デートをしよう
「ここか。と言うか、単に一番近い花屋よね? もう少し、車で10分も行ったらこの街で一番大きい花屋があるのに」
「車で10分とか、全然少しじゃないよね」
「バスもあるし、言ってくれたら車使ってもいいのよ? 一応、小さいけど私用の予備車があるから」
「予備車!? へ、へぇ……まぁ、バスはともかく、車とか、なんか狭いから、好きじゃないんだ」
貴族でもなく緊急用でもなく個人の車を使う前提で、しかも予備の車があるという事実に、この国の人間ってどんだけせっかちなんだと引きながら、アルノはそう説明した。
実家でも乗ったことはあるが、車は苦手だ。中で立てない乗り物は、拘束されているようで妙に落ち着かないのだ。
「そうなの? 不便じゃない?」
「そんなに急いでどうするの? 遠いところへは電車をつかえば十分だろ?」
「まぁ、あなたはそうなのかもね」
ニートであることを馬鹿にされた気がする。これはアルノだけが特別なのではなく、国民性なのだけれど。しかしもう店先なので、立ち止まってまで続けたい会話でもないので肩をすくめて流して、アルノは目が合った店主に声をかける。
「やぁ、おはよう、トヨ」
「おはようございます、アルノさん。と、……あ! 奥さんですか?」
挨拶をかえしてきた店主、登与は隣の紅葉を見て一瞬首を傾げてから、すぐにアルノから以前に既婚者であることを聞いていたことを思い出して尋ねた。
「そうだよ。妻のクレハだ。今日は妻に直接花を選んでもらいたくて、連れてきたんだ。クレハ、こちらお世話になってる店主のトヨだよ」
「初めまして。伊集院紅葉です。お、夫が、いつもお世話になっております」
「いえそんな、いいお得意様で……伊集院? え? もしかして丘の上の?」
軽く頭を下げて挨拶する紅葉に、登与は笑顔で手を振ってから、はたと固まる。珍しい苗字で、そしてこの近辺では有名な家名だったからだ。
「はあ、確かに丘の上に住んでますが」
「いっ、いえいえいえ! ちょっと驚いてしまって。はい、えー、と、とにかく、ご自由にお選びください」
思わず聞いてしまったが、お客様個人について話しかけられたわけでもないのに、店側から必要以上に突っ込んで聞くのはマナー違反だ。
登与は笑って誤魔化して、そそくさを店の奥へ引っ込んだ。そんな態度に紅葉は首を傾げてから、隣のアルノを見上げた。
「えっと、選べばいいの?」
「もちろん。一緒に見よう」
とりあえず手近な、店頭のものから見ていく。店頭にあるのは切り花で、すぐに飾れるようになっているものばかりだ。今の季節は沈丁花だ。今が見ごろと言わんばかりに大輪を咲かせている。とは言え、今見ごろの花は花壇に植えるには少し遅い。これから咲く花がちょうどいい。
「これ、可愛いわね」
可愛いピンクの淡い色合いが気に入ったのか、紅葉は指先でやさしくつんと花びら(ガク)をつついた。その横顔は、今まで見ていた険しい眉を寄せたものとは全く違っていて、それこそ少女みたいに可愛い。そんな顔を年上がしていると思うと、尚更可愛い。
「そうだね。その種類も花壇に植えようか?」
今からでは遅くても、来年には花を咲かすだろう。何も急いで今すぐ見ることばかり考える必要はない。だがアルノの問いかけに、紅葉はうーんと口を閉じてから、いいえと首を横に振った。
「やめておくわ。まだ、全てを見たわけではないし」
「そうだね。じゃあ、次はこっちから見よう」
そうして店内を一周する。切り花だけでなく、植木鉢のもの、球根など種類がある。それらを一通り見て、感想を言って、どれも好印象のようだった。なので改めて聞いてみる。
「クレハはどれが買いたい? どれでも、ちゃんと咲かせて見せるよ?」
「うーん……そうねぇ。どれも良かったけど……」
紅葉は右手の人差し指で自分の頬から顎まで撫でるように動かし、うーんと首をかしげる。
悩むように視線を店内に走らせ、それでもまたうーんと声を漏らす。
「まあ、でも急ぐわけではないし、とりあえず保留してもいい?」
「もちろん。じゃあ、ちょっと早いけど、そろそろお昼でも食べに行こうか」
少し意外だったが、そんなに悩むほど真剣に考えてくれているなら、むしろ嬉しい。後日紅葉が特に目を止めていたものを買うことにして、そう提案する。
予定では花屋の次は小物類を見て回ってから、の予定だったが思ったより時間をつかった。もし途中で紅葉が気になったならそのお店に入るとして、余裕を持つためにもそのくらいで行こう。
紅葉は頷いて、アルノについて店から出る。
「そうね。何を食べるのか決めているの?」
「一応ね。でも食べたい気分もあるから、希望があったら言ってね」
