千差
次の日、俺と雫は会社へと足を運んでいた。
オフィス街に一つ、夜鳴き燕と書かれた青色の看板は目立つ。
俺と睡蓮さんが会社を立ち上げた際に睡蓮さんがつけた名前なのだが、正直、お水系の看板ではないのかと疑ってしまう。
睡蓮さんの名誉の為に補足しておくが、この会社、ノリと勢いで作られたものだ。
睡蓮さんと酒を飲みながら勢いで名前や書類を作成したのだから仕方がない。何が仕方がないのかは置いておいて。
表向きは地域密着型のコンサル系で地元じゃそこそこ有名らしい。
実際、カモフラージュの為だから俺はそちらの仕事には全く関わっていない。
会社の特筆すべき特徴は俺とその他数人が受け持っている裏の顔で、その内容はご存知の通りだ。
金さえ積めばどれだけ汚い仕事でも受け持つアウトローな一面を持つこの会社で表と裏の面々は皆、仲が良い。
他はよく知らないが俺は社長秘書として表には認知されている。
中に入り、受付を済ませる。
受付を抜けた先は短い廊下で左手側にオフィスとトイレ。逆に社長室というシンプルな構造になっている。
社長室に入り、睡蓮さんに挨拶を済ませ、立て掛けてあったパイプ椅子に腰を下ろした。
「やあ。おはよう」
「おはようございます」
「おはよう睡蓮」
雫は以前も睡蓮さんを呼び捨てにしていたが、俺の前だけだと思っていたがまさか本人と面と向かってとは……恐れ入る。
睡蓮さんも睡蓮さんでにこりと笑い、言及することはなかった。
「それで咲ちゃん、ここに来た理由は?」
「報告は定期的に入れるようにしてますから特に理由はないんですよね」
実際、暇ができたから顔を出しただけだ。
睡蓮さんは楽しそうに笑いながら、雫に向かって手招きした。
「どうしたの?」
「ちょっと向こうの部屋で他の人と遊んでおいで。秘書の親戚って言ったらお菓子出してもらえるよ」
お菓子と聞いてかそれはそれは綺麗な回れ右をして出ていった雫を見送った睡蓮さんは笑みは崩さず俺の方を向く。
「雫の扱い困ってる?」
「まぁ、そうですね。たまに腹の底まで見透かされている気がしますし。まるでーー」
「私みたいに?」
言葉にしなくとも睡蓮さんにはある程度のことは伝わる。
俺が睡蓮さんに抱いている印象は睡蓮さんの能力でその通りに変わるのだから。
「ええ。けど、いい子ですよ」
「いい子……いい子ねぇ、歪んでるよね。胸くそ悪い」
睡蓮さんの言っている言葉の意味を俺は理解しているつもりだ。
親というか飼い主というか。そんなものを転々としていたらしい雫は必然的に〝いい子〟を演じなければならなかったのだろう。
腹の底まで見透かしてまで仮面を被り続けるのはどれだけ神経を使ったのか、計り知れない。
「本当にそうです。それと、睡蓮さんはどれだけ雫のことを知っているんですか?」
「噂程度だよ。パンドラの箱の底には財宝があるってね。ま、私は財宝なんて興味ないし、興味あるのは私の周りに集まった面白い子達かな」
「雫もその一人と」
「勿論。私は雫に何かしてほしいとも思わないよ。ま、私の友達や部下を傷付ける輩は許さないけど」
鋭い瞳は俺を貫き、戦慄させる。
歴戦の猛者が出せるオーラとでも表現したらいいのか、本人は意識せず出しているのだろうが威嚇には充分すぎる。
だからこそ心強い。
隣の部屋から黄色い声が聞こえてくる中で俺は少し頭を捻った。
雫と出会った日の夜のことを睡蓮さんに話すべきか否か。
墓場まで持って行くつもりだったのだが睡蓮さんの耳に入れておくべきなのか。