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夢幻犬鏡 ※整備中  作者: 奥瀬
序章 若犬丸、孤児となること
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小山若犬丸(一)

 若犬丸はそろそろと頭を上げながら、面前の男の顔を伺った。

鎌倉公方、足利氏満。

 この男の策略で下野小山は戦禍に見舞われた。

 

 永徳元年(一三八一)十二月十三日、鷲城にて許された鎌倉殿への謁見。

 たった五日前まで、この城の主だった父義政に成り代わり、上席には青年公方、氏満が坐していた。

 手には盃を。

 戦いの勝利に酔う、の図である。


「なんと、本当に子どもに来させおったか」

 男は、口の端を歪めて笑った。

 聡明ゆえに猜疑心強く野心深いと噂される、将軍足利義満の従弟(いとこ)

 京の幕府から分国された関東を父基氏から受け継ぎ、鎌倉府の主として治世を担っていた氏満は、以前より名門小山氏の存在を警戒していた。

 鎌倉に対抗しうる一大勢力として。


 そこで目を付けたのが小山氏と並ぶ下野の豪族、宇都宮氏だった。

 両家には姻戚関係があったものの、領地や所識の処遇で巧みに敵愾心を(あお)り、合戦にまで持ち込ませたのだ。


 発端は小山と宇都宮の百姓同士の境目争いだった。

 当初は些細ないさかいだったものを、領主の日ごろの反目が双方の領民にも影響を及ぼし、周辺一帯に雪崩を打つように拡大していった。


 康暦二年(一三八○)五月、小山・宇都宮の中間地点たる()(ばら)にて両陣営が大軍をもって対峙した。

 辛くも敵将基綱を討ち、小山勢は勝利した。だが、宇都宮勢の死者八十名に比べ、自軍の犠牲は一族三十余、家来二百余と、大きな痛手を蒙った。

 その上、私闘を禁じる幕府の掟に(そむ)いたと、義政は謀反人として鎌倉公方の成敗を受けることとなったのだ。


 若犬丸は、献上の太刀を目の前に置き、緊張の面持ちで平伏する。

「この度は愚臣の出仕をお許し頂き、恐縮の至りに存じます。小山小四郎義政に代わり、(そく)若犬丸、鎌倉殿の御前(おんまえ)に参上致しました。今般の父の謀叛、どのようなお咎めでも受ける覚悟にございます」

 家臣らに言い含められた口上であろうが、その淀みのなさに、

 ――きっと、利発な子だな。

 氏満をして思わしめた。

 義政は剃髪して永賢と称している。

 小山家の主は、十三歳になるばかりの嫡男、この若犬丸である。

 父親の処分は死罪の可能性もあるため自然表情は硬い。だが、新領主として恥かしくないよう氏満の前に臨んでいた。


「苦しゅうない。予は戦さに勝って機嫌が良いのだ。命まで奪おうとは思わぬ。さぁ、(くつろ)いでゆけ」

 そう言われたとて緊張が解れるものではない。

 強張った少年領主の顔を、氏満はじっくりと見、それから小さく鼻を鳴らした。

 子の父親、義政を思い出したからだ。

 父子ともに鎮守府将軍藤原秀郷の血をひくが、武張った印象はない。むしろ柔和で整った顔立ちである。だが反面、義政には武将としての激しい気性が受け継がれていることを、氏満は知っていた。また知っていたからこそ、今回策略通りの結果を得られたのであるが。


 裳原戦から半月も経ず、氏満は関八州の武将へ義政追討を命じた。そして自らも鎌倉を発向、武蔵府中に本陣を置き、軍勢を下野に向かわせ、小山氏の居城を攻撃させたのである。


 これに義政は降伏を願い出るも、面従腹背。

 しかし、氏満とて義政の思惑は、昨刻承知。


 翌年正月、当てつけのように鶴岡八幡宮へ『凶徒退治』の願文を捧げている。

 さらに水面下では、祖父尊氏が従えた白幡一揆の使用許可を幕府に申請、小山への包囲網を徐々に狭め、六月、再度の発向―――


 義政は激しく抵抗を試みたが、支城の岩壺城・新城・宿城を次々と攻略され、歳暮、大軍を前に敢えなく降伏する。本城祇園城へ小山勢を引き上げさせると、もう一方の旗城、鷲城を鎌倉勢に明け渡し、さらに恭順の意を示すため嫡子若犬丸に跡目を譲り、自らは出家した。


