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番外編 妹編 第2話 夢

「この子が例の双子の妹さんなのかしら?はじめまして、私はこの方のネ友の沢城凛と申します。」


「ど、どうも......。えっと...その、......……」


明らかに気まずいという雰囲気だった。修羅場と言ってもいいかもしれない。

一次大戦期のバルカン半島並に火薬庫みたいに一触即発な状況だったので、裕希は色々言いたいこと(ツッコミたいこと)はあったけれども、ここにおいては、自制心の方が上回ってしまった。

突如として里音が現れたことはよく良く考えれば(ご都合主義的に考えられるほどのキャパシティがあれば)別に不思議なことではないのかもしれない。彼女の社交性があれば友達と遊園地ぐらい行くだろう。彼氏と遊園地ぐらい行くだろう。いや、後者の場合は俺が強制的に彼氏を死地へと送ることになってしまうので逆説的にそれは不可能か。

いや、この際彼女がどうしてここにいるのかはこの状況を乗り切るためにはどうでもいいことなのだろう。

どちらかと言えばなぜ話しかけてきたのかということの方が重要だ。

そう思った裕希は敢えて聞いた。


「何か用か?」


「誰が!...お前に......用なんて...」



「なら話しかけんなよ。」



「ーーーーーー」


思いのほか、里音の顔は驚いていたように見えた。頭に血が上っていて自覚することは出来なかったけれど、裕希は、やはり憤っていたのだ。

彼は妹が自分を拒否するのはなにか理由があるからなのだとずっと考えてきた。拒否する、ということを強いている何かが里音を押さえつけているのではないか、そう思ってきた。

バカバカしい。

都合よく考えすぎだ。

分かっていても、彼はなぜ里音が拒んでくるかの真相を認めなかった。


「嫌がらせなんだろ。俺が、楽しんでるのをぶち壊したいんだろ。」


「ーーーーーー」


あ、俯いた。

図星なんだな。

裕希はそう思った。主観で判断することで、お互いに大きな誤解を生むことになったのだ。

それは、包装用のプチプチを一気に全部割るような爽快さだったけれど、同時に取り返しのつかないことなのだと気づいた。

要するに、後悔が生まれた。


「ずっと、お前が何考えてんのかわかんなかったよ。学校で何かあって、そのストレスをぶつけているのか、俺に遠回しに何かを伝えようとしてたのか、それとも、単なるツンデレなのか、どれを考えても辻褄があわなかった。でもやっと分かったよ。というか、やっと証明されてしまったよ。お前......」


「...いや.........」




「本当の本当に、俺のことなんて嫌いでたまんねえんだろ。そうでなきゃこんなこと、しねえもんな。」




裕希は死刑を宣告するような口調でそう言った。里音の目なんて見たくないというふうに後ろを向いた。

裕希は、いや、果たしてこれが自分の本性なのかと疑いに入る。

こんなはずはないんだ。だって裕希は里音の事が大好きなはずだ。

だからこんなことが言いたかったんじゃない。

もっとやるべき事もいうべきことも他に色々あるはずで、夏休みの宿題ぐらい後回しにしてもいいどうでもいいようなことを、あえて先に言っているような気がした。

いや、正直自分の口から里音への苦言が出てくることも西から太陽が昇ってくるぐらいの驚きなのだけれど、それ以上に里音は裕希の言葉に驚いていた気がした。

驚いていることに裕希は驚いた。

そんな裕希に、相反するように、諦めてしまったように、皮肉を込めて里音は次の言葉を発する。


「ーー話しかけただけじゃない。そんなに私に話しかけられるのが嫌だったの?話しかけることが嫌がらせなんて酷すぎるよ。ほんとに、本当に大嫌いだったら話しかけるはずなんてないじゃない。そんなことも分からない?私はね、分かってたつもりだったよ。私がいくらきつく当たってもいつでも振り向いてくれる優しい人だって分かってたつもりだよ。私は素直じゃないし、人の恩を仇で返すような最低の屑だけどさ、でも、どう?1番に思ってるとか、お前のことだけ愛してるとか、甘い言葉を言っておいて本当はこれっぽっちも思われてないんだって、一気に貶める人ってどうよ?私より最低だと思わない?」


