットした。やったね。菓子屋はOKとNGと半々だった。
現在の電話番号は13件だ。早くも目標達成である。こうなると、もっと多くを望みたくなるのが人の性と言うものだ。
「すみませーん」
てなわけで行ったことのない店にも行ってみた。
大きなお店には基本的にOKされた。中にはお願いしなくても教えてくれる人もいたりして、順調にたまっていく。もちろんそれだけでは悪いので、手土産として物や食品を購入したりしている。
荷物を両手に抱えるほどになり、おすすめの店として聞き込みをして、あっちこっちへ移動して少し小腹も減ってきたので、公園のベンチに座って休憩する。買ってきた焼き菓子を一つ取り出して食べてみる。ふんわりしていて、バターの香りがたまらない。
これを買った洋菓子店でおすすめされた、少し離れたところにある自社牧場を持つ店で買った牛乳を開けて、直接一口。うまい。
「はー」
電話番号は 31も集まった。もうそろそろいいだろう。家に帰ろう。ちょうどおやつ時だ。
そういえば午前中におやつを作っておいたが、忘れていた。紅葉達に食べてもらうのはいいが、自分がいないことを一応伝えておくか。
最近では紅葉も誘わなくても時間があれば、庭へ来てくれることもある。
携帯通信機を取りだし、通信文を作成する。
少し時間がかかったが、お出かけしているのでお菓子は信彦にきいて食べてほしいと伝えておく。完璧だ。そして携帯通信機がとても便利であることに気づいてしまった。
なにこれ。最高。
とか思っていたら、紅葉から返事が来た。早すぎてびっくりする、紅葉からは了解した。遅くなるようなら車で迎えに行かせるので連絡するように、と返ってきた。
迎えなんて、と思ったが、割と荷物もある。こちらの生活で車を使うのが普通だと言うなら、それにも慣れていくのもいいかもしれない。
ひとまず、了解、とだけ返信しておく。
「ん?」
そうしていると、近くに人が来ているのに気づかなかった。通信機に夢中になっていて恥ずかしいなと思いながら顔を上げると、子供たちがアルノをみてひそひそしながらこっちを見ている。
距離が結構近いし、まして子供たちはヒソヒソ声のつもりでも大きな声で何人か話しているので内容は丸わかりだ。
ようはたくさんお菓子を持っているみたいなので、誰かもらってこいよ。と言っている。
くくく。こんな時アルノは、めちゃくちゃ食べさせてやりたくなるのだ。
これ見よがしに新しいお菓子を取り出して一口食べる。
「あー、美味しいなー」
「! ……早く行けって」
「お兄ちゃん行ってってば」
「どっちでもいいから早くぅ」
ますます反応している子供たち。笑うのをこらえながら、アルノは荷物からお菓子類をがさがさと音をたてて取り出して膝に並べる。
「あー、でも残念だけど、食べきれそうにないなぁ。どこかに、一緒に食べてくれる人いないかなー?」
そうしてわざとらしく子供たちをチラ見しながら言ってみる。子供たちはぴたりと動きを止め、円陣を組むようにして今度こそ小声で何かを相談してから、揃ってゆっくり近づいてきた。
押されるように、一番小柄な女の子が前に出てきている。
「あ、あの……えと」
「あれ? もしかして、食べてくれるのかな?」
にこっと出来るだけ優しく笑いかけると、女の子は両手を合わせてもじもじしながら、んっと頷いたのでそっと一つ差し出す。
おずおずと近づいてきて受け取るのを皮切りに、他の子どもたちも自分も自分も! と言ってきたのでどんどんあげる。
「慌てずに食べるんだよ」
「うん! ありがとう!」
「兄ちゃん、話せるんだな。すげーじゃん」
「ありがとう。勉強したんだ」
「昨日デートしてただろ。見たぜ」
「ほんとに。可愛いでしょ」
「えー。なんか恐そうな人だったー」
「そんなことないよー」
「てか、急にお前現れたけど、住んでんの?」
「そうだよ。引っ越してきたんだ。よろしくね」
そんな感じで子供たちと馴染んで、ボール遊びをしてから、車で迎えに来てもらった。




