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夢幻犬鏡 ※整備中  作者: 奥瀬
第一章 朝敵東夷 平将門と藤原秀郷のこと
6/39

 第一章 全文

 禁中の鬼

 

 男は鬼退治を命じられた。

 男の職は滝口の衛士。

 滝口とは清涼殿の東北にある御溝(みかわ)(みず)が滝となって落ちるところを言い、ここに内裏警護の侍の詰め所がある。

 そう、鬼の出るところとは宮中であった。


 平安京に都が遷され、百余年。その核たる宮城は広大に過ぎ、管理警備する役人の手に余った。築地は崩れ落ち、破れ目から侵入した狐や野犬が棲みつく、物乞いが徘徊する、その程度ならばまだ良いほうで、盗賊の出没や不審火、いつぞやは狂女までもが城門に入り込み、人を襲ったという。


 ただし、滝口の警備は御座所近くのほんの一角。


 本来これらを取り締まるべきは六衛府の武人であるが、人手も武器も不足し、

「へたなものに手を出すな。怪我でもすれば馬鹿を見る」

 諸国から徴収された下役にあって、巡回するのは安全な場所ばかり。事件めいたことが起きようとも見て見ぬふりをした。

 (もと)よりとは云え、荒廃を助長させたのは、彼らの怠慢にも一因があったろうに。


 ――そのつけが滝口にまわってきたか。

 だが、よもや鬼までが出没するようになるとは。

 しかも、皇妃のおわす後宮に現れたという。

「その鬼は、もとは人間だったのだ」

 上役たる蔵人が言うことには―――


 半年前、(ぎょう)華舎(かしゃ)の女御が得体の知れぬ病に倒れた。病気快癒の祈祷のため、名高い阿闍(あじゃ)()が呼ばれたが、美しい女御の姿を一目見た彼は恋に落ちた。

 行者は愛しい女のために、病魔退散を一心に祈った。

 効験あってか、やがて女御の病気は快癒し、彼は(おも)いを伝えようとした。けれど、女御にきっぱりと撥ねつけられる。

 当然であろう。

 周りの人々からも諫められた阿闍梨は、現実を受け容れることができなかった。


 苦しい片恋に我が身を責めさいなまれ、己れと女御を阻む身分の壁、戸惑う周囲の人間、ひいては主上や拒絶した女御さえ恨んだ。

 阿闍梨は断食の果て、

「この上は、鬼となって祟らん」

 呪いの言葉を遺して、死んだ。

 果たして、呪い通り鬼として復活した行者は宮中に押し入り、凝華舎の女御を襲った。女御の髪を引き掴み、その体を我物とし、以後、昼となく夜となく(まぐわ)っているという。


 帝を始め殿上の方々は、恐ろしさの余り近寄ることもできない。日ごろ居丈高な近衛府の役人も及び腰だ。衛府の上臈たちは前例のない事態に不始末でも犯し、栄誉ある役職に(きず)がついてはと恐れたのだ。

 だのに、上司は、

「そもそも御座所の鬼門(北東)を守るため、この滝口へ詰め所が置かれたというに、鬼の侵入を許したとあれば、滝口の名折れであろう」

 滝口の武士は天皇を悪しきものから守る(へき)(じゃ)の役を担っているのだからと決めつける。

 男は、

「そうですか? 別に北東(うしとら)に限らず、鬼だって、入りたいと思えばそこから入るでしょうし、出たいと思えばそこから出るでしょう。第一、凝華舎なら滝口はお門違いじゃないですか。結局、歴史の浅い滝口へ厄介事を押しつける気なんでしょう?」

 と、喉元まで出かけたが、さすがに後事を考えて口をつぐんだ。


「聞くところによるとおぬし、腕には相当の自信があるようだの」

 思わせぶりに言われて男は気付いた。

 以前、酒に酔った際、

「俺は本来このようなところにいるべき人間ではない。先祖をたどれば桓武天皇の末裔で、父は鎮守府将軍。今はまだ無位無官だが、いずれ武芸で目をかけられて検非違使の(じょう)(三等官)に――」

 と口走ったことがある。


 けれど、仲間内の、しかも酒の席での話が上司に伝わるとはいい気がしない。自分をよく思わぬ人間が告げ口でもしたのだろうか。

「どうだ。運試しに承香殿の鬼を退治してみるのは。うまくすれば検非違使庁か衛門府に推挙されるまたとない機会だ」

 検非違使は都の非違(犯罪)を取り締まる花形武官。武人であれば誰もが憧れる役職だ。


 心動かされた男のようすに、上役は凝華舎へと向かわせる。

「何、お前一人で行かせようというのではない。加勢をつけてやるから」

 と言われたが、振り返ってみれば、仲間の衛士たちは随分な距離を隔てて付いてくる。


 天子の末裔といえど、男の祖父、高望(たかもち)(おう)が皇族の列を外れ、下総国(千葉県北部・茨城県南部)に下ったのは数十年も前のこと。父は鎮守府将軍にまで出世していたものの、その七光りに預かる前に亡くなった。

 父親にも自分にも故郷に多くの兄弟がいたが、板東の僻地で埋もれるのは真っ平だった。故に、己れの武勇を試そうと縁を頼って上京したが、都では臣籍に下った天皇の子孫は掃いて捨てるほど。あまつさえ、東国に土着した皇孫など、すでに忘れられた存在だった。

「分をわきまえることを知らず、矜恃だけは人一倍強い東夷(あずえびす)め、ちと懲らしめてやろう」

 そう(うそぶ)く人々の顔が浮かんだ。


 父祖の官位に見合った身分を、と願う己れを、周囲の人間は、

 ――持て余していたのか・・・・・・

 有官無官が混在する滝口にあって、自分は同じ衛士として対等と思ってつき合っていたが、他の者はそうではなかったらしい。

 ――俺は(てい)の言い当て馬か。

 自分一人にようすを伺わせ、鬼の出方を待つ。運悪く鬼の反撃にあっても犠牲は一人。東国生まれの(てて)なし児に斟酌はない。


 天皇の御座所たる清涼殿の北、()香舎(ぎょうしゃ)前を過ぎ、男は凝華舎へ向かった。

 悪鬼退散のため陰陽師が呪法を修し、僧侶が祈祷を行なったそうが、効き目はなかったという。

 ――宮廷(ここ)の人たちは何かあると拝んでばっかりだ。

 そういえば、数日前より邪気払いの鳴弦(めいげん)を常になく命じられた。

――ろくな説明もなかったが、こういう事情であったか。


 男は植栽伝いに身を隠しながら、広縁越しに局を伺った。

 (なか)は凄まじい有様だった。御簾は破れ、几帳は倒され、昼の日差しが届かぬ薄暗い(へや)の奥で蠢くものがある。

 身の丈七尺ほどの体躯にまとうものはなく、代ってごつごつと瘤のように盛り上がった背中の筋肉。腹の下には組み敷かれた女の姿があった。

「おぞましい・・・・・・。あれが世に聞く鬼というものか」

 休みなく上下に動作する巨体に、

 ――俺への懲らしめというには、随分と手強そうな相手だ。下手をすれば命はないぞ。

 それとも怯えて逃げ帰ってくるのを期待しているのか。


 男の左手には弓、右手には矢。鎧はなく職服である(あい)()りの(かち)()胡簶(やなぐい)を負い、腰には黒鞘(くろさや)の太刀を帯びていた。

 体を前へ。沓をぐっと踏み出す。

 ――検非違使庁への推挙を・・・・・・

 決して効を焦ったわけではない。

 しかし、油断しきった鬼の背を見て、今ならやれると思った。

 弓に矢をつがえ、矢壺を定める。

 鬼の背中、双の貝殻骨の合間に―――

 ビュッと矢を放つ。

 狙いは違わなかった。


 しかし、鬼の肉を貫くはずだった矢は、あっさりとその皮膚にはじき返された。

 ――何という鋼の躰。

 男は目を見開いた。

 快楽(けらく)を邪魔された鬼は動きを止め、ゆっくりと振り向いた。

 怒りに燃える瞳は、薄闇の中で脂を浮かせたようにぎらついていた。

 鬼は男と目が合うと、瞬間、女を躰から引きはがし、

 巨体に似合わぬ疾さで跳び上がり、広縁の欄干(らんかん)を蹴って男へ襲いかかった。


 男は直ぐさま二の矢を継いだが、またもやはじき返され、目の前の鬼を見上げるようにして対峙した。

 日の光に露わになった赤銅色の肌。口には刃のように長く鋭い歯が並び、そこからだらだらと涎を流していた。

 ――これが聖者のなれの果てか。

 唖然となったが、それも一瞬のこと。男は真横に跳躍する。

 植栽を盾に遮ろうとしたが、鬼はいとも容易く庭木を引き抜き、男目がけて振り下ろした。


 男は弓矢を捨て、再び真横に跳躍した。太刀を引き抜き、

「南無、妙見大菩薩」

 そう口の中で唱えながら、刃に素早く舌を這わせた。

 庭木をこん棒のように振り回す鬼の巨体。その側面へ回り込む。

 鬼の躰がこちらへ向くより先に、振りかぶった太刀で鬼の脇腹を斬り裂く。そのまま背後に回り込み、太刀を構え直す。

「南無、妙見大菩薩」

 もう一度唱える。


 背中の真ん中を、心の臓を狙う。身体ごと跳び込んで、太刀を突き入れる。

 腕にしっかりとした手応えがあった。矢では容易く弾き返された鬼の身体に、男の太刀が深々と貫いていた。刃は鍔口近くまで沈み、男の半身は鬼の身体に頬から肩、腰に至るまで密着し、男と鬼の身体は刃を通して一体となっていた。


 鬼が()()きながら倒れかかる。肉に噛まれた太刀を掠われぬよう(つか)をぐっと握り締め、(こら)えた。

 自然、鬼が地面に倒れ着いたとき、太刀は剥き身となる。それを持ち返し、鬼の首めがけて振りかぶった。

「――――・・・・・・」

 断頭の血飛沫が、魔獣の咆吼めいて男の体に降り注ぐ。


 それから男は右手に太刀を下げ、左手に鬼の首を高々と掲げると、大声で呼ばわった。

「皆の者、ご覧じろっ。(さきの)鎮守府将軍平良将が息、将門! 鬼の首討ち取ったりっ」

 鮮やかな血の色で真っ赤に染まった身体、白目だけをギラギラと輝かせる男に、誰もが畏怖の念を抱いた。近寄りがたいほどの・・・・・・


 畏怖? いやむしろ忌避と言っていい。その傍で息絶える鬼よりもなお恐ろしい、人の姿をしたもう一人の鬼だと・・・・・・

だが男はそれを知らず、血まみれの顔をほころばせ、周囲を見渡した。


 狐少女(きつねおとめ)


「ねぇ、父上、父上はどうして奥州に行くの?」

「それは天子さまより陸奥将軍の任を受けたからだよ。奥州に出かけて、悪いエミシをやっつけるようにとね」

 将門は、子ども時分、本拠の下総から奥州に下向する父親との会話を思い出していた。

「エミシ?」

「中央の政府にまつろわぬ者たちのことさ。毛深いから毛人と書いてエミシと読むんだ。奴らは税もろくに払わず、神仏のありがたさもわからぬ輩で、我らの仲間をいじめて追い出そうとする。だから成敗のため私が将軍として遣わされるのだよ」

「すごいな。父上は! 奥州に行ったらエミシをいっぱいやっつけてきてね」

「ははっ。本当の戦いになることはほとんどないだろうけどな」

「?」

「さすがのエミシも天子さまのご威光を畏れて、このごろはよう戦わなくなった。まぁ、代々の将軍が奥州まで行って、こうグッと睨んでいれば奴らは何もできないのさ」

「へぇえ」

 目を丸くして感心する息子に、

「お前も将来、それくらいの男になってほしいと父は願うが」

「うん、ぼく、大人になったら父上みたいな将軍になる!」

「よしよし、いい子だ」

 頭を撫でてくれた父は、それだけでは足りないとばかり将門の体を抱き上げ、頬ずりした。


 だが、そのときの父に、どれほど息子の夢を信じ得ただろう。自身の将軍就任も破格の待遇であった。努力だけで手に入るものではない。けれど、父親の跡を継ぎたいと申し出た息子の言葉をきっと喜んでくれたと思う。

 父親に少しでも近づけるよう将門は弓馬の道に精進し、京へ出て出世の機会を伺っていた。しかし、今ある職の中でそれをどう得ればよいのかわからず方途を見失っていた。凡庸な同僚たちの中で埋没したくないと、人知れず悩みを抱えながら、年月ばかりが無駄に過ぎた。


 しかし、今回の鬼退治で運が巡ってきたのだ。

 ――これで検非違使への推挙は確実だ。

 将門は労をねぎらわれ、数日の間当番を免除された。

 男は私君とする藤原忠平の邸宅へ帰った。非番時は、邸の一隅に故郷(くに)から連れて来た家人とともに寝起きしている。

 禁中に鬼が現れる(さま)に、都の治安など推して知るべしである。権門たる忠平も放火や群盗に怯え、東国者の武勇を頼りとしたのである。

 持ちつ持たれつ。

 忠平は、頭首たる将門に滝口の職を与え、出世の(いとぐち)とさせてくれた。

 家人たちは今日の将門の活躍を聞いて喜んだ。これで主人も日の目を見られると。

 主人の出世は家人の出世。

 永らく肩身の狭い時間を過ごさせてしまったが、これで彼らも報われる。将門はようやく主らしい行いができたと、もう一度喜びを噛みしめた。


 だが、翌日、宮中では再び怪異が起きた。

 夜になって庭前に妖火が出没したのである。

 すわ、先日退治した鬼の祟りか。

 殿上人が色めき出し、滝口の詰め所では再び将門が呼ばれる段になったが、一部の同僚が異議を唱えた。

「東国者にまた手柄を立てられるのは業腹ではないか」

 将門に畏れとも反感ともつかいない感情を持つ者は少なくなかった。

「それに今回の妖火は人間に危害を加えるわけでもない」

 ただふわふわと園庭を巡り、女子どもや気の弱い連中を怯えさせるだけである。

「それほど恐ろしいものとは思えぬ。我らの力だけで解決できよう」

「何、危険だとわかれば、逃げれば良いだけだ」

 彼らの意見は一致した。

 とはいえ、直接に魔物を退治する自信はない。

 臆病な彼らは昼に罠を仕かけ、夜にようすを見ることにした。

「上手く罠にかかればしめたものよ」


 果たして、翌晩も魔物は宮中に現れた。妖火はゆらめきながら庭の植栽の間を巡り、寝殿の(きざはし)に近づくなどして、あちらこちらと移動した。まるで何かを探すように。

 それを彼らはじっと息をひそめて見守った。

 やがて罠をしかけた場所へ。ぴょん、ぴょんと飛び跳ねるように近付いた火の玉。

 人々はごくりと唾を飲み込んだ。

「キャン」

 犬、しかも子犬が鳴き叫ぶような声。

「やった!」

 人々はしてやったりと手を打合せ、快哉の声を上げた。

「あの泣き声、やはり狐であったか」

「妖火は鬼火でなく、狐火だったのだな」

 顔を見合わせうなずき合ったが、真暗い中、確かめに行く勇気のある者はなかった。

 明日、陽が高くなってからと申し合わせ、彼らは詰め所に帰って行った。

 あとにはばたばたともがき苦しみ、きゅんきゅんと切なげに声を上げる子狐の影だけが残った。


 翌朝、夜も明けきらぬうちに将門が宮中へ出仕すると、滝口では昨夜捕らえた狐の件で持ちきりだった。

 しかも、狐はまだ罠に繋がれたままだという。

「妖狐を捕まえたと? ならばなぜそれを確かめぬのだ」

 不思議がる男に、同僚の一人が、

「皆、おぬしと違って慎重なのだ。外はまだ薄暗い。もう少し日が高くなるまで待たぬか」

 と言った。

 将門は、仲間の怯懦を鼻で笑うようにして、

「そなたらの罠にかかる物の怪など小者であろう。俺が行って確かめてくる」

 と言って、立ち上がった。

「行くのか」

「その通りよ」

 大股で歩き出した男に、仲間が一人二人と付いていく。


 園庭の築山に植えられた松の枝から、一条の縄が垂れ下がっていた。その真っ直ぐに伸びた縄を目でたどっていくと、縄の先には、白く細い人の足がぶらさがっていた。さらに近付いてよく見れば、上半身を地べたに付き、片足を釣り上げられた(めの)(わらわ)がいた。

 秋草を散らした汗衫(かざみ)姿で、両の前髪を物忌み(リボン)で()めた顔の下半分を東雲(しののめ)オレンジピンクの袖で隠している。残りの足が折り曲げられているのは、その姿勢のほうが幾分(いくぶん)楽になるからだろう。こちらを伺う目の色に、痛みと羞恥がない交ぜになった感情が見て取れた。

「女童とは奇体な。これはきっと狐が化けたものに違いない」

 仲間たちは注意を促したが、将門は気に留めるようすもなく、近寄って少女のむき出しになった白い(すね)を掴むと、腰の太刀でぶつりと縄を切り、足を地上に下ろしてやった。

 まだ縄の絡む足首を見れば、よほど暴れたのか肉にまで縄が食い込み、固まりかけた血がこびりついて痛々しい。将門が縄を解いてやると、傷口からかさぶたが剥がれ、血が湧き出した。

「きゃん」

 痛みの余り少女は声を上げ、慌てて口元を袖で覆った。

 突き出た耳がむずむずと動いて、少女の正体がわかりそうなものだが、将門は黙々と手を動かした。己れの上着の袖をまくり、小袖(下着)の端を歯で切り裂くと、その切れ端で足の傷を押さえた。

 うるうると目に涙を溜める少女にやさしげな眼差しを送り、

「心配するな。すぐによくなる」

 と励ました。器用に布を巻き結び、

「いたずらが過ぎるから、このような目に遇うのだ。もう人を驚かすような真似はしないか」

 将門が言うと、女童は神妙そうな顔でうなずく。

 手当が終わり、立ち上がろうとする少女に手を貸し、

「大丈夫か、住まいまで送ろうか?」

 少女は黒髪を揺すりながら(こうべ)を振り、袖を口にやったまま、

「ここでけっこうでございます。・・・・・・あの、お名前を教えてくれませんか・・・・・・」

 妖し相手にどうかと思ったが、将門は正直に自分の名と、藤の大臣(おとど)忠平の庇護を受けていることを伝えた。

 童女は頭を下げて背を向けると、怪我をした足を庇いながら築山の陰に去った。

「――間違いなく狐だった。きゃんと泣いたときに頭から耳が出たし」

「尻尾まで出ていた」

 背後で見ていた同僚たちが口々に言い出す。

「白い毛だから白狐だな。神の使いかもしれぬ。それにしても人間の仕かけた罠に捕まるとは若すぎる」

「しかし、いいのか、勝手に逃がしてしまって」

 と、彼をとがめようとする同僚へ

「妖しとて約束は守るだろう。二度と宮中に変異が起きなければ、それでいいではないか」

 将門の答えに、同僚は何か言いたげだったが、反論はない。

「だが、旨いことをした。相手が狐たれば、この礼に今宵、伽に現れるかもしれぬぞ」

 仲間の一人が愉快げに将門の肩を叩いた。

「悪くはない話だが、もう少し年をとってくれねば。年端もいかぬ女童では何もできまい」

「そうだな、あと四、五歳、年を経た姿か、子狐の変わりに姉狐でも現れれば、楽しみもあるだろうに」

「毛皮を脱がすなり、肉を喰むなり、か?」

 男たちは益体(やくたい)もない軽口を言い合った。


 狐の子を助けた日の午後、将門は忠平邸の一室でごろごろと横になっていた。

 休暇空けで宮中に出仕したはずなのに、昼寝とは?