いきいしていた。里音は饒舌だった。饒舌という表現が不謹慎に思えるぐらいに彼女は怒っていた。

これらの会話は傍から、というより、第三者視点から見れば馬鹿馬鹿しいにも程があるだろう。

虚言が誤解を産み、その誤解が皮肉を産む。

そして、それらが誰も望まない悲しみを産むのだ。

反面的な悲劇を生で演じているような茶番だった。オーディエンスにポップコーンを投げつけられても言葉を返せないレベルに。そのぐらい、物語として成り立ってるとは言えなかった。つーか、これ見てるぐらいだったら古典文学の方が読んでで楽しいよって中学生にダメ出しされるビジョンまで見え見えだ。つまり言いたいのはつまらない話は面白い話に興味を持たせるための素材として必須なものであるということだ、違うか?違うか。


裕希は、その後も言われるがままだ。傍から見れば、なんでもない、ただの兄妹喧嘩が、そこにはあった。

そう、傍から見ればだ。

周りの人たちは、お互いを、近距離をショットガンで撃ち合っているような争いの事の深さを知らない。

いい意味でも、悪い意味でも、だ。


10分後ぐらい経っただろうか、ついに里音はお決まりの、もう知らない!!というセリフのもと、その場から立ち去った。

裕希はというと、何事も無かったかのような振る舞いで凛に一言謝り、その後も遊園地を満喫した、つもりでいた。罪悪感などない、と言い聞かせていた。互いに相手が楽しければいいや、という消極的な感情を抱えながら。


「なんだか、胃が痛いわね。」


「おいおい、大丈夫かよ。どの程度だ?胃薬なら持ってるけど。」


「どの程度かと言われれば、...そうね、あなたの言動と同じぐらい痛いかしらね。」


「うまい事言ってる暇あったらさっさと打開策を考えろや。ていうか、俺は別に痛くねえよ。」




「誰のせいで胃が痛いと思ってるのよ。あなたが、妹と喧嘩して一日中もやもやしてるからでしょう?」




凛は、そうやって不機嫌そうな素振りや振る舞いを見せずも、そんな、それとは相反するようなことを言った。

裕希はついつい足を止め、彼女の目をまじまじと見た。


「あ、ああ。その事か。その事なら大丈夫だよ。こう言っちゃあなんだが、あいつはいつもあんな感じだからな。俺に対して反抗ばっか。むしろ今日はちょっと優しかったぐらいだ。」


「だとしたらなおさらでしょう。」


裕希は疑問を感じた。一体何が尚更なのだ?

いや、そもそもなぜ凛が裕希と、その妹のことを気にする必要がある?ちょっと険悪な雰囲気になったところを目撃してしまったからと言って、所詮はただの他人なのだ。凛には気にする必要も余地もどこにも無いはずだ。


凛の意図はなんなのだ?


「そんな難しく考えなくてもいいと思うのだけれど、......あれでいて、あの子はあなたの大好きな妹さんなのでしょう?あれがいつもよりも優しいというのであればいつもはどんなものなのかと恐怖を感じつつ、そんな想像もできない罵倒や苦痛を味わうことで彼女をさらに好きになっているあなたにも恐怖を感じている私沢城なのだけれど」


「そんな無駄な心中を明かして俺を無理に傷つけるする必要はねえ。というか罵倒なら今お前がしてるじゃねえか。」


「ええ、私はいついかなる時でもあなたを罵倒する勇気を持っているわ。裕希だけに。」


「全くうまくない割に、堂々と俺を罵り倒すための道具として扱う予定を表明した挙句、その行為自体をいつかお前のためになるから、今は我慢してくれ、みたいな押し付けがましい理由をでっち上げることで正当化してんじゃねえ。」


「何を言っているのかさっぱり分からないわね。私がこんな奴と一緒に遊園地に遊びに来ているという圧倒的黒歴史的なこの状況ぐらいよく分からないわね。」


「お前にツッコミするとなぜそんな爽やかな皮肉しか帰ってこねえんだ...?」


彼女ははぐらかしているのか、自分で考えろと言っているのか、"なおさら"という言葉の意図について何も言うことは無かった。ああは言いつつ、メリハリはつけられる人なのだ。

そういう所が、裕希にとって付き合いやすい人だった。あ、人としてって意味だからね、勘違いしないでよね?

