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愛とはどんなものかしら  作者:
Almavivaの騒動
9/10

2

 どうも記憶がはっきりしない。

俺はぼんやりとした頭で、洗面所へ向かう。

土曜日の放課後から日曜日までの記憶がひどくあやふやだ。

一体俺に何があったというのだろう。

とてつもなく大変なことが起こった気がするのだが。

冷たい水で顔を洗い、鏡で寝癖を適当に整える。

腫れた目と隈に溜め息をつく。

この年にもなって夜通し泣くとか、そんな自分にいっそ感心すらしてしまう。

なぜ俺はあれほど泣いたのか。

思い出そうとするとずきずきと頭が痛む。鳥肌がたち、冷や汗が背筋を伝う。

なので俺は早々に考えるのを放棄した。

訓練着に着替えて、台所へと向かう。

無駄に広大なこの機関の敷地には学園施設だけでなく、小規模だがスーパーなどといった小売店が存在する。

寮の近くにある『元気印のげんきん』という謎のネーミングセンスを持つスーパーは、俺もちょくちょく利用させてもらっている。

訓練後は疲れて料理を作る気もならないから食堂を使うが、休日など時間があれば料理を作ったりもする。

それくらいしか、ここには娯楽はない。

そんなわけで俺の料理の腕はそれなりにあるといっていい。

だが、何せ時間がない。

本来なら昨日のうちに何か作り置きしておくのだが、冷蔵庫を見る限り、その形跡はない。

かといって朝食なしで訓練に向かうのは無謀としかいえない。

そんなわけで俺は『げんきん』スーパーから買っていた夜食用のパンを数個、手に取った。

体重を増やしたいので栄養のあるものを食べたかったが、贅沢は言えない。

俺はさっさとパンを口に頬張り、牛乳を飲みほす。

そして、床に置いていたリュックを背負い、玄関へと向かう。

扉を開ける。

そして部屋に戻る。

……残念ながら、たった二行で一日が終わったわけではない。

俺は頭を落ち着かせて、再びおそるおそる扉を開いた。

外をちらりと窺い、再び閉める。

俺は震える手で頭を抱えた。

幻覚が見えた。

そもそも女子寮に男がいるわけがない。

今日は休んで病院行ったほうがいいんじゃないか…


「何をしている」


 寄りかかっていたドアが勝手に開き、体勢を崩した俺はそのまま後ろに倒れた。

地面との衝突を覚悟した俺が感じたのは、地面よりは柔らかい、いい匂いのする何かだった。

体の前に回された明らかに俺のではない筋肉質な男の腕を見下ろす。

これは幻覚だ。

俺は震えながら、男の腕をゆっくりと外そうとする。

だが石のように固く、かたくなで外れない。

一体、俺が何をしたというんだ。

がっちりと捕まえられた体では、どう考えても腕の中からの逃亡は不可能であった。

せめてもと、俺は動かない体で唯一動かせる首を使い、背後の男の顔を確認しようとした。

見間違いであればと願ったが、どうやら神様は俺が大嫌いのようだ。


「なななななんで」


 全身の血の気がひいていく。

一瞬真っ白になった頭で走馬灯のように蘇るのは一昨日の悪夢。


「す…す、すどうさま…」


 同学年の男に対して、様付けかよと鼻で笑った奴がいるとしたら、笑えばいいさ。そんなアホはいないと思うが。

この男は人によっては『陛下』や『王』と呼ばれる男だ。

畏怖のあまりに裏で『魔王』と言われていたとしても、心の中で呼び捨てにしてたとしても、正面切って言う勇気は常人には存在しない。


「ど…どうしてこのような場所に……」

「迎えに来たに決まっている」


 そして黄泉の国に連れて行くのか?


「…早朝訓練があるだろう」

「ありますけど…」

「おくる」


 何のために?!