 またも何かの休暇か?

 いや、これは謹慎であった。

「せっかく捕らえた妖狐を放つとは何事だ!」

 上司に呼び出された将門は、

「いえ、捕らえられたのは狐ではなく、女童でした」

 と、とぼけようとするが、

「その女童が狐だったのだ。この愚か者めがっ」

 いきり立つ上役に、これ以上言葉を重ねるのは無駄だと気付いた。

 ――告げ口か。

 仲間と思っていた同僚に密告され、将門はひどく落胆した。表情(かお)に出かかり、慌てて頭を下げ、誤魔化そうとしたが、

「検非違使への推挙もあきらめよ」

 非情な言葉が落ちる。

「しかし、先日の鬼退治では―――」

 とっさに男が反駁しかけるのを、

「お前は御所を妖しの血で穢した。主上は大変ご不快になられたということだ」

 上司が去った後も、将門はしばらく顔を上げることができなかった。


 その夜、悔しさと昼のふて寝のせいで将門は寝付けなかった。

 寝室は従者たちとの雑魚寝である。

 さすがに主従の間は、胸丈ほどの古屏風で仕切られていたが、屏風越しに家人たちのいびきが聞こえ、男所帯のむさ苦しさにほとほとうんざりした。

 ――まったく耳をふさぎたいくらいだ。

 とはいえ、耳を澄ませば、男らのいびきの合間に秋虫の音が届く。

 ――東国と京では虫の言葉も違うのか、鳴き声も雅めいて聞こえるな。

 風流な音色は、この男臭さを和らげてくれるようだが、

 ――都で俺に優しいのは、虫だけとは・・・・・・

 そう嘆息しつつ、

 ――いや、人間の中にも、全くいないわけではないか。

 と思い直す。

 例えば、この邸の主、藤原忠平公。右大臣として朝廷に重きをなしながら、穏和な性格で将門を決して蔑ろにしない。

 それから、ともに東国から上京した従兄の貞盛。彼は将門と違い、要領の良さで都人にも受けがよく、官位を得て順調に出世している。普通、世渡り上手の要領者というと、こすっ辛い人間を想像するが、貞盛はそうではない。思慮深さと礼儀正しさを併せ持ち、それが人に信頼されるもととなっていた。

 貞盛は、なかなか都に馴染めぬ従弟を親身になって心配してくれた。


「――俺はだめだ。都の水が合わない」

 まだ少年時代から抜け切れない年ごろだったか。

 都の郊外、鴨川に架かる大橋の欄干にもたれかかって、流れる川面を眺めながら彼に嘆いたことを覚えている。


 橋の東には、故郷へとむかう街道が続いていた。望郷の念に駆られ、窮屈な都を逃げだそうとまで思い詰めていた。それを、

「将門、無位無官のまま田舎にかえったら、いい笑い者だぞ」

 貞盛が引き止めてくれたのだ。

「いいんだ。田舎で弓馬の鍛錬をしていたほうがずっとましだ」

 そう開き直る将門に、

「弓馬の鍛錬にだってコツがあるだろ。都で生きていくにもちょっとしたコツがあるんだよ。余計なことをせず、同僚たちのすることに合わせる、上司の望むものは何か先を読んで、それを差し出せばいいんだ」

「だから、それが俺には出来ないんだ。余計なことと先を読んですることの違いがわからない。第一、同僚に合わせてばかりいたら誰からも目をかけてもらえない! それじゃ意味がないじゃないか」

 己れの吐く言葉の愚痴っぽさを恥ずかしく思いながら、将門は自分の口を抑えることができなかった。

「貞盛はいいよ。すごく都に合ってる。田舎にいたころより生き生きしてる。何で従兄弟(いとこ)なのに、俺とお前でこうも違うのかな」

 全くの八つ当たりだったが、貞盛は笑って受け流した。

「将門だって、そのうち都になじむようになるって。そうなれば、お前のような人間は大器晩成というか、一度波に乗ったらどんどん高いところに行けるよ。それに比べて私みたいな人間は、最初のうちはうまくいっても途中で伸び悩む。なぁ、人の一生なんて、そのどちらかだと思うよ」

 お前は自分より上になるやつだ、そうなったら引き立ててくれよ、と持ち上げられ、少年将門は、もう少し都に踏みとどまろうと思い直したものだ。


 だが、その従兄ともこのごろは疎遠になりつつある。余程の用がない限り顔を見せることはなく。

 ――官位を得た者は忙しいのだろう。

 この彼我の差に、焦りを覚えて久しい。


 将門が虫の音に耳を傾け、ようやくまどろみかけたころ、ふいに庭先が静まり返った。

 庭の生き物たちが、皆、息をひそめたかのような、静寂。

 体を起こして見れば、妖火が前栽(せんざい)の草木や室内を煌々と照らし、漂っていた。

 将門は枕元にあった太刀を素早く手にすると、濡れ縁に跳び出した。

 剥き身となった刃。と、同様に彼自身も殺気立つ。

「・・・・・・無粋でございましょう。そのような金臭いものは仕舞われてはいかがかしら」

 炎がひときわ輝いたかと思うと、中から小袿姿の(あで)やかな女性(にょしょう)が現れる。

 肩に垂れかかる黒髪はつややかにして、肌白く、切れ長の目は婀娜(あだ)めいて。

「そなた、もしや昼間の・・・・・・」

 男は呆然としながら問いかけた。

「昼間、あなた様に助けられた女童の姉にございます。妹は年端もいかぬ故、替わりに礼を延べに参りました。さぁ、お望み通り『毛皮をはぐなり』、『肉を喰むなり』、何なりと」

「いや、それは・・・・・・」

 今さら冗談であったとも言えず、将門は口ごもった。

 後ずさりして、屏風を蹴倒し、従者を踏みつける。

 だが何の妖術か、彼らは寝入ったまま起きない。

 女は、従者の身体をひょん、ひょんと跨ぎながら、将門に近付いた。


「さぁ、遠慮は無用です」

 嫣然と微笑まれて、将門は慌て口を開いた。

「噂に聞く。狐は人の男と交わって陽の気を吸い取ると。そして気を吸い続けられた男はやがて命を奪われると」

「その噂の半分は正しく、半分は誤りです。確かに狐は陰の性、己れの力を高めるために陽の力を必要とします。ですが、人間の男も同じ、我らと交わることで陰の気を得、自らの力を高めることができるのです。もっとも陰陽の力の釣り合いがとれぬ場合は、別。どちらかが命を落とすこともあるそうですが」

「言うたな。やはり、そなたは人に(あだ)なすものだ」

 女はくすくすと笑った。

「何度も言わせなさいますな。狐に気を取られるだけの男は徒人(ただびと)御身(おんみ)とてご自身で気付かれているのではないでしょうか。己れが特別な人間だということを」

 思いもよらぬ狐女の言葉に、

「そのようなことはない。むしろ俺は平凡な男だ」

 将門は少し目を伏せ、

「京にのぼり、幾年経とうても、宮中の雑用をするしかない東夷(あずまえびす)だ」

 と、自嘲気味に言った。

「ならば、そのような境遇が間違っているのです。私は人間を見ます。あなた様は千年に一人の天下の逸物(いちぶつ)。さぁ、私と交わって本来の力と地位を得ようでありませんか」

 狐女は男の顔の前に迫った。

 将門は周囲を見渡した。狐女の身体から発せられた光はひそめ、あるのは月の光ばかり。邸の者は皆寝静まったまま、誰も起きる気配はない。

 女が胸に寄りかかって来たので、思わず抱き締める。

「これは何かの夢か。俺は誰かの夢の中に紛れ込んだのか」

「夢なら夢で、楽しき夢を見ようではありませんか」

 目を細めて微笑む女へ、

「・・・・・・そなた、名は何と申す」

 将門は観念したように、名を問うた。

 男が女に名を訪ねること。ここから男女の仲が始まるのだ。

「・・・・・・桔梗にございます」 

「桔梗か、良い名だ。俺の名は・・・・・・」

 言いかける男の唇を、女は人差し指で遮り、

「存じております」

 男と女の目と目が見交()わされる。

 二人の体が褥の上にゆっくりと沈む。

 男の手が女の身体をなぞり、下へ下へと向かった。

 たどり着いた先は・・・・・・


「きゃん」

 女が鳴き声をあげた。将門が掴んだものは狐女の足首だった。

 見る見るうちに、妖艶な美女の姿は崩れ、昼間の女童が現れた。目に涙を浮かべ、しかも頭には狐の耳、腰にはふさふさした白い尻尾を出し。

「ひどいよ。こんなことをするなんて」

 口を尖らせて抗議する半妖の童女。

 その足首から手を離し、

「はやりそういうことか」 

 将門は苦笑しながら、自分が巻いた包帯の上を撫でてやった。

「大人の冗談を真に受けて、本当にお前は子どもだな」

「子どもじゃないわよ。途中まで本気だったくせに! どうしてやめたのよっ」

「俺に童女趣味はない。昼間のおぬしの姿をちらついたから、やる気が失せた」

「ひどい。女に恥をかかせてっ」

「何が女だ。まだ化け方も(はん)()な子狐のくせに」

 将門に三角耳を突っつかれ、少女狐は慌てて耳と尻尾を隠す。

「桔梗というより、撫子(なでしこ)だな」

「いやよ、そんな子どもっぽい名前! ぷんっ。半可なのはまだ人間の男を知らないからよっ。だから今夜あなたと寝て力をつけようと思ったのに」

「何だ。昼間の礼に夜伽に来たと思ったが、そんな不純な動機があったのか」

「いいじゃない。男と女は持ちつ持たれつって言うでしょ」 

 頬を膨らませる少女狐に、

「子どものくせにませた口をきく。その男と女のことも知らないというに」

 将門は相手にしようとしなかった。

 それが少女にはますます口惜しいらしい。

「このまま何もしないで帰るのは(しゃく)だから、隣で休ませてもらうわ。添い寝ぐらいならいいでしょっ」

 堂々と男の褥に横たわる。

「御身ほどの男なら添い寝だけでもきっと力を得られるはず。何しろあれほどの妖力を持つ鬼をたった一人でやっつけたのだから」

 将門は仕方なく少女の隣へ横になった。

「御身の噂は妖しの間で持ちきりだったのよ」

 将門はため息をついた。

「妖しの間でいくら話題になったとて嬉しくもない。人間の中で名を上げねばならぬというのに、お前を見逃したせいで俺は無位無官のままだ」

「あら、それは周りに見る目のある者がいないからよ。大丈夫、私の目には狂いはないから。それにしても、御身の上司の目は節穴ねぇ。たった一人で鬼を退治したというのに何の褒美もないなんて」

「たった一人で退治したというが、あれは無我夢中で・・・・・・、それに俺の信奉する妙見菩薩の加護があっての・・・・・・」

 将門が言いかけると少女の耳がぴくぴくと動いた。

 妙見菩薩は国土を守り、災厄を取り除く菩薩であるが、

「御身は妙見さまが好きなの? 気が合うわねぇ。北辰(北極星)の化身で、北斗七星を眷属に持つ妙見さまと狐は縁深いのよ。となれば、御身と私にも縁があるんだわ」

 ふんふんと鼻を鳴らし、ご機嫌なようすである。

 それから、男の瞳を間近に見上げ、

「ねぇ、ちょっと抱き締めてみて」

 甘えるような声を出す。

 男はそれくらいならと、少女の言うとおりにした。

 己れの自制心に自信があったから――

 将門の胸の中の少女の温もりが衣越しに伝わってくる。

「狐はね、他の獣とちがって雌雄で子を育てるの。でも私は生まれたときから父親がいなかった。母親も小さいうちに人間に捕まってしまったし。きょうだいもなかったからずっと一人だったんだ」

 少女はきゅぅうと身を縮こまらせ、

「こうやって誰かと一緒に寝るのはいいものだね」

 と呟いた。

孤児(みなしご)は仲間から馬鹿にされたりいじめられたりするんだよ。ねぐらを奪われたり、食べ物を横取りされたり・・・・・・ 生きていくために、人と狐の世界を行ったり来たりしていたけどさ。いつも強くなりたいと思っていたよ……誰からもいじめられないように」

 少女の一人語りに、将門は心を動かされた。

 この子狐が自分へ同衾(どうきん)を迫るのは、その実、父母やきょうだい、家族というものに乞い焦がれているのではないかと。

「まぁ、命を奪われるのでなければ、陽の気とやらを分けてやらぬでもないが・・・・・・」

 将門の口からつい、そんな言葉がこぼれた。

「本当? うれしい!」

 少女は男に抱きつく。

「だがそれは、あと何年か経ってからのことだ」

「え――、でもいいわ。約束よ」

 嬉しげにに己れの胸の中で丸くなる少女に、男は苦笑する他なかった。


 翌朝、将門の前で少女は両手を拡げ、くるりと一回りしてみせた。東雲色の汗衫が女童の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。

「すごいわ。御身の陽の気は素晴らしい! 一晩でこんなにも違う」

 童女のはしゃぎ振りに、将門は片腕を枕に寝ころんだまま、

「大して変わったとも思えぬが」

 と言うと、

「ううん。これを見て」

 撫子が袴の裾をたくし上げ、包帯を外すと昨日の怪我はすっかり直っていた。

 将門は驚いて体を起こした。

「昨夜の約束、忘れてないわよね。あと何年かしたら、私と契ってくれるって。私、それまでずっと御身のそばにいるから」

「ちょっと待ってくれ。ずっとそばにとは」

「心配しないで。昼は男子(おのこ)の姿になるから、家来の一人にでもしてね」

 ぴょんと跳びはねると(わらわ)水干(すいかん)の少年の姿に変じた。

「――…」

 この騒ぎに起き出した従者たちも屏風の(へり)から顔を出し、目を丸くする。

 そんな彼らに少年はぺこりとお辞儀をし、

「よろしく、先輩たち。今日から一緒にお勤めすることになった桔梗丸です」

「桔梗じゃなくて、撫子(・・)丸の間違いだろ」

 将門がからかうと、

「もうっ、そんな子どもっぽい名前、いやって言ったでしょう。ぷんっ」

 怒って見せるが、名前を付けたということは少女を受け容れたということ。

 思わず頬がゆるみ、『撫子丸』は将門と笑い合う。

 何も知らぬ従者たちは、目を白黒させるばかりであった。


 その日から撫子は、昼は将門のもとで雑用をこなし、夜は女童の姿に戻って、男の褥で甘えかかった。

 将門は撫子へ父のような兄のような気持ちで接した。

 もっとも、その『父のような、兄のような気持ち』でいられたのも、長くは続かなったが。


 ――まさか、都で狐の女房を(めと)るとは。

 すやすやと腕の中で眠る彼女を見ながら、将門は頭を掻くしかない。

 何しろ狐の子は夜ごと男の陽気を吸収し、彼の腕の中ですくすくと成長していくのだ。

 変化を得意とする狐は性別・年齢に関係なく化けることができる。一方で『撫子』は、この少女狐の人型としての本質(・・)だという。

 ある日、

「――今日からお前のことを桔梗と呼ぶことにするか」

 照れくさそうに言う男の真意を受け取り、撫子改め桔梗は、

「うん!」

 喜びに目を輝かせ、男に抱きつき、口づけした。

 そのあとは……


 ――都とは不思議なところだ。鬼がいるかと思えば、狐もいる。もっとも、俺が人間と思っている輩の中にも魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)(たぐい)が混じっているようだが。

 そう思えば、桔梗などかわいいものだ。

 男は女の顔に目を落とす。

 腕枕のなかで眠る桔梗は、寝息が腋にあたってくすぐったく、男に全てを許した女の存在は心にゆとりをもたらした。

 二人を結び合わせた京という土地を、

 ――そう悪くないな。

 と、思い始めたころ、皮肉にも、都での暮らしを終わらせる出来事が彼の故郷で起こった。


 血戦


 将門の父、平良将は下総国と常陸国(茨城県中北部)の南部に広大な領地を持ち、その遺領を長兄が管理していた。その兄が若くして死んだ。遺された弟たちはまだ幼少であったため、父の兄弟は彼らに後見する素振りで近付き、親切ごかしの裏で所領を掠め取ろうとしたのである。