いくら友達とはいえ家族ではない。

そこまで深く介入したくないという表れなのだろう。


「私だって、ここまで罵ってはいるけれど、その目的はあなたをいじることが楽しいだけでなく......もとい、いじることが楽しいという訳ではなく、あなたと、あなたの妹さんが仲良くしていないと私としても辛いからよ。ーーーーだって兄妹ってそういうものじゃない...。」


「最後意味深風に言葉を閉じてるからスルーされると思ってもお前が俺をいじって楽しいと思ってたことは認識してるからな。」


「むー......っていうか、ほんとにあなた、現実から目をそらしてはだめよ。ちゃんと妹さんと真剣に向き合いなさい。私があなたをどう思っているかはこの際関係ないでしょう。」


「いや、意外と関係あるかもよ。」


「ーーーーーそう、かしらね。」


里音はあの時凛の名前こそ言わずとも、彼女を指さして文句を言っていた。あんだけ私が1番だって言っておいて、みたいな。

それは端的には嫉妬なのだろう。

ただ、確信を持ってことはそんなに浅くないと言える。


なぜなら彼女は裕希のことが嫌いなはずだからだ。


裕希と凛は、里音との騒動の話に触れつつも特段気まずくなったりせず、横浜駅で別れた。

その後の事だった。

裕希はまたしても偶然なのか仕組まれたのか、里音に遭遇した。


「.........ちょっといい?」


「ああ、もうあいつとも別れたからな。」


「あんた.........ただでさえ友達少ないんだから...彼女ぐらい大事にしなさいよ......。」


「元々彼女じゃねえから別れるも何もねえしそもそもそういう意味で別れたって言ってんじゃねえ。」


裕希は頭をかく。あんだけ昼ドラなみの大袈裟な別れ方をしておいて何を言ってるんだこいつは......。

だが、まあ、あれだけ言いたいことを言ってしまったが、それでもやっぱり里音は好きだ。

好きで好きでたまらない。

なら、その為にやらなくてはいけないことはある。


「俺も謝りたい。」


「別に、私は話があるだけで謝ってほしいわけじゃない。謝ったって意味なんかないんだから。.........ちょっとさ、来て欲しいところがあるんだ。」


「お、おう。家か?」


「ん...んなわけあるか!家に帰る前に土に帰らせてくれるわ!」


「恥ずかしがりながら言うセリフじゃねえ......。」


「...さ、さっさと行くよ!」


そういい、里音は五番街口の方を出た。裕希もそれに続く。


街はいつも明るい。どんなに辛いことがあってもだ。

学校で友達と喧嘩して帰ってきても家族は何も知らずに笑顔で話しかけてくれるように(裕希には喧嘩するような友達もいない)、部活で失敗して嫌な空気になっているのを先輩が励ましてくれるように(そんな先輩は夢にも出てこないしそもそも部活に入ってすらない)、......例えが理想論すぎて説得力ねえな......。

ぼっちでも分かるように言うなら、街の明るさというのは、自分の抱える闇とは裏腹にいつも明るいということなのだ。その理由は、街などに出る者は、気持ちが膨れ上がってるようなリア充か社交辞令で愛想笑いを浮かべてるようなエセリア充ぐらいしかいないからだ。リア充しかいねえじゃねえかふざけんな。

つまり、相対的に明るさの方が常に増すことになるため、闇はここには現れないのだ。

もっとも、それは隠れているだけなのだが。


「何が言いたいかって言うと衝撃的なぐらい横浜はお前には向いてないってことだよな。」


「あんたが感じるべきは衝撃的な物理だよ。」


「お前が物理的衝撃を与えてくることは全く衝撃的ではないのだけれど、しかし、里音よ。お前が俺をこんな街に連れてくるなんてことは衝撃を超えて衝動だぞ。自分の眼球が正常に働いているか試しにもぎ取って確かめてみるという。」


「それをやってくれるなら喜ぶけれど。」


最近は裕希の発言への罵倒も勢いがなくなってきていた。最近と言っても特にここ数日と言ったところなのだが、そういえばさっきの話じゃないけれど、里音は、裕希が凛と知り合い始めてからあらゆる苦言に拍車がかかるようになってきた。いや、あれはどちらかと言うと"動揺"に近いものか。

里音の表情は今のところ、やわらかだ。(あくまで比較的には)それは、決して裕希などどうでも良くなった、という感じではなかった。

むしろその逆だったように思えた。

そう思った自分に、裕希は問うた。


具体的にその「逆」ってのは何てものだ?


