Page52「組手前のどたばた」
異空間でお風呂に入った次の日。
ティア一行はリッカの声で起きた。
「ティアー!ティアー!!」
ティアだけはリッカに揺すられて起きたが。
「どうしたんですか…リッカちゃん…」
リッカはベッド脇でティアを揺らしながら、内股で小刻みに飛び跳ね、手は小刻みに震えている。
目には薄っすらと涙を浮かべながら不安そうな瞳だった。
揺らされて起きたティアは目をこすりながらリッカを見るが、ぼんやりした視界にはリッカの必死な表情は写らなかった。
「ここに何か詰まってるのじゃー!何か出そうなのじゃー!落ち着かないのじゃー!!」
リッカは下腹部を抑えながら叫んでいる。
トイレだ。
だが、ティアは寝ぼけていて反応できていない。
このままだとリッカの初めてのトイレが失敗になる。
それを眠気から覚醒したクレアは考えた。
考えた結果動こうとしたが動けなかった。
王女はトイレのお世話をされたことはあってもしたことは無い。
そのため行動が遅れた。
チャコとカコはまだ寝ぼけている。
今日の組手でどう戦うか盛り上がって夜更かししたことが原因だった。
動いたのはシュトだった。
寝ている状態から足を振り上げ勢いをつけて跳び上がり、リッカの横に着地する。
勢いをつけて跳んだのに着地時の振動は皆無だった。
もしも大きな衝撃を与えていたら、リッカの防壁は決壊してしまっていただろう。
シュトはリッカの両脇に手を入れ跳ぶ。
一歩で部屋の扉の前に。
扉を開けて一歩踏み出した後、トイレ前の扉までも一歩で詰める。
間には他の部屋があるが兎の亜人として全力で跳ねた。
もちろん綺麗に衝撃を殺して。
扉を開けてリッカを連れて入ったシュトは、即座に服を剥いて便座に座らせる。
服屋で着せたり、お風呂で脱がした経験が役に立った。
シュトの妹はワンピースやスカートばかり履くので、ホットパンツやスパッツを脱がす経験が少なかったがギリギリ間に合ったようだ。
「のじゃぁぁぁぁぁ」
ティアはシュトの動きを目で追えず呆然とし、クレアは起きていたのに動けないことに反省していた。
チャコとカコはまだボーッとしている。
しばらくするとスッキリとした表情のリッカを抱えたシュトが戻ってきた。
シュトも妙に誇らしげな顔つきだった。
一仕事を終えたので。
「ちょっと早いけど朝食にしようか」
「わかりました」
「のじゃ」
「……わかった……」
クレアの言葉にリッカが戻ってきたことで安心して一息ついたティアが答え、リッカとシュトも同意する。
寝ぼけていたチャコとカコは…。
「ニャ…」
「うぃ…」
起き上がり、ゆらゆらと揺れながらも歩き始めた。
2人はぶつかりそうになりながら扉をくぐり廊下に出る。
いや、ぶつかりながら出る。
「ちょっと、2人とも大丈夫?顔洗ってから降りてきたらどう?」
「ニャ…」
「あぃ…」
クレアは今の状態で階段を降りる危険性を考えて促した。
2人はクレアの提案を聞いたのか、はたまた何も考えず言われた通りにしたのかは不明だが、踵を返し部屋に戻る。
カコが出した水球で顔を洗い、使った水を部屋に置いてある桶に捨てるためだ。
「私たちは先に降りて昨日のお店に行こう」
「はい」
「のじゃー」
「……うん……」
クレアを先頭に階段を降りて酒場に向かう。
店員は何も言わずに個室へ案内する。
問答をしなかったのは昨日の食事代にチップを多めに含んだからだ。
席に着くと人数を聞かれたので6人と伝えて待つ。
「……ティア……」
「はい。どうしましたかシュトお姉ちゃん」
「……普通……竜の人化……世話するの……誰?……」
「えっと…リッカちゃんが竜結晶を吐き出したので、大人と認められて人化の魔法を教えてもらってました。ですが、竜結晶の魔力はほとんど私のなのです。なので、普通であればもっと成長してから吐き出すんだと思います」
「なるほど。その間に学ぶんだね」
「あとはねー。人化を覚えてから、しばらく人化した親と一緒に過ごすのが普通なんだよ。でも、リッカちゃんはティアちゃんの従魔になっちゃたからね」
「おはようございますペンシィさん」
「いきなりなんですね」
「……ども……」