 一番上の弟、(まさ)(ひら)からの手紙で、この事実を知った将門は慌てて故郷へと向かった。

 もちろん、桔梗も一緒だ。

 ――この時期に帰らねばならぬとは。

 無位無官のまま故郷に帰ることは男の矜持を傷つけたが、やむを得なかった。


 彼らは東下に海路を使った。

 古代(いにしえ)の下総と常陸南部には大湖水地帯が拡がり、さらに西部にある将門の故郷は、子飼(こがい)川(小貝川)と(きぬ)川(鬼怒川)が北から南へと流れ下り、一帯には水運が広く発達していた。

 彼らは大洋から続く内陸の湖沼へと船を進めた。

 (へき)()の裾野をはろばろと曳く、名山筑波の嶺を右手に見上げ、やがて船は、ゆるやかな丘陵のかたちに沿って(たた)う水路をたどり、彼の本拠へと入った。


 かつてこの地方は作物の育てにくい湿地(しふち)で、台地の上も荒涼とした原野が拡がるばかりだった。

 しかし、そんな土地を将門の父祖たちは根気よく開拓(ひら)いたのである。

 台地の草原を馬に与え牧とし、低地には稲を植え、稲を植えられぬほど深い泥地には、根や実が食用となる(はちす)を育てた。

 ちょうど、花のころだった。

 大振りの葉柄に混じって、水面から突きだした茎の先に、淡紅色の花弁を開かせていた。中心には、名の由来となった蜂巣(はちす)様の花托を置き、仏の蓮華座とはこれを云うのかと桔梗は得心する。京とて蓮ぐらい咲いていたが、宮中の人工の池のものとは比べものにならない。

 蓮の群生は見渡す限り続き、

「まるで極楽浄土のよう」

 うっとりと目を細めた。

 一行を乗せた船は、蓮見(はすみ)(ふね)となって漂う。

 人々の生活を支える作地が美しい風景となり、そのまま浮き世の理想郷として目に映る。

 なんて素晴らしいことだろうか。

「将門さま、この土地を決して手放してはだめよ」

「わかっている」

 丈高い水草ゆえに、微風(そよかぜ)にさえ一斉に揺れなびく。

 葉の緑に映える淡き紅。

 その彩りが香り立つように。

 水上の楽園――

 将門に寄り添う桔梗に見飽きることはなかった。


 桔梗は東国にすぐ馴染んだ。

 将門の弟たちは、彼女の姿を一目見るなり、

「兄上、すごい美人を連れてきましたね」

「都暮らしは苦労が多いなんて、いったいどんな苦労をしたって言うんですか」

 年長の弟たちは口々に褒めそやし、幼い弟たちは桔梗の美貌に照れながらも、喜びを顔に表した。

「みんな、いい子たちばかりね」

 一番下の弟の頭を撫でながら、桔梗は将門に笑顔を向けた。


 将門は広大な領地に拠点となる複数の営所を設けた。

 本拠となる猿島(さしま)郡の石井(いわい)に桔梗を住まわせることにしたが、当の彼女は、巡回のため他の営所を泊まり歩く男の行く先々に付いていった。従者として将門の身辺を守るためである。

「将門さまに悪さする奴がいたら、私の霊力(ちから)でやっつけちゃうから!」

 男のそばで、桔梗が若い従者姿となって馬の轡をとる。

 撫子丸のころより成長した分、名も『桔梗丸』と改めていた。

 将門は草原を駆けめぐり、胸いっぱいに草いきれを吸い込む。

 宮城の衛士と云いながら、京では身分上、乗馬も武器の携帯も制約があった。

 不自由だった都での時間を取り戻すように、将門は思う存分馬に鞭あて、全身で風を感じた。

 彼の駿馬に付いていけるのは桔梗丸だけだった。

「あれはいったい何者だ」

 家臣らが口々に言う。

 京から連れてきたというが、

「主の出かけるときに現れて、邸に着くとどこかに行っちまう」

 皆、不思議がった。

 都時代からの従者は、

「まぁ、うちの殿は、京でいいお守りを拾った、ということかな」

 と、にやにや笑う。

 こうして桔梗は、おおどかな東国の人々に受け容れられていくのである。


 数年が経つころには土地土地に安息の空気がただよい始めた。

 将門の帰東後、伯父たちは良将の遺領から手をひいた。無位無官とはいえ、将門には(とう)大臣(おとど)忠平という大きな後ろ盾がある。後難を恐れてのことだ。

 そうなると、将門は桔梗へ、

「これから行く営所に、お前は来なくていい」

 本拠石井での留守を命じた。桔梗も、

「どうして?」

 野暮なことは言わない。

 地元が落ち着きを見せると、一夫多妻の例にあって、将門は桔梗一人では口淋しくなったのである。

 ――どこぞの営所近くに()い女ができたのね。

 惚れた男が他の女によそ見をしたとて、桔梗はやきもちなど見せない。男女の性愛が退廃を極めた宮中で育っただけあり。 

 しかし、さすがに相手の女の素性を知ったときは、耳を疑った。

 伯父の一人、下総介(国庁次官)平良兼の娘を邸から盗み出し、豊田郡鎌輪(石井の北)の営所に住まわせたのである。

 良兼は上総(千葉県中部)に本拠を置きながら、下総や常陸にも領地を持つ一帯の大領主であるが、

 ――よりによって良兼の娘だなんて。後の煩いにならなければいいけど。

 桔梗は案じたが、すでに将門と良兼の諍いは始まっていた。

 将門にすれば、従兄妹同士の気安さから、良兼の娘に興味を持ち、情を交わすようになったのである。だが良兼は、そう取らなかった。


「先の意趣返しに娘に近づいたか。無位無官のくせに、国司の婿として釣り合うとでも思っているのか」

 所領争いに関しても、兄弟の常陸大掾(だいじょう)の国香と良兼、良正は、(さき)常陸大掾源(みなもとの)(まもる)の娘を妻としており、同家の相婿たる兄弟は、血縁と姻縁、二重の絆によって結ばれている。さらに鎮守府将軍という飛び抜けた出世をした良将に対し、彼らは複雑な感情を共有していた。一族の中でも良将の系統は別扱い。(ゆえ)に、彼の遺領に手を出したのである。

 将門は、自分と良兼の娘が結ばれれば、一族が円満になると考えていたようだが、甘かった。

 良兼は許さず、その時点であきらめれば良いものを、情の濃さゆえに娘を連れ出してしまったのだ。

「子どもでもできれば、伯父上も許してくれるだろう」

 またも甘いことを考える。

 何事にも鷹揚な人間は相手も同じだと思いがちである。自分が許せば、相手も許すと。

 しかし、現実にはさまざまな人間がいる。それを都で散々学んだはずだが、血の絆という期待が将門の目を曇らせてしまったのだろうか。


 承平五年(九三五)初春、将門は伯父国香とその舅源護一族との戦いに向かっていた。

 国香と護は、ともに新旧常陸の国司であるが、当時の中央政府は崩れかけた律令制の立て直しのために、各国庁の権限を高めようと図った。

 その最たるものが、税の取り立ての強化である。

 彼らはこれを利用し、常陸国内にあった将門の領地から租税を、さらには土地そのものを取り上げようとしたのだ。 

 一族の中で孤立している無官の甥を、言わば、彼らはなめてかかったのである。

 叔父たちの横暴に、将門は敢然と立ち上がった。


 将門軍来る、の報に、国香らは常陸国府の西方、筑波山の南、桜川の前に陣を張り、甥を待ち構えた。

 敵軍の接近に兵鼓を打ち、味方の従類(じゅうるい)伴類(ばんるい)を鼓舞する。

 従類とは従属する一族や代々の家来を、伴類は同心する在地領主を云う。

 対する将門の従類、伴類も負けじと声を張り上げる。

 軍勢を率いる将門のかたわらには、従者姿の桔梗がいた。彼女は馬上の男を見て思った。

 ――将門さまはここにきて、まだ迷われている。

 周囲には決して見せぬが、(じょう)の深い男が、肉親との戦いに躊躇せぬはずがない。

 しかし、遥かに見る伯父らの軍兵は、将門を打ち負かそうと大いに気勢を上げていた。

「どうしても、戦わねばならぬようだな」

 桔梗丸にだけ聞こえる声は、哀調が帯びていた。

「相手がわるいのよ。わるい奴はこらしめなくちゃ」

 桔梗丸は明るく()んでみせる。

 男が何か言い返そうと口を開きかけた。

 そのとき、女がふだん下ろしている黒髪の、そのうなじのほつれ毛がふわりとそよいだ。

 将門軍の背後から、追い風が吹いたのだ。

「神風よ。矢戦にはおあつらえむきの」

「桔梗、お前何かしたな」

 妖しから力を借りるなど、聖戦たるべき合戦に賤陋(せんろう)な行いではないかと、将門は眉をひそめたが。

 桔梗丸は鼻に皺をよせて、

「私には、自然の力をどうこうする力はまだないわ。でも、今ある力は存分に使わせてもらうわよ。いろいろとね」

ふふんと笑った。

「それに私の霊力が、御身の武勇とどう違うというの? どちらも天から授かったものでしょ。第一、私の霊力を御身が補ってくれたということ忘れたの? 私の力は御身の力。ならば、この合戦に(やま)しいことは何一つないわ」

 何の臆することがあろうかと。

 将門は覚悟を決めた。

 筑波山南麓にて、無冠の武将たる平将門の初陣――

 後に一世を風靡する男の嚆矢(こうし)が放たれた。


 川を挟んで対峙する敵味方の軍勢は、互いの岸から征矢の応酬が始まり、青空を蝗の大群のように黒く霞ませた。矢は唸り声を上げ、宙を貫く。そして、空中の一点で角度を変えると、向かう兵士を狙いすました。

 盾の陰に収まり切れなかった人馬がばたばたと倒れる。

 黒い霞の最も濃い部分は、一塊となって将門めがけ降り注いだ。

 桔梗丸は将門の頭上を目に見えぬ傘で覆い、敵の矢を弾き返した。

「南無、妙見大菩薩――― 見よ! 我らが将門様には神仏のご加護がついておるぞ。この度の戦さは勝ったも同然じゃ!」

 桔梗丸は大声で呼ばわった。

 これを目の当たりにした者は敵味方なく瞠目し、(わめ)き騒いだ。

「まさか、突風か何かだろ」

「いや、ほんとの奇跡かも」

 そんな彼らを横目に、

 ――菩薩さまのご加護など、俺には鬼一匹倒すくらいがせいぜいだと思うが。

 将門は桔梗丸の大言壮語に微苦笑で答えると、馬腹を蹴り、太刀を手に、川向こうから迫る敵勢の中へ突入した。   

 水飛沫を上げながら川面を乱し、太刀で敵兵を次々に斬り倒す。

 頭上には見えざる傘。

 流れ矢から将門を守りながら、

「将門さま、こっちよ」

 桔梗丸が浅瀬を指し示す。

 おかげで馬は流されもせず向こう岸にたどり着く。

 それを見た味方の従類伴類も将門に習って川を渡った。

 次から次へと押し寄せる将門勢に、敵の伴類は散り散りになって逃げていく。

 とも(・・)にあるから()の字が当てられる伴類。だが、彼らの忠誠心など所詮この程度のものだった。

 残された国香らの軍勢は、累代の従類がわずかほど。

 ――これでは勝負にならぬ。

 とばかりに馬の向きを変え、東へと落ち延びていった。

 殺し合うことが目的ではない。将門の力が知らしめれば、これで十分だった。

「将門さま、おみごと!」

 見上げる桔梗へ、将門は白い歯を見せた。

 初めての戦いだというのに、余裕をもって勝てた喜びがそうさせたのだ。

「合戦の勝利はどちらの力がもたらした? 俺か? お前か?」

 桔梗も笑って答える。

「全ては御身のお力じゃないの」

「お前は上手に過ぎるな」

 大笑する将門は湧き上がる高揚感に酔いしれ、勝者の現実というものを未だ知らなかった。


 戦いの終息を宣言する権利は勝者にない。それは生き残った敗者にこそあるのだ。

 将門は初陣を勝利で飾りながら、下総への凱旋後、息つく間もなく再戦・再々戦を挑まれる。

 結果は連戦連勝。

 後に、馬を駆ること龍の如く、軍を率いること雲の如くと称えられた彼は、天性の(つわもの)であった。

 ――伯父上もいい加減あきらめればよいものを。

 余裕の中にあって叔父一族を適当にあしらっていた将門。

 だが遂に、これまでの戦いを見直さなければならぬ事態に陥る。

 ある日の戦闘で、敵将、そして伯父である国香を戦死させてしまったのだ。

 ――伯父上を死に追い込むことまでは考えていなかった。

 戦場での生死は運不運。致し方のないこととはいえ、その事実は将門を(さいな)んだ。

 しかし、一方で、将門には統率者としての責任があった。

「今までのやり方が手ぬるかったからこそ、相手に付け入る隙を与えてしまったのです」

「徹底的に叩き潰す。それが平和への近道なのです」

 家臣らに説かれ、将門も決断する。

 後顧の憂いを経つべく、国香らの領地、筑波、真壁、新治(にいばる)の三郡(いずれも常陸南西部、将門の本拠に近い)に手の者を送り、邸や倉庫を焼かせた。今年の種籾の入った米倉にまで及んだのは、農業の生産力を落とすことで領民を飢えさせ、兵力の挽回を妨げるためだった。

 過酷なまでの敗者への制裁。

 これも平一族の争いを終わらせるためと、自分に言い聞かせて。


 戦いの終決は生き残った敗者に――…

 この場合、それは国香の嫡子のことである。

 嫡子の名前は平貞盛。

 そう、将門が国香と本気でぶつかりたくなかったのは、貞盛の父親だったからだ。

 ――あいつはどう思っている?

 将門の従兄にして親友だった男は、都で出世し、右馬寮の(じょう)(三等官)となっていた。

 将門はかつて味合ったことのない胸苦しさを覚えた。

 ――あいつと争うなど、俺にはできぬ。

 貞盛だって、そう思っているに違いない。

 しかし、父親を殺された怒りや悲しみは計り知れず、彼の思いを確かめようと、弔いのため帰郷していた貞盛へ使者を送った。

 従弟にして親友たる将門からの弁明の書――

 貞盛もこのようなかたちで彼の近況を知ることになるとは想像もしなかった。

 彼は、父親の行い、将門の性分、源護一族との関係を熟慮して、返事をしたためた。

「叔父上の遺領に手を出した父にこそ問題があったんだ。それに戦いの中で命を落とすのはやむを得ないこと。そう思って私は将門を恨まないことにする」

 と伝え、また、決着のついた戦いを蒸し返したくないとも。

 彼の言葉に、将門は焼却した籾殻の補填に自領の農作物を送り、貞盛が喪に服している間、生活に困らぬよう配慮した。

 周囲の目もあり、今はまだ顔を合わすことはできない。     

だが、親友同士だった彼らは互いに相手を思いやった。  

 ――将門、よほど父の死を後悔しているのだな。

 ――貞盛、この程度で俺の気が済むと思ってくれるな。ほとぼりが冷めたら、俺にできることは何でもするから。

 将門も貞盛も苦しい胸のうちながら、双方が矛を収める方向にむかい始めていた。

 しかし、これを不服とする者がいた。

 源護である。

 彼は先の合戦で息子を三人も亡くし、これを戦場の運不運とは片づけられなかった。

 護は婿の良正に泣きつき、将門の成敗を依頼した。


 同年十月、良正は甥を討とうと彼の本拠に向かった。だが、待ち構えていた将門は呆気なく追い返してしまう。

「――御身は強すぎるわ。私の出番がないじゃないの」

 桔梗にそう言われるほどである。

 今度は良正が、国香亡き後、一族の長となった良兼に泣きつく番であった。

 ちょうど良兼も、己れの庭先で威勢を振るう甥を目障りに思っていたところである。

 舅護からも頼られ、良兼は娘の婿でもある将門の征伐を決意し、さらに、もう一人の甥貞盛を仲間に引き入れようとした。

「お前は自分の父親を殺されて、その相手と仲良くしようとするのか。父の供養に奴を討とうと思わんのか。あぁ、不甲斐ない。これが血を分けた甥だと思うと、情けなくて涙が出る」

 貞盛の思慮深さは、(いなか)では優柔不断と映ってしまうのだ。

 いくら説得されても、将門の成敗など彼の本意ではない。けれど、硬化した叔父たちの前で否やは言えなかった。

 ――一度は許すと言っておきながら、これでは将門を裏切ったことになる。

 そう思いながら、貞盛はずるずると伯父たちの陣営に引きづり込まれていくのである。


 蓮華


承平六年(九三六)、将門は強大になった一族との対決を余儀なくされる。

 七月、良兼は本拠上総から軍勢を率い、筑波山西麓へ向かった。彼は自らの多勢を恃み、源護の軍勢を常陸南部に残すと、東西より将門を挟み撃ちにすべく下野(栃木県)へと進軍した。


