小山若犬丸の乱、祇園城奪還(三)
翌七月二日、公方氏満は鎌倉を出発した。
先年の小山義政退治の折は、武州東部の宮方(南朝)勢力を警戒し、やむなく本拠の足利方面から迂回し、彼の地へと向かったものだ。しかし、今日鎌倉の威光は関東の隅々に行き渡り、小山への道程は最短距離の街道、かつて源頼朝が奥州征伐に北進した街道をたどる。
――武家の棟梁たりし頼朝公にあやかれよう。
『初代』鎌倉殿というべき至精の将軍と己れを重ねる。
利根川を越えて下総古河(茨城県南西部)に到着すると、当地を本陣と定め、大将の上杉中務小輔朝宗・木戸将監貞範に軍勢を委ね、小山へと進ませていた。
「――若犬丸め、大人しく隠棲でもしておれば、長生きできたものを」
氏満はかたわらの僧に語りかける。
「義政の息子とやらも父親同様、拙僧の祈祷で調伏せしめましょうぞ」
ほっほっと枯れた笑いで応じたのは、関東護持僧の遍照院頼印である。
この老僧は十年ほど前、主君の大病を祈祷で平癒させて以来、氏満から揺るぎない信頼を得た。先年の小山討伐でも主君に同道していたが、法力によって官軍を勝利に導き、義政自害の日にちまで当てたのだ。
祈祷の効験だけではない。義政が糟尾山に立て篭もった際、出陣を渋った上杉や木戸を説得し、追補にむかわせた功労者でもある。
関東の主と称されながら、必ずしも武将たちへの絶対的権力を持ち得ない煢然たる立場の氏満にあって、頼印は恃むところ多い顧問僧である。
「しかし、義政の息子は先に会ったときは十三、四だった。元服の年を過ぎたはずだが、本名が伝わらないのは、いったいどういうわけだ」
氏満は訝る。
若犬丸の出で立ちまでは彼に届いていない。古枝戦で名乗りを上げながら、あまりの異形さに何かの間違いとされ、士卒間の噂にのみ終始したためだ。
「本名そのものがないのかもしれませぬ。ろくな後見人がおらず、幼名のまま、ということなのでしょう」
頼院は主君へおもねるように言った。
「謀反人の子ゆえに哀れなものよ。今回の挙兵も、追い詰められての所行といえるか。だが、それにしては二千騎の兵を集め、守護代の軍勢を敗退させている。天晴れと褒めてやってもよいかな」
頼印は答えない。
敵将をあえて讃してみせる主君の心中を図りかねたか。
「――何にせよ。早々に決着をつけるに越したことはない」
京では将軍足利義満がこの乱の行く末を注視している。
――あの男にだけは、鼎の軽重を問うような真似はされたくない。
京公方、鎌倉公方と並び称される義満と氏満。
一歳違いの従兄であり、同じ年に父を亡くし家督を継いだ彼を、氏満は物心つくころから意識していた。だが厳然とした序列により、この世で唯一逆らえぬ存在の相手にあって、
――私の実力を見せてやらねば。
血が騒ぐ。
すでに自身が発向しただけで二万騎が馳せ参じた事実。示威行為としては十分である。
ただし、懸念はなくもない。
広大な領地を有していた義政と異なり、若犬丸の征伐における武将たちへの報賞は自らの懐を痛めねばならない。長引かせれば負担は増すばかりだ。
過去、幕府が争乱の当事者とあっさり和睦してきたのは、案外その辺りの事情が絡んでいるのではないか。
氏満は薄く笑った。
その考えは己れの念頭にはない。
――一度降した相手との和睦など。
しかも彼我の兵力の差を思えば。
上杉・木戸率いる鎌倉勢は小山の南方を、七日赤塚、八日千駄塚と進軍を続け、十日祇園城前に陣を取った。
残暑厳しい炎昼に、前哨戦として互いに矢を射かけ合う。
とはいえ本戦が始まる確証はない。
二千騎対二万騎の勝負を前に城方が投降する。もしくは籠城となる可能性もあるのだ。
寄せ手の鎌倉勢は、大勢に慢心し、すでに勝ったも同然と鬨の声をつくり、浮かれ騒いでいた。
一方、城内では彼らを横目に、最後の評定が行われていた。
小勢を二分するのは愚策とばかり鷲城を焼いて、ありったけの武器武具とともに祇園城へ全兵を集結させている。
このまま死を覚悟で戦うか、負けを認め降参するか、あるいは再び関東の宮方へ使者を立て助勢を恃むか。
「負けを認めるのは簡単です。けれど我々は何のために集まったというのです」
「余人に助けを求めたとて、救援の保証はありません。戦って下野に小山ありと知らしめるのです」
家臣らは意外にも主戦論を唱える。先月の勝利の余韻からまだ醒めておらず、熱気が城内を満たしていた。
「此度は時の運がなかったのです。若殿を逃し、我らが囮となりましょう」
糟尾山での再現のような光景。
だが、ここに糟尾城での悲壮感は全くない。
違いは何か。
それは、前回は失うものが多すぎたが、今や失うものが何もないのだ。
持たざる者の強みである。
「解散前の一暴れといきましょう」
今回、宮方の反応が乏しかったのは根回しの甘さからである。彼らは未だ武州北部や上野でようすを伺っているはずだ。
ここで善戦すれば、次回へと繋がる。
次回。
そう、若犬丸が生き延びれば、彼を核として人々を糾合し、再起を賭けられると。
だが、その提案には、若犬丸自身が反論を述べた。
「先の古枝戦は、私の名のもとに皆が集まってくれたからこそ戦えたのだ。それを今になって裏切るとは私の気がおさまらぬ。私も皆とともに戦う」
と、幾分すねるように聞こえたのは、彼の若さゆえか。
家臣らの顔に微苦笑が漂う。年若い主君の言葉を好ましく思いつつ、
「大将を失っては、我らは戦うことができませぬ。生きてはおられませぬ」
「ここは、我らの命を救うと思って、お逃げ下さい」
畳みかけるように言われ、頭まで下げられては反対のしようがなかった。
若犬丸を主君として認め、忠誠を尽くそうという彼らの前には。
彼はしぶしぶうなずいた。
「本意ではないが、そなたらがそこまでいうのなら……」
――本意ではない。
若犬丸の本意。それは彼の胸に秘された。