優しい嘘と欺瞞
主人公に限らず、人は嘘を吐きます。
いつだって、フィクションでもノンフィクションでもです。
翌日の朝、あくびをかみ殺して歩き出す。
今日も、美弦を送るために学校を早く出た。
美弦が俺の顔を覗き込む。
「なんか、疲れてない?まだ、寝ていたほうが……」
「言ったろ、大丈夫」
疲れていないわけでもない、昨日は色々あった。
けど、ここで遅れるわけには行かなかった。と言っても学校には遅刻しないだろうけど。
「でも」
「いいから、送らせてほしいな。自分の体のことはわかってる、無理はしてない」
それでも、美弦は不安そうにこちらを見ている。
これは当たりまえだ、無理をしない人間はいない。好きなことに関しては特にそうだろう。人間はこういう時、本気で自分にも他人にも嘘をつく。
美弦もそれは知っているから俺の言うことを、いや俺に限らず他人の言うことを鵜呑みにしたりはしない。
基本的に安っぽい嘘には騙されないし、間違っている所があればすぐには指摘せず、考えながらより効果的な言い回しに変えたりする。
これは、美弦の他の女子より大きく優れている所ではある。それは俺も認めている。
でも、それが朝からこう言った状況を作り出しているのだ。ずっと朝食を食べている間もこんな感じで、時々なにも言い返せないぐらいに的確なことを言う。
そうは言っても美弦は詰めが甘いので、今のところはなんとか言葉を濁すことで逃げ切れてはいる。が、そろそろ面倒だな。
まぁ仕方ないか。
俺は真剣な表情で美弦を見る。そして、口を開いた。
「美弦、俺が駅まで送るのは嫌なのか」
これは問題のすり替えだ、我ながらあまり好ましくはない。
美弦はあわてて首を横に振る。
「そんなことないよ、嬉しいくらい」
「俺もだ。だから、少しぐらい無理をさせて欲しい。その方が俺は元気になれるから」
俺がそう言うと、美弦はうつむいてしまった。
これで静かになったな。
俺の言葉は嘘ではない。
それに、俺の言葉をどう解釈したかは美弦の自由だ。
美弦は基本的には安っぽい嘘には騙されない、それはあくまで他人の嘘にはと言う意味だ。
「人は騙されたがっている、そしてまず自分自身に騙される」とは誰の言葉だったろうか。いや、今作ったんだけどね。
そのまま、沈黙したまま俺達は歩いていく。
もしかしたら俺は冷たい人間なのかもしれない。
ふと、俺はこういうのも悪くないと思ってしまった。
どういう意味で「悪くない」なのかはわからないが、なんとなくその発想が冷たいような気がした。
何に対して冷たいと思ったのかも、よくわからない。
そろそろ駅だ。
突然、美弦はこちらを見ずに「それじゃあ、行くね」とそう言った。
いつも別れる場所より、まだ距離があるのにそのまま彼女は走っていこうとする。
「待って」
俺は無意識のうちに声をかけていた。
美弦は立ち止まる。
そのまま、俺の口は「ごめん」と言いそうになったがその言葉を俺は飲み込む。
頭の中で俺は考え直し、ようやく口を開く。
「ありがとう」
美弦はゆっくり振り向く。
笑顔だった。
だけど、俺はその笑顔が無理やり浮かべているような気がして、その姿を自分など問題にならないくらいに痛々しいと、そう思った。
「どういたしまして」
そう言って、美弦は今度こそ駅に向かって走り出していく。
最近、俺は自分がよくわからない。
*
駐車場に着いた俺は周囲を見渡す。
誰もいないようだ。
いつもは、この辺で待ってくれているはず。
そのまま歩いて行こうとした時、ふと後ろから呼び止められたような気がしていた。
すぐに振り向く。
駐車場の外、入り口の前に由枝先生がいた。
長い髪が揺れる。
「気付くのがいつもより遅いのね、私の勝ちかな」
俺はため息をつく。
「でも、声をかける前には気付きましたよ」
「でも、声をかけようとする前には気付かなかった。そうでしょう」
俺は沈黙する。
先生は俺の横を通り過ぎる。
紅いピアスが光った。
先生はゆっくりと静かに駐車場を進んでいく。
まるで、舞台の上で演技でもしているかのようだった
ふと立ち止まる。
髪を揺らして先生は俺に顔を向けた。
「どうしたの、コウ君。今日は乗らないの?」
俺ははっと気が付いて、顔を隠すようにして歩き出す。