里音は何も言わずに橋を渡り、先へ進んだ。ゲーセンや飲食店などが立ち並び、多くの人間が交差する道をまっすぐ歩いた。

やがて、楽器屋を右に曲がると、そこにあったのは


「ここ、スタジオか?」


「そう。音楽スタジオ。私が歌練習する場所に使ってるの。」


そう言って中に入る。

どうやら、予約していたみたいだったのでその手続きを色々しつつ、里音は裕希を手招きして連れた。

狭苦しくも、賑やかな装飾のされた鮮やかな廊下を進むと、里音が予約したスタジオが見えてきた。

3号室だった。里音は慣れた手つきで防音室の、馬鹿みたいに思いドアノブを開けた。

中は、学校の教室よりはやや小さめぐらいの広さの部屋になっていた。


「おおー、ドラムとかあんじゃん。俺はできねえけど。」


「ミュージックスタジオに来れば大抵ドラムぐらいあるよ。でも、あんたには何も期待してない。あんたには...聞いてほしいんだ。」


「ーーーーーーー」


聞いてほしいんだ、という里音の言葉は裕希に沈黙を与えた。それは、いつもの彼女なら口を裂いても言わないぐらいの優しげで、こぼれ落ちそうなぐらい儚い願望であったからだ。

明らかにいつもと違う態度をとる妹に、正直、不気味な気持ちがないと言えば嘘になる。いつもなら、まずこんなところに連れてきたりしないし、顔を合わせるなり消えろだの死ねだの頭の悪い、残酷で、凄惨な言葉を撒き散らしているはずだ。

夢と言われれば信じてしまうレベルに信じられないことだった。


「あんたさ、なんで私がピアノやめたか知ってる?」


「ーーーーーーーえ?」


「......知らないんだね、やっぱり。」


唐突に彼女が口にしたのは裕希にとって意外な事実であった。

ピアノをやめる...。

というかやめていた...。

裕希は中学生になると同時にやめたのだが、里音はずっと幼稚園の時からピアノを習っていた。それなりにうまく弾けていて兄としても鼻が高かったものだ。

そう彼は認識していた。


「今もたまに家で弾いてるしね。まあ知らなくて当然といえば当然か。別に今生の別れ的にピアノをきっぱりやめた訳では無いんだよ。」


「ならどういう意味だ?教室をやめたってこと?」


「まあ、そうだね。」


「いつからだ?」



「あんたと.........仲が悪くなった時ぐらいから。」



「は?それって小学生ぐらいの話じゃん。いつの間に......」


家で弾いてはいたものの、教室自体はとっくにやめていたというわけか。

言われてみれば、その境目を具体的に把握することは困難だった。里音が出かける時に、それがピアノにいくためだったか否かということは分からなくても、それは、変な話当たり前のことだ。

そう。

そこには、当たり前と言えてしまう自分がいた。それが主観になってしまうことは果たして、一般的には当たり前なのか?

裕希は自分の認識の低さと、己の愚かさを痛感する。


「でもさ、私が聞きたいのはそうじゃない。」


「既に大分大きなショックを受けてるんだが、まだ何か衝撃の事実があんのか?」


「事実、ってのはないかな。言ったじゃん。聞きたいことがあるの。」


里音はマイクのシールドをミキサーに繋げながら言った。Tシャツにジーパンを履いたその姿はかなり様になっていて、普段の可愛らしい服装と違った印象を受けた。


聞きたいこと、ね。


「なんだよ。俺が知ってることならなんでも答えてやる。」


「じゃあ聞くね、なんで生きてんの?端的に言うとなんで死んでくんないの?」


「お前が生きてるから。」


「軽く冗談のつもりで言ったのに真面目に即答しないでくれる?」



その時、里音は頬を緩めた。軽く微笑んだと言っても間違いではない。

いつから見てないのかなあ、と裕希は思った。

見てきたのは笑顔は笑顔でも嘲笑とか冷笑とか他人と話す時の愛想笑いとか、そういうやつだ。

裕希から言わせてもらえば、そんなものは笑顔と呼ぶには意に反している。笑顔の「笑」の意味に反している。


まるで、正反対だ。



「いやー、なんで弾けなくなったんだろ......。おかしいな...。」



「ーーーーーーーーー」


いやいやいや、矛盾してるぞそれは。今生の別れじゃなかったんだろ?

