Page34「勇者・魔王の事情」
ぬいぐるみの体を得た勇者だった精霊レインと、魔王だった精霊ゴルディアは、新しい体に慣れるため組手をすることにした。
肩書きこそ勇者と魔王だったが、決闘をするまで互いの存在をほとんど知らない関係だった。
勇者からすれば魔大陸のまとめ役として君臨する王で、魔王からすれば精霊大陸の各国に頼まれて色んな仕事をする何でも屋みたいなものだった。
遥か昔であれば勇者は魔王を打ち取った者や、国を救った英雄に送られた称号だったが、大陸で棲み分けることで種族間での争いが急激に減ったため精霊大陸側の決闘者に選ばれた者が名乗る決まりになった。
その決闘もどちらかの大陸から要望を出し、受け取った側の要望を追加して返す。
互いの要望を擦り合わせることを幾度と繰り返すも、互いに落とし所が見つからなかった場合に行われる。
決闘の勝者が敗者に対して出していた要望から一つ指定し、敗者はその要望を飲む代わり、敗者側が提示している要望を勝者側が絶対に飲まなければならない。
通る要望は互いに一つのみとなり、長い時間をかけてすり合わせを行い、決闘で勝っても一つしか通せないためすり合わせに使用したコストが無駄になる可能性が非常に高い。
決闘で一つ得たとしても、全体で見て不利益になれば意味がない。
そのため、150年間行われておらず、最後の決闘も食料品の交易に関する内容だった。
その内容を本で調べたティアは、目の前のぬいぐるみに宿る二人も同じような理由で戦ったのかと考えながら、組手の準備をする二人を眺める。
『ふむ…こんなものか…』
像の獣人パオパオをデフォルメしたぬいぐるみに宿った元魔王の精霊ゴルディアは、ゆっくりと体を動かし構えに合わせて止まる。
『こっちもいいぜ!』
対する馬の獣人パカパカをデフォルメしたぬいぐるみに宿った元勇者の精霊レインも、ぬいぐるみの体を確かめるようにゆっくりと動かしたあと、無手のまま構えた。
剣を出す前に体の動きを確かめることにしたようだ。
「じゃあ、はじめ〜」
ペンシィの気の抜けるような声で組手が始まる。
レインとゴルディアは距離を詰めるために地を蹴った。
精霊になる前の感覚だと、一瞬で詰めることができる距離だが、ぬいぐるみの体だと半分も進まなかった。
構えた状態で見つめ合うレインとゴルディア。
同時に駆け出し、子供のように殴り合いを始めた。
しかし、ぬいぐるみなのでボスボスという音を立てているだけだった。
綿の詰まった顔を殴られ歪んでも元どおり。
関節を狙っても人間ではありえないほど曲がるため極まらない。
『これじゃだめだ!効いてるかわからねぇ!』
『うむ。体の動きは辛うじて把握できたが、ぬいぐるみ同士の戦いでは強さがわからん』
関節技や投げ技を使ったのはゴルディアで、レインは痛みを感じない体をいいことに無茶な体勢のまま殴っていた。
「うーん。さすがに生き物は出せないんだよねー。どうすればいいかな?」
『ふむ。ここでは動きの確認ぐらいにして、外に出たら何かと戦わせてもらおうか』
『そうだな。魔法の練習をしてもいいかもしれないけど、まずは体の感覚をつかんでからだな』
二人が居るこの空間がティアの異空間であることや、ティアの置かれた状況は、ティアが昼寝している間にペンシィから聞いている。
ぬいぐるみ同士だと戦う感覚がつかめない二人は、外に出てぬいぐるみ以外と戦うことにした。
それまでは先ほどまでのゆっくりとした動きではなく、走り回ったり、跳んだり、素振りをして動きを確かめていく。
「ティアちゃんももこちゃんで参加したらどう?」
「やってみます!」
暇そうにレインとゴルディアを眺めていたティアは、ペンシィの提案に飛びついた。
昼食を取るときに部屋まで『マリオネット』で運んでいたので取りに行く。
「どうせだから2人を攻撃してみたらいいんじゃない?ティアちゃんの練習にもなるし!」
「動かす練習ではなく戦う練習ですね。わかりました!」
