働かない意思を示そう
内緒で教えて欲しい、と書いていたので司からもこっそりとお手紙を頂戴することになった。
手紙には紅葉行きつけのお店と、そこでのお気に入りの商品、また好むものの傾向と言ったものが書いてあった。とても頼りになる。彼女には是非お礼を、と考えていると末尾に「なお、浅田屋のアップルパイは私も大好物です。」と書いてあった。
何とも図々しいことだ。しかしまぁ、彼女はアルノの部下ではないし、個人的なお願いを聞いてもらっているのだから、このくらいの方が、今後も個人的なお願いをしやすいというものだ。
「ノブヒコ、明日は午後からデートの下見に行こう」
「はー? いつでも暇だと思わないでくださいよ。明日は無理です」
「前から思ってたけど、ノブヒコって昼間何してるんだ?」
「色々ですよ。旦那様に言っても理解できないと思います」
「なんだよ。もういい。一人で行ってくる」
そんなわけで、あまり大々的に下見をしてますと言いたくもないので、休日で紅葉に気づかれてしまう明日を避けるためにも、即日下見に出かけることにした。もともとデートの予定が急に決まったので仕方ない。
こちらに来てからは街へ出たのも、まだたった5回で、いずれも信彦が一緒にいた。なので他国に一人と思うと少し心細い気もしたが、まあ花屋などは毎回行って顔なじみもできたし、大丈夫だろう。
もともと自国では一人でふらふらしていた。本当はお付きをつけると言われても、面倒なので断っていたくらいだ。
「拗ねないでください。ほら、お金はこれくらいで足りますね? 通信石も持って行ってください。最悪迎えに行きますから」
そう言いながら信彦はアルノの財布にお金を補充して、その中を見えるように持ってきて確認させ、向こうから持ってきている緊急時用の通信魔法の為の通知アイテムを入れた。
「通信石なんて大げさな。と言うか、今日マサアキと話していたんだが、こっちでは通信機を個人で持っているんだって?」
「ん? あー、携帯通信機のことですか。お金持ちか、仕事で必要な人間だけですよ。まあ、家にはそれぞれ備え付きの通信機がありますけど、それは向こうでも同じでしょう?」
「そうだっけ? 俺の家には確かにあったけど。使ってるの見たことないな」
「ほんと、アナログですよね。車もあまりないですし」
信彦に呆れたように言われた。確かにアルノの国はどちらかと言うと、あまり機械に頼らないかもしれない。住んでいるときは自覚していなかったが、こちらは貴族でないこの家にも車や通信機が当然にあるし、出かけた先の花屋にもあるのが表から見えていて驚いたものだ。
ごく普通の花屋で通信機何て必要ないだろうし、あっても表から見えるところにある必要が分からない。でもだからって、こっちに来てすごいなと思うほどではない。街中の車の数だって大して変わらない。少し多いかなと言うくらいだ。
「ここもそんなに変わらないよな?」
「住宅街だから、それほど見かけないだけですよ。中心部に行けば、対比にならないくらいあります」
「そんなに?」
「まぁ、そもそもここも首都ではないですからね。首都まで行けば、それこそ学生でも携帯通信機を持っているって話です」
「まじで? 学生が持ってて何に使うんだ?」
「さぁ? お友達と話すんじゃないですか?」
「どこそこのケーキが美味しいとか?」
「知りませんよ」
自分ではそもそも数えるほどしか使ったことのない通信機を、携帯式のより高価なものを、未成年のうちから持つだって。それはさすがに、想像がつかないくらい意味が分からない。
アルノはへぇとぼんやり返事をした。まぁそうはいっても、自分にはあまり関係ないことだ。
○
そして週末、約束のデートの日がやってきた。午前中に出て、夕方には返ってくる健全プランの予定だ。
朝食を終えて、時間の少し前になるよう調節して、用意しておいたお出かけ用のジャケットを羽織り、アルノは部屋を出た。待ち合わせの玄関へ向かうと、階段を下りている段階ですでに姿が見えたので、右腕をあげて挨拶する。
「やぁ、クレハ。待たせちゃったかな?」
「いや、大丈夫よ。私が少し早く出過ぎただけだから」
「そんなに楽しみにしていてくれたんだ?」
「……約束の5分前には到着するのが常識よ」
「ごめんごめん。さ、行こうか」
話しながら紅葉の元へ到着し、アルノはにこっと笑ってさりげなく紅葉の手をとる。そして勢いよく振り払われた。
「あ……」
驚くアルノに、何故か紅葉の方が傷ついたみたいな呆然とした顔をしている。どうやら反射的にしてしまったらしい。
「驚かせちゃったかな。ごめんね。じゃ、行こうか」
気を取り直して促す。手を繋ぐつもりだったが、紅葉がそんなに過剰反応してしまうほどなら、手を繋ぎながらではちゃんとデートを楽しめそうにないのでやめておく。
それに、アルノよりずっと年上なのに手を繋ぐくらいで驚くなんて、可愛い。そんな可愛いところをデート1回目から克服させるのはもったいない。もっとじっくり楽しんでいこう。
「え、ええ」
口を開いて何か言いたげにした紅葉だったが、何でもないみたいに玄関をくぐったアルノに、一度口を閉めてから頷き前へ進んだ。
