Page36「精霊竜とお米様だっこ」
精霊竜。
竜種のうちの1つで、精霊のように生物と共存することが多く、心を通わせた者を守る習性があることから精霊竜と呼ばれている。
また、精霊と同じく環境の変化に弱ことも理由になっている。
性格は穏やかで、縄張りに侵入しても攻撃されることはないが、精霊竜や守る者に危害を加えると執拗なまでに追いかける。
人里に降りる精霊竜の大きさは、子供の抱くぬいぐるみぐらいの子竜から人を乗せることができる程の大きさだが、精霊大陸で暮らす人が見る竜種の大きさとしては平均的な大きさになる。
生きるためには魔力が必要なので、主に空気中の魔力を食べているが、生物を狩って対象の魔力ごと肉を喰らうこともある。
そんな精霊竜がティア達の進もうとしている先で怒りの咆哮を上げている。
ティア以外は竜の強さを知っているため即座に警戒したが、咆哮の大きさに驚いて耳を塞いでいたティアは竜種の強さを知らないため、3人に逃げると言われてキョトンとしている。
「逃げるのですか?」
「うん!怒ってる理由はわかんないけど、近づいたらアタシ達にも向かって来るかも知れないからね」
『怒れる竜種は見境なく暴れる傾向があるのでな。近付かないに越したことはない』
『そもそも今の戦力じゃ勝てないしな。剣のない俺と同じく体に慣れきっていないゴルディア。実力不明のペンシィに司書の力を使いこなせていないティア…無理だな』
「そうなのですか…」
「とりあえず来た道を戻って、どこかで曲がろう」
『念のために追われた時の対応方法を決めるべきではないか?』
「そだね。話しながら戻ろう!」
ペンシィの提案通り来た道を戻り始める。
ティアを除いた3人は後方を警戒しながらも振り返らずに進む。
もちろんティアにはそんな事はできないのでチラチラと振り返りながら進む。
そして転ける。
雪山を普通に進んでいても転けるティアなので、余所見をしながら進むと転けるのは当然ではある。
そんなティアを助け起すぬいぐるみと温かい目でそれを見守るペンシィは、ティアを守るために自分の力を使うことを決めた。
「逃げ方なんだけど…ブレスや魔法はアタシが対応するから、2人にはティアちゃんを守って欲しいんだ」
『ペンシィ殿は魔法特化なのか?』
「そうだよ!アタシは【杖】担当だからね!」
「ペンシィさんも戦うのですか?」
「うん!全力でティアちゃんを守るから安心してね!」
「わかりました。お任せします」
ペンシィはティアの魔力を使って戦うため、いざという時以外は戦わないと決めていた。
ティアの魔力量からすると今までの戦いで使っても全く問題なかったが、ティアの成長のためにもそうしていた。
逆に言えば、ペンシィが戦う必要がある程の相手だということになる。
『ブレスや魔法はペンシィが対応するとして、噛みつきや爪を使った引っ掻きはどうする?』
『剣がないレインよりも我の方がよかろう。レインはティアを運ぶべきだろう』
レインとゴルディアは互いの役割を決めた後揃ってティアを見る。
歩くだけで転けるティアである。
精霊竜から走って逃げて転ぶのが容易に想像できる。
「ティアちゃんはレインに運んでもらった方がいいと思うんだけど…運べる?」
『大丈夫だ!任せろ!』
「よろしくお願いします!」
ティアより小さいぬいぐるみのレインだが、やる気満々だったので任せることにしたペンシィ。
もしもレイン1人で持てない場合は、結界を背負わせてその上にティアを乗せるつもりでいる。
ティアは元勇者に運んでもらえるということで、物語で読んだお姫様抱っこをしてもらえるのではないかと期待して少し興奮している。
