会話をしよう 紅葉side
「当主様、少しだけ、お話しさせていただきたいんですが、よろしいでしょうか?」
「あら、正明さん」
夕食を終えて食堂を出ようか、と言うところで入ってきて声をかけた庭師、正明に紅葉は目を開いて立ち上がりかけた腰を下ろした。
正明は紅葉が生まれるより前、先々代の頃からこの家に勤めており、長年庭木の手入れを一手に引き受けてきた。庭木が荒れれば、すぐに衰退したことが知れてしまう。財政難で他の庭師を辞めさせて、賃金を下げざるを得なかった時でも、文句を言わずに一人で最低限の見栄えを確保してくれた。
紅葉が当主になってすぐは、若く学園を卒業したてであったがゆえに、残した数少ない使用人から疑問視される部分もあったが、真っ先に当主様と呼び態度を変えたことから、何となく様子をみるような雰囲気になったこともある。
そうでなくても、昔からの顔見知りで、幼いころは時々遊び相手になってくれたりお菓子をくれたりしていた相手だ。本来なら一介の庭師が何の前触れもなく、当主に直接声をかけるのは失礼ではあるが、そんなことを言う相手ではない。
紅葉は普段は自分から言ってくることがない正明が神妙な顔で声をかけてきたので、なにかよほど困ったことでもあったのか、と心配しながら、話をするならと席に着くよう促した。
「すみません。差し出がましいのは重々承知の上ですが、どうしてもお伝えしたいことがありまして」
「なに? あなたの言うことだもの。むげにはしないと約束するわ」
「ありがとうございます。どうか、的外れなことなら老いぼれの戯言だと思っていただきたいんですがね、旦那様の件なんです」
「……アルノさんについて、とは?」
席について話を切り出した途端、それまでの柔和な雰囲気から一転して固くなった紅葉に、正明はおや?と首をかしげる。まるで昔に、悪戯で花瓶を割ってしまったときのような、隠し事をする時の反応だ。しかしそれが悪いものかいいものかまでは判断がつかない。
正明は言葉を濁しながら、本題を口にする。
「はい、旦那様が来られてからもう20日になるのに、全く話をしていないそうじゃないですか。旦那様はのんきな人だからか気にしていない素振りでしたが、あんまりじゃないですか? いくら忙しいと言っても、食事を一緒にとるとか、話をするくらいはしないと、せっかく異国からあんな旦那様が来たのに、失礼ではないですか。もちろん差し出口なのはわかっています。ですが」
「待って、正明さん。気にしてない素振りとかって、それって、もしかしてだけど……アルノさんとお話ししてるってこと?」
「はい。そうですが、それもご存じないのですか? 旦那様は毎日、庭へきていますよ」
「それは、知ってる、けれど……私のこと、話しているの?」
そう聞かれて、正明は目を見開く。当主となり成功をおさめ、普段は自信に満ちている貫禄さえある紅葉が、頬を染めてまるで乙女のように、不安そうに眉を寄せて聞いてきているのだ。通常、商売人の基本として感情を表に出さないようにしている紅葉がそんな顔をしているのだ。
一瞬、何か悪いものでも食べたのだろうか、と本気で思った。もちろんそんなわけはない。
「彼、私のこと、何て言ってたの?」
「……当主様、旦那様のこと、好きなんですか?」
「すっ、きとか! そんなこと言ってないじゃない! ば、馬鹿なの!? そんな、初対面で好きになるわけないじゃない!」
初対面で好きになりました。と言っているも同然だった。
そんな紅葉の反応に、正明はあーとそれまでしていた神妙な顔をかなぐり捨て、面倒なことに首を突っ込んでしまったと言わんばかりの顔をした。
「そうですか……いや、旦那様から、話もろくにしていないと聞いたもので」
正明から見て、アルノは悪くない青年だった。顔は人の好みなので置いて、使用人へのあたりはいい。貴族の出だと聞いている通りに、人を使うことに躊躇がないお坊ちゃま気質であるが、にこにこしているのでつい甘やかしたくなるような使用人受けのいいタイプだ。少なくとも正明から見て、紅葉との相性は悪くなさそうだと思った。
もちろん、使用人受けが良くても仕事ができるわけではない。使用人からの評価など意味がないし、紅葉がどう評価するか、正明が口を挟むべきではない。だけど何も話していないと言うなら、もう少し話し合うべきだと思った。そのくらいには正明はアルノの人柄を好ましいと思った。
「う……それは、その。何というか」
紅葉は目をそらす。
