金王丸
義政との初対面は、氏満がまだ金王丸と呼ばれていたころだ。
貞治六年(一三六七)、父の死後間もなく、鎌倉の主となった金王丸のもとへ、下野守兼守護として大蔵の御所に挨拶のため伺候したというのだが。
まだ九歳の自分を子どもと侮ってか、義政はまるで閲するような目つきで見返したのだ。
このような態度を取られたのは生まれて初めてのことだった。
周囲の者は皆、常に先回りして不快な存在を排除する。自身の態度や服装にも気を配る。それが当然だと思っていた。
だが、藤原秀郷公の嫡流にして、四年前の宇都宮征伐で活躍し、名実ともに関東随一の大名と呼ばれる男に、自分に対する畏れは微塵もなかった。
機嫌を損ねた金王丸は、その日のうちに、円覚寺の住持、義堂周信へ言い付けた。
「ねぇ、和尚、今日、いやな奴にあったよ。自分のことがこの世で一番偉いとでも思ってるみたいに、えばってたんだ」
金王丸が慕う義堂周信は、師の夢窓疎石が多くの寺を開山したこの鎌倉に赴き、十年になる。先代基氏とも親交深く、金王丸の養育にも早くから携わっていた彼は、教養と人格を兼ね備えた禅僧である。
この日も金王丸の教導のため、御所へ参向した彼は、
「そう思いましたのなら、あなたさまは、かような人物にならぬよう気をつけることですよ」
と、微笑みながら説く。だが、「それは何方か?」とは訪ねない。
自分がその名を知ることで憚りがあってはならない。彼らしい配慮を感じた。
金王丸は、周信のそれを見越していた。
だから、あえて口にする。
「野州だよ。小山義政!」
彼は師がどう反応するか上目使いで見た。
周信は微笑みをそのままに、
「金王さま、あなたはもう鎌倉殿と呼ばれ、皆に敬われる存在となられました。あなたのもとにはたくさんの者があつまります。その中には、賢き者、愚かな者、謙虚な者、不遜な者、さまざまにおりましょう。しかし、そのような者たちを一つに束ね、率いていくことが関東十国を治める者の努めなのです」
「家臣の好ききらいなど申すな、ということか」
金王丸は先回りして言う。
「そのとおりでございます。金王さまはなんと賢い。ただ、例え家臣であっても、年長者を呼び捨てにするのは考えねばなりませぬよ」
師としての教導。
けれど、周信は教導だけでは終わらせたくなかった。
「して、小山殿は、どんなふうにいやなやつだったのでしょうか?」
声をひそめて、
「内緒にいたしまするよ。私にはおっしゃってかまいません」
いたずらっぽく見返した。
ただ『ひとさまの悪口はおやめなさい』と言えれば、どれほど簡単なことだろう。並の子どもであれば。だが、周信は知っていた。鎌倉公方という立場が、幼君の心にどれほど重荷を背負わせているのかを。
金王丸は近侍のそばを離れ、周信にすりよると甘えるようにして、
「あのね。私に語りかける言葉はていねいだけど、それは表面だけなんだ。だって、『おれには下野一国ばかりか、関東中、いや日本中に所領があるんだぞ』って。『子どものお前より、おれはずっとえらいんだ、何も持たないお前に何ができる』って、目にあらわれていたんだ」
耳元でささやく金王丸の言葉一つ一つにうなづきながら、周信は思った。
野州殿は代々の家風に似合わず生来不遜なところがある。だが果たして、そこまで考えていたかどうか。それよりも、幼君が述べた義政の心の声とやらは、そのまま彼自身の不安を映した鏡像ではないだろうか。
鎌倉の主としてただ良いように担がれる、大人たちの傀儡。
無力な子ども。
そういった己れの心許なさを反映しているのかもしれない。
「――金王さまは、野州殿がお小さいころに父上を亡くされたことをご存じですか」
「うん」
「親族の類に恵まれず、ゆえに、早々に元服して下野の国守と守護職を兼ねられたことも?」
「うん」
周信は、思い至らねばならなかった。無意識のうちに、自分と義政を比較している金王丸を。
この小さな君主はもともと子ども嫌いの子どもであった。顕要の武将らは、遊び相手として、年の近い己れらの子どもを侍らせようとしたが、彼曰く、
「子どもは話が通じないよ」
「子どもは何をするかわからないから、近くに寄らせないで」
幼いころから才気活発であった彼だけに、一般の子どもと一緒にされることを嫌ったのである。自然、金王丸の遊び相手は十歳ほど年の離れた少年、若者となる。
――小山殿は未だ二十歳。壮齢の武将たちの中にあって、彼の若さは目をひく。金王さまとしては年が近い分、親しさより対抗心というものが芽生えなさられたのだろうか。
さらに自分と似た生い立ちとも相まって。
「本当のところ、金王さまは、野州殿がうらやましいのではないのですかな」
「なんだって!」
「お若いながら一国の主として重きをなし、嚢祖秀郷公の血に恥じぬ御方です。武将として誰もが一目置く存在ですから」
藤原秀郷は平将門を討伐した後、鎮守府将軍にまで昇りつめ、今なお関東の武将から信奉されている。その彼の正統が小山義政であったが、
「それは、ちがうよ!」金王丸は顔を真っ赤にして怒った。
「なんで格下の武将にあこがれなくちゃいけないの!」
ぷいっと身を翻し、周信のそばを離れる。
「これはこれは、金王さま、失礼しました」
頭を下げる周信に、金王丸はもう目を合わせようともしない。
「お許し下さいませ。もう野州殿のことは申しませんから」
周信は口元が弛むのをこらえた。
――いけない。これはしくじった。
つむじを曲げた金王丸の機嫌はもどりそうになく、周信は近習に挨拶をして、その日は退出した。
後日出仕した際、幼君の機嫌は直っていたが、以降二人の間で義政の話題がのぼることはなかった。
金王丸は周信から学問の手解きを受けていたが、この少年は驚くべき早熟を見せ、すでに史籍経典に興味を持ち、講読をはじめている。
反面、物事の好悪がはっきりしており、弓馬の道には全く関心を持たなかった。
「お父上は、文武両道を旨としていました。そろそろ師匠について習われたほうがよいのではないでしょうか」
儀式としての弓始め、乗馬始めは済ませていたが、本格的な鍛錬となると全く身が入らない。武将の子が馬に乗れないなどあってはならぬのだが、
「うん。そうだね。でも、ぼく体が弱いから。もう少し丈夫になってから始めるよ」
金王丸は、巧みに逃れようとする。
ただ、『体が弱い』という言葉に嘘はなく、実際、熱を出して寝込んでは管領の上杉氏の気をもませた。本人も、
――このまま、ぼくは死んでしまうの?
その度ごとに死の恐怖を覚えるらしい。
大事をとって武芸の習得は先延ばしにされ、金王丸は文の道を専らとする。
こうして大切に大切に育てられる幼君であったが、その彼に、間もなく人生最大の危機が訪れる。