意味が全くわからない。

情けないことに体は恐怖と混乱のせいで震えまくっている。

どうしてここに須藤様がいるのか、俺の部屋を何故知っているのか、いろいろつっこみたいことはあった。

更に言えば、須藤の申し出も拒否したかった。

だが、そんなことができるようであれば、そもそも俺はこんなややこしい状況に陥っていない。

ようするに、須藤に従う他、道はなかった。

人生の残酷さをかみしめながら、リュックを背負い直し、玄関の鍵を閉める。

須藤の腕の中から逃れられた!という喜びもつかの間、今度は右手を掴まれた。

みしみしと音をたてる右手。あまりの握力の強さに涙目になる。

どうしてこうなったのだろう。

やはり、あの告白を断れなかった俺の小心さが悪かったのだろうか。

俺はちらりと右側にいる男を伺う。

持前の美形が悪い方向に作用し、怖さを倍増させてるのはどういう理論なんだろう。

この強面の美形、須藤の見た目は完全に不良だ。

そう、前世で散々金をせびられ、トラウマ化した不良そっくりだ。

 あれは桜咲く入学式。

初っ端から寝坊した俺は入学式に間に合うようにと走っていた。

そして、運命の出会い。

曲がり角で誰かとぶつかった。

いててと地面に倒れこんだ俺が体を起こして見た先にいたのは王子様…でもなんでもなく、がたいのいい強面の俺と同じ制服を着たヤクザでした。

それから必然的に俺の高校生活はどん底のものとなった。

女子高生とのきゃっきゃっうふふを想像していた俺だったが、現実は地獄だった。

パシられる日々。

不良どもに顎で使われ、笑われるのだ。

最終的には不良でもなんでもないクラスメイトたちまでもが俺をパシる始末。

しかも「こいつ○○のパシリだぜ~」とか言って他校の不良に拉致され、誰も迎えに来なくて、他校の不良までにも同情された。

俺の存在意義って何?と哲学的なことまで考えて泣いた。

とにかく、もう、俺は不良を見るだけで前世の灰色の日々を思い出して無条件で体が震えるわ、涙はでるわで、大変なことになるのだ。

しかも須藤の髪の色は、空気を吸うように俺を殴ることを日課としていた木戸先輩と同じ色で、トラウマの出血大バーゲンセール状態である。

全く意味は伝わってないと思うが、俺の頭の混乱具合はわかるだろ?


「……荷物」


 前世に遠く想いを馳せていると、突然話しかけられて大袈裟なほど体が揺れる。

少し飛びあがってしまった。

それにしても荷物がなんだ。

せめて主語、述語ぐらい入れて話せ。


「え、あの…荷物がどうかしました?」


 尋ねた瞬間須藤がギロリと俺を睨みつけた。


「うぎゃひゃあああ!すすssみませえええん!!ものわかり悪くて、頭わるくて、顔わるくて、生きててごめ、っ、なさあああいいいいぃ!」


 木戸先輩ごめんなさい、だから殴んないでぇぇぇぇぇ!!