ポケットからマリ球を取り出し、糸をもこちゃんに繋げる。
もこちゃんを動かしながら部屋を出る。
戦闘時は前に出すもこちゃんだが、安全な場所では横を歩かせて楽しんでいるティアの表情は楽しげだ。
部屋を出て廊下を進むとリビングに繋がる階段がある。
ティアにとっては難なく上り下りできる階段だが、ティアの身長の半分ほどしかないもこちゃんでは、よじ登ることはできても、降りるのは時間がかかる。
ティアの魔力で満たされ、糸で繋がっているためているため、【複製】した剣と同じように飛ばすこともできる。
しかし、操る練習をしているので、できるだけ普通に動かすようにしている。
そんなもこちゃんを操りながら階段を降りるティアと、一段一段ゆっくりと降りるもこちゃん。
そんなもこちゃんだが、バランスを崩して転がり落ちた。
「あ…」
落ちるもこちゃんを眺めていたティアはぽそりと呟いた。
糸が繋がっているためすぐに起き上がらる。
階段を落ちた程度では多少汚れる程度だが、それもペンシィがかけた魔術ですぐに落ちる。
そして何事もなかったかのように歩き出し家を出る。
実際に何も起きていない状態に戻っているので。
「では、いきます!」
家から少し離れた場所でぬいぐるみの体を動かしているレインとゴルディアは、家から出てきたティアの動きに気づいていない。
ティアは気づかれていなことをいいことに、レインの側面を狙ってもこちゃんを勢いよく飛ばす。
『うおっ?!』
もこちゃんの接近に気付き、打ち落すために頭を狙って腕を振り下ろしたレインだが、ぬいぐるみの腕は精霊になる前と比べて短いためタイミングが合わず空振り、直撃を受けて吹き飛ばされる。
『レイン!…これがもこちゃんか!』
レインが吹き飛ばされたことに気付いたゴルディアは、立ち上がった黒いぬいぐるみと少し誇らしげな表情を向けてくるティアに気付き、ぬいぐるみが話に聞いていたもこちゃんだと判断した。
「2人の体の動きを確かめるついでに、ティアちゃんの操作練習もするよ!」
『なるほど…了解した』
『望むところだ!』
ペンシィの宣言とともにもこちゃんへと駆け出す2人と、それを迎え撃つもこちゃん。
ゴルディアの技を防げず投げられ、レインが追撃する。
もこちゃんはティアの操作で不規則な動きで翻弄しながら攻撃する。
二対一の戦いだが、接近戦ではゴルディアとレインが有利になるようだが、高速で動き回るもこちゃんを捉えることはできなかった。
「そろそろ終わる?」
『我は問題ない。動きも大分つかめたしな』
『俺もいいぜ!』
「わかりました」
しばらく戦っていると、もこちゃんが投げられて追撃され、距離をとって突撃するという展開の繰り返しになってきた。
それを繰り返すうち、もこちゃんの突撃を2人が防ぐようになった。
それを数度繰り返すと、ペンシィが声をかけてきた。
最初は防げなかった突撃を防げるようになったので、ある程度慣れたと判断したようだ。
「じゃあ後はゆっくりしてからご飯を食べて、明日に備えようか。夜に雪山を進みたくないしね!」
「そうですね。ではレインさん達とお話ししてますね」
「ゆっくり話すといいよー」
ペンシィに見送られて2人に近づいていく。
絵本で見た登場人物のぬいぐるみが動いているので、近くティアの目はキラキラしている。
「あの、レインさんとゴルディアさんは勇者と魔王ですけど仲は悪くないんですよね?」
『ん?あぁさっき話していた時は昼寝していたな。俺は王様達から言われて決闘しただけだからな!別に物語みたいに魔王だから倒さなきゃいけないなんて思ってもないし』
『我も同じだ。勇者とは決闘相手が名乗る称号という認識で、そこに悪感情はない。今となっては友人のようなものだな』
「友人ですか?」
『うむ。ティアには悪いが決闘は楽しかった。レインは強かったしな。それに、精霊になったタイミングもほとんど同じだから、状況を把握するために助け合ったりもしたからな』
『そうだなー。俺1人だとどうなってたことか…」