アルノと向き合おうと決めた。決めて、手紙を読んだ。一文字も余すところなく。
一通目は手紙は初めましてから始まって、親しみやすいたくさんの自己紹介と少しの紅葉の印象と仲良くしようと書いてあった。美辞麗句ばかりの着飾った文面ではなくて、それこそ友達に送るみたいな気安い、気取らない文面だった。
二通目以降は、まるで日記のようだった。紅葉にあてて書かれてはいても、けして紅葉に何かを要求したり強制しない文章だった。日常のささやかな喜びなんかが書かれていて、まるで母親に報告する幼子のようで、可愛らしくもあり、あの無垢な笑顔を頭に浮かべると心臓が早くなった。
届いている分をすべて読み終わり、紅葉は穏やかな気持ちで反発もなく、自然とアルノに手紙を書きたいと思った。そしてぺらぺらとめくれるほど気持ちをすべて紙にしたため、さぁ渡せるぞと言う段階で見直しをする。
「……却下」
そしてすべて破り捨てた。
こんなものを渡せるわけがない。なんだ。ずっと気になってましたとか、でも言えなくてとか、女学生か。思春期の乙女か。こんなものを、いい年齢の、当主になって数年たってもうそれなりの評価を受けている女当主が、こんなものをろくに話もしていない青年に渡せるわけがない。
もちろんそれで止めたわけではない。書き直した。書き直して、内容を吟味しているうちに翌日にはまた手紙が届く。そう、手紙は毎日書いてくれているのだ。
手紙が届くたびに、内容を楽しみに心躍らせて受け取り目を通す。そして読み終わるたびに、手紙を書かなければと焦って、書き直しては書き直す。
そんなことを仕事の合間に繰り返すうちに、早くもアルノが来てから20日が立っていた。
「色々あって、なんと話せばいいか……」
「そんなことですか。そう気負わずに、会ってみてはどうですか? 会話なら、相手から話をしてくれると思います。まあ、しかし、これ以上は、野暮と言うものですから、これで失礼させていただきますが」
「ま、待って待って。もうちょっと。アルノさんとどういう話してるとか、そのぉ……」
「……はい」
正明は軽い気持ちで男女のことに首をつっこんだことを後悔したが、その後の話により翌日から食事を共にするのだと紅葉が決めてくれたので、骨を折ったかいがある、と言うことで納得することにした。
○
朝、紅葉は緊張していた。アルノと共に食事をとると決めた。決めたはいいが、まさか朝からなんて。先ぶれも出していないのに、突然過ぎないだろうか。うっとうしいと思われないだろうか。
何故、司に勧められるままじゃあさっそく朝からそうしましょうなんて言ってしまったのか。しかし、今更後には引けない。
アルノはいつも規則正しく時間通りに食事をとっているらしい。もうすぐだ。念のため早めに来たのだが、緊張からすでに二杯もお茶を飲んでしまっている。
『あれ?』
ちょっぴり間の抜けた声がして、紅葉は落ち着けと自分に言い聞かせて、まずは視線だけをそちらへ向ける。よほど驚いたのか、立ち止まって紅葉を見ている。
緊張で手が震えてきたので、カップを置いて一呼吸してから顔を上げて、思い切って声をかける。
『おはよう』
「おはようございます、クレハ。今日はこれから食事?」
するとアルノはとても嬉しそうに、ぱっとバックに花が咲いたかのような笑顔で紅葉に応えながら近づいてくる。カッコイイ!
アルノは寝起きであるというのに、きっちりと身支度を済ませていて、いつでも王子様として顔出しができるくらいに整っていた。微笑んで近寄られると、それだけで舞い上がってしまう。この笑顔が自分だけに向けられているのだ。それだけで、そんなわけないのに自分が心から好かれているのではないかと勘違いしてしまいそうだ。
アルノは笑顔のまま、紅葉の許可をとってから席に着く。
紅葉が何も言わなくても、当たり前のように食事を一緒に取ろうとしてくれた。挨拶の時から笑顔でいてくれたけれど、本当に自分を疎ましくは思っていないようだ。よかった。
食事を給仕してもらっていると、アルノは紅葉に普段通りの母国語で話すように言った。それは正直、二人が会話するのに別の言語で話すちぐはぐさを感じてはいたので、ありがたく受け入れる。
すると、アルノはにっこりととろけそうな甘い笑顔でとんでもないことを言った。
「クレハって、母国語だと可愛い話し方をするんだね。その方が魅力的だよ」
「っ!?」
か、か、可愛い!? 魅力的!? え、え? え? 何? ふ、普通に口説かれてる? え?
