退屈な楽園
2016年に、電撃大賞に送った作品に加筆修正を加えたものです。
お楽しみいただけたらと思います。
「…このような、生態系や自然環境に与える影響を無視した結果、二十一世紀末に於ける気象の温暖化と海面上昇を招き…」
日本史の先生の授業は、いつもながら退屈だ。
ただ教科書を音読し、内容をそっくり黒板に書き取り、生徒はそれをノートに書き写す事しか求められない。
教科書は八十三ページ。
近代になって気象の温暖化から海面が大幅に上昇し、日本列島の大半が水没した跡に建てられた人工都市スフィアと、地上に残った人々ー地上民とが、海上の領有権、漁業権などの為に小競り合いを繰り返した末に、互いに無関心になっていくあたりをなぞっている。
人工都市スフィア。水没した国の代わりに、日本国が海上に作り上げた、新しい国土。
ガラス張りのドームは熱帯と化した暑い外気を遮り、エア・コンディショニングが効いていて、季節に関係なく快適な気温。
スフィアを「新たな国土」として諸外国に認めさせ、交易の結果、物質的に不自由のない生活。
そしてドームは交易と漁業の船以外に開かれる事はなく、厳しい治安維持政策も相まって、「安全」が保証されている。と、為政者は語る。
ここで産まれたら、一生退屈で「安全」な暮らし以外は認められない。考えられない。物質的に不自由しない生活は、自分の置かれた現状に疑問すら抱かせない。
…要は、つまらない楽園なのだ。ここは。
クラスメイトがこっそり携帯端末で通信ゲームをしたり、あるいは古典的な紙の手紙を行き交わせているのを横目に、わたしは端末のメール画面を開く。
(このままじゃ人類初の退屈で死んだ人間になるかも。わたしを殺さないような良いネタない?)
そのままこっそり画面を見つめる。
(今日は海辺から、スカイツリーのてっぺんが見える)
アキラから、返信があった。
「海面に沈んだ国土の代わりにエコスフィアを建造した地域では、スフィア民と、地上に残った人間の対立が…」
教科書をちらりと見る。よし、もうそろそろ終わりそうだ。
もうわたしの心はこの教室にはない。教師に気づかれないよう、やや緩慢な動きで窓の外を振り返る。
ーエコスフィアのガラス張りの空越しに、海面から伸びた尖塔。人類の旧文明の残滓が揺らいで見える。今日は大気が澄んでいるようだ。
(見えた。蜃気楼みたいに揺らいでるよ)
(オレが居るところからは、くっきり見えるよ。今日は天気がいいな)
アキラは、わたしとは違う。
エア・コンディショニングでない本物の風を受け、スフィアの「空気の湿度の調整の為」のスプリンクラーでない、本物の雨に濡れ、ガラス張りではない本物の空の下に生きている、わたしだけにとっての細やかな特権階級 。それがアキラ。
彼女は、地上民なのだ。
続く