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唯一の休日である日曜を控えた土曜日の午後。
教壇の上に置かれた椅子に座り、教卓に肘をついているダルそうな教師に指図されるまま、生徒たちは教科書を開いていた。
「いいかぁ。歴史はなぁ、戦争の積み重ねだ。歴史を知るってことは戦争を知るってことだ。わかるなぁ?お前らの大半が軍人になるわけだがぁ、軍人が戦争を知らなくてどうする。かのヤンなんとかという歴史上の人物も…」
「先生。それは某有名小説の登場人物で史実には存在しません」
「そうか。まあいい。とりあえず、そんなわけでお前らは歴史を学ばなくてはいけないんだ」
「ぐだぐだです」
「吉崎ぃ、寝るなぁ。おい、誰か起こしてやれ」
かったるそうな口調の教師の声が子守唄に聞こえてきて遠くなる意識をなんとか呼び戻そうと、俺は頬をつねった。
あまりの眠さに手に力が入らない。
俺は方法を変え、シャーペンを手に軽く突き刺すことにした。
眠ってはいけない。
午前中に現代語と古語、更に数学の授業を受け、疲れ切った頭は睡眠を所望していたが、眠ることはできないのだ。
土曜は珍しく補給科全員が同じ授業を受けさせられ、朝早くから深夜まで知識を詰め込めるだけ詰め込まされる。
そのため何人かは必ず集中力の限界を迎え、脱落する。
だが、脱落する先に待っているのは休日返上という最悪な結末である。
そんなわけで生徒たちは皆死に物狂いで集中力という集中力を必死にかき集めるのだ。
それにしても眠い。
突きさしたシャーペンが机に転がり、頭が上下運動を始める。
このままではまずい。
そう焦燥感を覚えた時、俺はあることを思い出した。
俺はポケットから封筒を取り出す。
教科書をたて、隠すように中身を開き、昨日何度も見たその紙を広げた。
そして、俺は一行目からゆっくりとそれを読んだ。
「ぶほっ!」
「どうしたぁ、鈴木ぃ」
「げほっ、かっは、い、いえ、なんでもありませ、ん」
「何かおもしろいことでも教科書に書いてたかぁ?」
「げほげほっ、書いてないです」
「教科書はつまらない、と」
「そこまでは言ってないです」
「先生の話はつまらない、と」
「そこまで俺は正直じゃないです」
「吉崎と鈴木。明日の補修者は二人か」
「勘弁してください」
「じゃあ、第三次異世界人来訪によってもたらされた変革を五つあげてみろ」
俺は無駄に分厚い教科書のページを慌ててめくり、解答を探す。
この世界にはどういうわけか頻繁に異世界から生物や物が転移してくるらしいことは知っていた。
だがなぜ異世界から転移してくるのかという理由に関しては、神の気紛れ、時空の歪みなど諸説言われているが実際のところ解明されていない。
歴史に残る異世界人来訪は現在までで七回。
もちろん毎年のように異世界から人間が一人か二人は転移してくるのだが、歴史を大きく揺るがした事件として扱われているのがだいたい七回なのだ。
その中で今授業で取り扱われた第三次異世界人来訪は600年前の話だ。
一地区丸ごと異世界に転移してきたと初等部の頃に習った。
その初等部で遠足と称して一度遺跡を見に行ったことがある。
何度か改築を繰り返したためか建物はあまり原型を残していないように見えた。
時代が違うのか、見覚えのないものもあり、おそらく俺より未来の人間だったのだろう。
それでもそこには確かにあの世界の残り香があった。
俺は、途方にくれた迷子になったような気持ちがした。
「…皇帝の確立による中央集権化、言語統一、国軍の誕生……えーっと…科学革命……人口増加?」
「45点。山田、第三次異世界人来訪がこれまでの来訪と異なる点を答えろ」