 かほど大がかりな作戦は、将門へも漏れる。

 ただ貞盛までもが敵についたとは解せない。

 ――叔父らに押し切られたのか。

 真偽を確かめようと、急ぎ百騎ばかりの兵で下野を目指した。

 果たして良兼軍は千騎をもって将門を待ち構えていた。

 先に敗走した良正軍とは比べものにならぬ精兵揃い。さらに、武器も十分に行き渡っている。

 対して将門方は小勢の上、危急のことで武器武具が不足していた。

 これを見た良兼は甥を侮った。  

「さぁ、敵を見ろ! この程度の軍勢に負けたとあれば末代までの恥だ!」

 垣根のように並べた盾を、威勢よく打ち鳴らしながら軍を進めた。

 将門は多勢に臆したのか、攻めようとしない。

 良兼軍はいよいよ勢いづき、一斉に太刀を振りかざし、攻め向かった。

 そこへ物陰に潜んでいた弓兵が現れる。

「今だ! 射よ!」

 将門は合図をもって敵の歩兵を射させた。

 戦いを躊躇する素振りは陽動であった。

 己れを囮に敵の軍勢を引きつけさせ、一斉に矢の雨を降らせる。

 敵兵は地に伏し、倒れた人馬は八十余り。敵将の良兼は驚き、彼の伴類は怖じ気づいて逃げ出した。

 崩れ始めた敵の軍勢へ、将門は馬に鞭あてる。

「我こそは桓武天皇が後胤、鎮守府将軍平良将が息男、将門の戦い振りをとくとご覧じろ!」

 大声で名乗りを上げると、先鋭を率いて敵軍を追い攻める。

 将門の反撃に、良兼たちは度を失い、下野南部に置かれた国庁に駆け込んだ。

 助けを求めて、敗卒が千人。

 下野の役人たちもさぞ迷惑だったろうが。

 国衙を包囲した将門は、

――国庁を敵に回すのも、舅どのを追い詰めるのも上手くないな。

 敢えて西門の囲みを解き、良兼たちを逃がしてやったのだ。

 如何(いか)でか、良兼は伯父にして妻の父である。それに、()の軍に貞盛の姿を見かけたせいもある。一族の内訌で親友を失いたくはなかった。

 将門は中央政府に対しても周到だった。

 自分たちが朝廷に敵対する意志はないと、下野国司らに経緯を説明し、良兼らの無道を日記(公簿)に記録させて、穏便に軍勢を引き上げた。


「さすが御身は私の見込んだ人、だけどでき過ぎじゃなぁい?」

 桔梗は恋人をほめそやした。

 小勢をもって大勢を打ち負かし、敵将の命を助けた上、国府の役人へ日記の注文までつけるとは。

「俺は降りかかる火の粉を払っているだけだ」

 賞賛を受けながらも、将門の機嫌はあまりよくない。

「お前の言う天下の器量とやらは、こんなにも苦労しなければならないのか」

 戦えば、勝つ。だが、その度に敵を増やしていた。

 いずれも相手から吹っかけられた争いばかり。

 何の利もなく。

 いやむしろ、兵糧米や牛馬は持ち出し、従類伴類を疲弊させ、田畑を荒らす――はるかに損害の方が多い。

「天下の器量というのは大変なのよ。良いものも悪いものも引き寄せてしまうから。今は悪いことばかりが目立つけれど、そのうち選り分け方がわかれば、きっとうまくいくはずよ」

 卜占(ぼくせん)は見ないけれど、と桔梗は肩をすくめつつ、

「御身の強さが知れ渡れば、上つ方々が放っておかないわよ。今や一族内で最も力ある将門さまを無位無官のままにすると思う?」

 板東の桓武平氏一族の内訌が、中央に知れるのは間もなく。それを安定させるため、将門を伯父たちの上に置き、重石にしようという動きが出てもおかしくはない。何となれば、将門の父は鎮守府将軍にまで昇った傑物であり、藤の大臣忠平という後ろ盾もある。

「平一族の長に」

 そう言われれば、まんざらでもない。

 将門は少しだけ機嫌を直してみせた。

 直後、男のもとへ、京の朝廷より召喚を命じる官符が届く。

 事由は、東国の平和を乱した反逆容疑により、と。


 将門を訴えたのは、またしても源護である。

 この老人は武力では将門に適わないと知って、国司たる叔父や源一族に歯向かう逆賊と讒言したのである。

 将門は護を相手にしたくもなかったが、中央政府とは下野国衙の件がある。関係がこじれぬ前にと弁明のため上京の途についた。


 十月、将門は京に到着し、検非違使庁で略問を受けた。

 彼はあまり弁の立つ方ではないが、事実関係をありのままに述べる姿は、査問官へ悪い印象を与えなかった。また、先の下野国府の一件が日記に記録されていたこともあり、東国の混乱は平一族の内紛、将門は微罪とされた。

 旧主藤原忠平は人臣の位を極めた太政大臣、召喚先の検非違使庁の別当(長官)は忠平の長子ということも影響したか。

 さらに翌年四月、朱雀帝の元服による恩赦に預かり、将門は無罪放免となる。

 将門の上京は、彼の将として武略、兵としての武勇を都に知らしめ、大いに面目を施したのである。

「よかった! 将門さま!」

 役所から解放された男に、桔梗は駆け寄って抱きついた。

「おいおい、人が見ているぞ」

 往来のど真ん中である。将門は照れた。

「いいわよ。見せつけちゃおっ!」

 巻き付けた腕にいっそう力を込める。

 将門には何人もの妻妾がいる。だが、京まで付いて来たのは桔梗だけだ。

 収監される将門を励まし、

「大丈夫よ。いざとなったら、役所を壊してでも御身を救い出してあげるから」

 冗談とも思えぬ桔梗の言葉は、将門を慌てさせたが、塀を隔てても己れの味方となってくれた女の存在は心の支えとなった。

 もっとも、霊力を持つ桔梗は、いつでも好き勝手に塀の中の男に会いに来ていたが。

 ――やはり、自由の身で、というのは格別だ。

 青空の下、将門は桔梗を力強く抱き締めた。


 盛夏、東下にあたって一行は海路を選んだ。

 桔梗の希望もあり、将門もまた、これまでの褒美のつもりである。

「うれしい。またあの景色が見られるのね」

 と、女を喜ばせた。

「この時期に帰ることができて良かった。悪くすれば何年も収監されるところだったからな」

 将門は安堵の表情をつくるが、その頬に少しやつれが見える。半年以上の拘禁生活に、さすがの彼も障りを受けたようだが、桔梗は気付かぬ振りをした。人に弱さを見せることは男の最も嫌うところであったから。

「将門さまは口下手だけど、問題なかったようね」

「道理に沿った弁明をしたつもりだが、やはり大臣の力も大きかったろう。下野に帰ったらすぐにでも貢馬を献上せねば」

 賄賂というより返礼のつもりだが、旧主の忠平とて何の期待もなしに将門を擁護したわけではなかろう。

 持ちつ持たれつ。男が都で学んだことの一つである。


 恋人たちが湖上の楽園に遊ぶころ、上総の良兼は将門放免の決定に怒り狂っていた。

 ――権門の庇護に隠れる卑怯者め! あやつに復讐を!

 良兼は三月(みつき)をかけて軍備を整えると、常陸と下総を(さか)子飼(こがい)川の渡り(渡河用の船着き場)に陣を敷いた。


 この報せに、八月六日、手に物取りあえず駆けつけた将門に十分な兵はなく、劣勢をもって川向こうに対峙した。

 しかも、良兼の備えは軍立てだけではなかった。前陣に高望王と鎮守府将軍良将の()を掲げたのである。

 これを見て、将門は怯んだ。

――お前は平一族の人間ではない! 王の孫でも、将軍の息子でもない!

 己れの血を否定されたも同じだった。

 さらに、

 ――この鬼子が、それでも我らにかかって来られるか!

 血縁の叔父に挑発され、動揺を抑えることができなかった。


「将門さま、人の描いた、たかが画に何を畏れるの」

 そう進言できたのは桔梗丸だけであったが、

「父らに矢を射るなど、俺にはできぬ・・・・・・」

 あろうことか、軍将が戦意喪失を表明したのである。

 京から下向して間もなく、数ヶ月の拘禁生活の疲労に蝕まれた心身は癒えていなかったか。

 男は対岸の敵に背をむけた。

 桔梗丸は(ほぞ)をかむような思いでその背を見上げた。だが、肝心の将門が戦う意志を失っていては余儀なく。従類とともに戦場を跡にする。

 敵の敗走に調子づいた良兼軍は、領内の民家をことごとく焼き滅ぼし、食糧や武器を略奪した。

 敗者にできることは、焼け跡から昇る幾筋もの煙をただ見上げることだけであった。

 ――負けるっていうのは、こういうことか。

 生まれて初めて味わう敗戦の屈辱に、男は震えた。


 同月十七日、先の戦いの報復のため、子飼の渡りより一つ下流、堀越の渡りに将門は陣容を整えた。

 だが、先の敗戦の噂が広まっていたせいか伴類たちの集まりが悪い。

 ――日和られたか。

 そばにいた桔梗も心配顔である。

 ――まだ十日しか経っていないのに、再戦だなんて。

 将門の体調を案じたが、先日の屈辱をすぐにでも(そそ)ぎたいと男に押し切られたのだ。

 伴類たちを集うべく、将門自ら領地内外の彼らの家を駆けずり回った。

 桔梗へは、

「とにかく、あの霊像をどうにかしてくれ」

 惨めな思いをくり返したくないと父祖の画を奪わせた。

 良兼たちは用意の霊像が忽然(こつぜん)と消え、さぞ驚いたことだろう。

 ――これで戦える。

 (せん)の気後れは霊像のせいだと自分自身へ言い聞かせた。

 しかし、それは己れの肉体への過信であった。肉体の強靱さには種類がある。戦場での驍勇と病患への耐性は別物であった。ましてや数ヶ月かけて蝕まれた体が数日で回復するはずはない。酷使された肉体は、主の闘志に応えること叶わず、敵陣を前に発病する。 

 激しい頭痛と悪寒――

 将門は意識を失い、馬上から落ちかけたところを、桔梗丸が支えた。

 もはや彼は戦える状態ではなかった。

 戦さの結果も知れたものだ。察しの良い伴類たちは大方逃げ去った。

「無念だ――」

 狐女の霊力に助けられ、将門は川岸の芦の群れに身を隠した。

 敵の探索をかわすに、従類たちも欺いたため、枯れかけた高草の中に桔梗丸と二人きりだ。

「……味方は、お前だけになってしまったか」

 将門は薄く瞼を開けた。 

 伸び交わした芦の合間から、秋空の青が覗く。

 そのところどころにたなびく白は、行く雲か、戦渦の煙か。

 ――またも負けたか。

 将門の瞼は自然落ちる。

「桔梗よ。お前は俺の陽の気とやらをちと取りすぎたな」

 男のかそけき呟きに、

「将門さま、冗談でもそんなこと言ってはいや」

 桔梗は軽く拗ねてみせた。それこそ冗談めかせて。

 けれど、男には通じなかった。

「お前のせいでなければ、私の天運は尽きたということか」

 将門の弱音など初めて聞く。 

「御身は、今、弱気になっているだけなのよ。またすぐに力を取り戻せるわ」

 彼自身の健康と領地、勢力、いずれも。

「私の認めた御身が、ここで終わるわけがないでしょう」

 桔梗の言葉に何の根拠もない。ただ一途な将門への信頼があるだけだ。

 男を和ませようと、桔梗は女体に戻って、身の回りの世話を始めた。

 甲冑を解かれ、将門も少し体が楽になった。

 もう一度目を開け、桔梗の方を見た。

「お前には悪いが、()の者たちのようすを観にいってくれぬか」

 男のいう『彼の者たち』とは、妻妾と、その子らである。


 戦いの前に何か予感めいたものがあったか。いや、用心のためと自分に言い聞かせ、妻子らを湖水の船に乗せて谷津に隠し、いつでも水路を使って逃げ出せるよう備えていたのだ。

 ――彼らの安否が知りたい。  

 けれど、桔梗は、

「いやよ。私が想うのは将門さまだけ。私がここからいなくなって、誰が御身を守るの?」

 桔梗が妻妾の存在に寛容だといっても、将門の生命より優先する謂われはない。

「どうしてもならぬか」

「どうしても」

 桔梗の首が縦に振られることはなく、

「そうか。・・・・・・そうだな」

 将門はゆっくりと目をつぶった。


 二日後、妻妾たちの乗る船は、将門を探索していた良兼の兵によって、発見される。

 兵らは、内通者に手引きさせ、船を岸に寄せさせると、船中にわずかに残っていた従類らを殺戮した。

 身を守る術のないか弱き人々へ、一片の仮借もなかった。

 女たちを引き倒し、子らに刃を向ける。

 母の悲鳴に、怯える子の泣き叫ぶ声、 

 その上に重なる男たちの怒号、

 血の匂い。

 (いち)()、人々に水上の楽園を見せた同じ場所で――…

 いつ果てるとも知れぬ酸鼻を、湖水が呑み込んでいく。

 在りし日に、仏の(うてな)と咲いた蓮華は朽ち果て、泥に沈んだ。


 惨劇の後、良兼の娘とその子らだけは命を救われ、親元へと連れ戻された。

 先年の下野国府では彼に見逃されながら、良兼は将門から家族を奪ったのだ。

 宿業の敵となった伯父に、将門は情けを捨てた。


 反逆者


 翌九月十九日、常陸国真壁郡に良兼が立ち寄ったと聞くやいなや、将門は軍勢を集め、()(とり)にある伯父の別邸を襲撃し、周辺の良兼伴類の舎宅を焼いた。

 良兼は逃げたが、許すことはできない。筑波山に隠れたとの報せを受けると、将門は彼の地を攻めた。

 同時に都へ使者を送り、良兼の非道を訴え出る。

 一度、将門無罪の判決を下した朝廷は、己れの沽券(こけん)のため良兼・良正兄弟、源護、そして貞盛を賊徒と認定し、将門に追補させるよう、常陸下総他関東五カ国に官符を下した。

 中央の権威を背にした将門のもとへは、土地土地の領主らが集まり、数千の大軍となって気炎を揚げた。

 義兼以下の平・源一族は板東の国司を歴任する豪者(えらもの)ばかりだ。

 そんな彼らを退け、公民ともに無冠の将門を一族の長、一帯の首領として認めたのである。


 桔梗が言う。

「ねぇ、いつか私の言ったとおりになったでしょう」

 天下の器量。

 千年に一人の逸物と。

 しかし、将門の目は(くら)い。

 ――愛すべき家族を引き替えにして、一族を敵に回して。

 桔梗は、将門の殺伐とした心を推しはかり、

「失ったものを数えるのではなく、その身に得たものを数えて」

 将門が東帰して十年、弟たちは皆成人し、彼を補佐する頼もしい存在となっていた。奪われた父の遺領は取り返し、己れは、この地で押しも押されもせぬ統率者としての地位を得た。戦況も今のところ優位に立っている――

「そうだな。その通りだ」

 男は、己れを納得させるように言った。


 桔梗とて明るく振る舞ってはいるが、心配は尽きない。

 将門が公権力に認められたと喜んでばかりもいられないのだ。勢力が拡大すればするほどそれに反発する領主も増え、そこここで小競り合いの種が生まれる。

 戦場で自分が少しでも気を抜けば、いつ敵の(やじり)の餌食になってもおかしくない。弓箭だけではない。手練れの太刀が襲いかかってきたとて、将門は難なく討ち返すが、その度に胆を冷やす思いであった。

 懸念する人間は、桔梗ばかりではなかった。

 将門の弟たちは、

「兄上ってお強いけど、けっこう無防備なところもあるよね」

「お一人に大勢の敵が向かってくるから危険だよ」

 そこで、彼らは、

「俺たちが兄上の似せ者になって、敵の目を欺いてやろうか」

「全員で兄上に化けよう。敵どもはみんな驚くぜ」

「そうだ! それがいい」

 兄のため、自分たちが身代わりになって敵を攪乱しようというのだ。

 七人の弟たちは背格好も似ていて申し分ない。

「あなたたちって、本当にいい子ねぇ」

 けれど、彼らは将門の大切な肉親だ。

「おいおい、お前ら! 俺がそんなことを許すとでも思っているのか」

 将門自身が弟たちを危険な目に合わせたがらなかった。弟や家人を守るのは己れであるとの自負が強すぎるのだ。

 ――この人は自分の立場を理解しているかしら。

「甘いんだから、もう」

 思わず漏らした言葉に、

「そなたが一番、俺に甘いだろ」と将門に返される。

 桔梗はぷうっと頬を膨らませた。

 ――身代わりの思いつきは良かったのに。

 弟たちの話は立ち消えとなったが、桔梗には少し口惜しい。

 年を経た狐であれば、(まじな)いによって人間の身代わりなどいくらでも(こしら)えることができただろうに。

 ――でも、自分から先陣切って敵に突撃する将門さまのことだもの、すぐに真物(ほんもの)贋物(にせもの)がばれてしまうわね。

 勇敢なのも考えものである。


 権勢となった将門の周りにはさまざまな人間が寄りついた。

 それを彼は全て引き受けるものだから、得体の知れない有象無象も紛れ込んだ。

 戦場で酒に酔って討たれる者がいれば、兵站の牛馬に秣を与えすぎて死なせる者がいる。

 混乱する大所帯の陣営で従来の家臣らは大童となった。士卒の整理、食糧の確保、営所の増築もしなければならない。将門自身も客遇に多忙を極め、彼の家族を失った悲しみは紛らわせたが、

 ――将門さまってば、最近私をかまうのを忘れているわ。

 桔梗にとって、味気ない日々が続いた。


 そこへ、あの男がやってきたのだ。

 下野(栃木県)南部の在地領主、藤原秀郷。

 先祖をたどれば左大臣藤原魚名という名門の末裔――だが、男は国司の嫡男でありながら、一族の者と中央政権に抵抗し、捕縛されて流罪になった経験を持つ。

「この辺りでは最も毛並みの良い無法者さ」

 将門が言う。

 彼は許されて故郷に戻ってきた後も、幾度となく抵抗をくり返し、再び流罪の裁定を受けた。が、二度目ともなれば要領を()、国衙の役人や中央の有力者と通じ、刑をうやむやにしてしまったのだ。

 ちょうど将門が帰東してまもなくのことでもあり、

 ――東国には随分な奴がいる。

 と、印象深く彼の胸に刻まれたものだ。

 桔梗も男の言葉に興味を持ち、近侍として面会に臨んだ。

「私をただのお尋ね者と思って下さいますな」

 そう言って挨拶する秀郷は、三十半ばごろ、将門と同齢か。

「私のしたことは、己が領民の生活を守るためです。中央から下ってくる受領国司(下野守)の横暴さは年々目に余るものがあり、それを成敗したつもりでした。しかし、都の人たちは国司の訴えるまま、私に反逆者の烙印を押したのです」