 これにより、若犬丸は家人三名に介添えされ、降参の儀に参じたのだった。


 氏満は盃をあおった。

 合戦相手の生殺与奪の権利を握っているということ。

 かほど快いものはない。

 また、それが義政であればなおのこと。

 ――この子も父親に似るか、似るのであれば、処遇を考えねばならぬな。


 氏満が若犬丸を観察する。と同様に、若犬丸も氏満を観察していた。

 脇息にもたれかかった姿で、胸元がだらしなく弛んでいる。

 酔っているのか目元が赤い。

「太刀を持て、こちらへ寄れ」

 すぼめた扇で招く。

 若犬丸は太刀を手に、にじり寄って氏満のもとへ。

 ――酒くさい。

 顔をしかめそうになる。


 重臣たちが居並ぶなか、氏満は立ち上がると、少年領主の手からもぎ取るようにして太刀を取り上げ、抜いた。

 剥き身を目の近くまで寄せ、平地の肌理(きめ)に見入る。かと思うと、振り上げて若犬丸の首に打ち下ろす。

 凍り付く満座の人々。

「――命まで、奪おうとは思わぬ、と申したであろう」

 氏満の太刀は、若犬丸の首の皮一枚のところで留まっていた。

 周囲の人々を見回して、太刀を鞘に収めた。

 酔っている。

 ほんの少し刃がずれていたら命はなかった。

 若犬丸の背筋に冷たいものが流れた。


 氏満は上席に座り直すと、手を叩いた。

「祝宴じゃ。お前も戦勝を言祝げ」

 若犬丸は顔を伏せた。

「はい・・・・・・、鎌倉殿におかれましては、この度のご戦勝の由、祝着に存じます」

 戦いの勝者が敗者に祝辞を述べさせる。これほどの優越があるだろうか。あるいは屈辱が。

 泣き出しそうになるのを、若犬丸はぐっと奥歯を噛みしめて(こら)えた。

 瓶子(へいし)を取り、氏満に酒を()ごうとしたが、

「よい。予はすでに堪能した。それより」

 若犬丸に盃を廻した。

「勝利の美酒だ。受けよ」

 氏満は、盃を勧めた。

「さぁ、一献」

 若犬丸は一杯、二杯、三杯と立て続けにあおった。

 これで退出できると。

「いい飲みっぷりだな。では、あと二献」

 若犬丸は、はっとして氏満を見上げた。

 白目の充血した瞳が、底光りしていた。

「このような場では三献(九杯)と決まりがあるのだ。否やは言わせぬぞ」

「・・・・・・ありがたく、お受けします」

 一杯、二杯、三杯。

「さぁ、あと一献だ」

 子ども相手に何の容赦もない。むしろいたぶって愉しむ気色があった。


 一杯目、形だけ、と思い、口だけ付けて返そうとすると、ぎろりと睨まれた。

 全身に酒精が巡っているのがわかる。

 体が熱い。手が拒む。喉を取っていかない。

 それでも口元を押さえ込むようにして、ごくりと飲み干す。

 二杯目、息を止めて、飲むというより、口の中に放り入れる。

 三杯目、盃の端へ唇を付けたとき、氏満が言った。

「小山家からの進上品のことだが」

 若犬丸はうろたえた。

 足りぬというのか。

 氏満の手元にある太刀の他に、(りょう)(てい)(名馬)も献上したというのに。

 これは合戦の賠償とは別の、言わば挨拶のようなものだ。

「・・・・・・明日、また、出直して参ります。太刀一振り、龍蹄を、二疋(ひき)・・・・・・」

 氏満の顔色を見ながら、答える。

 だが、少年の言葉にかぶせるように、

「小山家には八大竜王を意匠とした重代の甲冑があると聞く。(のう)()藤原秀郷公が龍宮より持ち帰ったという鎧がな。そのような宝物(ほうぶつ)、清和源氏の末裔たる我が足利家にもあらぬわ。ぜひ見てみたいと思うのだが」

 龍宮より、というのはもちろん伝承である。だが、それほどの口碑を継ぐ家宝を、容易く寄越せと言う。  

 若犬丸がむせたのは、酒のせいばかりではなかった。

 口元と水干の前が濡れる。

 氏満は眉をひそめた。

「いかんな。やり直しだ。三献、最初から、な」

 ――よもや、否やはないな。

 若犬丸は、酔いと怒りで、耳まで赤くなるのがわかった。


 数刻後、朦朧とする意識の中、家人に抱きかかえられるようにして祇園城へと戻った。

 生まれて初めて口にした酒の味は苦く苦く。

 そうであっても―――

 翌日、若犬丸は重代の鎧に太刀と馬を添えて、鷲城に参じた。


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