「一地区が丸ごと転移してきたこと。言語が似ていたこと。差別による虐殺が行われなかったこと。科学技術者の存在。土木建築の専門家の存在。そして、上條皇帝が政治の中枢へと入りこんだこと」
「60点。第三次異世界人来訪によっておこることとなった1012年統一戦争だが、これはたった一年で終結した。その原因は科学技術力の差、政治力の差、更に軍備の差などが挙げられる。誰がどう考えても負け戦だ。それまで国を四つに分けて、勢力を争っていた四大貴族は敗退し、力をそがれる結果となった。それが東條、西條、南條、北條だ。今では権力を盛り返しているな。ちなみに、四大貴族のそもそもの名字には「條」はなく、この統一戦争後に新名としてつけなおしたと言われている。ところで赤坂、1013年の戦争終結後に上條皇帝が公布された憲法で定められた新たな勢力だが…」
「国軍ですね」
「そうだ。それまでは領土を守るものと言えば、貴族から雇われた傭兵か、または治安維持隊だった。それが皇帝の下に専門軍人としての国軍が設立された。軍人の台頭がここから始まったわけだ。他郡の貴族連中が未だに古参ぶって第三郡を見下しているのはこれが原因だ」
(……俺を惑わせる魔性の瞳。俺を誘う魅惑の唇。触れてしまいたい雪のような白い柔肌。お前は世界で一番美しい。そう、お前は遠い異国の砂漠の民が一夜夢見たオアシス。人間も神々すらも虜にする女神。そんなお前の前では俺はただの獣になりはてる。月に吠えている狼。手に届かない、神々しい高嶺の花に愚かにも手を伸ばし続ける馬鹿な獣さ。それでもお前を愛さずにはいられない……)
「それじゃあ飯野…」
「…ふひぃ!ブヒャはははっ…ぎゃ!」
バタバタガタンガゴッ!
物凄い音をたてて、椅子ごと床に体を打ちつける。
あまりの痛さに思わずくの字になって悶える。
背中の痛みが半端じゃない。
涙目になって椅子の上から起きあがりながら、背中をさするが痛みが引かない。
「ふひゃ…ボフ…うぅ…いたい…」
「鈴木ぃ、またお前かぁ」
「うぐぐぅ…す、すいません」
「倒れた椅子を起こせ。頭は大丈夫か?ああ、元からダメか」
「…ひどいです」
「元気そうで何よりだ。さて鈴木はどこでそんなに笑う箇所があったんだ?教科書189ページの人物画か?」
「……あの、毎度恒例なのでつっこまなかったんですけど、俺は鈴木じゃないです」
「なんだと?!」
「そこまで驚かないでください。俺は佐藤です」
「ああ。お前佐藤か。佐藤…陽大か」
「違います。それは隣のクラスの鈴木の名前です」
「そうか。まあいい。吉崎ぃ、寝るなぁ」
俺は背中をさすりながら、椅子に座り直す。
そして、さきほどの衝撃で倒れた教科書の下に挟まったラブレターを見る。
赤面もののくさい台詞を真剣に書いている誰かを想像して、笑いがこらえられない。
眼はすっかり覚めていた。
「佐藤きめぇ。何読んで笑ってたんだ」
隣の席のえだちゃんが訝しげに話しかけてきた。
教師と問いに答える生徒の声しかしない比較的静まった授業中のためか、えだちゃんの声は大きく聞こえた。
おそらくクラス中に聞こえてるだろう。
えだちゃんは教師に注意され、休日がつぶされるのが怖くないのだろうか。
なんて度胸の持ち主なんだろう、さすが俺のえだちゃんだ。
「……えっとね………」
顔を赤らめながら、えだちゃんに顔を近づける。
一瞬えだちゃんが嫌そうな顔をしたことに心臓を痛めながら、小さな声で囁いた。
もしかしてえだちゃん嫉妬してくれるかもという淡い期待を抱きながら。
「…実は…ラブレターをもらっちゃって…」
えだちゃんの体が固まる。
そしてぎこちなく差し出したラブレターを受け取り、パラパラと手紙を流し読みしたかと思うと、ブルブルと体が震えた。
想像していなかった反応に、俺の心が沸き立つ。
もしかして本当に嫉妬…?