「だが、そなたの父は下野守を補佐する立場だったろう」

「私は父と違う人間ですからね」

 秀郷は、臆することなく将門を見返した。

 眉太く、その下にある瞳は意思強く。

 男の不適な面構えが、将門の面立ちと重なる。

 ――左大臣藤原魚名の末裔というけれど、京の貴族とはだいぶ違うわね。

 魚名の子藤成は国司として下野に赴任した際、在地官人の娘に子を産ませた。それが秀郷の祖父である。彼の一族は都鄙の混血という点で将門らと共通する。板東の地と血は、人間の外見や精神をこうまで変えてしまうのか。

 そう思って見れば、二人はよく似ていた。

 ――都の高貴と鄙の蛮勇が混じり合って、こういった男たちをつくるのね。

 天下の逸物がここにもう一人。

 桔梗は秀郷を見つめる。

 将門も男に相通じるものを覚えたらしい。秀郷を暫時、営所に住まわせると伝えた。


 秀郷の来訪からしばらくは平穏な日々が続き、その年も暮れようとしていた。

 将門は領内の見回りに秀郷を誘った。

 年の瀬で従者を家に帰していたため将門の(とも)は少なかったが、それは客人の秀郷とて同じ、別に不都合はない。むしろ小勢のため小回りが利き、互いに距離近く語り合える。


 秀郷は数日をかけて広大な領地を案内された。それは多分に勢力の誇示が含まれていただろうが、嫌味でないのはどちらが上だとか下だとか関係なく、秀郷との結び付きを大切にしたいという将門の姿勢が現れていたからだ。

 秀郷が石井に訪れたのは、自分を売り込むためだけではない。将門という新興勢力の頭首を見極めるためだった。

 将門の名声が彼の耳に入ったのは、例の下野国衙の一件からである。敵味方、国庁に対する見事な振る舞いに、辺境の一領主に収まらない才覚と器量を覚えたが、実際に彼と会って、秀郷はいっそうの好感を持った。


 その将門が訪ねる。

「俺の領地の話ばかりでは飽きただろう。そなたが下野でしてきたことを語ってくれないか」

「国衙への違乱のことですか? おもしろいことばかりではありませんよ」

 二人は対等の関係として轡を並べ、馬を歩ませていた。

「俺が勢力を伸ばした話だって、おもしろいことばかりではなかっただろう」

「ご苦労が偲ばれましたが…… では、今は私も落ち着いていますから、若かったころの話など……」

 秀郷の反抗は十代のころからだというから年季が入っている。輸送中の官物を奪う、官衙の役人を襲う、囚われた仲間を救うなど、かなりのむちゃをやっていたらしい。しかも、

「土地はそこに住む者こそが主だってことをわからせてやろうとね。まぁ、今では私もすっかり丸くなりましたが」と言って、わるびれない。

 京都(みやこ)時代、周囲の理不尽に苦しめられた将門は、武によって理を正すことのできる東国の『余地』を愛した。また、己れ自身それを体現してきた彼は、同じような生き方をする秀郷に、

 ――無位無官も同じ。無法を放置しておくことのできぬ性分も同じ。気があって当然だな。

 得難い友を得たと心嬉しく思った。

「俺もかなりのことをしてきたが、朝威に歯向かうことだけはしなかった。追補官符を受けたそうだが、大丈夫か、今は」

「もう、無効ですよ。それより、朝廷は私を手なずけて己れの役に立たせようと考えているみたいですね。武力を見込んで、盗賊狩りなど。以前は私が盗賊として畏れられていたのに」

「夷をもって夷を制す、か。朝廷の考えそうなことだ」

 将門が何気なく口にした言葉に、秀郷の眼が光った。

「将門どのは私を『夷』と呼ぶのですね」

『夷』には辺境の蛮族という蔑みの意味合いがある。それは、中央の人々の主観にして。

「そなたを蛮族に例えたこと、気に障ったか。」

 将門は、じっと見返す秀郷の眼差しにひるむことなく、彼の言葉を視線ごと受け止めた。『何気なく』どころではない。

「いいえ、『夷」という字は弓に矢をつがう武人の姿そのものです。むしろ私にはふさわしくあります」

「さもあろう。ならば、俺もその東夷の仲間さ」

 東夷(あずまえびす)とは、本来、東国に住む古族蝦夷(えみし)のことであったが、やがて東国に住む人々への蔑称となった。野山を駆け回り獣の肉を食らう未開人――都人から見た東人(あずまひと)など全て同じ、半人半獣の異人種である。

「だが、それは我々への畏怖の裏返しとは思わんか」

 将門は不敵に笑い、秀郷も口元をほころばす。

「確かに」

 一瞬の緊迫が嘘のように、解けていった。


 将門一行は和やかに往来を進んだ。 

 だが、それは、彼らの目に油断と映った。

 彼ら、とは将門と敵対する在地領主とその従類である。

 土地争いで不仲な領主の一方が、将門の勢力を頼って傘下にくだる。当然相手の領主は反将門勢力に与する。領地の境目では小競り合いが起こるべくして起きていたが、秀郷を案内するため、将門らは当の境目にまで近付いていた。そんな敵意ある領主の従類が将門一行を発見すると、密かに主に報告し、彼らは手勢を集めて付け狙っていたのである。

 将門たちは何の警戒もなしに、道の先に続く林の中へと馬を進めた。

 先回りした兵らが潜んでいるとも知らず。

 一行の接近に、敵は太刀を振りかざし、道の左右から襲いかかった。

 将門たちは弓箭の武装はしていたが、木立が邪魔で使えない。

 すぐに弓矢を捨てると、太刀を抜いた。

 男のそばに珍しく桔梗の姿はなかった。石井の営所が手薄であるため留守を任せていたからだ。

 もっとも、この程度の小勢ならば、容易く返り討ちにできる。

 また、その自信があったからこそ、のこのこと領地の(きわ)にまでやってきたのだが。

 桔梗が聞いたら、

「もし、相手が多勢だったらどうするの? 手練れの兵がいたら?」

 と、怒り出すところだろう。

 だが、男の性分か。

 ――ときには桔梗なしで戦ってみたい。己れだけの力を試してみたい。

 敢えて危険を冒す、という気持ちが湧き上がり、それを解放したくなったのだ。

 将門は、襲いかかる兵たちへ太刀を振るった。

 敵の従類らは、急の命令とて甲冑の備えがなおざりだった。それは自分たちも同様、攻撃は最大の防御とばかり相手に斬りかかる。

 馬上の彼は、突きつけられた太刀をすんでのところでかわし、同時に脇を狙う兵の腕を叩き斬る。

 返す刀で次の兵の胸をえぐり――しかし、馬上での均衡を失った。それにつけ込み、敵兵が男を引き摺り下ろそうと殺到するが、その間を与えず、鞍から飛び降る。

 着地先の目の前にいた兵を、身動きさせる間もなく斬る。

「う、噂より強い!」

 段違いの相手に敵兵らは凍り付く。

 騎馬の体を背に、将門は、(はす)に構えた太刀の向こうに敵兵を睨みつけた。

「手応えがない! 俺を誰だと思っているっ。もっと(こわ)い奴はおらんのかっ」

 敵を威嚇する彼の足元には、死体や切り取られた体の一部が散乱していた。

 怯えた兵たちは、一人がくるりと背中を向けて走り出すと、他の兵も武器を捨て、我先にと逃げ出した。

 残ったのは将門の一行だけだ。

 味方に死人は出ず、負傷者の傷も浅い。

 将門は秀郷を振り返ると、彼を見て言った。

「秀郷どの、そなた、手を抜いたな」

 将門周辺の惨状に比べ、秀郷の周りは点々と血が残るだけである。

「腕の見せ所、と思ったんですけどね」

 秀郷は笑いながら首の後ろを掻く。

 敵の襲撃には一早く馬から降りた。

 先ほど、口の()にかけた夷人の弓も、

――せっかくだが、将門どのに俺のわざを見せる機会はこの次だな。

 彼も弓を捨て、ぐるりを囲む兵らを見渡した。

 太刀で全員を仕留める自信もあったが、

――こやつら相手に、味方を危険にさらすわけにはいかんな。

 大した相手とも思えぬ。

 皆殺しなど考えず、切り傷を与えて戦意を喪わせろと、目だけで従類らに合図を送った。

 主従は太刀をひらめかし、手傷ばかりを負わせる。

 相手の懐になど深入りしない。 

 敵に流血させ、悲鳴を上げさせる。

「ひ、ひぃぃい」

 泣きわめく面々。

 あとは将門の一喝で逃げ去った。

 ――これでいい。

 満足げにうなずく。

 秀郷は、(てん)(ぜん)と将門を見返した。

「将門どのは気合いの入れ方が違うな。いつでもそうなのですか」

 ――この力の抜け方・・・・・・

 将門は似ていると思った秀郷と己れとの差違を見る。その差違は自分にないものとして尊びたいと思うが、

 ――俺にはできぬな。

「やれやれ、そなたのような人間は長生きするよ」

 将門が肩をすくめると、

「将門どのも長生きしてください。私の本当の強さを見て頂かなくては困りますから」

 秀郷の口角が不敵に上がる。

 ――此度は、あえて爪を隠す、というところか。

 将門は馬に乗りかけて、

「あぁ、そうだ。営所に帰っても、今日のことは家の者に言うなよ。この程度のことで、何の彼の言われるのは面倒だ」

「はいはい、よくわかります」

 秘密の共有ってわけですねと、秀郷の頬がゆるんだ。


 営所に戻った将門はご機嫌だった。 

 見周りの最中、男同士積もる話があったのか、すっかり気心を知れたようすである。

「あいつは、なかなか面白い男だよ」

 恋人の前で秀郷を話題にするが、早くも義兄弟めいた仲の深まりに、桔梗は嫉妬を覚えた。

 ――ただでさえ忙しくって、私にかまってくれることが少なくなってたのに! もうっ。

 桔梗は頬をふくらませた。けれど、一方で、

 ――自分が与えることができなかった何かを、あの男は将門さまに与えているんだ。

 妬ましさ以上に、秀郷への羨望を覚える。

 将門は昔から、対等に付き合える同輩というものに恵まれなかった。多分に、才走ったところや血気に過ぎるところが並の男たちを遠ざけてしまうのだ。かつては貞盛という従兄がいたが、彼とも縁が切れかけている。

 慕ってくれる弟や家臣はいる。だが、それだけでは物足りなさを覚えていたのだ。

――将門さまと対等に付き合える男、ねぇ。

 秀郷という男が俄然気になり始める桔梗であった。


 裏切り

 

 秀郷は数人の従類とともに、館の一室を与えられた。

 ある日、彼は奥向きの用で西の(たい)(建物)を訪れた。

 伐り出したばかりの木の()がただよい、柱の白さが目に眩しい。

 営所は年の瀬を間近に、増改築を終えたばかりである。普請に伴い、京帰りの将門は貴族の邸の造りを取り入れさせた。都嫌いと云いながら、その洗練と華やかさへの憧憬(あこがれ)はなかなかに拭えぬものらしい。

 建物と建物の間を細殿(渡り廊下)で結び、室の内外を御簾や蔀戸で隔て、天井や柱と梁の繋ぎ目に凝った意匠を施す。 

 これで中庭に池でも掘れば、全くの貴族の邸である。だが、将門の武人としての証明(あかし)のように、鍛錬用の馬場や射場を広々と揃えていた。

 ――みごとなものだ。

 程の良さに感心しつつ、勝手の違う造作に、秀郷は家族の住む並びに迷い込んでしまった。 

 しかも脂粉の匂いが鼻腔をくすぐった。

 ――まずいな。女人の住む部屋だ。

 慌てて引き返そうとしたとき、風が、傍らの御簾(みす)をめくり上げた。

 秀郷の視線はたぐり寄せられるようにして、室内にいた女性(にょうしょう)の顔に行き当たった。

 驚きの余りか女は顔を隠そうともせず、そのくせ瞳はしっかりと秀郷を見返していた。

 年は二十歳(はたち)ごろ、品よく優雅な風情が立ちのぼるようで、数瞬、心奪われる。

 だが、どうにか自制心が働いた。

 ――やめておけ。将門どのとどんな(ゆかり)があるか知れたものではない。

 自分自身に言い聞かせ、

「失礼した」

 と、一言だけ述べて、その場を去った。


 三日後。

 秀郷の居室へ一人の女が訪れた。奥付きの侍女だと言うが。

「はて、女房殿が、私に何用か?」 

 怪訝な顔で問い返す秀郷に、

「我が女主人、(えまい)の姫は当家(将門)の()母子(のとご)にあられます。先日御身の姿をお見かけしましてより思いを募らせ、床から起き上がることもままなりません。憐れと思うなら、どうぞ情けをかけて頂きとうございます」

 と、(くだん)の美女からの文を渡される。

 唐突な申し出に、秀郷は困惑したが、

「姫は恋の病に食べ物も喉を通らず、夜も眠れぬようすです。そのうち本当の病にかかってしまうかもしれません。せめて文の一つでも」

 女房の重ねての頼みを断ることもできず、秀郷は返事をしたため、結び文にして渡した。

 すると再び、咲姫よりの文が届いた。秀郷は成り行き上、返事を書いた。

 そしてまた文が届き、彼は返事を書く。

 これが幾度かくり返され、文のやり取りが始まった。

 ――まるで恋人同士だな。

 そうなれば情を覚えるのが人間である。

 次第に秀郷自身も会ってみたい、声を聞いてみたいと好奇心が募った。

 ――まずいな。もう。

 と、思いつつ。

 これも何かの駆け引きであったか。

 侍女に導かれ、姫の部屋に忍んだのは程なくのことだ。


 ――こんな女、初めてだ。

 咲姫のことを、恋煩いの何のと聞かされていた秀郷は、淑やかな女人(にょにん)を想像していた。

 だが、それは間違いだった。

 会ってすぐ、()けしめようとしたのは彼女の方だった。

 秀郷は戸惑いながら咲の手を取った。

 けれど、その戸惑いも、たちまち甘い(しき)(しん)の波によって遠くへと追いやられる。

 気が付けば、最初から最後まで女の(しゃ)(びょう)によって夢の世界の住人となっていた。

 ――俺って、何にも知らなかったんだなぁ・・・・・・

 事後も夢路から抜けがたく、ぼんやりと姫の美貌を眺める。

「どうかしまして?」 

 姫が不思議そうに見つめ返すから、

「……あなたの美しさに、つい見とれてしまったのです」

 物ならぬ枕言を()り、我ながらもう少し気の利いたことを言えぬかと恥ずかしく思った。

 ふと、咲の手が秀郷の頬へと伸びた。寝乱れてほつれた(びん)の毛を指先に挟む。

 秀郷の髪は(きつ)いくせっ毛である。それを興げにくるくると指へ絡ませるのだ。

「珍しいですか? 私には、蝦夷の血が入っているんですよ。だから髪が縮れていて。あ、エミシは毛人と書くだけあって毛深い民族なんです。だけど女の人は嫌がるかな、毛深いって言うのは」

 秀郷の問いかけに、女の指は男の胸に降り、這い(いろ)い、

「私、毛深い殿方も好き・・・・・・」    

 とろけそうな咲の目つきに、男自身もとろけた。

「あっ、ありがとうございます。……昔、下野(しもつけ)上野(こうづけ)が一つの国だったころ、(けの)(くに)と呼ばれていました。それだけエミシが多く住んでいたでしょうね。狩猟を生業とし、弓を操り、怖れを知らぬ勇猛な彼らを蔑む人は多い。けれど、私にとってエミシはあやかりたい存在で、この血は誇りなんです」

「ふぅん」    

 熱心に語る男の話を興味なさげに、女は視線を外した。

 ――こっ、これではいけない。

 物語るうち、徐々に正気を取り戻した秀郷は、必死で男女の会話らしい話題を探した。

「そうだ、聞いてもいいですか? 私を見初めてくれた理由を教えてください。あなたのような素晴らしい女人が、いったい私のどこを気に入ったのですか」

 男の必死さに、女はかわいげを覚えたらしい。

「ふふっ、とんでもないこと。御身にはこの辺りの人間にはない華やかさがおありだわ。それでいて、弓も馬も得意な偉丈夫」

 姫の口元がゆるみ、

「殿もよく褒めていらしたわ。『俺にはないものを持っている男だ』と。今日、御身に会って私も同じ思いをしたの」

 将門の名を出され、一瞬秀郷の目が翳った。

 褥の上で他の異性を話題にするのは禁忌である。

「失礼したわ。私ったら、御身のことが嬉しくて、つい……」

 女は言いつくろう。

 秀郷も白い歯を見せ、

「私は嫉妬深い男ではありませんから。これくらいのことで気を悪くすることはありませんよ」

 と、こちらも言いつくろう。

 自分に機嫌を取ろうとする秀郷のようすに、

 ――この男の心は私のもの。

 咲の瞳が金色に輝いたが、秀郷には灯台の明かりが映ったものとしか思われなかった。


 咲の姫こと桔梗。

 言うまでもなく、手引きした侍女も彼女が化けたものだ。

 もちろん、将門のことは心より愛している。

 それなのに、なぜ秀郷と関係を持ったか。

 ――将門さまお気に入りの秀郷を知ることで、もっと将門さまを知りたいの。

 というのはいくら何でもこじつけに過ぎる。

 ――だって、将門さまったら、このごろちっともかまってくれないんだもん。

 これもまた理由の一つだが。

 ――天下の逸物がこの世にもう一人。

 桔梗は秀郷を見抜いた。己れの力を高めんとする狐女たれば、陽の気を得るまたとない機会。本能に従っての行動だ。

 ――それに人間の殿方だって、よく言うじゃない?

