デートを受けよう 紅葉side
「おはようございます、クレハ」
朝、アルノはいつでも爽やかに微笑んで挨拶してくる。その微笑みを見るだけで、何だか朝から華やかな気持ちになる。こんな日々も悪くないと思ってきている自分がいる。
だけどもちろんそれは、アルノがここから変わらない前提だ。気を緩したところで本性をあらわにしないとも限らない。先入観で見ないと決めたけれど、それですぐに疑う気持ちがなくなるわけではない。
昨日見た手紙には、一つ予想外なことがあった。紅葉の年齢についての問い合わせだ。そんなもの、事前に知っているとばかり思っていた。と言うか普通に情報はいっているはずだ。だからこそ、こんなに若くて顔の良い貴族の坊が、なんの含むところもなく来ることが余計に疑わしかったのだ。
さて、どういうつもりで聞いてきたのか。相手何てどうでもいいから本気で把握していなかったとして、年上だからどう思うのか。
「ねえ、クレハ。昨日出した手紙は見てくれたのかな?」
紅葉は顔にはださないが、アルノが露骨に反応した場合はどうしてくれようか、と思いながら話を切り出すタイミングをうかがっていると、アルノからそう切り出してきた。
とは言え、やはり言いにくい。別に自分がこれまで歩いてきた人生を否定するつもりは全くない。むしろ今まで努力してきた道筋は誇らしいことだと思っている。
けれど、やっぱりその、男性は女性の年齢を気にするものだ。自分がアルノの年齢から、年下だから余計にと警戒したように、自分だって同じように年齢を元に判断されたって文句は言えない。だから何というか、つまり、アルノから年増だったのかとか、そういう風に思われても仕方ないと言うことだ。
そう思うと、言いにくい。年齢なんて今更だと思うけれど、今だからこそ、態度を変えられたらと思うと、とても言いにくい。
「まぁ……27歳で、間違いないわ。なに? 年上過ぎて、ひいたということ?」
しかし答えないわけにはいかないので、開き直り気味に言ってみる。と言うか、年下だと思っていたは予想外だ。そこから実は6歳も上だとは、余計に驚きも大きいだろう。
そう覚悟する紅葉に、しかしアルノは何故か、にっこりととても嬉しそうに微笑んだ。
「まさか。俺、年上女性の方が、ずっと魅力的だと思うよ」
思わず、表情を隠すのも忘れて、ぽかんと間抜け顔をさらしてしまう。み、魅力的? は?
一般の女性にして、そろそろ行き遅れだと言われてもおかしくない年齢である紅葉に、魅力的? しかも心から思っていると疑う余地のない表情で?
心臓がばくばくしてしまう。魅力的だなんて、面と向かって言われたのは初めてだ。直接的すぎ、どんな反応をすればいいのか全く分からない。いやいや、落ち着け。紅葉本人が魅力的だと言ったわけではない。年上が魅力的だと言ったのだ。そう。紅葉とは関係のない話だ。
と思って落ち着こうとしたのに、このアルノときたら
「関係はあるよ。クレハが前よりもっと、魅力的に思えるってことだから。俺、もっとクレハのこと知りたいな」
と体を寄せて顔を覗き込んで、そう甘く囁くように誘惑するように言う。ね、狙ってやっているに違いない! こんな簡単に篭絡されてやるものか! と紅葉はアルノから距離をとる。
「あ、あなた、馬鹿なの?」
あ、こんなことを言うつもりはなかったのに。つい、ひどい言葉を言ってしまった。傷つけたり怒ったりしただろうか、と紅葉が気にしてそらした目を戻す前に、アルノの柔らかな声が追撃してくる。
「そうかもしれないね。クレハの魅力を分かっていなかった、愚か者だ」
は? だ、誰がそんな意味で言ったのか。ていうか年齢を知らなかっただけでそんなことをよく言えるものだ。そんな、そんないい加減なご機嫌取りの甘い言葉で、簡単に心を許すと思っているのか。と心の防御をさらにあげる。
「だけどどうか、許してほしい。そしてもっと、クレハのことを教えてほしい。駄目かな?」
なのに、どんなにガードしようと決めても、こんな風にアルノがカッコよすぎる顔で年下特有の甘えた態度でこられると、そんなの胸がドキドキしちゃうに決まってるぅ! こんなの駄目だなんて言えるはずないし、そもそも会話の流れ的にも断れない!
「べ、別に、教えることを、ダメとは、言わないけれど」
「本当に? じゃあ、週末デートしよう」
「へ?」
ででででデート!?
