小山若犬丸の乱、祇園城奪還(四)
小山祇園城は関東平野の直中にあり、下流の鷲城と同様、西側を思川と切岸によって守られている。
永徳年中での鷲城攻め、祇園城攻めでは東進する鎌倉勢から天然の要害が大きな役割を果たしたが、此度の小山征伐では、鎌倉勢は全軍を南と東に配していた。
なだらかな起伏。
同じ台地の上とあって、古枝戦での奇襲は使えない。
小山勢は死を覚悟で討って出る。
十日巳の刻(午前十時)過ぎ、敵の矢種が尽きたころを見計らって大手の門を開く。
鎌倉勢の旗が無数に覆い尽くす大地。
その中へ小山の一陣が突入する。
せいぜいが二百騎ほど。寄せ手は小勢と侮り、虎が兎を追うように方略もなく襲いかかる。
戦列を乱す鎌倉勢。
小山勢にはそれこそが方略であった。
無謀な戦いと誹られぬよう。
善戦と称えられるよう。
後の再起に繋げるために。
鎌倉勢の軍列を十分に乱すと、一の陣は素早く後退し、替わって二の陣が攻め立てる。
陣を整え直そうとした鎌倉勢にその間を与えない。
大軍を翻弄する小山勢はついに本隊を投入し、混乱する鎌倉勢の戦列に襲いかかった。
敵も友軍が好いようにあしらわれている様を眺めるばかりでない。むしろ味方の危機につけ込むように、白馬に白旗を差した一団が現れる。
白幡一揆。
上野・武蔵武士の同心集団。独立心が強く、戦況によっては裏切りも寝返りも厭わない連中だが、その狡知は侮れない。先年の義政討伐でも投入され、大いに活躍した。
戦場へ割り込む白幡一揆に、小山勢は追い立てられ、劣勢に立たされる。
部将らが退却をも考えた、そのとき。
八文字に開いた城戸から十数騎の騎馬が飛び出した。
人々は目を疑った。
先頭の若者は兜を被らず、照りつける日差しに顔をさらし、胴丸下の水干の裾を風になびかせていた。
若犬丸とその郎等たちである。
彼は逃げなかった。家臣たちの言い分を飲む振りをして、城に残っていたのである。
「鎌倉殿には、私の名と顔を覚えてもらわねば」
目前の鎌倉勢の、その奥には公方氏満が坐す。
お前に攻め殺された小山義政の嫡子が参上したと。
それが彼の本意だった。
先の古枝戦後、氏満の耳にどれほどのことが届いたのだろうか。思ったほど反応はなかった。
だから今一度名乗りを上げて天下に知らしめねばならない。
駿馬科戸に鞭あて、まっしぐらに敵将を目指した。
郎等たちは引き離される。
若犬丸は、小山勢本隊へ襲いかかろうとする白幡一揆の横腹に、単騎で突っ込んだ。
「何者だっ、あいつは!」
「騎馬武者のくせに、兜もつけぬとは血迷ったか」
しかし人品卑しからぬ相貌から狂人とも思えぬ。
水干の薄縹が若者の高貴さを際だたせる。
「我こそは小山野州義政が嫡男、若犬丸見参!」
人々は息を呑んだ。
敵の大将自ら出張ったのだ。しかも、歩兵ばりの軽装で。
「やっぱ、正気じゃねぇ」
畏れつつも、人々は良き獲物とばかり若犬丸へ群がった。
彼らは間もなく知る。
若犬丸の軽装の理由を。そして彼の本当の恐ろしさを。
敵兵から突きつけられた槍をかわし、振りかざされる太刀を払う。
軽やかに駆けぬける若犬丸は、敵兵の包囲を許さなかった。
神速の人馬に白幡が道を空けるように、左右へ散る。
そして、一気に部将の真向かいに対する。
白幡の部将。さすが鎧も白糸威し。それを馬廻りたちが取り囲む。
若犬丸は足先を鐙から外す。
科戸の速度を落としもせず、鞍から飛び降りる。
勢いのまま驀進する科戸になぎ倒され、防陣の輪が崩れた。
若犬丸は敵一人沈めながら、すかさず敵将の正面に跳び込み、部将の馬の前肢を斬り払った。
鞍から転げ落ち、鎧の重みですぐには立ち上がれぬ部将の体へ取りついた。
左腕で助け起こす形になったが、右手には腰刀、相手の目の先に突き付ける。
