~藤咲マミの視点 6
今日も私は他の生徒よりも早く学校に来た。
でも若干遅めに、ほんの少しだけいつもより遅れて学校に着くように心がけた。
学校前の公園をいつものように駆け足で通り過ぎようとして、一瞬考え直す。
もっと遅れて行った方が良いんじゃないだろうか。
いや、遅れすぎかもしれない。
そんな風に考えながら、私は急いだりゆっくり歩いたりを繰り返していた。
私はめずらしく周囲の人間の視線などを気にしたりはしなかった。
そんな事をしているうちに、もう校門の前に着いてしまった。
学校に付いている大きな時計を見ると、時間帯は丁度良い感じだ。
でも、待てよ。
彼がいつもこの時間に登校してきているとは限らないのでは?
昨日だけ偶然早かった可能性もある。
だとしたら、私はなにを一人でしているのだろう。
馬鹿みたいだ。
私は自己嫌悪に陥ってため息をつく。
最近クセになってきてるかも、ため息。
「ため息つくと、知らない人からいきなり声をかけられるよ」
笑いの混じった声を私は後からかけられた。
私は驚いて振り向く。
八賀谷君だった。
彼は口の左端にバンソウコウをつけて、しゃべりにくそうにしていた。
「……今みたいに」
彼は微笑んでいるような目で私を見る。
顔自体は無表情に近いのが不思議な感じだ。
彼の言葉が笑えない冗談だと思った私は、とりあえず笑おうと努力した。だけどそれに失敗する。
たぶん私はそのせいで変な顔になってしまった、と思う。
焦った私は、彼に気付かれない程度に顔をそむけた。
「八賀谷君は知らない人じゃないと思うけど」
なるべく普通の返答に聞こえるように声を出す。私の普通の声ってこんな感じだったろうか。
努力して出した私の言葉に、もしかしたら変になってしまった私の顔に対してかもしれないけど、とにかく彼は普通に笑った。
誰もがするような、よくある感じの笑み。
「そうかも」
それから、彼は話してこなくなった。
なぜか空気が痛い。
実は、私より八賀谷君の方が痛く感じているかもしれないけど。
話題に困った私は、とりあえず彼に質問をすることにした。気になっていたこともあるので、丁度良いのかもしれない。
「八賀谷君はさ、いつもこんなに早いの?」
我ながらこの質問は日本語として妙だと思う。
八賀谷君は気にしていないようだから、別にいい。
「そんなに早くないよ、君も来てるじゃない」
私はそう彼に言われて困ってしまった、実はその矛盾は私も気付いたことだったから」。
その様子をみて、彼が笑う。
なんだ、また冗談だったのか。困って損したかも。
彼は笑いながら言葉を言い直した。
「うーん、時間帯を気にしてきてるわけじゃないけど、最近はいつもこの時間かな」
「じゃあ、ホームルームまでずっと教室にいるの?」
「いや、美術室で絵を描いてる。短い間だけど」
そういって彼は玄関に向かって歩き出す。
私もあわてて歩き出した。
彼はなんと言うか、時々自分以外に人がいないかのように振舞う。昨日、カウンセリングルームでもそうだった。
勝手に新聞なんか見たりして、これは私のことを気にしてないってことなのだろうか。
なんか、ムカムカする。
玄関に着いた。
彼は上靴を取り出して履きかえようとする。私もそれに倣う。
少しぐらい私の様子を気にしてもいいと思う。
と私が心の中で呟いたその時、靴を履き替えた彼が私に対して口を開いた。
ただし、私の顔は見ずに。
「藤咲さんはこのあとどうするの」
私の呟きが聞こえたのだろうか。もしかして、私は口に出していた?
いや、そんなはずはない。そう思いなおして私は彼の言葉に答える。
「……たぶん、保健室に行って勉強かな」
「そう」と彼は呟いた、一呼吸おいて彼は言葉を続ける。
「じゃあ、暇なのかな」
どうなのだろう。
私は暇なんだろうか。
そう言われたら、忙しくはないのだから暇なのかな、と言う気がしてくる。
「……たぶんそうだと思う」
私の微妙な返事に八賀谷君は頷く。
そうして、なんでもないようなことのように言った。
「じゃあさ、暇つぶしに美術室来ない?」
私は返事をしない。
彼も何も言ってこない。
ひょっとして、これも冗談なんだろうか。