小山若犬丸の乱、祇園城奪還(一)
至徳三年(一三八六)五月二七日、齢十八歳の若犬丸は、小山宗家代々の菩提寺、下野万年寺の敷地内にあった。
眼前には武器武具をそろえた父の旧臣らがずらりと並んでいた。
総勢二百騎ほど。
領地や役職を奪われ、不遇な身上となってなお、亡き父を慕う家臣らである。
「若殿とともに戦い、鎌倉方に目にもの言わせようではないか」
そういった空気が領内に満ちる時期を待ち、若犬丸は故郷に帰還したのだ。
けれど、家臣たちの目の前に現れた先代の嫡子は、彼らを唖然とさせた。
白青の水干に萌葱威しの胴丸、未冠の頭髪を一つ束ねにした姿――
軽卒と童形が相混じった形態。
――小山奪還を果たすまで元服を拒んでいるとは聞いていたが、この戦装束は……
さすがに胴丸は小山家の家督らしく、弦走りの染革に八大龍王の意匠を凝らした目を引くものではあったが。
中背の上、通常鎧下に着る鎧直垂ではなく、広袖のゆったりとした水干のせいか、細身の印象を受ける。(若犬丸としては、その細身を隠すための水干なのだが)
これで祇園城に乗り込むという。
「婆娑羅の一種か」
「それにしても酔狂が過ぎる」
不安を隠しきれぬようすで呟く者がいた。
彼らの心中は理解できる。若犬丸は胸のなかでにやりと笑った。
己れの出で立ちは、甲冑の提供を申し出た当の清包でさえ絶句させたのだから。
「――あなたは自分の生命を何ほどのものだと思っているのですか」
言葉を継いだ清包は、よほど叱りつけようかと思った。
胴丸は、大鎧と、下級武士が着ける腹巻きの中間程度の防具である。昨今では上級武将でも着用する者が増えたが、一門の家督が装具するに相応しいものではない。それを、若犬丸は、
「自分の取り柄である身の軽さを殺したくありませんから」
最低限の防備だけで良いと、兜や大袖も不要だとする。
「遠矢の恐れがあるときは盾を使い、保呂をまとえばよいでしょう。しかし、接近戦では俊敏さが物を言いますから」
若犬丸の無謀さに清包は目をむく。そして思い至る。
太刀や相撲の稽古。
まさか、一軍の大将が本気で白兵戦に挑むつもりだとは。
「古えの武将は自ら兵を率いて先陣に立ったと聞きます」
「それは昔語りの――」
言いかける清包の言葉を、若犬丸は遮った。
「おっしゃりたいことはよくわかります。しかし、今の私には何もないのです。父の郎等を統括するための何もかも。ただあるとすれば、敵を恐れぬ心と弓馬の業、この二つをもって皆をまとめるしかないのです」
清包は口をつぐんだ。
反論の言葉がいくつも頭の中を駆けめぐる。
だが、戦いに向かうのは、この若者なのだ。
端から戦いを放棄した己れに何を言う権利があるというのだ。
小山宗家の再興。
若犬丸が背負った重荷を分かち合おうとまでは思わない。なのに、今まで自分は親しい兄弟のように振る舞ってきた。
その偽善。
若犬丸が、自分と距離を置こうとしたのはそれを見透かしていたからではないか。
――私はこれまで、若犬殿の何を見てきた。
清包は己れを恥じた。
そんな自分にできることは、せいぜい武具を揃えることぐらいだ。
これ以上、彼の煩いとならぬよう、清包は説得を捨てた。
「――そなたたちは私を婆娑羅というか、酔狂というか」
若犬丸は男たちを見回した。
「けっこうなことだ。まさにその通りなのだからな」
鎌倉に喧嘩を売るということが酔狂でなければ何という。
「けれど、私はその酔狂に己が命を懸けるのだ。この姿、私に然るべきだと思わぬか」
郎等たちは黙ったまま、答える者はない。
「まぁ、そなたらが不安に思うのもわからぬでもない」
ここで、彼は、ふっと笑った。
何しろ己れの実力は未知未開である。
「私がそなたらの主たり得るかは、此度の合戦で判断すれば良いことだ」
郎等たちは仲間同士目配せし合った。
――よほど己れの武勇に自信があるか、よほどの馬鹿か。
そして、間もなく彼らは見せつけられる。
この若き主君がたった一刻ほどで祇園城を奪還し、さらに翌日、鷲城さえ物することを。
小山義政の遺児、若犬丸、小山にて蜂起。
祇園城、鷲城を占拠。
五月二十九日、鎌倉の氏満のもとへ、早馬が次々と駆け付けた。
殲滅したと思っていた小山宗家の、乱、再燃である。
「何の今ごろ、小山めがっ」
鎌倉公方氏満は警護の不首尾を下野守護の木戸貞範に当たった。