レインとゴルディアは、ティアが昼寝しに家に入った後ペンシィに話したことをもう一度話す。
「お二人は国に帰りたいのですよね?」
『まぁ帰れるなら帰りたいけど決闘前に家族に会ってるし、冒険者なんかしてたらいつ死ぬかわかんねぇからなぁ。決闘から戻ってこなければ死んだと思えって伝えたし、仲間も結果を伝えに行く手筈になってるからそんなに心配してないな』
『我は妻に後の事を頼んでから挑んだので治世に関しては問題ない。もう少しすれば王位を息子に譲る予定であったので、その間の繋ぎだな。我も側近が決闘を見ているはずなので結果は伝わっているはずだ』
今の状況を受け入れている2人。
もちろん今すぐ帰れるなら帰るはずだが、今の状態で帰ってもレインの妻とゴルディアの妻は精霊が見えないので話せない。
ゴルディアの場合息子は精霊を見ることができるので、息子経由で話せばいいのだが、側近経由で死んだと伝えられているはずなので、今無理に話して混乱を招く必要はないと判断した。
2人とも死ぬかもしれない事を理解していたので、それを踏まえて家族と交流していた。
未練は子供の成長を見れないぐらいだった。
ティアは2人の内心には気づいていないが、落ち着いた雰囲気から今すぐ帰りたいと思っていないことだけは理解したので、続けて決闘の理由を聞こうとしたが、それよりも早くレインが声を上げた。
『お前息子もいるのか!』
『む、言っていなかったか?』
『娘の話しかしてないな。いいなー息子。一緒に剣の練習したりできるんだろうな。まぁ娘でも剣の練習はしたけど、どうも勝手がわからないんだよ』
『娘でも剣を教えているのか…。確かに息子とは一緒に訓練したり、各地を回ったりしたな。ただ、娘は我に懐いておらんでな…。いつも妻の後ろからこちらを見ているだけだったわ…』
『そうなのか…。ウチも似たような感じだ…。双子ってのは言ったと思うけど、上の娘が活発で下の娘が上の娘の後ろに隠れるんだよ…』
『女の子は難しいな』
『だなー』
2人は子供談義を聞いていたティアに視線を向ける。
今のところティアには警戒されていないどころか、受け入れられている。
それは元勇者や元魔王と言う肩書きのせいか、精霊という存在になったせいか、外見がぬいぐるみになったせいなのか、はたまた別の要因があるかもしれない。
ただ、少なくともぬいぐるみになったことでプラスになっているのは確かである。
どのぬいぐるみにするか考えるほどなので。
「あの、お2人が決闘した理由はなんなのですか?」
視線を向けられたティアは聞きたかったことを口にする。
『俺は戦ってこいって送り出されただけだからよく知らないな。なんか技術提供だっけ?』
『うむ。30年ほど前から我が国を中心に技術革命が起きたのだ。もっとも、外に出たのは20年前だから、ほとんどの者は20年前だと思っているがな。それで、今回はこの技術を要求されたわけだ。もちろん小出しにはしていたのだが、もっと大々的に出すべきだとな』
『それを蹴ったわけか』
『そうだ。こちらは資源を要求したのだが、受け入れられなかったのでな』
「なるほどー?なんとなくはわかりました」
首を傾げつつも、本で読んだ通り互いの要求が通らなかったための決闘だということは理解したが、技術の部分がよくわかっていなかった。
ティアが生まれた時点で技術革命はすでに起きているので。
「では私はご飯を食べてきますね。またお話ししてください」
『あぁ。安全な時であればいつでも構わぬ』
『ゆっくり食べるんだぞー』
2人に見送られて家に入るティア。
残された2人は精霊なので食事は必須ではない。
ペンシィから魔力をもらうだけで済むのだ。
「今日は何にしましょうか」
部屋に戻り、フィーリスボックスから白身魚のバタームニエル、白パン、レーモという酸味の強い果実水を取り出す。
付け合わせの根菜をムニエルソースに付けて食べる。
野菜の甘みにバターの塩っぱさ、香りづけのハーブの香りが爽やかな味にする。