『そういえばペンシィ。司書が異空間に入っていると契約してる精霊の精霊石がこっちに残って、それが異空間から出る時の目印になるんだよな?』
「そうだよー」
『ティアを異空間に入れて、俺たちが精霊石を運ぶのじゃダメなのか?』
「うーん。精霊石が壊されたら戻れなくなるからやりたくないねー。絶対に逃げ切れるか、どこかに隠れる時にしか使わない方法だよ」
『そうなのか』
レインはペンシィの返答に納得したのかそれ以上は聞いてこなかったが、何か考えているのか少し歩みが遅くなった。
それでもティアより速く進んでいる。
ティアは今も聞こえる咆哮と、新たに聞こえ出した轟音を耳にするたび足を止めて振り返っている。
「何かと戦ってるみたいだね」
「轟音が戦っている音なのですか?」
「うん。ブレスや魔法が周囲の山に当たって崩れてる音だね。今の所こちらに来る様子はないけど、一応もう少し離れようか」
「わかりました」
ペンシィは音が聞こえるたびに振り返るティアに増えた音について説明し、先を促す。
それでも聞こえてくる音が気になるティアは何度も振り返り、その度やんわりとペンシィに注意される。
何度かそれを繰り返しながらも来た道を戻っていると音が止んだ。
「音が止みました…」
「そうだねー」
先程まで断続的に鳴り響いていた音が止んだので、全員が振り返る。
ペンシィは魔力の動きを探り、レインとゴルディアは殺気や闘気等の戦闘の気配を探り、ティアは音がなっていた方向を【看破】で見ている。
レインとゴルディアは何も感じ取ることができなかったが、ペンシィは魔力の動きを、ティアは空に描かれた魔力の軌跡を見つけた。
ペンシィは即座に進んでいた方向の上空に向き直り、魔力の軌跡を追いかけていたティアも同じ方向にたどり着いた。
「レインはティアちゃんを運んで!ゴルディアは計画通りに!ティアちゃんは余裕があったら結界を張って身を守って!」
『おう!』
『む、空か!』
「は、はい!」
竜は魔力を使って空を飛ぶ。
ペンシィはその魔力を感じ取り空に視線を向けていた。
その先には空を飛ぶよりも大きな魔力が感じられた。
もちろん魔力の軌跡を辿っていたティアも魔力を目にしたが、それが何なのかはわかっていなかった。
ペンシィは魔力の動きから精霊竜がブレスを吐くつもりだと予測し、3人に指示を出す。
事前に決めていた内容に加え、ティアへの指示も行なった。
『よっと』
レインはティアの顔が背中側になるよう、お腹を右肩に乗せて担ぎ上げた。
いわゆる荷物運び用の持ち方だった。
20年ほど前に魔大陸から流れてきた食材「米」が詰まった米俵を運ぶ様から「お米様抱っこ」とも呼ばれている。
運んでいる姿は「抱っこ」してはいないが、米俵を肩に乗せる前に両手で抱き上げることから「抱っこ」の名を冠することになったのである。
もちろんレインがティアを担ぐ際にも、両手で抱き上げられてから乗せられている。
「お米様抱っこ…」
お姫様抱っこされるのではないかと思っていたティアだったが、お米様抱っこだったので少し気落ちしてしまった。
そんなティアには気付かず、逃げる準備を整えていく3人。
レインはティアを担いでいつでも走り出せるように、ゴルディアはレイン達を背中で庇うように立ち意識を空に向け、ペンシィは即座に発動できるよう周囲を魔力で満たす。
「来る!」
ティア達の準備が整うのを待っていたかのように、空から風のブレスが落ちてくる。
ペンシィは周囲の魔力で岩壁を作り出して前方と左右を覆った後、追加で魔力を流し【錬金術】で鉄に変える。
ブレスは広範囲を押しつぶすかのような放ち方だったので、鉄壁でも貫通しなかったが、一点収集のブレスだった場合目も当てられない悲惨な結果になっていた。