いきなり現れてティアの補足をするペンシィ。
ティアは慣れたものなので驚かず、シュトも一瞬警戒したがペンシィの姿を見て解いた。
クレアはビクッとしていたが取り繕っている。
リッカは水を飲むのに集中していた。
ティアが話した通り、竜結晶を吐き出すのはもっと成長してからで、ティアに出会わなければ後10年はかかるほどだった。
大気や獣が宿す魔力は少量なのでとても時間がかかる。
また、徐々に魔力を消費して成長するため、今回のように一度に魔力を得ない限りは時間がかかる。
竜結晶を吐き出した後も、人化になれる必要がある。
昨日のリッカが最初歩けなかったように、体の構造の違いから学び、人としての排泄と竜の排泄を学び、人の世のルールを学ぶ。
ルールに関しては教える親のさじ加減ではあるが、竜は寿命が長く、覚えたことの殆どを教えようとするため非常に長い間学ぶことが多い。
学び終わったら人里に降り、人に紛れで生活して学んだことを活かす。
それから独り立ちすることになる。
「というわけでリッカちゃんの面倒を見るのはシュトちゃんでいいんだよね?」
「……うん……サポートは…カコ……」
「よろしくね〜。で、組手のことだけどやれる時間になったら異空間に来てね!じゃ!」
そう言った直後ペンシィは消えた。
まだ異空間でやることがあるのだろう。
全員がペンシィが消えた場所を見つめているとチャコとカコが来た。
なぜかチャコの顔はびしょ濡れで、猫耳の先から頭髪に向かってポタポタと水滴が落ちている。
「なんでチャコお姉ちゃんは濡れてるんですか?」
「カコが私に水球をぶつけて来たニャ!」
「でも目は覚めたやろ〜?」
そっぽ向きながら答えるカコ。
実はカコが寝ぼけてぶつけたのだが、その惨状に気づいたのは自分も顔を洗って目を覚ました後だった。
言い出すタイミングを失ったのだ。
気づいてから乾かそうとしたが、チャコが「ティアとリッカを待たせるのは悪いニャ」と言って飛び出したのだ。
「覚めたニャ!覚めたけど耳に水入ったニャ!今度絶対水入れてやるニャ!」
「う〜ごめんやって。実は私も寝ぼけてて操作誤ったんや〜。ホンマにごめんやで〜」
「むー。仕方ないニャ。乾かしてくれたら許すニャ」
「ホンマ?!やるやる!」
カコは手から温風を出してチャコを乾かし始める。
2人は個室の扉を開けて中に入らず廊下で騒いでいるので、1階から見えている。
普通、冒険者学校に通っている生徒が遠征した場合、遠征先の組合員に軽く揉まれる。
といっても依頼を一緒に受けて、アドバイスをもらう程度だ。
それでも若い者が騒いでいると熟練の冒険者が絡んでくるはずだが、苦笑いしながら見ているだけである。
朝なのもあるが、クレア達に下手に絡むと王家が出てくるんじゃないかという不安と、特別クラスの実力によるめんどくささがある。
実際に手を出しても王家は干渉してこない。
また、熟練の冒険者が絡んで来た場合、理不尽な申し出でなければ大人しく引き下がるつもりでもいる。
クレア達と親しくない冒険者達は知らないので、下手に近づかないようにしている。
「乾いたニャ!」
「終わったで〜」
乾いたチャコと乾かしたカコが入ってくる。
昨日と同じようにクレアとチャコがティアを挟み、カコとシュトがリッカを挟んで座った。
これが定位置になりそうである。
チャコとカコが座ると、酒場の店員が食事を持って来た。
朝食はいつも固定なので人数を伝えるだけでいい。
メニューは黒パン2つ、野菜の塩スープ、葉野菜のサラダ−フルーツソース掛け−だった。
変わるとすればスープの具とサラダのソースぐらいだ。
ちなみにお代わりは有料。
「じゃあ食べようか」
「「「「「「いただきます」」」」ニャ」なのじゃー」
夕食と同じようにパンをちぎってスープにつけたりしながら食べる。
ティアだけちぎるのに手間取っているので、クレアが小さくちぎる。
ティアがメモリアで食べていたパンは白パンで柔らかくもちもちしていたが、ここで出てくる黒パンは固く少しパサパサしている。
「そういえば私達が来た時、みんな空中を見つめてたけど何かあったのニャ?」
掌より大きいパンを2つにちぎりながらチャコが聞く。