顔が涙でべしょべしょに濡れる。

鼻水をすすりながら、き…須藤の鋭い視線から自分の顔を隠すように両手で覆う。

その両手を無理やり須藤が外す。

涙がぼろぼろ地面にこぼれ、足元を濡らす。


「…泣くな」


 お前と言う存在が俺の半径500メートルの範囲にある限り不可能だ。


「…使え」


 何かがバシッと音をたてて顔面に当たった。

DV!とかびびりながら未だに顔に押し付けられているモノに触る。

それはぴしっとアイロンがかけられた青色のハンカチだった。


「…?ああありがとござまっす!」


 頭は未だに混乱していたが、とにかく急いで感謝の言葉だけは言っておくことにした。

戸惑っているうちに「俺の優しさうけとれねえってか?あ?!」とか難癖つけられたら堪ったもんじゃない。

それよりこのハンカチをどうしよう。

素直に涙と鼻水を拭いていいものか。

そう思案していると男はじれったくなったのか、俺の手にあったハンカチを奪い、無理やり俺の顔を拭いた。

予想していたよりも須藤の手つきは優しかった。

だけど逆効果だ。

俺は須藤に触られて更に泣いてしまった。




*****




 砂浜は既に熱気を帯びていた。

むさくるしい男どもの群れが声を張り上げながら、汗だくで走っていた。

予想していたことだが、完全に遅刻である。

須藤は重役出勤でも誰のお咎めも受けないので何の問題もないが、付き合わされる平民には大問題だ。

かといって、俺如きが遅刻を理由に須藤に意見できるわけもなく、今に至る。


「佐藤!」


 今週の早朝訓練担当教師が駆け寄ってきて、須藤を視界にとらえた途端、止まる。

そして、再び歩き出した足取りはぎこちなく、顔はひきつっていた。


「ち、遅刻、です、か?」


 なぜか疑問形、しかも敬語で話しかける男にいつもの居丈高な態度はどこにもなかった。

俺はびくびくしながら、須藤の顔を見る。

須藤は青ざめた表情の男に向かって、首を横に振った。

男はその動作に体を震わせ、頷いた。

そして、俺の方に向き、震えた声音で言った。


「…ペナルティはなしだ。…用が済んだら、走れ」


 遅刻には罰則がつきものだが、須藤様の威光の前ではやはり無いものとなったのか。

権力とは怖いなとしみじみ実感しながら、俺は須藤に向き直った。

視線を合わせるのがきついので、俯きながら、須藤に礼を言う。

遅刻したのはゆっくり歩く須藤に付き合わされたのが原因だから礼を言う義理はないのだが、言わないで不興を買うよりはましである。 


「ああありがとうございましたっ!」


 須藤は小さく頷くと、しばらく俺をじっと見つめていた。

一時間は経ったと思ったが、実際は十分にも満たなかっただろう。

須藤はそれまで握っていた俺の手をゆっくりとはなし、「……また」と不穏な台詞を吐いて、学校のほうへと戻っていった。

俺は須藤の残した最後の言葉を頭の隅に追いやった。


「…佐藤」

 

 むさくるしい男集団について、早朝訓練に励んで現実逃避を図ろうとした俺を阻むように、教師が俺を呼んだ。

今更やっぱりペナルティをつけるということはないと思うが、それでも警戒しながら教師に近づく。

男は大分疲れた顔をしていた。


「…………噂は聞いていたが…大丈夫か」


 噂って何だろう。

相手が須藤だから噂にならないほうがおかしいとは思うが、それでも既に教師にまで知られているという噂の恐ろしさに眩暈がした。

まったく、大丈夫ではない。

だが、ここで無駄にこの目の前の教師を今以上に混乱させても意味がないので、適当に頷いておいた。


「そうか。…何かあったら、遠慮なく俺に相談しろ」


 全く頼りにならない弱々しい声音で男はそう言った。

いつものふてぶてしさは消えうせている。

それでも本来であれば関わりたくもない生徒に対してここまで心配してくれるとは、贔屓されているという自覚はあったが思っていた以上にこの教師に気に入られていたみたいだ。

松林源三。31歳。

第一印象は一世代前の漫画にでてきそうなガタイの良いムキムキマッチョな空手師範代。

汗臭さ、むさくるしさ、乱暴な物言い、眉毛の濃さから女子たちに熱烈に嫌われている。

本人もその自覚はあるのか、そのことで悩み、自棄酒を飲んで、他の教師たちに迷惑をかけているという噂を聞く。

更にお見合いを頻繁にするのだが、未だに勝率0。

女性問題に悩むおっさんである。

そのおっさんの好みの女性は大和撫子らしく、かなり夢見がちである。

まあ、周りにいるのがそれと正反対の女子ばかりなので、現実逃避したくなる気持ちはよくわかるが。

そのせいか、大人しいという印象を持たれがちな俺はこのおっさんから結構好かれているという自覚はあった。

長いものには巻かれろ精神の俺は教師に対しては唯々諾々なため、俺を大人しい子だと安易に判断したわけである。

内心とのギャップが激しい俺に夢を見るなんて、哀れな男だ。

救いは俺に対して恋愛感情を抱いていないという点である。

ガキには興味ないという正常な嗜好の持ち主で、俺も一安心だ。

そういうわけで俺はこの男のお気に入りとしての地位を保っている。

松林はどの生徒に対しても平等に接しようとする教師だが、人間だから好意を持つ者に対しては無自覚で贔屓してしまうのは仕方がないことだ。

まあ、とにかくそんなわけで俺は松林に気をかけてもらうことが多い。

今回のように。


「じゃあ、何かあったらお願いします」


 だが、断言する。

お前には頼らない。

 

「おう」


 31歳のおっさんが、照れくさそうに笑う姿は、松林には悪いが正直きもかった。

俺は松林の独身生活に終わりが見えそうにないことに同情した。

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