もちろんペンシィはどのようなブレスかをわかった上で鉄壁を出しているので、そんな結果になることはない。
「よし!逃げるよ!」
周囲はブレスによって巻き上げられた雪で真っ白に染まっている。
ペンシィはその雪の一部を風で吹き飛ばし、逃げ道を示す。
その道をティアを担いだレインが走り、後を追うようにゴルディアとペンシィが付いて行く。
ティアは竜がいる方向に顔を向けて運ばれているため、ブレスを防がれた精霊竜が降りて来る光景が目に入った。
ティアの位置からは右半身しか見えなかったが、初めて見る精霊竜はメモリアの資料以上に綺麗だった。
人を数人乗せることができそうな大きな体は真っ白な鱗で覆われており、背中に生える一対の大きな羽は飛膜も含めて白い、後ろ足は太く逞しく、前足は鋭い爪が生えている。
顔も白い鱗で覆われていて、瞳の色は薄い青、額からは虹色に輝く角が生えている。
「わぁ………え?」
「やっぱり…」
『ぬ…まずいな』
『どうした?!」
精霊竜を見ていたティアは、ティア達に向き直った精霊竜の左半身を見て疑問の声を上げ、ペンシィは魔力の流れからその可能性を考えていたのか確信を得て、ゴルディアは精霊竜の様相から状況の悪化を認識した。
ティアを担ぎながら走っているレインは、向き直ることができず3人に続きを促す。
「まだ三分の一程だけど、魔素に侵食されて変貌してるよ!」
『うむ。あれは我の攻撃を受けたのであろう。左半身から徐々に侵食されているな』
「白い鱗黒い棘が生えています。目も赤くなっています」
レインの言葉に3人がそれぞれ返す。
3人の言葉通り精霊竜の左半身の所々から黒い棘が生えていて、瞳の色も薄い青ではなく真っ赤に染まっている。
精霊竜はメモリアに迫った闇属性の攻撃を受けた結果だった。
精霊竜は人とも意思疎通ができるほど高い知能を有しているため、普通であればゴルディアの攻撃は避ける。
それを受けた理由はわからないが、受けたことにより闇属性の魔素に侵食されて、三分の一程が魔獣化してしまっていた。
『竜種の魔獣化?!』
「これは相当厳しい逃走になるね…。幸い魔獣化によってただ暴れてるだけだから、攻撃しても報復されることはないと思うけど…」
『それでも攻撃を逸らす程度に留めておくべきだろう。仮に魔獣化の影響で暴れているとしても、暴れ出した理由が不明なうちは手出しができん』
「だね。魔獣化で凶暴性が増して、意識が朦朧としているみたいだし、こっちから攻撃すると完全に敵認定されちゃうね。防ぐ程度に留めておこう」
魔獣になってしまえば本能に従って周囲の生物を襲う。
しかし、目の前の精霊竜は三分の一程魔獣化しているが、右半身は綺麗なままだ。
この状態だと普段より少し凶暴性が増し、体の中を他者の魔力が蠢くことでの不快感や、その魔力に対して自身の魔力が活発化することによる倦怠感や意識の混濁があるが、自分から周囲を襲うことはない。
つまり、先ほどの音は外的要因に対して対処して、普段より凶暴性が増しているため手加減せず大暴れした結果だった。
そして、そんな状態で空に飛び上がり見つけたティア達を、自分に攻撃してきた者の仲間ではないかと判断し、攻撃を行ったのである。
本来の精霊竜は敵対した相手の魔力を覚え、その相手でなければ攻撃を加えないが、凶暴性が増し、意識が朦朧とした状態では、攻撃する相手ではないかもしれないと感じつつも攻撃してしまっている。
この状態で精霊竜の直接ダメージを与えてしまうと、完全に敵認定されてしまうため、ペンシィ達はそれを避ける判断をした。
「じゃあ全力で逃げるよ!」
防戦一方の逃走が始まった。