先生の顔を見ることが、なぜか出来なかった。
車の鍵を開けた先生が乗り込んだのを確認して、俺も乗りこむ。
そして、シートベルトを締めた。
「なんだか、今日はピリピリしてるのね」
先生はエンジンをかけながら言う。
俺は首をかしげた。
「そうですか?」
なるべく、先生の方を見ないようにして話す。先生の顔を見れないのもあるが、出来るだけ顔を見られたくないと言う気持ちもあった。
「自分が疲れてるのは自覚したみたいね」
車がバックしていく。
「なにか出来ないことでもあったのか、言えないことでもあったのかはわからないけどね。なんだか、つらそう」
「……そんなことは」
あるのかもしれない。
出来ないことだらけだ、いつも。
「ちょっと限界でも来た?」
先生は軽く冗談めかすようにして聞いてきた。
横目で気づかれないようにして見てみると、先生は笑わずに前を見ている。
俺は軽く、ため息だと思われないようにゆっくりと息を吐き出した。
「限界なんてそうそう来るものじゃないですよ。いつものことです、定期的に疲れが出るのは」
車は駐車場を出た。
エンジン音だけが響く車内。
うちの車より車の振動が大きい気がする。
景色が流れていく。
流れていく人々、車、木々、道路。そして時間。
人生は流れていく、水のように……そう、指の間をするすると。
……嫌だな、そんなつかみ所のない人生
そうやってくだらない思考をして、自分の気持ちを落ち着けていく。
だんだんと景色の流れが止まっていく。
信号待ちだ。
ふと違和感を覚える、先生は俺の顔の怪我を指摘していない。
その瞬間、何となく居心地が悪くなった。
人の中には事情を聞かないことが優しさと思う人も居る、相手のことを思いやることだと思う人もいる。でも、それは状況や人によって大きく違うものだ。
『人間は人それぞれ』だとそう思っている人は、本当はその通りに行動していない。
なぜなら、それは『人それぞれ』と言う自分の考えを押しつけているに過ぎないから。『人それぞれ』『相手の問題』と言う名目で他人を無視しているに他ならないから。
俺はそういう時、ただ気持ち悪くなる。
ただ気持ち悪くて、吐き気がこみ上げてくる。
俺がそれを我慢して口を押さえていると、先生が俺に話しかけてきた。
「安心して、私はあなたに無関心じゃない。あなたは私にとって、とても大切な存在だから」
先生がなんでもないことの様に言う。
俺は驚いて先生の顔を見る。
「それを指摘しないのは、あなたがどうでもいいからじゃない。あなたがその怪我のことをどうでもいいと思っているから、だから言わなかったの」
先生が俺の方を見て笑った。
とても、綺麗な笑顔だった。
「だから、安心して」
いきなり身体が楽になる。
また、俺は先生の顔が見れなくなって、どうしようもなくなって両手で顔を隠してうつむく。
何かを言おうとするが言葉が出てこない。
俺がようやく言えた言葉は「どうして」の一言だけだった。
そんなの伝わるわけがない。
でも、先生は答えた。
「それはコウ君に自分で考えて欲しいな」
先生は一息ついて「だから」と続ける。
嬉しそうに先生は続ける。
「答えは、言わない」
目頭が、かあっと熱くなる。
でも、涙は出ない。
俺は泣かないから。
泣けないから。
「先生は」
「ん?」
今、きっと先生の髪は揺れただろう、と顔を隠しながら思った。先生は俺に向かって首を傾げたと思う、耳を傾ける為に。
言葉が出ない。
そのまま、沈黙する。
静かな車内、いつもの俺はこの静けさが良いと思うんだろう。
でも、このままじゃ駄目だ。
俺は思い切って言葉にする。
「先生は透明ですね」
また俺は息を吐き出した、それを隠す余裕はもうない。
やっぱり駄目だ、俺は。
「コウ君」
先生の声が聞こえる。
「ありがとう」
先生の声が初めて平等でないものに感じた。言葉の奥に秘められた不平等な優しさ、それが先生から伝わってきた。
でも、俺はなにも先生に返せない。
先生は今笑ったんだろうな、さっきよりも綺麗な笑顔で。
そう俺は思った。
顔を上げられないのが残念だった。
年上好きなのか年下好きなのか、節操なしなのか。
主人公を見ていると「貴様など刺されてしまえ」とよく思います。