混乱している間に、かなり強引にだけど結局デートの約束をさせられてしまった。
確かにそりゃあ、もう仕事も片づけに入るわけだし、しばらく急ぎの要件もなくて、当然休日だってしっかりとる予定だ。だから断る理由もないわけだけど。
だからって、返事もしてないのに「はい、決定ね」なんて、馬鹿にしている。勝手すぎる。そう、思うのに、アルノがまるで自然に振る舞うから、改めて年齢なんか聞くから年下なんだと意識してしまって、我儘で甘えられるのにも嫌な気持ちがしない。むしろ、可愛いと思ってしまうこともないでもない。
実際わがままと言うほどでもない、すぐにOKしたっていい内容なわけで、紅葉の気持ち一つに過ぎない。だから別に、そう、言いなりになっているわけではないのだ。
けして紅葉は、アルノが好みのタイプ過ぎて、母性本能がくすぐられて堪らなく可愛く見えてしまってるわけではない。強引に話を進められてもむしろ嬉しく感じちゃうとか、可愛いのにドキドキもしちゃって困っちゃうとか、なんて、そんなことは絶対ないのだ。
○
そしてデートの日はすぐにやってきた。それまで今までにないくらいそわそわしたりした紅葉だったけれど、それで仕事に影響を出すようなことはしない。きっちり仕上げてきた。
土曜日は仕事もないのでそわそわして手に着かなくて、司にも内緒でこっそり定期購入し続けているお気に入りの少女小説を読み進め、その登場キャラクターの王子様にうっかり身近な金髪男性を当てはめてしまったりして、ベッドの上でごろごろしてしまったりしていたが、特に問題はなかった。
日曜日になり、アルノに楽しみで昨日はなかなか眠れなかったよなんて朝食の席で言われて、思わず私もよなんて言いそうになったけど誤魔化せた。
年齢が上なのは変えようがないのだから、せめて年上らしく毅然とした態度をとらなくては。もちろん、アルノが年上が好みだと言ったことは全く関係ないけれど。年下の者に対して年長者として振る舞うのは当然のことである。
そしてあと一時間後かとなってから服装を慌てて用意して、司にも何度も確認させてから、何とか10分前には待ち合わせている玄関前に存在できた。遅れるなんてそんなもったいない。
ああ、いやもちろん他意はなくて、アルノとのデート時間を短くするのがもったいないとか、そんな馬鹿げた意味はなくて、普通に時間は有限なので大切にすると言うだけの意味である。
「やぁ、クレハ。待たせちゃったかな?」
もうすぐ時間、と言うところでアルノが階段に姿を現した。先に待っている紅葉を見ても、慌てる様子もない。時間に間に合っているのだから焦る必要はないのだけど、なんだかもやもやする。何故だろう。
「いや、大丈夫よ。私が少し早く出過ぎただけだから」
「そんなに楽しみにしていてくれたんだ?」
あなたは楽しみにしてくれてなかったの? と思わず言いそうになった。楽しみで眠れないほどだと言ったくせに。もやもやしたのはそれだ。別に、社交辞令だって、わかっているけど。
「……約束の5分前には到着するのが常識よ」
「ごめんごめん。さ、行こうか」
言葉に詰まったのを誤魔化すように、つい仕事でもないのに注意してしまった。だけどアルノは気にした風もなくそのまま紅葉の元へ着て、微笑みながら紅葉の手をとった。
「!?」
驚いて振り払ってしまう。え、だってなんで手!? 急に触られたら、心の準備何て当然できていないわけで、そんなの驚いてしまうに決まってる。
「あ」
決まってるけど、振り払うはない。どうして私はこう可愛げがないのか、と紅葉は自分でやったことに愕然としてしまう。驚くにしたって肩を揺らすくらいならともかく、乱暴に振り払うなんて、拒否にもほどがある。だいたいデートだと言われて了解したのだから、このくらい心の準備をすべきだったじゃないか。
どう思われただろう。デートで来たくせに、手も触れさせないプライドの高い高慢な性格だと思われただろうか。または男慣れしていないと感じたのだろうか。または、触りたくないくらいアルノを拒否しているとおもっただろうか。
「驚かせちゃったかな。ごめんね。じゃ、行こうか」
そう慄く紅葉に、けれどアルノはあっさりと、何事もなかったように軽く謝罪して、紅葉を促してきた。
何か言わなくては、と思った。思ったのに、言葉が出てこない。謝るべきか、違うのだと言うのか。でもどう違うのか。自分がどんな感情なのか、自分でもわからない。言葉が出ない。