チャコは噛み応えがないと食べた気がしないので大きめにちぎるのだ。
「んー。シュトがティアちゃんに、リッカちゃんの人間としての教育は普通誰がするのかって聞いたの。ティアちゃんが答えた後ペンシィさんが現れて補足した後、組手できるようになったら異空間に来てって伝えて消えたんだ。その直後に2人が来たから空中を見つめてる状態になってたんだよ」
「タイミングが良かったんだニャ」
「どっちかっていうと悪いかな。全員が空中を見つめてるってちょっと怖くない?」
「確かに少し怖かったニャ」
急いで部屋に入ったらパーティメンバーが空中を見つめているのだ。
しかも全員が一点を。
疲れているのか、空中に魔法で何かを出していたのか、悪い方で言えば集団催眠や洗脳等もある。
チャコはそこまで考えていなかったが、どう声をかければいいか一瞬悩んでいた。
ティアから声をかけてきたので解決したが。
「いや、それよりもリッカちゃんの教育の件やろ〜。どうなったん?」
「ペンシィさん公認でシュトが面倒見ることになったよ。サポートはカコね」
「特に変わりはないな〜。公認になったくらいか〜」
「……カコ…内容……」
「ん?お〜後で頼むわ〜」
クレアはペンシィから公認になったことしか話さなかった。
シュトが後で話すことを見越してだ。
クレアの予想通りにシュトが内容を話すつもりだったが、カコは後回しにした。
もしかしたら下の話もあるので。
「ティアー。魔力が欲しいのじゃー」
夕食の時と同じく対面に座るリッカの前に魔力を出すティア。
リッカはそれを一息で啜り、小さくゲップする。
どうやら満腹になったようだ。
「「「「「「ごちそうさまでした」」」」ニャ」なのじゃー」
食べ終わったティア達は酒場を出て、組合2階の部屋に戻り、それぞれが武器の様子を確かめている。
組手をする気満々だ。
「あの、冒険者として何か依頼をしなくてもいいのですか?」
「ん?問題ないよ。私達は正式な冒険者じゃないから依頼は受けれない。それに、冒険者だったとしても受ける依頼は選べるから、依頼をしない日もあるんだよ」
「お休みを自分で決めれるんですね」
「そうだね。怪我でしばらく依頼を受けられないとかもあるからね」
「なるほど」
ちなみにメモリアの司書に休日はない。
それは名ばかりの見習いで、本の整理だけをしていたティアも同様である。
その代わり勤務時間が過ぎた時点で仕事をしなくてもよくなる。
とはいっても大抵何かしらの調べ物や、登録作業を行うことになる。
飲食店等は各自で休日を設定するし、国営の店や騎士や警備隊は持ち回りで休む。
休日がないのはメモリアと国政に関わる者と言われている。
しかし、旅をする司書は毎日が休日になる。
頼まれれば調べ物や登録作業を行うが、逆を言えば頼まれない限りやらなくていい。
旅をして見聞を広めることが仕事なので。
「準備できたニャ!」
マントの内側に少し長めの針を刺し、ベルトのホルダーに糸の付いた縫い針を差し込んだチャコ。
針を投げて戦うようだ。
もちろん接近戦では爪で引っ掻く。
「ウチも〜」
カコは先端に大きな透明の魔石が付いていて、それを支える台座の周囲に6属性の小さな魔石が埋め込まれてる杖を持っている。
魔法主体で戦うようだ。
「……同じく……」
シュトは凶器のような靴を履いていた。
つま先には小さな刃、甲には突き刺すための刃、踵にもそり返る刃が付いている。
それだけでなく弓も背負っている。
弓で戦いつつ、距離が近づけば蹴り技を放つようだ。
「じゃあ行こうか。ティアちゃんお願いできる?」
クレアはいつもの剣を両腰に、真っ赤な手甲をつけ、左手で真っ赤なフルフェイスヘルムを抱えている。
「はい。わかりました」
「のじゃー!!!」
ティアは本を出し、リッカは戦闘準備を整えたクレア達を見て興奮している。
そしてクレア達は次々本に触れて異空間に収納されていく。
リッカとティアも後に続いて入っていき、最後には精霊石がベッドの上にポトリと落ちた。
その直後、ドアが勢いよく開いてエルフの組合長が入ってきた。
「約束の時間は過ぎて…いま……す………よ…」
組合長の声に答える者は居なかった。