お、落ち着け! 落ち着くのよ。そう、昨日正明さんからも聞いて、冗談で口説くようなことを言ってくるって言っていたし、そういうことよ。そう、そう。
それより、母国語だとって、わざわざ言うということは、むしろ私の言葉、まずいの?
なので恐る恐る聞いてみる。アルノはいいやと否定してくれて、一安心だ。威圧的、なのもどうかと思うけれど、今までは商売で使っていて、そのために習ったので、先生も意図的にそのように教えてくれたのかもしれない。
また詳しく勉強しなおすとして、今はいいとしよう。
それにしても、と紅葉は思う。彼、アルノはやはり優秀だ。ここに来るまでこちらの国の言葉は未習得で、けして得意ではなかったと聞いているのに、すでにもう何年も住んでいると言われても違和感がない。慣用句まで使ってくる。
アルノの基本情報は頭に入っている。学生時代から優秀で、成績優秀者として推薦で王宮騎士に就職。学生時代のコネもあり、エリート部隊に最も近いと言われる部門の一端になるが、証拠を持って上司の不正を告発した後、上層部に疎ましがられて別の部隊に配属が決まってすぐに、たった一年で退職。その後一切働かず、遊び歩いているとのこと。
優秀であるならなおさら、そんな何の意味もなく遊び歩くわけがないし、そんな親のすねかじりの腐った性根の人間なら優秀なわけがないと思っていたが、少なくとも学力には問題なさそうだ。
どういうつもりなのか、その人格はこれから見極めていかなければならない。気を引き締めよう、とアルノを注意して見ながら食事を開始する。
「メニューもこれからは一緒にしてほしいな」
とか思っていると、これから毎食一緒に食べたいし、一緒に楽しみたいとか言い出した。了解すると
「ありがとう」
と嬉しそうにお礼を言われた。こんな程度のことで、お礼を言われるなんて。と言うか今まで邪険にしたのは紅葉なのに、そんな顔をされると、申し訳なくてたまらない。これがもし彼の作戦で、紅葉を誘惑してこの家の主権を握ろうとしているなら、手紙の件と言い演技が凄すぎるし、こんな他国の商家なんかを狙う意味が分からない。
お、落ち着け。こんなことで心臓バクバクさせて、味もわからないくらい混乱している場合じゃない。まずはこっちから話を振って主導権を握ろう。そうそう。とりあえず一回謝っておこう。それで許されれば、後々の汚点になるのを防げる。
「あの、アルノさん」
「ん? さんなんて他人行儀なアルノ、でいいよ」
ファ!? あ、あああ……まあ、まあ、書類上はすでに夫婦なわけだし? おかしくはない、かしら?
「あ、アルノ……さん」
やっぱ無理ーー!
アルノさんもそこまでこだわってるわけではなかったので、普通に許してくれた。よ、よかった。確かに私が彼を呼び捨てにするのが自然かもしれないけど、緊張しすぎて無理。
と、とにかく、今までの件を謝罪する。アルノさんは全く気にしていない素振りであっさり許してくれた。よかった。
「ゆっくりでいいから、仲良くなろうよ」
そのうえ、そんな風に優しい言葉をくれた。この人を、まだ疑うべきなんだろうか。いきなり強引に夫になって、絶対に裏があると思っていたけど、こんなに優しく言ってくれる王子様に、裏があるのだろうか。信じてもいいのだろうか。
「……ありがとう」
照れくさくて、申し訳なさからも、声が小さくなってしまったけど、アルノは笑顔を崩さないままだった。
それから毎日のようにくれるお菓子についてもお礼を言った。アルノは趣味で楽しい。リクエストはある? もっと好みの味付けは? 花も育てているんだけど、何が好き? と紅葉にたくさん質問してくれた。
どれも仕事には全然関係ない、紅葉の個人的なことばかり聞くから、嬉しくて、楽しくて、ずっと話していたいと思った。