いつもなら、仕事なら、いくらだって頭が回ってその場しのぎでもなんでも言葉を出すくらい簡単なのに、どうしてかアルノを前にすると紅葉は頭がまわらなくて、咄嗟に言うことができない。
結局、普通に相槌をうって歩き出すだけだった。
情けない。もう今更さっきのことは掘り返せない。紅葉はなんとか自分が乗り気じゃない訳じゃないとアピールするためにも、事前に考えていた質問を口にする。
どこに行くのと尋ねるとアルノはおどけながら花屋に向かっていると答えた。
紅葉は今まで園芸に興味はなかったし、余裕がなくて花壇を使わなくなったのも、わざわざ庭師を増やしてまで花木をもう一度増やそうとは思わずそのままにしていた。でもだからって、花をめでる気持ちがないわけではない。道端の花々に心癒されることだってある。
アルノが整えた花壇を見て、本当に幼いころのことを思い出して、少し嬉しくなったり、そのくらいには女性らしいところもあるのだ。
アルノは紅葉の好みが知りたいから花を選んでくれと言う。そんな風にストレートに言われると、どうしたって面映ゆい。
誤魔化すよう口を開くと、アルノの好みも知りたいとつるりと口から出てきた。
こんな風に、何も考えずに素直な気持ちが出てきたことに自分で驚いて、少し恥ずかしくもなったけれど、微笑んで嬉しそうに「何でも教えるよ」何て言うから、ふと考えてしまう。
「あなた、働く意欲がないって聞いたけど、本当?」
今日、こんなことを聞くつもりはなかった。正直に答えるかは別として、一度本人の口から聞きたいとは思っていたけれど、こんな風に突然空気も呼ばずに聞くつもりはなかった。だけど聞きたいことを聞かれて、頭に浮かんだことをそのまま聞いていた。
そんな唐突で失礼な紅葉の質問に、だけどアルノは気を悪くしたでもなく、苦笑しつつも穏やかな顔のまま答える。働かずに毎日好きなことをして、楽しく生きていきたい、と。
とても嘘を言っているようには見えないけれど、とても正気で言っているとも思えない内容だった。ましてや、そんな日々の日常を語るような自然な口調で言う内容ではない。雰囲気と全くあっていない。
世の中には、ろくに働かずに賭け事におぼれるような、そんな人間がいることだって知識として知っている。だから考え方そのものを、ありえるとしよう。しかし、成人した一人前の男性として、なんら恥じらったり、後ろめたさも何もなく、堂々と言っていい内容ではないだろう。
「恥ずかしくないの?」
だからそう尋ねたのに、逆に紅葉がどう思うかと聞き返されてしまう。
「やっぱり、俺が働いて家の仕事とかした方がいいって思ってる? 働かない夫は恥ずかしい?」
そう言われて、そうか、自分が働かないことを恥ずかしいと思うから、そうアルノに聞いているのだと自覚する。実際、もし自分なら働かないのは恥ずかしい、と思う。
しかしアルノが働かないことはどうだろうか。夫が働いていないと、知人に言っても恥ずかしくないかどうか。
……。今の状態なら、それほど恥ずかしくない、と言うのが結論だった。
少なくともアルノは庭いじりをして、家の見栄えをよくすることに尽力し、お菓子をつくって当主である自分に差し入れてやる気の一助をになってくれている。これで男女ば逆ならば、十分すぎる。庶民ならともかく嫁いできた女性は自分で家事をするものでもない。
他家と妻は妻同士で交流することなどもあるが、そもそもアルノの家こそが大きいのだから、それ以下の身分の人間との交流をしなくても十分すぎるほどのプラスがすでにある。
そもそも、自分の仕事には絶対関わってほしくない、と言うのがこちらの希望なのだ。それでアルノが恥ずかしいなんて、無茶にもほどがある要求だ。
恥ずかしくないの? なんて聞くのは自分から求めた条件を満たしてくれているアルノに失礼にもほどがある。申し訳なくなり、紅葉は何といって弁解すればいいのだろう、と思ったが、アルノはそれほど気にしていないのか、働かないでほしいと言う紅葉の気持ちを伝えると、とても安心したように微笑んだ。
その顔は、とても演技には見えない。本気で働きたくない。絶対働きたくない。と言う気持ちが透けて見えるくらいの表情だ。
ほ、本気なのだろうか。働かないのが恥ずかしいという価値観のほうが間違っているのかと、錯覚しそうだ。それともこれが、国の文化の違いなのだろうか。
混乱しそうな紅葉に、アルノはご機嫌で、到着した花屋に紅葉を案内した。




