表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻犬鏡 ※整備中  作者: 奥瀬
第二章 小山若犬丸の乱① 祇園城奪還のこと
18/39

小山若犬丸の乱、祇園城奪還(五)

 群れなす白旗が、一斉にうねった。

 手を(こまぬ)く彼らのもとへ、上杉の先鋭部隊が投入されたのだ。

 一揆の外縁の動揺が、全体へと次々に波及する。

 若犬丸のまわりで張りつめていたものが解かれた、途端、周辺の白幡が一斉に彼へ襲いかかった。しかし、彼らも若犬丸の敵ではなかった。次々に返り討ちにされ、すぐに「戦っても無駄」と、こぞって逃げを打った。巻き込まれることを怖れ、あるいは面倒を放擲し、一揆の部将である高麗さえ置き去りにした。

 今度は白幡の中心から混乱が派生する。

 若犬丸の周囲は一瞬の真空地帯となった。

 彼は迫りくる脅威を肌で察知した。人質が人質の価値を失ったことに、

「高麗殿を解放してやれ」

 もはや足手まとい。一揆内にあって無兵の高麗は、戒めから放たれると一目散に逃げ出した。

 全体を統率する者のない白幡一揆は、右へ左への大混乱に陥る。

「城へ戻るぞ!」

 若犬丸は喧噪を利に反転し、祇園城への退却を命じた。

 小山隊の先頭を率いていた彼は、殿(しんがり)となって郎等たちを追い立てる。


 四散する白幡連は、若犬丸たちと上杉勢を妨げる緩衝となったが、それも束の間であった。

 驀進する馬の蹄が蹴立てる武者埃。

 背後を敵の槍が脅かす。

 目前にも敵が列を成して逃走を阻む。

 若犬丸は軽量を生かし、一隊の外側を巡り、先頭へと躍り出た。

 ――敵陣を切り開かねば。


 鎌倉勢の前に、鬼神のように現れ出た若犬丸の姿。

 風に流れる若きぶ黒髪に、赤い花びらを散らした水干。

 清澄と血腥さが同居した威容――

 彼の異形は鎌倉勢の目に焼き付き、小山若犬丸の名と顔を知らしめる。


 突然、目の前の敵軍の壁が揺らぎ、悲鳴が上がった。彼らの後方でばたばたと人が倒れた。

 鎌倉勢は一行の逃走を阻むために城側に回り込んだ。だが、それはあまりにも城本に近付き過ぎた。知らず、矢の射程内に入っていたのだ。

 前哨戦での矢戦で、矢種が尽きたと思わせながら、小山勢は鷲城から大量に運んだ矢を温存していたのである。

 一瞬にして乱れた敵の壁へ、若犬丸たちは突入した。

 祇園城では、彼の帰参を見計らって城戸が開かれ、一隊は城門をくぐる。

 若犬丸は後ろを振り返った。

 郎等たちは全て帰還したはずだった。

 だが一人だけ見慣れた顔がない。

「兵次! 兵次はどこだ!」 

 返事はない。

「替え馬を寄越せ!」

 若犬丸は叫んだが、里田は主の腕を掴んで押しとどめた。

「あきらめてください」

 たかが郎等一人。しかも兵次は武士としては無能の男である。すでに討たれた可能性もあった。

 けれど、若犬丸はそう思わなかった。

 兵次の父親を祖母の救出のために死なせているのだ。


 若犬丸は無言で科戸の脇腹を蹴った。

 閉じられようとする城戸をすり抜ける。

「お待ち下さいっ」

 里田の声に振り向きもせず。

 ――あのじゃじゃ馬がっ。

 主といえど再三の向こう見ずに生腹を立てながら、

「若犬さまをお守りしろっ」

 里田が叫ぶ。

 櫓から城塀から、援護の矢が若犬丸の周囲に降り注ぐ。

 地面の石にあたった矢が足元に跳ね返っても、科戸は主の命じるまま戦場を駆けた。

 敵兵は若犬丸に近寄ることもできなかった。

「兵次っ、兵次っ、どこだ!」

 若犬丸の鋭い目が一点を捕らえた。

 敵の人集りの中央に、二つ巴の旗印。

 それにぶるぶる震えながら縋りつく男が、敵の軽卒に小突き廻されていた。

 乗馬を失った兵次である。

「その者を離せ!」

 彼らの輪の中へ若犬丸は矢の雨を引き連れて現れる。

 徒歩(かち)らは逃げ出したが、騎馬武者の一人が若犬丸の姿を見とめた。馬上から片手で兵次の首根を掴むと、引き摺るようにして走り去る。

 (せん)とは逆に若犬丸が人質を奪われたのだ。

「待て!」

 科戸は主に答えて疾駆する。

 騎馬武者に若犬丸は追いすがり、夢中で飛びかかった。

 鞍上で揉み合って落ちる。

 若犬丸は巧みに均衡をとり、相手の体を下にして衝撃を緩和させた。

「・・・・・・」

 きしむ鎧の下から呻き声。

 若犬丸は素早く男に(またが)る。押し除けようとする武者の身じろぎを許さない。

 体の位置が逆転し、組み伏せられたら負ける。

 相手の右手を左膝で押さえ込み、急ぎ、腰刀を抜いて、左脇から心の臓を貫こうと武者の腕をとった。

 体の重心が移動し、若犬丸の腰が相手の体から離れた。

 左膝が浮いた。

 瞬間、武者は片腕だけで若犬丸の首を掴むと、勢いをつけて横へ転がった。

 武装といい、成長途中の体といい、さぞ若犬丸は(あやど)るに易かったろう。

 今度は若犬丸の方が見下ろされる番だった。

 先ほどの彼とは違い、鎧の脇を、という労は取らない。このまま首を掻けば良いのだから。

 掴まれた両腕が膝の下に敷かれる。

 腰刀が抜かれ、光刃が燦めいた。

 若犬丸は覚悟を決め、睨みつけるようにして相手を見上げた。

 その顔に、赤が散った。

 武者の兜の内側を矢が貫いていた。

 ぼたぼたと若犬丸の顔に血が降りかかる。

 崩れ落ちる敵将の体。それをはね除ける彼へ、

「少しは身に染みましたか。あなたは不死身でも無敵でもないのですよ」

 そこには矢をつがえた里田の姿があった。

 若犬丸は、直ぐさま起き上がり、

「説教は後だ! すぐに帰還するぞ!」

 科戸に跳び乗ると、呆然と突っ立っている兵次を励まし、馬の尻に乗せて駆け出した。

 味方の矢の射程内に入るまで息は付けない。

 二度目となる帰還。城門をくぐり抜けた途端。

 若犬丸と兵次は科戸の体から投げ出された。

 横倒しになった科戸は起き上がることもできず、口から泡を吹いた。

 若犬丸は愛馬にかけ寄った。

 この科戸は父親の科戸とは違って人をたばかる性質(たち)ではない。

「科戸、科戸!」

 しかし、科戸は足掻(あが)くように二度三度脚を動かしただけで、息絶えた。

 ――もっとも、忠実だった家来が・・・・・・

「名馬と引き替えに、ですか。・・・・・・高くつきましたね」

 里田が主を責めるような口調で言った。

 睨みつけようとして、顔を上げかけた若犬丸は思い直した。

 里田の言い分は正しい。彼に当たるのは間違いだった。

 ――けれど。

「高くなどつかない。兵次を救えたのだから、それでいい」

 誰の顔も見られずに、うつむいたまま(こうべ)を上げることはできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