そんな紅葉にアルノはうんと機嫌よくうなずいて、紅葉と一緒に街へと繰り出した。
「アルノさん、どこに行くのか、決めているの?」
「もちろん。と言っても、とてもじゃないけどクレハよりこの街に詳しいわけじゃないから、サプライズはあまり期待しないでほしいな」
おどけて言うと紅葉はようやく緊張を少しほぐしてくれて、くすりと笑った。
「じゃあ、期待しないでおくわ。今日はよろしくね」
「もちろん。クレハに喜んでもらえるよう、エスコートするよ。まず最初は、一番近い俺が一番よく行く、花屋でいい? クレハにも花壇に植える好きな花を選んでほしいって、前から思ってたんだ」
「そ、そう。いいわよ。でも今の花壇に合わせた色合いのほうがいいわよね? 今どういう感じなの?」
「それはこっちで考えてやるから、気にしないでいいよ。素直にクレハの好きなものを選んでよ。言ったでしょ? クレハの好みが知りたいって」
「そう。ならそうするわ。でも、それなら、私にもあなたの好みを教えてくれるべきじゃない?」
じゃないと不公平だ、と紅葉は言った。そんな紅葉にアルノは頬が緩んで仕方ない。
自分は紅葉に興味があるから聞いているけど、紅葉から聞いてくれるなんて。事務的な歩み寄りだけでなく、アルノ自身にも少しは興味を持ってくれていると思っていいのではないだろうか。
「もちろん。クレハが望むなら、何でも教えるよ。何が知りたい?」
「な、何でもって。そうね……あなた、働く意欲がないって聞いたけど、本当?」
アルノの問いかけに、紅葉は少しだけ考えてから、それまでの色っぽい雰囲気を消して、真剣な目で聞いてきた。その目に、アルノもにやけるのはやめる。とは言え、自信満々に言うことでもないので、困ったようなハの字の眉になってしまう。
しかしこんなことで今更偽っても仕方ない。ここは正直に、偽らざる気持ちを伝えよう。
「そうなんだ。俺はね、組織に所属して、誰かの命令をきいてルールにのっとって窮屈に生きる、と言うのがとても苦手なことに気づいてしまったんだ。だから働かずに、毎日好きなことをして、楽しく生きたいんだ」
「……と、とても正直に言ってくれてありがとう。恥ずかしくないの?」
「うーん。クレハはどうかな?」
アルノの気持ちを言えば、全く恥ずかしくない。恥ずかしいと思う気持ちがあれば、働いている。実家でも普通に出歩き聞かれたら働いていないことを公言し、子供たちからは「やーい、ニート」とからかわれたりしたが、恥ずかしいとは思わなかった。子供に馬鹿にされても、笑って追いかけて鬼ごっこをしてみたら、思いのほか懐かれて毎週遊んでたりした。
アルノは恵まれていると思う。殆どの人は働くのが当然だし、働いてお金を稼がないと生活できない。しかしアルノは働かなくても衣食住に困らないしお小遣いももらえた。卒業してすぐは働くのが当然だとアルノも思っていたが、退職してすぐに、自分が恵まれており働く必要がないことに気づいたのだ。
働く必要がなくて、働きたくないなら、働く意味もない。なら働かない。
しかしもちろん、一般的に働きたくないと公言することは恥ずかしいことだと言う、世間の風潮は理解している。
なので紅葉が恥ずかしいというなら、ほんの気持ちくらい働いても、よくはないけど、働いている体裁で過ごすくらいならしてもいい。
「やっぱり、俺が働いて家の仕事とかした方がいいって思ってる? 働かない夫は恥ずかしい?」
でももし、実際に働けと言うなら、とても残念だけど、今回は縁がなかったとしか言いようがない。紅葉にとって傷になるのは嫌だけど、紅葉が望むなら自分を悪者にして離縁することもやむを得ない。
今まで放っておいてくれたし、その辺りのことも知った上で婚姻していると思っていたので、てっきり受け入れてくれているものだと思っていたけど、恥ずかしくないかと聞かれるということは、紅葉にはその意識があるということだ。
不安になったことを誤魔化すように頭をかきながら尋ねるアルノに、紅葉は少しだけ口をつぐみ、10秒ほどたってから応えた。
「いえ、働いてもらうほうが、困るわ。私のしている家の仕事には、悪いけれど関わってほしくないし、外で仕事をされたら外聞がわるいなんてものではないわ。家だけでこっそり使用人として、と言うのも、みんな気を遣うし」
「じゃあクレハとしても、働かなくていいって思ってくれてるってことだよね?」
「ま、まぁそうね」
紅葉はけして満面の笑顔ではない眉尻をさげてだけど、微笑んで頷いた。それを見てアルノはほっと胸を撫でおろす。
「よかった。改めてクレハの口から聞けて、安心したよ」
「……私もよ」
紅葉はそう言って、何だか複雑そうな顔をしつつも頷いた。これはとても大事なことなので、今の時点で声に出して確認できてよかった。
何も考えていなかったけど、これでより、仲良くなるのに何の障害もなくなったということだ。今からのデートで心行くまで楽しめる。
「おっと。そうこう言ってたら見えてきた。いつも行ってるのはあそこの花屋だよ」