白身魚も蒸してから調理することでフワッとした食感に仕上がっている。
白パンをちぎってはムニエルソースに付けて食べる。
パンにつけるバターとは違う味になり、ティアも自然と笑顔になる。
ハーブを使っているとはいえこってりしたバターをさっぱりとした果実水で流す。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
食事を終えたティアは食器をフィーリスボックスにしまい、箱ごと収納する。
「ティアちゃん!ティアちゃん!」
ティアが食べ終わったことに気づいたのか、ペンシィが窓の向こうから呼んでくる。
ペンシィは飛べるので、家に入らずとも二階にいるティアに声をかけることができる。
「どうしました?」
「外にお風呂作ったからゆっくり浸かって疲れを癒してよ!」
ペンシィが指差す方向には石の壁と、壁の向こうから立ち昇る湯気が見えた。
もちろん二階から覗くことはできないようにするための壁である。
コの字型の壁を作り、湖を見ながら入れるようにしているようだ。
ティアは家を出て裏手に回る。
そこには石でできた脱衣所と、浅めの広い箱風呂があった。
場所によって深さが異なる大きな風呂は、大人でも10人は入れそうだった。
「大きいですね…」
「お風呂にこだわるのはメモリアの流儀だからね!」
その言葉を聞いたティアの頭の中を、メモリアにあったとんでも風呂が過ぎったが、頭を振って忘れることにする。
とんでも風呂はティアには入れない物ばかりだったので。
「では、入りますね」
脱衣所で髪を解き、服を脱いでいく。
脱いだ服はペンシィが回収し、汚れを落とした後『状態維持』をかけていた。
これで汚れも自動的に落ちるようになった。
ただ、自動修復は服の性能上かけることができなかった。
司書用の服は魔力の籠った特殊な糸や布で作られており、物理だけでなく魔法にも強い。
そのため、追加で付与する容量が少ないので一つだけになった。
「気持ちいですね…。できれば湖が完成していて欲しかったですけど…ちょっと怖いです」
髪と体を洗ったティアは浅いところにお尻をつけ、足を伸ばして座る。
そんなティアの目の前には、湖予定となっている大きな穴が見える。
深い穴は黒い大きな口を開けているようで、少し恐怖を覚えるほどだった。
「ふぅ…いいお湯でした」
しばらく穴を眺めて満足したのか、ゆっくりと淵に進み、上がる。
ティアのためなのか小さな足場が用意されていて、淵をまたぐのが非常に楽になっている。
脱衣所で体を拭き、ペンシィが用意したトカゲの着ぐるみパジャマを着て、石壁の向こうにある石造りのベンチに座り、風の魔法で髪を乾かす。
乾いたことを確認するかのようにフワッと髪を広げた後、水玉を作り出して飲み、一息着く。
着ぐるみパジャマなのでフードはあるが、まだ暑いので被らない。
そのままボーッとしているうちに眠気が襲い、船を漕ぎだすティア。
「ここで寝ちゃダメだよ!ほら!部屋に行こう!」
「ん…」
ペンシィに促されて眠い目を擦りながらフラフラと進む。
そんなティアに気づいたのか、2人のぬいぐるみがティアの手を取り部屋まで案内する。
レインとゴルディアは、ティアがお風呂に入っている間も体を動かしたり、魔法の練習をしていた。
しばらくするとティアが風呂から上がり、ボーッとし始めたので、それを眺めて休憩していたのである。
少女を眺めるぬいぐるみという、普通とは逆の光景だが、2人を満たしていたのはただの父性であった。
『寝かしつけたぜ』
『うむ。昼寝後の訓練で疲れたのであろうな。魔力操作は精神に負荷がかかるからな』
「まぁ、まだ旅に出て2日目、明日で3日目だからねー」
3人は明日の予定を話し合い始めた。
と言ってもティアの体力に合わせるため、ゆっくりと進みながら、戦闘訓練を積むことになった。
元勇者と元魔王が加わっても、旅の道程に変更はなかった。
所詮微精霊なので。