「貴殿の名は?」
「・・・・・・高麗掃部助」
「では、高麗殿、御大将の名は?」
「上杉中務少輔殿・・・・・・」
「ならば上杉殿のところへ案内してほしい」
若犬丸の周囲にはようやく彼の郎等が追いついた。
背後を彼らに守らせ、上杉のもとへと歩いて向かう。
取り囲む高麗の郎等は主を奪われ、手出しは出来ない。
――我ながら卑怯だと思う。
高麗一人を人質に、上杉や公方と交渉しようというのだから。
相手が白幡だと知ったとき、若犬丸の脳裏に閃めくものがあった。
白幡一揆の特性。
彼らに鎌倉への特別な忠誠心はなく、今回も恩賞目当ての参戦であり、氏満も彼らの底意を知りながら召喚したのだ。その白幡の部将を見殺しにしたとなればどうだ。一揆全体がそっぽを向く。他の軍勢の武将たちも動揺するだろう。上杉も公方もそれだけは避けたい。
若犬丸は合戦を休戦に持ち込み、駆け引きを有利に進められるのだ。
父が下野の国司だったころの所領所職を取り戻せるとは思ってもない。氏満が公方として君臨している間は、自分が日の目を見ないことはわかりきっている。だが、希望はある。何しろ若犬丸は氏満より十歳も年下なのだ。
まずは本領小山を旧に復すること。
本音をいえば、あの氏満に臣下の礼をとることは、屈辱以外の何物でもない。
しかし失地回復は、己れを愚者だと云った父の、他郷で首を晒された父の、その名誉を取り戻すことに繋がるのだ。
若犬丸は視線を高麗に戻した。
機転を利かせた里田が郎等に命じて捕虜を縛り上げ、白幡から馬を差し出させると、それに乗せる。
乗り捨てにした科戸も兵次が手綱を曳き、主のもとへ返す。
若犬丸は鞍上の人となった。
一揆の白旗がたなびく中を若犬丸の一隊が進む。
囚われの主の姿に太刀を納め、彼らは呆然と見送るだけである。
使者を立てぬ大将同士の直談判など前代未聞。
何から何までも型破り。
勇み足となりかねぬ若犬丸の振る舞いに、里田は轡を並べて耳打ちした。
「殿、人質はこのまま生け捕りにして城内へ戻りませんか。交渉は後日改めて行いましょう」
若いだけあって血気に逸る主を留めようとした。
「それよりも兵らを生かす方をお選びください」
若犬丸は戦場を見渡した。
合戦はなおも続いている。
時間が過ぎるほどに犠牲者は増える。
己れの名のもとに集まってくれた彼らのことを考え、若犬丸は逸る気持ちを抑えようとした。
ふと、殺伐とした気配を覚え、周辺の一揆を見渡す。彼らは先ほどの面々とは打って変わり、値踏みするような眼差しで若犬丸と高麗を見比べていた。歩を進ませるうちに高麗から彼の郎等を引き離し、周囲は別の白幡部隊となっていたのである。
あわよくば若犬丸たちの隙を突かんと凝視する数多の眼。
行く先を転じるなど、その隙を与えるようなものだ。
「里田、せっかくの注進だったが、我らはこのまま進まねばならぬようだな」
今度は若犬丸が耳打ちする番であった。
高麗の危急を知らせる伝者が鎌倉勢の一方の大将上杉朝宗の帷幕へ届いた。
「ならぬ。『若犬丸』をこの帷幕に来させてはならぬ」
上杉は思わず呻いた。
――大将同士、対等に渡り合うつもりか。
敵将の常識を逸脱した仕儀に驚くとともに、前回の古枝戦と併せ、勝つためには形振りかまわぬ相手と知る。
「若犬丸を仕留めるのだ」
上杉は唸るように言った。
『若犬丸』は彼の望んだ通り、その名を敵軍の将へ認知させることに成功した。
「しかし、白幡の高麗殿が人質に――」
「知らぬ。今の話は聞かなかったことにする」
友軍の部将が囚われてなお攻撃を命じたとあれば道理が問われる。
それを、知らずに攻めたと主張するのである。幸い前線は混乱の最中だ。
朝宗は側近の武将らに若犬丸への攻撃を命じた。