『これはまた別腹』と。

 桔梗は自分自身に言い訳する。

 しかし、契ってみてわかったことだが、秀郷の身体には徒人(ただびと)にはない気色(けしき)があった。吐く息や流れる汗に何やら霊妙な香りが漂っているのだ。

 ――将門さまとは似て非なる・・・・・・

 桔梗は頭の中で、想像を巡らせた。

 将門には自分、狐女がいる。

 それと同様に、すでに秀郷に何者かの加護がついていてもおかしくはない。

 彼ほどの男であれば。

 ――私も将門さまも、秀郷の過去など、その一片しか知らないのだわ。

 男へ、欲気(よくげ)以上の興味を覚えた。


 桔梗は、以後も秀郷と『会い』、それとなく探りを入れた。

 ある夜、

「御身は罪を得て配流の憂き目にあったとのことですが、一体どちらへ……」

 秀郷は女を見返した。

 このときの、男の目の色。それが何とも云えぬものになる。

「遠く海を越えたところに。そうですね、浮き世とは思われない、龍宮のようなところです」

 男の目が、遥かを見つめるものとなる。

 桔梗は直感した。

 ――この男の護法神は龍神か!

 動揺する心を身の内に抑えながら、

「御身の見た龍宮とやら、その夢のような世界を私も見たいものです」

 思わせ振りに、秀郷の額へ自分のそれを押しつけ、「けれど、龍宮には乙姫がつきもの。さぞや美しい女性にお会いなさったことでしょうね」

 すねるように言った。

「妬かないで下さい。褥の上であなた以外の女性の話をしたくありませんから」

 秀郷は女の髪を撫でた。

「乙姫といえば龍王の娘。人間の女と違って情け深いものだと云います。そう容易く(えにし)を絶つようなことはありませんでしょう? 私たちのことが知れたら、どんな仕打ちをされることか。あぁ恐ろしい」 

 肩を振るわせる女に、秀郷は目じりを緩めた。

「龍宮とはものの例えですよ。心配する必要はありません。例え、私たちの仲が知れたとしても、その『乙姫』があなたに(あだ)なすことはありませんから」

「……大変聞き分けの良い女性ですわね」

「それほど深い(えにし)だということです」 

 秀郷の言葉を聞いて、桔梗は腹立だしくなった。

 なじみとなった女の前で、別の女の惚気(のろけ)を語って許されるものだろうか。いや、なじみとなった気安さ故に口を滑らしたのか。

 ――それにしても、礼儀を知らない男ね!

 桔梗は自分から鎌をかけたくせに、秀郷をこらしめたくなった。

「秀郷さまは精強な方とお見受けしましたが、そうではなかったのですね。武勇に秀でているなんて、全ては龍女の加護があってのこと。私は自分の男を見る目のなさが無念でなりませぬ」

 投げ捨てるように桔梗が言えば、

「今夜はやけに絡みますね」

 秀郷の目が光る。

「でも、将門さまは違いますよ。()の君の武勇は本物です」

 桔梗の心に、秀郷をして深い縁という龍女へ張り合う気持ちが起こった。

「その上、妙見さまの加護がありますから、一族との戦いに勝ってこられたのです。こちらも本物ですよ。龍女の加護など及ばないくらいの」 

 桔梗は自身の言葉の矛盾に気付いていない。

「ほう、妙見菩薩の」

「えぇ、人為を超えた力を受けております」 

 桔梗は男の目をじっと見返し、秀郷もまた女の視線を外そうとしなかった。

 見つめ合う二人の男と女。しかし、甘やかな恋人同士のそれとは程遠いものであった。

 不穏な空気が漂い始めた。

 と、そのとき。 

 庭先を、将門の従類たちがばたばたと駆け回る足音が響いた。

 居すくむ桔梗と秀郷の耳へ、

「敵襲だ!」

「良兼の軍勢が攻めてきたぞ!」


 この夜、正攻法では適わぬとみた良兼が八十騎の少数先鋭で夜襲をしかけたのである。

 石井の営所は騒然となった。

 ――将門さまのもとへ行かなくては。

 だが、秀郷のいる前で妖術を使うことは憚られた。

 秀郷もまた、邸内を走りまわる将門の従類らを前に、女の部屋から飛び出すことをためらった。己れの武勇を見せつける、またとない機会であるにも係わらず、咲が将門の恋人、ということを察して。

 女と男は焦燥を胸に抱えながら、互いに背を向け、耳だけで外のようすを伺った。

 不意打ちの上、年末のこととて、将門は従類の多くを家に帰していた。さらに、(のち)に知ったことだが、従者の一人が良兼の甘言に(そそのか)されて裏切りを働き、母屋や武器庫など邸の配置を知らせていたという。

 だが、この絶対的な不利をも将門は覆す。

 戦場の彼そのままに自ら太刀を打ち合せ、良兼勢を撃退するのだ。

 桔梗が彼のもとに駆け付けたのは、夜が明けきって、全てが終わった後である。

「遅かったな。どこへ行っていた」

「ごめんなさい」

 将門の目を見ることもできない桔梗である。

 その彼女へ、

「秀郷の姿もない。お前はあいつがどこにいるか知っているか?」

「私が知るわけないじゃない!」

 桔梗は思わず叫んだ。

 嘘ではない。

 秀郷は桔梗より前に局を出た。だからこそ将門のところに参じることができたのだ。

 ――あの男はどこへ。

 彼らは、時を経ずして知らされる。

 営所内の騒ぎに紛れ、秀郷主従は石井の営所から姿を消したと。

 その理由について、二人が語り合うことはなかった。


 明けて承平八年(九三八)正月、裏切り者の従者は捕らえられ、将門の前で首を刎ねられた。


 心友


 将門と桔梗、二人の心がすれ違ったまま、男は再び戦いへと向かった。

 同年二月二十九日、相手は将門の従兄貞盛――彼は朝廷の裁定に不満を持ち、将門の非を訴えるため上京したというのだ。

 ――貞盛、お前は自分から言い出した約束を自ら破るのか。

 先の戦いは叔父らに引きづられてのことと思い、追補の官符を得ても見逃していた。

 ――なのに、お前は!

 信じていた相手だけに、将門は怒りに燃えた。

 しかし、これは将門側の誤解だった。

 (もと)より都で順調に出世していた貞盛は、東国の所領争いにうんざりしていた。気の進まぬまま叔父たちに味方したが、ついには、罪人扱い。

 ――このまま叔父らと一緒にいたのでは一絡(から)げに捕まってしまう。

 故郷を捨てる覚悟で都に向かったのだ。

 自分とて都に後見となるべき権門がないわけではない。追補官符の撤回を依頼し、そのまま京に永住しようと。

 だが、それを将門は知らない。

 東山道を西上する一行を百騎余りで猛追し、これに気付いた貞盛は食糧や財物を捨て、死にもの狂いで逃走した。

 ――将門、これは違うんだ。お前の勘違いだ。

 彼の心の叫びは、友には届かず。

 引き返して弁解する、という選択肢はなかった。将門本人ならいざ知らず、従類伴類に捕まれば命の保証はないのだから。

 山中に辛くも隠れおおせたが、貞盛を捕らえられなかった将門は口惜しがりながら下総への岐路についた。彼の伴類たちは、途中貞盛が捨てていった食糧や財物を喜んで持ち去った。

 貞盛は飢えに苦しめられながら京へとたどり着き、朝廷へ訴え出る。

 青年時代、都での暮らし辛さを嘆いた友と、それを励ました自分。

 そんな思い出を分かち合うのに、二人の関係は終わってしまうのか。

 貞盛は、将門への気持ちに割り切れなさを覚えた。

 将門の周囲にはさまざまな人間が取り巻いている。その中には、己れの利欲のため、彼をおだて、甘い汁をすすろうとする輩がいる。

 彼らに隔てられ、二人の絆はこのまま断たれてしまうのか。

 貞盛には、まだ心のどこかで、将門との仲を修復せねばという思いがあった。

 ――自分から弁明しても、今の将門は聞く耳を持ってくれないだろう。

 と、公儀に調停を依頼したのである。

 だが、これには時間を必要とした。

 貞盛がようやく将門召喚の官符をもって東下の途に着いたのは翌天慶二年(九三九)六月中旬のことだった。

 この間、一族の長、良兼が死に、板東の桓武平氏は息をひそめ、将門の動向を伺っていた。

 貞盛自身、大勢力となった将門、というよりその取り巻きたちの気勢に、本拠へ近寄ることができなかった。

『己れの利欲のため――』という俗輩は将門の周りに増え続け、すでに貞盛の父の遺領は配下の者に奪われたという。

 ――お前は、変わってしまったな。

 権力を(かさ)に父の遺領を奪われかけた将門が、今また同じことをしている。

 将門を取り巻く連中にも問題があるだろうが、

 ――彼らを排除しないお前に責めはないのか。

 貞盛は将門を遠くに覚えた。


 貞盛の上下京の一年余りの間に、東国ではいくつかの事件が起こった。これにより将門の勢力はさらに拡大していったのである。

 その一つ。

 武蔵国(東京都・埼玉県)では、国司の(ごんの)(かみ)(副長官)(おき)()(おう)(すけ)(次官)源経基と、足立郡司の武蔵武芝の間に紛争が起きた。苛烈な税の取り立てをする国司らに、武芝が郡民を庇ったためだ。武芝はその名字が示すとおり代々の在地領主。職務に忠実な清廉潔白の郡司として国の内外に知られていた。だが、武力に勝る国司らに適うはずもなく、武芝は邸を襲われ、家財を奪われた。彼は家族や家来たちを連れ、山中に逃げる他なかった。

 興世王と経基の所行は、とても国司のものとは思えず、公権力を背にした分、盗賊よりも(たち)がわるい。

 見かねた者が、国庁の門前に一部始終をしたためた告発文を落とし、これにより事実が明るみになった。

 将門が以上の事件を知ったのは貞盛を追撃した帰りだった。

 ――この世には何と似たことが起こるのか。

 伯父らから受けた仕打ちと重なり、

「俺は武芝に味方する! 皆の者、付いてこい!」

 百騎の兵とともに武蔵へ向かった。

 将門の軍勢を見た興世王たちは驚愕した。立場は逆転し、今度は己れらが山中に逃げ込む番だ。

 心強くなった武芝は将門と合流し、これを見て適わないと悟った興世王は山を下り、素直に詫びを入れた。 

「己れが間違っていたと、わかれば良いのだ」

 将門はご満悦である。

 凄惨な戦いの渦中に置かれた数年来にあって、武蔵では平和をもたらすことができたと。

 将門は和解の酒宴を張り、彼らと盃をかたむけることになった。

 だが、経基は山中から未だ出てこない。

 将門は訝り、興世王に詳細を訪ねた。しかし、彼はけろりとした顔で、

「放っておいても、そのうち出てきますよ」

 相手にする必要はないと言う。

 やがて宴が始まった。

 けれど、このとき何かの手違いで、武芝の家来が経基の隠れひそむ山中へ、攻撃を開始した。

 清和天皇の孫にあたり、後に清和源氏の祖となる経基も、当時はまだ若く、兵の道に馴れてなかった。

 彼は突然の攻撃に驚き、部下を捨てて逃げた。

 将門の強さを知るだけに、自分は殺されるという恐怖から京へ上る。

 さらに朝廷へ。

 謀叛を起こしたとの虚言をもって訴え出たのだ。

 将門はすぐさま武蔵他近隣五カ国の国庁に()(ぶみ)を書かせ、朝廷に無罪を申し立てた。これにより都では、紛争を治めた英雄として、却って人々の名声を得るのであった。

 讒言者の経基は審議のため検非違使庁へ収監されることとなる。


 後日、武蔵国では一連の騒動を抑えるべく、新国司が就任するが、部下たる興世王は仲違いを起こし、国庁から排除されてしまう。

 居場所を失った彼は、親しくなった下総の将門のもとへ身を寄せることにした。

「興世王どの、ですか」

 次弟の将平はあまりいい顔をしなかったが、

「見知った者を追い返すわけにはいかないだろう」

 と、彼を受け容れた。

 将門の度量の広さは近隣に知れ渡り、しかし、そのためにさらなる厄介者を抱え込むことになるのだ。

 常陸国(茨城県中・北部)の富豪領主、藤原玄(はる)(あき)という男が、将門の噂を聞きつけ、

「俺も、行く場所がないんです」

 国司から疎まれ故郷を追われたと、家族と家来を連れ、鎌輪の営所へ頼って来たのだ。

 将門は彼にも同情し、一家ごと匿うことにした。

 玄明は感激して、

「将門さんみたいな器の大きい人、初めて会いました。俺、これから将門さんのために何でもしますから!」

 尊敬の眼差しで将門を見上る。

 将門はすっかり気を許した。

 だが、この玄明、常陸では有名な悪人で、民の害毒とまでいわれた人物であった。彼は日ごろ、高利で種籾を人に貸し付け、返済できなければ奴隷のように働かせた。そのくせ自分は税も払わず、他人の田畑の収穫物を奪い、往来の運搬物を取り上げるという、とんでもない無法者だった。今回、国司の追っ手から逃げる際も、不動倉(飢饉用非常食の保存倉)から食糧を奪っている。

 同じく国司と対立した武蔵武芝とは全く正反対の姦物である。(なお、武芝は事件後、郡司の職に専念している)

 国司に歯向かったところなど、秀郷の若いころに似ているが。

「いくらなんでも、玄明のような人間までも」

 弟の将平が咎めるのを、

「悪人に過ぎると言いたいのだろう」

 将門は聞き入れなかった。

 在地領主と国司は税の取り分を争うため、どうしても仲が悪いものだ。

「国司の()てた悪い評判を真に受けては、玄明が哀れではないか」

 と逆に将平を叱る。

 玄明は人を籠絡する術によほど長けた人間らしい。

 それとも、国司の伯父たちに散々辛いめに合わされた経験が、将門の判断を狂わせたか。

「玄明の言い分も聞いてやってほしい」

 将門は、常陸介維幾(これちか)へ、玄明の赦免を要求した。

 玄明は自分の仲間である。彼を庇って当然だと思った。

 だが、常陸介はこれを当然とは思わず、要求は簡単に撥ね付けられる。

 将門の頭の中には、すでに『無道の国司とそれに苦しめられる在地領主』という図式ができ上がっていた。

 彼はどうしたか。

 武力をもって威嚇しようと、千騎の兵を連れ常陸国府へ向かったのだ。

 将門発つ、の報せに、国府側はそれを数倍する三千の兵で待ち構えていた。

 常陸国は親王仁国にして、介が実質の長官である。また因果にも、維幾は将門の叔母を妻にしており、義理の叔父にあたった。

 しかし、天慶二年(九三九)十一月二十一日、維幾は数に勝る自軍の勝利を確信したか、将門へ戦いをしかけるのである。


 千騎対三千騎。

 当然適うはずのない相手だった。だが、将門は彼我の差をものともせず、決河の勢いで敵陣に突入した。


 桔梗もまたこの戦場にあった。

 男との関係は冷えかけていたが、命を懸けた戦いを放ってはおけなかった。

 合戦に向かう前、桔梗は将門に問うた。

「どうして、縁もゆかりもない人のためにそこまでするの?」

 一族の爪弾きから身を守るためだった、今までの戦いとは、明らかに一線を画している。

 他国への介入、しかも中央政府から反逆とも捉えかねない戦さを始めようとしているのだから。

「玄明のためばかりではない。俺には、やりたいことがあるのだ」

 将門の答えは答えと云えるものではなかった。

 ――玄明のためばかりではない?