弾けなくなってやめたんだったらそりゃほんとに文字通り今生の別れじゃねえか。

まるで、死に別れみたいじゃないか。


「ど、どういうことだ......!?」


「あ、違うよ。ピアノが弾けなくなったわけじゃない。大好きだった、アラベスク第1番が弾けなくなったの。」


なんだ、とほっとするも、裕希はすぐに待てよとつっこむ。


「そんなピンポイントに曲が弾けなくなるなんてことがあるのか?口ぶりからするに、急に弾けなくなったみたいな感じに聞こえるけれど...」


「まさに、そう。急に弾けなくなった。」


里音は質問には答えず、ただ事実だけを淡々と答えた。

彼女はマイクの先をぽんぽん、と叩きながらあーあーとマイクテストをする。

そしてそのマイクから声を通しながら言った。


「私にはその理由が分からない。だって、大好きだったんだよ?弾くことも、聞くだけでも大好きだったんだよ?アラベスクは私にとってそのぐらいのものなの。」


アラベスク、とは、かの有名なドビッシー作曲のピアノ曲で、印象派の独特な不協和音や流れるような旋律が特徴の曲だ。有名なのは第1番の方だ。

とてもじゃないが小学生が弾く曲としては難易度が高すぎる。




「なんで弾けなくなったのか、それを考えるのは、あなただよ、裕希。あなたには考える責任がある。」




彼女はそう言って後ろを向き、背中を伸ばした。不意打ちに名前を呼ばれて、そいつが誰なのか考えてしまった。誰だよ裕希って。

茶番は置いといたとして。

なぜ、彼女はアラベスクが弾けなくなったのか?

いや、でもそれ以前に、まず前提として考えなければいけないことがあるだろう。それは、なぜ里音は裕希の事が嫌いになったんだ、ということだ。

だっておかしいではないか。

今でこそ言えるけれど、裕希と里音との間には、仲がいい時と仲が悪い時とで明確な境目があるけれども、正直なところ、裕希は全く彼女の事が嫌いではないし、嫌われるという心当たりも全くない。

全くだ。これっぽっちもない。

そんなんで、全く特になんのきっかけもなく、受験生がちょっくらカラオケに行きたくなるぐらいの程度の気まぐれで10何年も人を、兄を嫌うことが出来るか?

そう、それはもうやるやらないと言うより可能か不可能かに近い問題だ。

そしてそれらの理由がわかった上で、なぜ、今になってそんなことを聞いてきたのかを考えるべきだ。いや、聞かれていたのはなぜ弾けなくなったのかか。


「なんでお前は.........」


「?」


言いかけて裕希は止まる。里音はそれにきょとんとして疑問の念を送る。

というか、こんなことを妹に聞いていいのだろうか。

里音は、言いたい事ははっきり言え、というような怪訝な表情で裕希を見る。


いつから嫌われたかははっきり分からない、ではだめだ。ちゃんと思い出さないと。


「......今日はあの時の曲を歌いたいと思ってる。」


「あの時?」


「最後に2人で歌った曲だよ。」


下を向いて考えていた裕希に、里音は言った。緩んだままの優しい表情だった。

そのまま、里音はマイクを口に近づけ、息を吸う。

そして、その最後に2人で歌った曲、というのを伴奏なしで歌い出した。



生きる意味を考えるのにはまだ早いかもしれないけど

無理なものを続けるより本音を言い合えたらずっといいね

聞こえてるよあなたのその優しい声が

暖かくこだましてるけど

本当に欲しいのは本物だって

響くのは声だけじゃない


夢は一人では叶えられない

誰かを巻き込んで導くもの

あなたを傷つけたとしても



「ずっ......と.........い...ーーーーー」


「ーーーーーーーーーー里音?」


ずっと一緒に追い続ける

と歌詞が続くはずだった。


途中、この曲がなんなのか思い出したのだ。

これの曲名は【夢】という曲で、裕希の母が2人のために作詞作曲した曲だ。


とにかく仲が良かった彼らがずっと共に生きるとの誓の曲だ。


そして、裕希はピアノは演奏しなかったものの、里音と2人で歌うためだけに、ピアノの発表会に参加したのだ。

あの時、里音は何を弾いてたんだろう。

そんなことを思いながら聞いていた。

もし。

もしあの時に、裕希たち二人の中で何かが変わったのだったら。


一体何が原因だったんだろうと。


里音は、歌い終えなかった。

言葉を詰まらせて、まるで歌詞を忘れてしまったかのように何も言えなくなった。

でも、それはないと反射神経が反作用をおこした。

あろう事か、里音がこの曲の歌詞なんて忘れるはずがなかった。


なぜならこれは里音という存在がここにある全てだったから。


「おい!!里音!!!」


「ーーーーーーーーーー」


里音は涙を流していた。

大粒の、悲しそうな涙を流していた。



そしてそのまま、意識を失って、倒れた。



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