俺の頭の中で鐘が鳴り響く。
結婚式場はどこにしよ…
「足立。阿部。飯野。上島。江口」
突然立ち上がり、出席簿順の名前を呼ぶえだちゃん。
そのことに教室の空気が一瞬固まったが、名前を呼ばれた男どもはすぐさま反応し、同じく立ち上がる。
そして主人からの命令を待つ犬のように透明の尻尾をふりながら目を輝かせる男たち。
なんだこいつら気持ち悪い。
「緊急招集。祭りの開催が決定した。開催日は明日。今日の午後に代表者会議を開く。足立は担任、阿部は生徒会、飯野は風紀、上島は放送委員、江口は報道部に今すぐ連絡。俺は城に行く」
男たちは命令を受け、教室を飛び出す。
それを見て動きが固まっていたクラス中から歓声と雄たけびがあがる。
一体何が起こったというんだ。
俺は戸惑いながらえだちゃんを見つめる。
えだちゃんのやる気のないどこか冷めた目はいつになく輝いていた。
俺は全てを忘れて、うっとりと見惚れてしまう。
「先生」
「おう、なんだ?」
「早退する」
「いいぞ。その代わり放課後準備室な。そして二人っきりで大人の補修を…」
一斉に教室中の男どもが教卓にいる淫行教師に向って教科書を投げた。
「えだちゃん…」
「佐藤、待ち合わせは6時だな。授業中だが、お前はこっち優先」
「え?」
「そして告白の結果はすぐに俺に知らせろ」
んーと、大分わかりにくいけど嫉妬してくれてるのかな?
なんとか前向きに物事を考えようとした。
それを遮るように突然放送が入る。
『緊急招集!パターンA!明日1000!代表者は…』
繰り返される放送。
その後学校全体が揺れるような歓声と姫コールがおこる。
授業中だと言うのにどのクラスも騒ぎがとどまる気配がない。
本当にどうしたっていうんだ?
あのラブレターによって、えだちゃんは一体何を…わからん。
俺は疑問に思いながら、首をかしげた。
「トモ!」
教室の扉が開かれ、南條が入ってくる。
あまりのことに驚いたが、次の瞬間には教室の温度が一気にさがり、教師を含めたクラスの男どもの殺気が増した。
補給科のほとんどが姫信者のため、南條の風当たりは冷たいのだ。
たとえ、姫FCの会長だろうと。
「行くのか?」
「一応。許可とんねぇとめんどくせーから」
「だったらオレもついていく」
えだちゃんは少し困ったような顔をした。
「だけどカズは…」
「気にしなくていい。オレはトモのためなら何だってしてやりたいんだ。一人で行かせるほうが心配だ」
「カズ…」
「トモ…」
苛立つ俺はとりあえず雰囲気をぶち壊そうと二人の間に割り込んだ。
クラス中から拍手がする。
俺はえだちゃんに向き合い、目をうるませんがら頼み込んだ。
「俺も行く!」
「駄目」
即答だった。
ガチでへこんだ。
やっぱり俺じゃだめなのか。
エリートじゃないから。平民だから。美形じゃないから。根暗だから。泣き虫だから。そもそも性別が女だから。
ぼやける視界。
室内だというのに何故か机に雨粒が落ちる。
「やっべ!ハレ、泣くなって!」
「姫に万が一があったらどうすんだよ!」
「いやでも姫には南條がいるから、さすがにな…」
「だが奴は…」
「とりあえず泣くな!ハレにはま…その、ラブレターの主がいるだろ?!」
お前らに励まされても嬉しくねえよ。
それにラブレターって、手紙しか渡さなかったからえだちゃんは気付かなかったが…。
俺は机の隅に置かれた封筒にちらりと視線を向けた。
宛名に書かれていたのは俺の名前ではない。
ラブレターは届け先を間違えていた。