 貞盛や秀郷、配下の男にまで裏切りを許したこと。その心の穴を埋めるために、慕ってきた玄明に肩入れするのかと想像したが。

 ――『やりたいこと』なんて、将門さま自身にもわかっているとは思えない。

 京での鬱屈は、板東の地で解き放たれたかと思われた。だがそれは、故郷に戻ってからも行き場に惑い、さ迷っている。戦いの中で得た勝利は土地の人間に認めさせるには十分だった。

 けれど、将門は未だ無位無官。

 彼が真に認めさせたい相手は、かつて己れを否定した中央の権力に他ならない。

 いつまでもまとわりついてくる劣等感から逃れようと、()()いた先に、常陸国衙の襲撃があったのか。

 ――秀郷のせいもあるのかしら。

 秀郷の若いころの所行に、将門はどこか羨望めいたものを覚えていた。

 束の間ではあったが、秀郷とは心を許した仲だ。そんな彼から、本人も気付かないところで影響を与えられたとしてもおかしくはない。

 だが、その相手は秀郷だけであったろうか。

 桔梗は考えて愕然とする。

 いつもそばにいて、何でも知っていると思っていた将門の真実。

 その実態を、間もなく見せつけられるのだ。


 将門は、縦横無尽に戦場を駆け、敵兵を次々に討ち取った。

 今度の相手も民の抑圧者である。かつ、正義はこちらにあるのだから。

 ――遠慮はいらぬ。

 無敵の将門は血に酔った。

 敵の血ではない。己が(うち)(たぎ)る血に。

 桔梗の霊力で不死身となり、血煙に霞む将門はあたかも鬼神のごとく人々の目に映った。

 気がつけば、三千の敵兵は討ち取られるか、逃げ出すかした。

 叔父の常陸介は将門の前に跪き、印鎰(いんやく)を捧けた。

 印は公の文書に()す国印、鎰は財物を保管する倉庫の鍵である。

 二つは常陸国衙の権威と権力の象徴だった。

 ――常陸国はあなた様に差し上げます。その代わりに我らの命だけはお助けください。

 そう言われたも同然だった。

 将門は我に返り、周囲を見回した。

 国衙内では、玄明の従類たちが略奪を始めていた。女を見つけては陵辱を加え、這いつくばって命を乞う僧尼を嘲り笑った。

 我が者顔で徘徊する兵らと、彼らの蛮行に泣き伏す人々。

 かつて自分が味合わされた屈辱を、別の誰かが味わっている。

 悪夢が再び、この世に出現したのだ。しかもそれを再現させたのは他ならぬ己れだった。

 ――俺は、玄明を助けようとしただけだ。

 だのに、その結果が・・・・・・

「――将門さま、これが将門さまのやりたかったこと?」

 従者姿の桔梗がぽつりと言った。

「それは、俺が聞きたい」

 なぜこうなったかを。


 意識の下に入り込む、良いもの、悪いもの、

 それを選び切れずに、知らず知らず、否定した叔父たちと同じ行為を再した。

 己れとは何か、

 己れの為すべきことは何かを見つけられず、

 道を探して迷いを深め、途方に暮れる、

 男の姿が今にも泣き出しそうな子どものように――

 桔梗には見えた。


 将門ほど『男』に恵まれなかった男はいない。

 彼に足りなかったのは、同輩という存在だけではなかった。

 父と兄とは子どものときに生き別れ、続いて真に死に別れる。己れという人間をつくる上で、男として成長する上で、手本となるべき肉親を失った。

 若き日に職掌で認められればまだ芯となるものができただろう。

 しかし、彼が心より欲するものは常に与えられない。

 己れを疎んでいた伯父たちでさえ下野国衙で救ったのは、父親と兄弟にあたる彼らとの結び付きを失いたくなかったからだ。良兼の娘を娶ったのも一族との絆を、さらに云えば、父親と血の繋がった者を義父(ちち)として欲したのだ。

 しかし、これも屈辱的な返礼に遇う。

 京都時代に支えとなった貞盛も去った。

 彼にどれほどの男が残されたか。


 あり余る才気を持て余し、見た目の器ばかりが大きくなる。

 けれど、その在り方がわからない。自分自身を支えきれない。

 己れを慕う者であればどんな輩でも引き受けたのは、その裏返しで、すがりつこうとしたのは将門の方だった。

 ――裏返し。

 桔梗は、男が自分を愛した理由を知る。

 ――なぜ、もっと早くに気付かなかったのだろう。

 良兼の仕込んだ父親の霊像に、異常なまでの畏れを抱いたときにでも。


 けれど、後になって、桔梗は思う。

 逆に、なぜこのとき将門の心奥が見えたのか。

 強靱な男がふだん見せぬものが見えたということ。

 それは、彼の破綻の始まりであったから。


 新皇


 将門は維幾の一家を本拠に連れ帰り、衣食住の面倒をみたが、それで己れの過ちが許されるとは思えなかった。

 常陸国(茨城県中・北部)を領収した事実、これは中央への謀叛以外の何物でもなく、戦後の惨状も将門を深い罪の意識に(さいな)ませた。


「一国を横領したのですから、朝廷の追求は軽いはずありませんよ。いっそうのこと、東国丸ごと支配しちゃいましょう」

 うなだれる将門を前に、原因(おおもと)をつくった玄明は悪びれもない。そんな彼を、

「玄明、お前は言い方が悪い」

 たしなめたのは興世王である。そして居ずまいをただし、言い改める。

「将門さま、東国には横暴な国司に虐げられている人間がまだ五万といます。常陸だけでなく、彼らを解放してやったらどうです? そうすれば、民は皆喜ぶ。朝廷とて、将門さまのしたことを善行と認めてくださいますよ。常陸の件でも悩むことはありません。悪徳国司を懲らしめた、と考えればよいのです。悪事をなさぬ国司などいないのですから」

 この輩は、自分の過去を棚に上げて言う。だが、内容を吟味すれば、玄明の言うことと何ら変わらない。

「どっちにしろ俺たちは、将門さんに付いていきますから!」


 興世王と玄明がそそのかした、おだてたというが。

 将門は、翌十二月、下野・上野(群馬県)の国衙を破竹の勢いで落とし、両国の長官から印鎰を奪った。

 先の常陸戦が中央政府への自覚なき反抗であったのに対して、以降の戦いは決然たる国家への反逆である。

 桔梗には、将門の強さが恐ろしい。

 もちろん自身の霊力で男の体を守っていたが、勝敗は全て天に任せていた。

 むしろ、心のどこかで、

 ――適当なところで負けてほしい。

 とさえ、願う。

 人が勝利を収めたときには心が浮き立つような高揚感があるはず。だが、今の桔梗には、将門が坂道を転がり落ちているような不安しかない。

 ――早過ぎる変化がそう思わせるのかしら。

 いや、将門の心奥を覗いてしまったからだ。彼の驍勇とは不均衡の。

 それなのに、将門の勢力の拡大は収まることを知らない。

 ――このままでは本当に東国、日本の半分を掌握しそうな・・・・・・

 だがその予感は、もう不吉ものとしか感じられなかった。

 将門は、桔梗が天下の器と認めた男だ。

 そうあっても、何もおかしいことはない。

 ――なのに。

 それは違うと頭のどこかで声がする。

 将門へ忠告をしようにも、すれ違ってばかりの関係が気後れさせる。

 彼の顔を見ることができるのは戦場くらいのもので、代わって、いつも将門のそばにいるのは興世王と玄明である。

 一方は公盗、一方はならず者。有象無象の最たる者の彼らは意気投合し、二人仲良く将門の左右に侍った。

 興世王の方はうっすら桔梗の正体に勘づいているのか、戦場にのみ現れ、男の隣に寄り添おうとする『桔梗丸』へ、そのときばかりは居場所を譲る。

 ――さぁ、我らが将門さまを守るんだ。そなたにできることはそれくらいだろう。

 秋の扇と、捨てられた女を蔑むような目つきで。

 桔梗は、彼らを見て思い出す。いつか自分が将門に贈った言葉を。

 ――大きな器には良いものも悪いものも集まってくるの。それをしっかり選り分ければいいの。

 それを、今になって噛みしめる。

 ――将門さまは、私の言葉を覚えてないんだわ。

 そうして、彼の周辺を見回す。

 成人した弟たちが辛うじて将門を支えていたが、彼らだけでは心許ない。

 旧主忠平とはどうにか繋がっているようだか、何事も穏便に済ませたがる忠平がいつまで彼を切らずにいてくれるだろうか、不安になる。

 将門は人生のうち、(しん)にともに歩むべき有為の人間と出会っていたはず。

 だが、彼らとは道を行き(たが)って終わった。

 彼のそばに残ったのは、己が利益の取り分にしか興味のない輩ばかりだった。

 将門が持つ強烈な陽の気が、その身に濃い陰影を招いてしまうのだろうか。


 桔梗は、自分がまだ撫子と呼ばれていたころ、将門との共寝も他愛いないものだったころのことを思い浮かべた。

 忠平邸の一室で、夜目(やめ)のきく撫子は将門の寝顔を見つめ、見飽きることはなかった。

 殿方の知らぬことだろうが、女というものはその身が(じゅく)すより前に心が熟す。それは成人の女と変わらぬのだ。

 夜具からはみ出した鍛えぬかれた上半身――厚い胸板、力強く盛り上がった腕の筋肉。

 御所育ちの撫子には少々益荒男(ますらお)に過ぎたが、太い眉に意思の強さを、整った鼻梁は高貴な血筋を感じさせた。

 愛しい男の顔・・・・・・

 ――これから私は、もっともっとこの顔を好きになるだろう。

 そう思うと撫子は嬉しくてならなかった。

 ――私が将門さまを愛しているのは、陽の気のためではないわ。もう。

 このとき撫子は生涯将門に尽くそうと決めたのだ。


 ――あのころに戻りたい。

 一人ぼっち。

 桔梗の目から涙がこぼれ落ちた。


「――私が八幡大菩薩の使者?」

 占領中の上野国衙。

 興世王たちの勝手な振る舞いは果てを知らず、桔梗に許しがたい要求を突きつけた。

「都では八幡さまのお告げとやらが流行っているってね」

「そも、八幡大菩薩は、皇祖神の応神天皇の化身たれば、将門さまもその血をひく。そこで、八幡神のご宣託の巫女としてそなたが働くのだよ。人々を集めるによって、群衆の前で、将門さまを新しき東国の帝王、まぁ、新皇とでも云おうか、その新皇の位を授けるといえばよいのだ。我らはよく知らぬが、何やら霊力を持つそなたが(やく)にぴったりであろう」

 不安定な東国の状勢を受け、京では僧侶による国家鎮護の祈祷が修されているという。

 神仏には神仏、天皇には天皇で対抗しようというのだ。

 桔梗はぞっとした。

 ――この輩は、中央の権力に本気で勝てると思っているのか。

 桔梗とて将門の器量が世の人々に認められることを願っていた。だが、それは権力に叛逆し、彼の身を危険に曝すことではない。

 ――この人たちとは一緒にいられない。

 黙ってその場を後にした。

 しかし、桔梗の無言の抵抗は、その意味をなさなかった。

 興世王たちは別に『八幡様のお使い』を仕込むと、国衙内で『ご宣託』を行わせたのだ。

 ――ばかなこと。

 将門という美味に(たか)る蝿のごとき彼らに、天皇の家臣が務まるはずはない。

 ――身の程知らず。

 またそれを将門が喜ぶとでも思っているのだろうか。

 しかし、彼女の思いに反し、人々が巫女の出現に驚くなか、将門は宣託を受けたのだ。

 誕生、新皇将門―――

 群衆の歓喜の中央にいるその人は、桔梗の知らない誰かだった。


 将門の新皇即位に、すぐ下の弟将平は苦言を呈した。

「我が国では、臣下のものが天皇と位を争うなど聞いたことがありません。兄上がなさろうとすることは、この国の歴史に反するものです。どうか、考えを改めてください」

 兄の不興も畏れず申し出る将平の存在に、桔梗はほっとした。

 ――きちんと諌言できる人間が、将門さまの周りにいたんだ。

 そして、彼女自身も、

「将平の言うことは筋が通っているわ。耳の痛い進言でも理があれば採用する、それが良主というものではないの。ねぇ、弟の言葉を聞いてやってよ」

 しかし、将門は二人の言葉を退ける。

「日本になくとも、外国(とつくに)では武力によって天下を奪った例などいくらでもあろう。第一、俺は桓武天皇の血を受け継ぐ皇統だぞ。この日本の半分くらい手に入れて何の問題がある。それに一度決定したものを撤回するなど、俺にできるか」

 もう将門の言葉とも思えない。

 桔梗は、愛する男を遠く遠くに感じた。


 ――いっそうのこと、将門さまのもとを離れよう。

 取り巻きたちの外輪にぽつんと取り残され、彼にとって自分はいないも同然だった。

 ――本当は私が、一番最後まで一緒にいなくちゃいけないのに。ごめんなさい。将門さま。

 桔梗は去った。

 この世で一番将門を愛しているのは自分だ。でも、だからこそ辛すぎた。

 人外の力を持ちながら何もできない無力感。

 実際、桔梗が彼のもとを去ってからも、将門の勢いは留まることを知らなかった。

 残る関東の国府を次々と襲い、国司たちを追放した。

 武蔵、相模、伊豆・・・・・・

 すでに将門の強さが国々に知れ渡り、戦わずして印鎰を差し出す国司もいた。

 まさに敵なし。

 この時期、彼は、武をもって板東を制圧し、その頂点に君臨する、紛れもない東国の覇者であった。

 だが、これを中央政府がいつまでも放置するはずはなかった。


 明けて天慶三年(九四○)正月一日、朝廷は将門の一連の行動を叛乱と認定した。

 昨年末より、混乱する板東の国庁に替わり、近隣国の駿河・甲斐・信濃から将門の叛乱を知らせる飛駅が相次いで到着していた。

 文武百官は慌てふためき、新年恒例の儀式は全て中止された。天皇自ら玉座を降り『朝敵退散』を祈り、各寺院で将門調伏の修法が行われた。

 あたかも滝口時代に彼が倒した悪鬼と同様の扱いである。

 しかし、朝廷とて神仏に祈るばかりではない。

 都より追討軍を送るべく征東大将軍を補す。

 征東大将軍――

 百年以上前、エミシ討伐に坂上田村麻呂らが任命されて以来、奥州平定後は絶えて久しい職掌である。似たような役職に鎮守府将軍があるが、その字を見れば、征伐と防衛、同じエミシへの対応にしても意味合いが違う。いつかの将門とその父親との会話を思い出してみればよいだろうか。

 朝廷にとって、将門は往時のエミシ同様、中央政府にまつろわぬ者として討伐の対象となったのである。

 讒言者源経基の告発は正しかったとされ、彼は朝廷より位を授けられると、副将の一人として追討軍に名を連ねる。

 将門の味方をする者はいなくなった。旧主忠平も制御不能となったかつての家来を放擲したのである。

 政府は東海道、東山道の国々に将門追討の官符を下し、

「賊首将門を誅した者には五位以上の官位を与える」

 と付け加え、そのなりふりかまわぬ姿勢を隠そうともしない。


 忠平に縁を切られた将門らに、この処置が知らされることはなかった。

 興世王や玄明はのん気にも、春の除目と称して関東八州の国司を、将平を除く将門の弟たちや自分自身に配分し、それを発表して悦に入っていた。

 その上、

「新皇の皇居はどこにしましょうか」

「京の大津にちなんで、猿島の……」

 もはや正気の沙汰ではない。

 同じころ、常陸の親類のもとに身を隠していた貞盛へ、朝廷より追補使に命じるとの官符が届いた。

 昨年来の将門の乱行はすでに耳にしていたが、彼を昔から知る貞盛には、とても将門が起こした所行とは思えなかった。だが、亡き父の旧職、常陸大掾にまで任命され、貞盛はついに腹を括った。

 かつての親友にして、従弟たる将門との決別。

 ――将門、お前は京にいたころ、『ここには俺の居場所がない』と言っていたな。だが今、お前のいる場所は、本当にお前が望んだ場所なのか。

 貞盛は心の中で問いかける。

 しかし、己れの役目は、将門の居場所をこの世から失わせることにあった。

 それを十分に承知して。


 さらに京の朝廷は貞盛の他に、もう一人の男を追補使に任命した。

 下野の住人、藤原秀郷――国司の子息にして、かつて国家を相手に反抗した男へ、下野掾(三等官)の官職まで与えたのである。

 将門と秀郷、時期が違えば、官賊が逆転していたとしても不思議ではなかった。

 政府としてはどちらが滅びても構わない。

 『夷をもって夷を制す』の奇謀である。


 一月も末になって、将門のもとへ『貞盛・秀郷の軍勢が下総へ進撃した』との報せが届いた。

 だがそれは、春の田起こしのため、本拠から多くの配下の者を帰郷させた後だった。

「おのれらっ、死にたいのか!」

 追補使として貞盛と秀郷の名があることを知った将門の怒りは凄まじかった。

 ――お前らが官、我らが賊、というのは一体どういうわけだ!

 貞盛への敵意は以前より醸成されていたが、朝廷の決定がそれをいっそう募らせた。

 そして、秀郷――彼とは、境遇だけではなく、ものの考え方も似ていると思っていた。心許し、己れと比肩するほどの男と認めた相手に裏切られたのだ。将門の悔しさも一入(ひとしお)である。

 怒りの余り、周囲に当たり散らし、取り巻きの興世王たちでさえ思わず逃げ出したほどだった。

 貞盛の件でも同様であったが、将門はふだん情け深い分、裏切られたとなれば憎しみもまた人一倍深くし、己れを惑溺させた。

 ――桔梗とのことは許そうと思っていたのに!

 その桔梗も消えた。

 ――俺の器量を見限ったつもりかっ。

 彼の心中を満たしていたのは怒りばかりではなかった。

 けれど、それを知る者はなく。

 彼自身でさえも。


 京から下向する朝廷軍に先立ち、貞盛と秀郷が下野国衙で編成した討伐軍は四千。

 対する将門の兵は千。

 しかし、男はこれまでの戦いから数の劣勢を怖れなかった。

 二月一日、敵軍を迎え撃つべく下野に向かった。

 討伐軍の姿を見るやいなや、将門は先陣をきって敵に突入した。

 矢も利かぬと噂される敵将が、鬼神のような振る舞いで次々と兵を打ち倒す。これに官軍の兵は皆、恐れをなして逃げ去った。

 将門の勝利。

 しかし、それは局地的ななものでしかなかった。

 彼の活躍に反して、数に勝る討伐軍を相手に味方の敗色は濃い。

 また、その味方が足を引っ張る。ろくに戦術を知らぬ玄明が将門に無断で戦闘を始め、無理な深追いで秀郷たちの逆襲に遇い、大敗するのだ。

 徐々に窮地に追い込まれる将門たちは、勢いを盛り返えそうと本領猿島まで退き、敵を引き寄せながら援軍を待ち、反撃を図ろうとした。

 しかし、頼りにしていた八千の軍勢は集まらなかった。ここにきて、同盟者たる伴類は将門を裏切ったのである。

 貞盛も将門をあぶり出すため、石井の営所を手始めに周囲の家々へ火をつけさせた。

 焼け出された領民らは、貞盛の兵を恨まず、将門のこれまでの行いを恨んだという。彼らの目にも、昨今の主人(あるじ)の行動は尋常でなく映っていたのである。


 神風


 同二月十四日。

 将門のもとに残された兵はわずか四百ばかりとなった。

「大丈夫ですって。俺らの新皇、将門さまが負けるはずないじゃないですか!」

 玄明の言葉はすでに虚妄であった。

 だが彼だけではない。 

 誰もが敗北を認めようとしなかった。将門たちには投降も撤退もなかった。

 すでに朝廷軍が数万もの兵を引き連れて、板東へ迫っているというのに。

 あるのは、目先の戦いだけであり、その先に何があるのか考えようともしなかった。

 思考の遮断――

「精一杯戦えば勝てますって!」

 合戦の勝敗とはそんなものではない。

 けれど、皆、将門の命令に従い、黙々と北山を背に陣を張る。

 一方、貞盛らの討伐軍は、連日の戦いで負傷した兵を除いても、なお意気軒昂な兵が三千余り。

 これにどうして勝てると思うのか。

 それでも彼らはあるはずもない奇跡を待った。

 『神風』を。


 春先、この地域では突風が吹き荒れる。

 風は南から吹くかと思えば北から、東からと思えば西から、といった具合で矢筋が定まらない。

 それは敵とても同じ。

 両軍向かい合いながら数刻を経ても、戦闘は始まらなかった。

 互いに風待ちとなるなか、ふいに風伯の力が弛んだ。それから将門勢の背を力強く押すように風が吹く。

 安定した追い風。

「天は我らに味方したぞ!」

 未申の刻(午後三時)、将門勢から夥しい数の矢が放たれる。

 矢戦で少しでも多くの敵兵を仕留めようと。

 風はますます強まった。

 土埃が舞い上がり、将門勢の盾は前へ、討伐軍の盾は後ろへ、音高く倒れる。盾が盾の役を失い、敵の前陣は矢の襲来を怖れ、後ろへと逃げ出した。当然、後陣との混乱を引き起こし、それは全体へ拡がっていく。

 ――捲土重来! 南無、妙見大菩薩!

