1、初恋と気に食わない奴
「受験生ってやつは家でも学校でも塾でも勉強、勉強言われる! 何か、受験生って損な気分になるよな」
「まあね。でも、そこまでしないと受からない高校を志望したのは、君自身だよ? 隆平」
「ていうか、そう言うお前も俺と同じ高校だろ。何か、余裕そうなのが腹立つぜ」
塾の前の暇な時間。僕と親友の爽太は、塾から近い場所にあるハンバーガーショップで意見を交わしていた。論題は「受験生」について。
「まあまあ、落ち着いて。この時期、イライラするのは分かるけどさあ。こんなところでまで、受験の話はしたくないよ。せっかくのハンバーガーがまずくなっちゃう」
爽太は、そう言って手に持っていたハンバーガーの残りをペロリと平らげた。一つ百円強のこのハンバーガー。塾に通い始めてから、今日で何個目のハンバーガーだろうか。
「俺も食っちゃお! いただきまーす!」
一口で食べたハンバーガーは、少ししょっぱい味がした。
「さて、と!」
約三時間に及ぶ塾の講義が終わったあと、僕は眠い目を擦りながら、そっと自分の席を立ち上がった。爽太は親が車で迎えに来る為、もう教室を後にしている。僕はこれから自転車で肌寒い秋の道を駆け抜ける。
「ホント、時々アイツが羨ましくなるぜ。だいたいさあ……」
ブツブツと誰もいない教室で小さな文句を言う僕。小さな声で紡がれた言葉たちは、誰にも拾われずにポロポロと口から零れ、そして消えていく……はずだった。
「ふふふ」
誰かの笑い声が、僕の言葉を遮るなんて予想もしていなかったから。
「な、な、だ、誰っすか? ていうか、もしかして今の聞いてた?」
「ええ、バッチリ。というか、あれって独り言だったの?」
笑い声の主は、今まで見た事の無い女の子だった。彼女の着ている制服に見覚えがなく、どうやら近隣の中学では無いということが伺えた。
「私、華海中学の三年の深山もみじです。今日から幼なじみと一緒に、この塾に通うことになったの」
よろしくね、そう言って笑顔で笑う彼女を見て胸が少し高鳴ったのを感じた。彼女を何かに例えるならば、そう、花だ。ほわほわと優しげな花を咲かせる、可愛らしい花に似ている。
「え、と。その、俺は赤日第一中の……広瀬りゅ」
「おおい、もみじ! まだ帰らないのか? 僕はいつまでお前を待っていれば良いんだ」
高鳴る心臓を必死で抑えながら紡ぎ出した言葉を遮ったのは、今度は笑い声ではなく、一つの少年の声だった。僕と深山さんの二人しかいない教室の中に、少年の声はよく響く。
「あ、高見! ちょうど良いところに来たわ」
「ちょうどいいとは何だ……ん? 誰だ、この男は」
「タカミ」と呼ばれた少年が、静かに教室に入ってきた。彼もまた、深山さんと同じような見慣れない制服を身に付けている。
「今、お友達になった広瀬くんよ。広瀬くん、この人は私の幼なじみの高見風一郎。ほら、今日から一緒にこの塾に通うことになったって言った」
深山さんが、軽く僕たちをお互いに紹介してくれる。それはいい。しかし、何なのだ、この高見という奴の僕を睨みつけるような目は。
「……」
「……」
僕も、負けずに高見を睨み返す。そのせいで、僕と高見との間に不穏な空気が流れ、傍にいた深山さんは、困ったように溜め息をついたのだった。
「全く。高見、初対面の人に威嚇しないの……大丈夫、広瀬くんはいい人だよ」
少しの間の後、ゆっくりと「大丈夫」と深山さんは言葉を続けた。そう言った時、彼女の瞳には露ほどの陰りもなく、何だか僕まで安心してしまったのだった。
「う……。わ、悪かったな、広瀬。しかし、素性を知らぬ者と、僕は友達になる気など無いので悪しからず」
「な!」
「まあ、『知り合い』という立ち位置で仲良くしてくれ」
高見は、それだけ言うとそそくさと教室を後にしていった。残された僕は、深山さんの顔を見て、口を魚のようにパクパクさせることしか出来ない。
「ご……ごめんね、広瀬くん。高見、本当に仲良くなるまでは毎回失礼で。ほ、本当にごめんね?」
「いや、別に深山さんが謝ることじゃないし。俺も、あんなタイプの奴は初めて見た」
最悪の第一印象。
最悪の出会い。
この時僕は、この幼なじみ二人が抱える大きな問題のことなど、想像すらしていなかった。
この出会いから始まった。