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夢幻犬鏡 ※整備中  作者: 奥瀬
第二章 小山若犬丸の乱① 祇園城奪還のこと
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高貴なる落人(五)

 孤児であるということ。

 皮肉にもまゆると同じ立場となってから、若犬丸は井戸端に通うことはなくなった。

 それは今までの自分が彼女に弱さや甘えを見せて安心していたことに気付いたからだ。


 ――甘えが許されるのは子どもだけだ。

 自分は、早く大人にならなければならない。

 そう心に決めて、まゆるの存在を断ち切った。


 彼女の方でも察するものがあったのか、屋敷で顔を合わすことはほとんどなくなった。仮に会ったとしても、目を伏せ、逃げるようにその場を去った。

 二人は疎遠になり、若犬丸はその分、己れの武芸を磨くべく日々精進した。

 いつか父祖の土地を取り戻すためには強靱な(つわもの)を一人でも増やしたい。

 己れは将であり、兵でもあると。 


 小山一門は宗家を筆頭に武芸をおざなりにしなかった。弓馬の家門にあって当然ともいえたが、動乱の時代を過ぎ、関東中の武将が鎌倉府の官僚と化していくなか、代々の故実を守った。


 のちに天下無双の兵と呼ばれる若犬丸の体には、すでに礎となるものが築かれていたが、彼はさらなる鍛錬を重ねた。

 弓馬の他、郎党相手に太刀や相撲の稽古にも余念がない。


 庄司の息子清包も若犬丸の良き師であった。

 奥州田村氏も、南北の動乱期、北朝へ最後まで抵抗した宮方武将の一族。現在(いま)も周辺に所領問題を抱えるため、武芸の修練に対する意識は高い。

 若犬丸は清包に付いて腕を上げ、いつしか師を超えるようになった。

 彼は当初それを、清包がわざと負けてくれているのかと思っていた。

 清包は若犬丸の境遇を同情し、日ごろから丁寧な接し方をしていたから。


 それが、どうも違うと思ったとき、

「言っておきますが、私だってそう弱くはありませんよ。若犬殿が強すぎるのです」

 清包は苦笑しながら言った。

 若犬丸は黙ってうなずくと、すっと清包のそばから離れた。


 清包は兄のような態度で親しもうとしたが、若犬丸はそれを拒むようなところがあった。

 庄司親子の親切はもとより、田村荘は居心地良く、その安らかさに取り込まれてしまいそうになる。

 けれど、自分には為すべきことがあるのだ。

 ――人の優しさに甘えてはいけない。

 己れを律するために、若犬丸は自分に言い聞かせていた。


 田村荘に在して三年が経ったころ、若犬丸は郎等を通じて小山と頻繁に連絡をとるようになった。鎌倉方の小山への緊張がゆるんだ隙を狙い、挙兵の機会を伺うために。


 そのようすを察知した庄司義則は、ある日、若犬丸を居間へ招くと、何気ない雑談のあと、

「本領奪還の備えに、我が家の郎等を必要としますか」

 彼の問いに、若犬丸は即座に答えた。

「庄司殿の迷惑になることはできません」

 義則の顔に安堵の表情が浮かんだ。


 彼の心情としては若犬丸に助勢したい。だが、現実にはさまざまな困難が予測された。

 田村から小山まで大軍を率いるには街道の白河を通らねばならない。白河結城氏は小山一門、結城一族の庶流であるが、幕府へ帰服して久しく、鎌倉からも重んじられている。南奥州の一大勢力であり、地域の検断識(警察・裁判権)を持つ彼らが、若犬丸率いる田村勢を見過ごすはずはなかった。鎌倉に通報し、直ぐさま追討の挙に出るだろう。


 庄司としては、ここは見守る他ないのである。

「何かあれば、いつでも帰って来てください」

 若犬丸も庄司の言外の言は承知していた。

 戦略的に田村で挙兵するよりも、下野小山で兵を集めた方が利巧だ。

 来年には小山での旗揚げをと考えていた。


 小山に居座る鎌倉方の勢力を払拭し、武力をもって所領を統治する――

 義政の死後、鎌倉府の領民たちへの圧力は執拗で、また反発も強い。

 国司(行政を司る官人)や守護代(警察・軍事を司る代官)の職務もままならず、国府と守護所は小山から公方の本拠足利に移った。下野の南部では公方やその補佐役である管領上杉氏の専横に、危機感を募らせている領主は多いと聞く。そんな領主層を取り込み、鎌倉にとって侮りがたい存在として基盤を築く。既成事実の積み重ねによって、若犬丸が小山の主に復さざるを得ない状況に追い込もうと。


 京の幕府では、政争で重臣が失脚しかけながら、粘り強い交渉と武力をもって返り咲いた例はいくらでもある。若犬丸はそれに習おうとした。

 鎌倉公方氏満との和睦。

 苦杯を飲まされた若犬丸としては、心地よい響きではない。だが、父祖の地を取り戻すために何をも惜しんでいられなかった。


 庄司との話し合いのあと、若犬丸は清包に呼び止められ、彼の居室へ招かれた。清包は真摯な眼差しで、

「我が家では、兵を差し出すことはできません。その代わりに、できることがあれば何なりと言ってください」

 不参の詫びの、形だけの申し出とは思われたくなかったのか、清包は彼の童形をつくづくと眺めながら、

「例えば、若犬殿の加冠の儀を我が家で行うというのはどうでしょう。烏帽子親を父の庄司に」

 もとより、若犬丸は庄司の猶子格である。ここにさらなる絆を結ぼうというのだ。

 十七歳になった若犬丸には遅すぎるほどの元服である。

 それというのも、この話になると若犬丸が巧みにはぐらかしたからだ。


「元服ですか」

 若犬丸は一瞬言い淀んだが、すぐに言葉を継いだ。

「私は願をかけているのです。父祖の領地を取り戻す。それまでは童形でいようと」

「童形のまま・・・・・・?」

 成人たる年齢となっても子どもの姿でいること。

 本来あるべき姿から敢えて道を外し、周囲を威圧する。さらに異能の力、呪力を得る。その信仰は珍しくなかったが、大名の家督が行うなど聞いたことがない。


「驚きましたか? けれど私は決めたのです。下野にもう一度根を下ろしてこそ、自分は人として立つことができるのだと。それまでは人足らぬ者だと自分に言い聞かせるために」

 若犬丸の決意は堅く、

「私や父が反対したところであなたは己れを押し通すでしょうね」

 それほどの人物であればこそ将来が楽しみだと思い直す。

 清包は笑顔をつくりながら、話題を換えた。

「それでは、甲冑を(ひと)(そろ)え贈りましょう。小山宗家の大将に相応しい鎧を」

 清包が言ったのは、もちろん由緒正しき大鎧のことである。

 だが、若犬丸が欲したそれは清包の理解を超えるものであった。


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