デートをしよう2
内田屋での食事を終え、アルノは紅葉を連れてさらにデートを続ける。
中心地へ向かってゆっくりと歩きながら、特に購入予定はないけど家具屋を冷やかしてみたり、劇場の前で今やっている広告を見ては好みを言い合ったり、輸入雑貨の店を見てみたり、通りがかった公園に入ってを特に意味もなく一周しながら、手入れされている花壇と家の花壇を比較してみたりした。
そうしてぶらぶらしていると、ちょうどいい具合にティタイム頃に浅田屋に到着した。予約は持ち帰り専門なので、そのままアップルパイを購入して元来た道を戻り、公園のベンチに座っていただいた。
徒歩でそこそこ歩いてきているので、ここからさらに進むと帰るのが遅くなる。少し早いがのんびりと家に向かって歩き出すことにした。行きとは違う通りでまた商店なんかを冷やかしながら。
こうして一日ゆっくりと一緒に過ごして、たわいない会話を続けていると、紅葉もすっかり二人きりでいることになれてくれたようで、家でのあまり表情を変えようとしない固さがとれてきている。
家でも食事の際に会話をするようになって、打ち解けてきたように思うけれど、どこか距離をとるような態度だった。やはりこうして外に出て雰囲気をかえて正解だ。
「あ……」
アルノが満足していると、紅葉が何かに気が付いて小さく声を上げた。
「どうかした?」
尋ねるとどこか逡巡するように紅葉はアルノを振り向いてから視線を落とした。何か言いにくいことがあるのか。アルノとしては何でも話せるよう友好的な雰囲気を心掛けているのだけど、紅葉にはまだ足りないらしい。そういう面倒なところも、嫌いではない。年上なのに手がかかる、と思うと何故か愛おしく感じる。
「あの、えっと。アルノさんは、必要ないと思っているのかもしれないけど、やっぱりいざと言う時のために、その……携帯通信機の番号を、交換しませんか?」
「ん? 持ってないけど?」
「えっ……え? アルノさん、貴族よね? 持ってないの?」
「そうだけど? 仕事しないのに持ってるわけない、と言うか、そもそも俺のいた国では、携帯用の通信機は出回ってなかったよ?」
こっちだと個人でも普通に持ってる、みたいな前提で番号を聞かれてしまった。驚かれたアルノだけど、いやアルノのほうが驚いた。携帯式があるのは先日知ったが、まさか持っていると思われたとは。
首を傾げるアルノに、紅葉はよほど驚いたらしく見開いた目で何度も瞬きをする。そんな紅葉にアルノはくすりと笑う。
「そんなに驚く? 必要になったことないけど。こっちでも仕事で必要か、お金持ちくらいしか持ってないんだよね?」
「そうだけど……いや、アルノさんって、フォーレル伯爵家の方よね? そうとう裕福よね?」
「うーん。親は親だし。と言うか、だからなかったんだって」
「向こうはそうでも、こっちにはあるのだから買えばいいじゃない。買いましょうか?」
普通に言われた。こちらでは普通と言うけど、かなり高価だと言うイメージがあるので、そう簡単に買おうかなんて気持ちにはならないアルノだけど、断ってもいいのだろうか。
紅葉は当然持っているのだろうし、基本家にいるとはいえ、こうして出かけるときもあるので、その時に持っていてほしいから提案してくれているのなら、むやみに断るのも違う気がする。
正直な気持ちを言えば、いつでも連絡がつくとか、なんだか監視されているというか、通信機に縛られているみたいであまりいい気持ちはしない。でも必要性があって持ってほしいと紅葉が思っているなら、断るほどのこともない。
「うーん……ちょっと、見てから考えてみるよ」
と言うことで、とりあえず保留で。まさか携帯通信機何て高価なものが、そこらで売られているわけもないし、実物を見てからとなると最低でも明日以降に家に持ってきてもらって見せてもらうのだろう。なら帰って信彦にも相談できる。
そういうつもりでアルノはそう答えたのだが、紅葉はじゃあ、と前方の店を示して行き先を示した。
「じゃあ、そこで少し見ていきましょうか」
「……はい?」
え、いや、ちょっと意味が分からない。なんで通信機が店頭に並んで普通に売られているのか。パン屋みたいに気楽に並べる値段じゃないだろう。どう考えても。
戸惑いながらも紅葉に促されて進むと、すぐ近くに携帯通信機と思わしきものが並んでいる店があり、店内に入ってすぐにアルノは困惑から紅葉に近寄る。
携帯通信機は一般には出回っていないとはいえ、アルノのお家柄、当主である父は外出時には所持していたので、携帯用を見たことがないわけではない。
しかし、ここまで並んでいるとどうにも落ち着かない。それにどれがいいか、なんてわからない。自分が使う前提で見ていないし。
「く、クレハ。どれがいいのかな?」
「え、と。そうね。用途にもよるけど、最近だとこれなんかが、着信音に音楽を設定できるわね。あと通信文もカラーで送れるとか」
「うーん。なんか、難しそう。と言うか、通信文?」
「ええ」
「え? ネットワークで送るやつでしょ? 携帯通信機で文まで送れるの? 凄くない?」
「え、ええ。まあ、そうね。あると便利よ? まあ、あんまり使わないけど」