 将門は手勢の全てを率い、敵陣へ迫った。

 逃げる討伐軍、攻める将門勢。

 彼らの反撃が始まった。


 桔梗は戦場の上空にいた。人の目に映らなくとも。

 将門と別れてから二月(ふたつき)と経っていない。だがそれが、二年、二十年の歳月のように思えた。この間、己れが将門なしでは生きていけないことを確かめただけだった。

 今さら将門のそばへは戻れなかった。将門の中にどれほど自分の居場所が残されているか、知るのが恐ろしくて。

 しかし、男の命運は尽きかけていた。万に一つの可能性さえない戦いへ、その身を捧げるように挑もうとしていた。もはや傍観などできない。

 ――私の力は将門さまの力。将門さまの命は私の命。

 桔梗は戦場に駆けつけたのだ。

 突風吹き荒れる中、手をつかねる軍勢の頭上で、全身の霊力を振り絞って風向きを制した。

 自然の力を屈服させ、意のまま操るということ。初めての行為に息が上がる。

 足元では将門の快進撃が始まっていた。

 気を緩めれば、すぐに風本来の力に負け、よろめく。

 己れの霊力を振りしぼる桔梗の髪は、敵軍の方向へ流れていた。

 だが、その髪の先がふと揺らめき、次の瞬間、一斉に後方へと乱れなびいた。

 桔梗は正面の空を見た。

 青い鱗光をきらめかせ、長大な体をくねらせて、やってくる。

 狐女ですら初めて目にした、霊獣たちの王。

 ――青龍・・・・・・ やっぱり、そうだったのね。

 秀郷の護法神は桔梗を前に対峙した。


 将門は軍勢をひきつれ、討伐軍を追い散らした。

 馬上から太刀を振るい、敵兵を討ち取ること八十余人。

 これを見て、秀郷・貞盛の伴類の多くは逃げ去った。

 彼らもまた、烏合の衆であったとの証しである。

 貞盛は風下から逃れるように、射手を率いて側面に向かった。

 秀郷のもとに残ったのは、彼の精鋭三百のみ。

 ――だが、これで十分だ。

 秀郷は彼らを前線に出すことなく、後方でようすを伺っていた。十倍する数の敵へ、全力で戦う将門勢に、疲れが出てくるのを待っていたのだ。

 ――それまで伴類どもを存分に追い廻してくれ。

 将門ほどの華々しさはない。だが、戦いにかけては、彼の倍以上の経歴とそこから得た知恵があった。

 いつかの襲撃を思い出す。

 将門ばかりが敵を相手に戦い、従類らはむしろ将門に守られていた。

 それは戦場でも同じだった。

 将門の驍勇を頼みに軍勢が進み、戦況が決定する。逆に云えば、将門には用兵の能力がなかったのである。

『将門どのは気合いの入り方が違うな』

 あの言葉は、己れの若いころそのままの彼を、遠回しに揶揄したものであった。

 ――真っ直ぐなばかりでは駄目なのだよ。将門どの。

 秀郷は経験に裏打ちされた老練さで、自軍を勝利に導こうとしていた。

「――まだだ、まだだ」

 恐れを知らぬ猛者らが血気に逸るのを抑え、彼が待っていたものは、もう一つ。

 吹き飛ばされて雲一つない空を見上げる。

 ――来た!

 風の向きが変わった。

 追い風が秀郷の背中を押す。

「今だ! 矢を射よ! 将門を狙え!」

 秀郷の号令に、精兵たちの弓からいっせいに矢が放たれた。

 このとき彼は自軍の勝利を確信した。

 ――将門どの、我らが手を組むことができたのなら、さぞや大事を為し得ただろう。

 敵将を惜しみさえした。


 矢の雨は将門の上にも容赦なく襲いかかった。

 と思うと、途中突風に煽られ、征箭は将門を避けるかのように向きを変えた。

 ――いるのか? 桔梗。

 天に問いかける。

 男に女の姿は見えない。

 その彼へ、流れ矢が向かい()、危ういところを太刀で叩き落とす。

 ――恋々(れんれん)とすなっ。桔梗などいなくとも、これまでも勝ってきたではないか。

 未練をかなぐり捨てるように。

 急ぎ馬首を巡らし、風下から退こうとした。

 ここでまた、風が向きを変えた、と思う間もなく、風は手綱を失った悍馬のように荒れ狂った。

 もはや風上も風下もない。

 互いに弓箭の戦いを捨て、太刀や()(ぼこ)を手に男たちはぶつかり合った。

 ――将門は無敵だ。

 それを証明するかのように、男は秀郷の手勢に躍りかかった。これまでの返礼とばかりに血の旋風を巻き起こす。

 秀郷の精鋭もさすがにたじろぐ。

「迷うな! 将門とて神仏ではない。人が人を倒せぬことなどあろうはずがない!」

 兵は、秀郷の言葉に鼓舞され、将門の方へ体を向き直した。

 将門は聞き覚えのある声に、秀郷の姿を探した。

「秀郷! 新皇たる将門が自ら戦っているに、そなたは高みの見物かっ。そなたは、いつか俺に真の武勇を見せると言っていたな、今がそのときではないのか!」

 大声で叫ぶ将門に、秀郷はかつての心友へ大きくうなずいてみせた。

 馬腹を蹴ると、太刀を燦めかせて将門に迫る。

 将門もそれに応えて馬を疾駆させる。

 兵は敵も味方も道を開いた。

 二人の男の距離があとわずかとなった。と、突然将門の馬が何かに驚いたように足を止めた。

 ふいに、風がやんだ。

 これを、側面の貞盛は見逃さなかった。

「今だ! 射よ!」

 彼の号令に、弓兵の弦から矢が放たれる。


 己が守りたる者のため、霊獣たちの戦いはとうに始まっていた。

 敵の矢衾から男を庇い、返す力で、相手の頭上へ矢を降り注がせる狐女。

 風を巻き起こし、その矢を地面に叩きつける青龍。

 急風の乱序は、彼らの戦いが起こしたものだった。

 人間たちの目に映ることのない虚空でも、地上と同様熾烈な戦いが繰り広げられていたのである。

 だが、

 青龍と白狐。

 力の差は歴然だった。

 遥かな年を経た青龍に、桔梗など赤子同然。適うはずはない。

 それでも、

 ――自分が負ければ、将門さまは・・・・・・

 すでに人型を捨て、桔梗は命を懸けて青龍に向かっていった。

 死なばとも、と思う一方、一縷(いちる)の望みを捨てず。

 狐女は青龍に飛びかかり、その(くび)に噛みついた。龍は大きく(あぎと)を開けた。しかし、そこから発せられたのは、叫号でなく、気の波動。透明な膜を振るわせるように。

 人の耳には捕らえられぬ空気の震えを敏感な馬だけが受け取った。

 寸秒、風がやんだ。

 桔梗はふっと目だけを動かし、地上の男を探した。


 降り注ぐ数多の矢。

 その一つが将門の体を貫く。 

 将門は鞍から落ち、殺到した秀郷の従類に捕らえられた。

 将門は、地面に身体を押しつけられ、埃に(まみ)れた。

 無様な姿となりながら、それでもグッと顔を上げ、近寄る秀郷の顔を見上げる。

 秀郷は兵に命じて、将門の上体を起こさせると、何か語りかけた。将門も何か言い返したようであったが、それも二言三言。

 秀郷は太刀を振り上げると一気に振り下ろした。


 ――将門さま!

 上空から将門の最期を見た桔梗は、歯牙を青龍から離し、

「おのれ、秀郷!」

 憎き秀郷に飛びかかろうとした。

 瞬間、白狐の体は地面に叩きつけられる。

 桔梗が歯を食い縛り、中空を見上げれば悠然と浮かぶ聖獣の姿があった。


 天と地で睨み合う青龍と白狐。

 しかし、もう全てが終わった。

 南無、妙見大菩薩・・・・・・

 ――そうよ、狐が龍に勝てるはずもなし。 

 桔梗と将門が信奉した妙見菩薩の騎獣は青龍であるとされていた。

 その龍を敵に廻したために、菩薩の加護は将門から秀郷へと流れてしまったのか。

 満身創痍となりながら、狐女は喉を振り絞る。

「私を殺して! 将門さまを失った私に、生きる意味はないの!」

 しかし、青龍は狐を黙って見下ろすだけだ。

 無言のまま首を巡らすと、夕焼けの茜色の空へと去って行った。

 狐は力尽き、そのまま動くことはなかった。


 将門のところへ貞盛が到着したのは、彼の首が落ちる瞬間だった。

 貞盛は息をするのも忘れ、馬から下りた。

 それから、ゆっくりと歩み寄って跪き、やわらに手を差し延べる。

「何の今さらと、お前は言うか」

 京で別れて十余年。故郷の地でかけた最初の、そして最後の言葉だった。


 その行方


 中央への反逆児となった将門の行址は流星のように儚い。

 その死まで、常陸国庁を襲って三月(みつき)、新皇を名乗ってから二月(ふたつき)と経ってなかった。

 残された勢力は一気に瓦解した。到着した朝廷軍の掃討により、彼の弟や興世王たちも次々と敗死し、東国の叛乱は終焉を迎える。

 将門の首級は京に運ばれ、都大路を引き回された上、東市に掛けられた。

 死してなお、晒し者となる悔しさは如何ばかりか。

 当初物高く人々が訪れたが、首級は腐ることもなく、夜ごと目を見開き、歯噛みして物を言うと、人々は恐れをなし近寄らなくなった。

 人が首だけで生きているというのは面妖である。

 しかし、将門は狐女たる桔梗から陰の気を受けた身。そのようなことがあっても不思議ではない。

 後日、将門の首級は、忽然と消えた。

 身体を求めて飛び立ったのだと人々は噂した。


 だが、それは誤りだ。

 首が一人で飛ぶことはできない。何者かが連れ去ったのである。

 何者かとはもちろん、狐女桔梗のしわざだった。

 青龍との戦いで死んだと思われた白狐は、傷ついた身体に鞭打ち、将門の匂いをたどり、男を求めた。

 そうして、ようやく見つけた将門の御首級。

 疲れ果てた狐の姿では恥と、美しい女人の姿に改めて(まみ)える。

 女の気配に、男も目を開く。

「桔梗か、待ちかねたぞ」

 将門がかける言葉に、桔梗の目から涙があふれた。

「お身体のもとへ戻りましょう」

 胸にかき(いだ)くと、東国を目指し、空に舞い上がる。

 将門の顔に風が当たらぬよう扇で庇いながら、

御身(おんみ)のご無念察するに余りあります」

 桔梗は愛しい男に頬ずりした。

「もう一度力を貯めてから、憎い秀郷を成敗致しましょう」

 話したいことはたくさんあった。けれど、将門を思ってそう言った。

「・・・・・・」

 だが、将門は答えない。

「ねぇ、秀郷を成敗しましょう」

 もう一度くり返した。

「・・・・・・そのことは、もう良いのだ」

 将門の目は遠くを見ていた。

「京の雀どもは何やらいらぬ噂を立てていたが・・・・・・ 秀郷に首を討ち取るように願ったのは私だ。何の恨みがあるものか」

 桔梗は驚き、

「うそ。何でそんなことを」

 取り落としそうになった男の首を、もう一度胸で抱え直した。

「あぁ、俺は疲れていた。人々に新皇とまで担がれながら、その実、己れの為すべきことを見つけられずにいた。何が新しい天皇だ。即位に除目、皇居の造営、俺が為そうとしたことは、全て、都人の猿まねに過ぎなかったではないか」 

 将門の瞼がつむられる。

「それは、御身の取り巻きたちが・・・・・・」

「興世王や玄明のことか。あいつらを悪く言わないでくれ。奴らもまた迷える俺の一部だったのだから・・・・・・ 将平や貞盛のような人間はいい。人の世を上手に渡っていく(すべ)を知っている。お前だって・・・・・・」

 桔梗はまじまじと男の顔を見た。

 ――将門さまは、いったい何を言い出そうとしているのだ。

「けれど、俺は違う。そんなに器用には生きられない」

 将門の目が再び開かれる。

「さぞ、お前たちは歯がゆく思っただろう。自分たちの言うとおりのことを、どうして俺ができないのかと。だがな、俺は満たされなかった。『やってはいけない』、『してはだめだ』、禁じられるばかり、止められるばかりの言葉では。将門という人間は何者であるのか、何を為すべきなのかを、誰でもいいから教えてほしかった。・・・・・・そして、それを示してくれたのが興世王たちだった。例え、あいつらの指した方向が間違いだったとしても、俺はそんな奴らに応えたかった」

 だが、結果は?

 千年に一人という将門の有り余る精気は行き場に惑い、迷走し、大勢の命を巻き添えに自滅して果てた。

「京にいたころは良かった。故郷を故郷と思えたのだから」

 手と足を伸ばしてもまだ有り余る世界、精神や肉体を解放する自分の居場所として。

 だが、それは幻だった。故郷の東国もまた都の作った戒めの中にあった。ただ少し網の目が緩いだけで、そこからさまざまな矛盾がこぼれ落ちた。

 それは将門を苦しめ、痛めつけ、かと思うと一瞬の栄光を見せ、最後に彼を無きものにした。

 将門の人生は東国の生み出した矛盾、いや矛盾が生みだした東国そのものだった。

「俺みたいな男は、こういう破滅の仕方がお似合いだったのさ。その引導役に、秀郷以上の人間はないだろう」

 将門は優しい眼差しで桔梗を見上げた。

「お前は俺を天下の逸物と言ったが、全く物にはならなかったな。秀郷のような男こそが天下の逸物と呼ぶに相応しい」

 人を統率する者としての厚みを知り、束の間でも仲間と呼び合ったことを誇りに思うと。

「あいつに裏切られたと知ったときは、(はらわた)が煮えくりかえるほどの怒りが込み上げたものさ」

 だが、それは見捨てられた人間の、寂しさの裏返しだった。

「戦場に(まみ)えたとき、思い直したよ。裏切りは俺の方が先だったと・・・・・・」

 秀郷は言っていた。土地はそこに住む者こそが主なのだと。

 けれど将門は、自覚なきまま武力によって彼の故郷を蹂躙した。

 秀郷が故郷のために戦うのは当たり前ではないか。

 中央政府の思惑など後からついてきたものだ。

 けれど、それが岐路(わかれみち)だった。

 朝廷は、いや天運は秀郷を選んだ。 

「俺は死に、あいつは生きている。それが全てだ」

 風が桔梗にあたり、涙に濡れた頬を冷やした。

 将門の口から出てくる言葉は、己れを誅した秀郷のことばかりだった。

 ――これほど近くにいながら、まだ私たちの心はすれ違ったままなのか。

 桔梗の胸は凍えそうになった。

 そのとき桔梗にできたことは、秀郷を憎むことだけだった。

 愛する男の命だけではなく、心まで奪った仇だ。

 桔梗の身体には火が点った。怒りゆえに生気が蘇るような気がした。

「・・・・・・御身が許すと言っても、それでは私の気が済まない。やはり、あの男には目に物見せてやるわ」

 頃は武蔵の上空、将門の故郷下総を目指したものを、桔梗は秀郷の住む下野へ方向を換えた。

 しかし、目指す下野の上空から黒雲が近付く。

 やがて、雷電を帯びた雲を従え、現れたのは、

 青き光鱗をまとった、秀郷の護法神。

 桔梗の前に立ちふさがるようにして。

 ――またしても。

 青龍の静けさを(たた)えた瞳を見るにつけ、桔梗の全身はざわざわと粟立った。

 湧き上がる怒り。

 そして、もっと別の何かが・・・・・・

 思わず、腕の中の将門の顔を覗き込んだ。

 男の瞼は閉じられ、ぴくりとも動かない。

「将門さま、将門さま!」

 女の呼びかけに、男が再び答えることはなかった。

「あんた、いったい、将門さまに何したのよ!」

 牙をむき出しにして、狐女は吠えかかった。

 だが、龍の瞳は青く輝くだけで何の感情も読み取れなかった。

 それが桔梗には蔑みと覚えた。

「私から将門さまを奪っておきながら、よくもっ」

 怒りのあまり瞳は金色に光り、鼻先と口が突き出す。

 だが己れでは狐面に変じたことにも気付かず、夢中で飛びかかる。

 左手で将門の首を胸に抱き、右手で扇を振りかざし。

 桔梗は忘れていた。己れの力の残りなきことを。

 歴然とした龍女との力の差を。

 青龍は長尾の一撃で狐女を振り飛ばした。

 将門の首は桔梗の腕から鞠のように跳ね飛んで地上へと落ちて行った。

「将門さま!」

 悲鳴をあげ、手を差し延べようとした。

 だが、桔梗の力はすでになく、己れの体を立て直すこともできなかった。

 虚空からの落下。

 地面に叩きつけられてもよいところを、木々の枝に救われる。

 地上に降り、すぐに起き上がったものの、自分には何の力も残されていないことを悟った。

 桔梗は髪を振り乱し、

「将門さま、将門さま」

 狂ったように男を求めた。

 探して、探して、昼も夜もなく。

 しかし、霊力を使い果たした身では目も鼻も利かず、力を回復したころには将門の匂いや気配はすでに失われていた。

 桔梗が将門を取り戻すことは二度と叶わなかった。 


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