予定の店の方向へ歩きながら、そう紅葉に確認をとる。
紅葉行きつけのお店と言うことなので、味について不満はないだろうが、料理の種類についてはどうしてもその日の気分が大きい。アルノはその都度楽しめるタイプだけど、特に女の子と言うものが、妙に一食にこだわるときがあることくらい知っている。
「そうねぇ、うーん。でも、特にないから、アルノさんの好きにしていいわ」
でた。なんでもいい。こういうのが一番困るんだよね。まぁ、今回は決めているからいいのだけど。アルノはにっこり笑って提案する。
「お昼は内田屋、その後お店をまた見てから、三時には浅田屋でアップルパイを食べる予定で考えてるよ」
「そうなの? それ、とてもいいわね。内田屋は契約農家から直接仕入れていつも新鮮な野菜を使っていて、美味しいのよ。浅田屋はもう、説明の必要がないわよね? アップルパイが、めちゃくちゃ美味しいんだから。あ、でもアップルパイだけど、いつも午前中には売り切れてしまうわ」
「それは予約しているから大丈夫だよ。お土産の分もお願いしているから」
「あら、手際がいいのね」
「もちろん。クレハの為だからね」
本人の全面的了解ももらえたので、後々クレームを言われることもないだろう。嬉しそうな紅葉に、アルノは微笑んで応える。
「と言うか、このお店は司から聞いたんだ。そのお礼だから、司の分も持って帰ってね」
「あら、そうなの?」
「うん。クレハのお気に入りのお店なんでしょ?」
「そうだけど。もう。それなら私に直接聞けばいいじゃない?」
少し驚いてから、通りで好みすぎるはずだと紅葉は少し呆れたように、息をつきながらアルノに尋ねる。アルノは肩をすくめる。
「初デートくらい、夫としてリードしたくて。駄目だった?」
「駄目ってことはないけれど……それなら、私にそういうこと言わない方がいいんじゃないかしら?」
「でも、嘘をついて好きになってもらっても仕方ないからね」
「……アルノさんって、馬鹿なのね」
「あれ? ここは俺に惚れ直す場面じゃない?」
正直に言ったのだけど、紅葉は何だか子供に寛容にするような優しい微笑みでそういうので、にやっと笑ってそうからかってみる。途端に紅葉はかっと頬を赤くする。
「ば、馬鹿じゃないの? 最初から惚れてません!」
本気で惚れていると思うほど、自惚れているアルノではない。年下だし、向こうからしても本当に貴族と言う肩書目当ての政略結婚で、愛人可と言うくらいなのだから、恋愛対象とは最初から思われていないだろう。
だけどこんな風に、照れて反応されると、少しは気があると自惚れてしまいそうだ。
「そうなんだ。残念」
そうおどけながら、紅葉と共にお店に向かう。
通りに面したお店を軽く冷やかしながら歩いて、ゆっくり移動すること30分ほどで昼食をとる予定の内田屋に到着する。
「すみません、2名お願いします」
中に通してもらい、席に着く。もちろん、普段家ではできない席をひいてエスコートをするのも忘れない。
紅葉は一瞬照れたような顔をしたが、何事もなかったように座った。さすがに、アルノの祖父のお眼鏡にかなっただけあり、貴族ではないが教育の行き届いた家で育ったのだろうと思わせる立ち振る舞いだ。
その割にアルノへの態度は政略結婚相手にしては無礼だったけれど、むしろそんな隙がありすぎる様も嫌いではないのでスルーする。
「紅葉、俺はA定食にするけど、何にする?」
「ええと……うーん。ちょっと待って頂戴。A定食のブリの照り焼きもおいしそうだけど、B定食の鮭のバター焼きもおいしそうなのよね」
「そうだね。ゆっくり選んでいいよ」
「ありがとう。んー、でもあれよね。日替わり定食だけじゃなく、定番のもこのお店美味しいのよね。久しぶりにサバの塩焼きとかもいいわね」
「……」
意外と優柔不断だなとアルノは思った。
お仕事ではばりばり決断しているだろうに、私生活では些細なことで決められないようだ。さっきの花屋でもさんざん悩んだのも、単に優柔不断なのだろう。
何それ、ちょっと可愛い。じっと見ていると、焦ったように、えーととわざとらしく声をあげながらメニュー表をぺらぺらとめくったり戻したりを繰り返す紅葉に、アルノは緩まる頬をそのままに声をかける。
「クレハ、俺のでよければ半分あげるからね? とりあえずA定食以外にしなよ」
「あ、ありがとう……じゃ、じゃあやっぱり、B定食で……あの、私のも、半分、あげるわね?」
紅葉は照れているのを誤魔化すように、気持ち勢いよくメニュー表を閉じた。それに苦笑しながら、アルノは店員を呼んで注文する。
それぞれ半分こして味が移らないよう、小皿を追加で持ってきてもらうのも忘れずにお願いした。