小山氏廃絶後、下野の国府と守護所は足利家の本拠に遷していた。実際の政務は貞範の同族、守護代の木戸元連に委ねられていたが、守護たる貞範の監督不行届きと、彼をなじる。
源平合戦を経て武家の世となり、以来二百年、足利氏は源頼朝公と同じ清和源氏の末裔、かつ執権北条氏の縁戚として勢威を振るった。しかし、下野国内では名門小山氏の風下に立たざるをえなかった。それは祖父尊氏が北条氏や宮方を制して武家の棟梁となり、氏満が関東の主となった後も続いていた。
氏満は下野から小山氏の勢力を払拭し、父祖たちが成し得なかった『故郷の開放』を遂げたとの自負があった。小山から足利に国府や守護所を移したのは、何も小山の残存勢力を恐れて、というわけではない。
――それを覆そうというのか。
もっとも国府が小山を離れたことは、若犬丸にとって好都合だった。
官庁の軍勢が移動し、小山の警備が手薄になったからである。
若犬丸は挙兵の報せを下野、上野、武蔵の旧友軍に走らせ、呼号する。
鎌倉に反抗する勢力が、続々と祇園城に結集した。
鎌倉府も事態を傍観するはずはなく、直ちに足利の守護代へ若犬丸討伐を命じた。
若犬丸の旗揚げから半月余り、守護代木戸修理亮元連は己れの膝下で起こった紛擾を解決すべく、五千騎の兵を掻き集め、軍勢を小山へと向かわせた。
翌六月一六日、足利と小山、ちょうど距離半ばの古枝山の麓にて、木戸元連は陣を張った。
若犬丸の軍勢が彼らを迎え撃つため祇園城を発向したとの報を受けて。
実際に合戦が行われるのはこの二日後。
陣は鶴翼に、背後は古枝の山裾に守らせる。敵は二千騎との報告があったが、十分に勝てる数である。
街道の東から土埃が上がり始めた。
小山勢の到着である。
陣立ては、木戸の鶴翼に対する魚鱗。
双方、しばしの睨み合い。
木戸は敵の大将若犬丸の情報を得ようと細作を放っていたが、芳しい情報は受けていない。
当然だ。そのころ、若犬丸は古枝山の中腹に潜んでいたのだから。
古枝山は、天女の裳裾のようにうねる足尾山地の、南に突きだした山稜の一つである。
若犬丸は古枝山に二百騎ほどの小勢を連れ、南側の湿地にぽっかりと浮かぶ三毳山を望んでいた。古枝山を岬に例えれば、眼下に拡がる荒野は大海原か。実際、伸びかけの夏草が風にざわめく様は波立つ海面そのものだ。
鎌倉の由比ヶ浜を思い出す。若犬丸は子ども時代、府内で顕職にあった父とともに、代々の屋敷のある車大路に住んでいた。車大路と交差する若宮大路を真っ直ぐに下れば、海。
浜は良い遊び場所で、水練の習いにも利用された。波は荒いが塩水のため川で泳ぐよりぷかぷかとよく浮かぶ。子どもながらに不思議に思いつつ、守り役の兵次たちと親しんだものだ。
思い煩うことのなかったあのころ。
――何事もなければ、私は今ごろ車大路に住み、鎌倉殿の・・・・・・
そう思いかけて頭を振った。
――悔やむな、今は目の前あるものを見ろ。
過ぎ去った思い出を退け、数刻後戦場となる大地を注視した。
数に劣る小山勢は奇襲を選んだ。
卑怯な作戦だろうか。だが、その先頭を率いるのは大将の若犬丸なのだ。
古枝戦から参じた郎等たちは若犬丸の異形を不審の目で見た。
それを感じ取った家臣の里田藤三が皆に言った。
「安心しろ、若殿はこのお姿で、先日祇園城と鷲城を奪還したのだからな」
里田は無主の小山でひそかに郎党たちをたばねていた筆頭だ。その彼の誇らしげに口調に、人々から感嘆の声が上がった。
しかし、若犬丸はむしろ不機嫌そうに、
「あれは勝利なんてものじゃない。衛卒が少なすぎて手応えがなかった」
自城をおざなりにされて、不満めいた口調である。
「いやいや、それでも勝ちは勝ちですよ」
里田は若犬丸を称えた。
この年長けた家臣は、四年ぶりに再会した御曹司の出で立ちや態度に、郎等への構えを見て取る。
――童形やら軽卒の真似など、はったりの一つですな。
若き主君の気負いめいたものを感じ取る。
断絶した家督を再興しようと、郎等たちを束ねるために体を張った虚勢であると。
若き主君は己を持たざる者として、十分に自覚していた。
兵力、権力、所領所職――
だが、それは戦い続けていくうちに身に付けられるものである。
今は虚勢だけで十分だった。
もっとも、その武勇は本物である。
武家の子たれば当たり前といえば当たり前だが、
――血は争えぬな・・・・・・
里田は若犬丸の父、義政の最期を看取った男だった。