一週目:恐怖の渦に囚われる
彼女は彼を忘れ、彼は彼女と出会う。
既に悲劇はなされたのだ。
閉じた劇場に立つのは道化。
遅れてきた道化が紡ぐのは、ある愛の喜劇。
小柄な体に釣り合わない冷たい銃器を抱えて走る。
路地には味方とも敵とも知れない人間の死体が転がり、時折それに躓き、もつれながらも足は止まらなかった。
この場所を死守しなければならなかった。
そのために何人もの仲間が死んだ、俺の目の前で、俺の知らないところで。
それでも俺はここで、この地獄で戦わなければならなかった。
飛び交う魔弾から放たれる炎を避け、引き金を引き、照準を合わせた先の敵を殺さなければならなかった。
(だが何故戦わなければならない?)
背後で敵軍の砲撃によって廃墟となっていた建物が瓦解した。
止まらない爆発音、機銃の掃射音、悲鳴、そして口から零れる呼吸音。
全てが乱暴に耳を犯し、その音の波を無意識に頭が遮断する。
そして僅かに形を残している建物の陰に身を隠し、乱れた息を整える。
額を伝う汗をそのままに腰ベルトにかけてある弾倉に急いで手をやる。
焦る手は震え、上手く銃に弾をこめられないことに更に焦りと苛立ちを感じてしまう。
早く、早くしなければ、今この瞬間に俺は死ぬかもしれない。
なんとか弾をこめ、立ち上がったところで敵の魔術兵が思ったよりも近くにいることを確認した。
怯えてはいけない。
銃器を構えなおし、すぐさま物陰から飛び出し、敵に銃口を向ける。
敵の防壁に弾き飛ばされるだけの弾を見ながら、それでも引き金を引くのを止めないまま走る。
視界の端でまた人が倒れた。
(何故死ななければならない?)
真横で再び爆発が起き、体が宙に浮いた。
突然のことに受身をとれないまま、地面に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる。
うめき声を洩らしながら、あちこちが軋む体が動かないことに恐怖が襲う。
この場所で死ぬことは至極簡単で、全ての行為が死に関連し同等の意味を持っていた。
少なくとも俺はそうして死んでいく仲間を見てきた。
俺が、その一人になるかもしれない。
震えながら地面に手をつけ、恐怖に飲み込まれそうな自身に何度も言い聞かせる。
恐れてはいけない。恐れてはいけない。
立ち上がろうと膝を地につけ、体を起こす。
敵の魔術兵と眼が合う。
魔術兵はゆっくりと聞きなれない言語を口ずさみ、狙いを定める。
照準の先には体格に似合わない銃器を抱えた薄汚い少年兵がいる。
心臓の音だけがひどく大きく聞こえた。
(おれはしぬのか?)
「なんのために?」
ひどくゆっくりと時間は流れているように感じた。
既に体の震えは収まり、完全に立ち上がった体で銃器を腕に抱えたまま、俺は放たれた光を見つめていた。
生は愛である。
死は愛である。
平和は愛である。
暴力は愛である。
自由は愛である。
支配は愛である。
それでは、愛とはどんなものだろう?
暗い舞台に照明が灯る。
舞台の上には何もない。
空の客席から拍手は鳴りやまない。