説明を聞いて、アルノはますます混乱してしまう。
携帯通信機は外出していても通信することができるので、急ぎの用事でも伝えることができる。これはわかる。便利だ。
通信文は文字として履歴が残るし、手紙よりは早く概要を伝えることができる。これもわかる。便利だ。
だが、通信文は自宅の機械で受けとると言うイメージがどうしてもある。だって今すぐ伝えるほどの急ぎなら、普通に通信して口頭でいいはずだ。
なのに携帯通信機に文として送る意味がわからない。独立しているから印刷するのもしにくいだろうし。
この国で手紙文化が廃れているならわかるが、紅葉の家には毎日たくさん手紙が届くので、その線も薄いだろうし、とアルノは首をかしげる。
「あんまり使わないのに、通信文機能つける意味あるの? しかもカラーで」
「う、うーん。まあ、でも私があまり使わないだけで、友人間なら手紙を送らず通信文で済ます人もいるから」
「そう言うものなの?」
「そう言うものね。今はどれもその機能はあるし、あまりこだわらないなら、形や色で選んでもいいし」
そう言って紅葉が指してくれるのは、だけどアルノの目には大して形に違いがあるようには見えない。丸みがあるかないかくらいだ。
「あ、そうだ。クレハのは? 同じのにするよ」
クレハが気に入って使っていると言うなら、使い勝手にも問題ないだろう。女性向け男性向けと分かれているわけでもないし、それがいい。
名案だと微笑むアルノに、今度は紅葉は戸惑うように視線を漂わせる。
「同じのって。うーん。私の、少し前のだから古い型なのだけど」
「全然いいよ」
「じゃあ……手続きしてくるわ。少し待っていてくれる?」
「え、あ、うん。じゃあ外で待ってるね」
同じのにする。と言うのはとてもいい案に思えたけど、そうか。そうなるともう購入が決定してしまうのか。
何だか簡単に決めてしまって、しかも当然のように紅葉に買ってもらう流れだ。お金はなくはないがさすがに手持ちで、ここに書いてあるような高額なお値段をぽんと出すほどはない。
それに今はまだ持ってきたお金があるが、いずれは紅葉からお小遣いをもらう立場なのだ。
祖父からならともかく、女性に金銭を負担してもらうのには慣れていないので少し心苦しいが、今後はこれが当たり前になるのだから、慣れていかないと。
アルノは気持ちを誤魔化すように、回りの店の前を見てまわった。
○
「お待たせ、アルノさん」
「ううん。俺の分なのに、手間をかけさせてごめんね」
手続き、と言っても普通に買うだけだろうと思っていたが、紅葉は30分ほどしてから店から出てきた。
謝る紅葉に謝り返し、アルノは紅葉を促して帰り道を歩き出す。ちょうど、帰るにはいい時間だ。
「これ、渡しておくわね。説明書がついているし、わかると思うけど、わからなかったら聞いてくれればいいわ」
「ありがとう。大事にするね。あ、番号の交換しなきゃね」
「もう登録してるわ」
「ほんと? ありがとう。さすがクレハは仕事が早いね」
よっ、当主様とわかりやすいよいしょをすると紅葉は苦笑して、はいはいと流した。
携帯通信機が入った小さな紙袋を受け取り、それじゃあ、とアルノは紅葉にもっと小さな紙袋を差し出す。
「これ。交換って言うには安物で悪いけど、プレゼント」
「えっ……そん、いいのに。必要品だから、買うのは当然だわ」
「まあまあ。気持ちだから。それに、女の子用の髪止めなんて、クレハがもらってくれなきゃ、困るよ」
手を引いて受け取りを拒否した紅葉だけど、そう言ってさらに紙袋を紅葉に向けると、戸惑いつつも受け取ってくれた。
「ありがとう、もらってくれて」
「……そんなの、おかしいわ。お礼を言うのは私だもの。あの、ありがとう、アルノさん。大事にするわね」
はにかむように紅葉は微笑む。その少し照れた赤みがかった頬には、えくぼができて、とても可愛らしくて、何だか少し、ドキドキする。
「うん。帰ったら見てみて。クレハに似合うのを選んだつもりだけど、もし趣味じゃなかったら、教えてね」
そう言うと紅葉は呆れたように笑う。
戸惑う紅葉を見てるのも楽しいけど、やっぱり笑ってる方が嬉しい。
「ねぇ、クレハ」
「なに?」
丘をのぼり、もう家が見えてすぐそこだ、と言うところで改めて声をかけた。紅葉は穏やかな微笑みで応えてくれる。
少し緊張しながら、だけどそれを表に出さないように、精一杯余裕があるような顔をする。
「また来週も、デートしてくれる?」
「……いいけど、急に低姿勢ね。あんなに強引に誘ってきたのに」
「だって一回目だからね。その結果で次が決まるんだから、二回目は不安にもなるよ」
「……もう。私が、楽しんでないように見えた?」
「ううん。でも、クレハは優しいから、楽しんでくれてる可能性はあるし」
「……楽しかったわよ。だから、その……また、行きましょう」
「やった! ありがとう! 嬉しいよ!」
笑顔になるのをとめられない。今日一日楽しかったし、紅葉の反応も悪くないとは思っていた。
だけどこうして口に出して認められて嬉しくないわけがない。紅葉は嘘はつかないだろう。
アルノは嬉しくって、特に意味はないけど、丘の上、玄関前まで駆け上がった。




