神を埋める
神を埋めた。
それは惑う神だった。祀られるべき社を持たず、祭り上げる民を持たない。悲しい神だった。
だから、私は彼に声をかけた。
「私たちと共にこの地に根を張りませんか?」
私が生きるこの地は、お世辞にも良い土地ではない。山と川に囲まれた狭い土地だ。土も豊かではない。それでも流れて生きるより、惑い惑わされ生きてゆくよりも良いのではないか。だから、私は尋ねたのだ。彼はそんなことを言われるとは思っていなかったらしく、戸惑いながら私の顔と村を眺めた。
揺れているようだった。
私を突き放してこの場を去りたい。
私の手を取ってこの場に留まりたい。
前へ後ろへ、右に左に。彼は髪をひかれるように苦悩していた。
ここへ来るまでの彼がどういうものだったか私は知らない。だが、こんな僻地にまで流れていた、ということが彼にとって幸せな道行ではないことだけは手に取るように分かった。この地には、華やかなものは何一つない。人並みの豊かさもないだろう。限られた土地にしがみつく哀れな人々。余所の人並を知っていれば居つけない場所だ。
それでも私たちは生きている。
それ以外の生き方ができないからだ。
風のように飛ばされるのは楽だ。
水のように流れるのは気持ちいだろう。
だが、それは永遠ではない。風が止めば、浮き上がった体は大地に叩きつけられ、どこへも行けず、ゆっくりと朽ちていくしかない。水もそうだ。動きを止めたときから淀み、清さは失われ、濁り、腐り、汚濁となる。
だから、他へ行けないのだ。いや、行ってはならないのだ。
彼は、ようやく納得したのか私に向かって静かに頷いた。
その日から私は彼と過ごした。
共に田を耕し、火を囲み、ただの家族のように過ごした。それだけのことなのに彼は幸せそうだった。思い出せる彼の顔は、満たされていた。幸せに見えた。この地は貧しく、目一杯に食べられたことはなかった。それでも彼は笑顔だった。
きっと私も笑っていたのかもしれない。かもしれないというのは私には私が見えないからだ。鏡は常に私を見る誰かだ。だから、私を見た彼が笑っていたのなら私も笑っていたのだろう。幸せだったのだろう。そう、思うし、そう思いたい。
秋になって春に植えた稲が実を結んだ。
それはわずかな収穫だった。豊穣とはほど遠い黄金色の実り。村人たちは喜んでいた。彼も喜んでいた。私は、それを喜んだはずだった。わずかでもこの荒れ地と言っていい土地で実った米だ。喜ばないはずがない。そう、喜ばないはずはないのだ。
私は餓えていた。
腹の減りだけではない。もっと別のものが足りないのだ。
あれだけ働いてこれほどしか得られないのか。誰一人、手など抜いていなかった。土を耕し、石や岩を取り除き、雑草を抜き、晴れと雨を願った。その結果がこれなのだ。誰もが頑張った。悪いことなど何もしていない。それなのに報われない。
この痩せた土地で生きるしかないから。
豊かな土地を手にすることができなかったから。
生まれた場所が悪かったから。
それで報われない。
努力も頑張りも、願いもなににもならない。実らない。それが許される。それが私を餓えさせる。
何よりも村人が彼が、報われないはずの収穫に喜んでいる。それが私の喉を、腹を、心を餓えさせた。私は知っている。豊かな土地であればもっと多くの実りがあることを。頑張りが報われ、努力が結実する。いま、皆が喜んでいるものは本当ではないのだ。
私は、どういう顔をしていただろう。
口惜しがっていた。諦めていた。怒りに顔をゆがめていた。それとも喜んでいた。
それは今となっては分からない。
分かるのは、私は餓えていたことだ。
より多くの豊穣が彼らには与えられるべきだ。己の行いは報いられるべきだ。それが正しい世であるはずだ。私はそう願い。大地に神を埋めた。秋の終わり、春の始まりのころだった。山に小さな柱を立てた。その前に人がひとり入る穴を掘った。神への祈りを唱えて、彼を穴に埋めた。
人を呪わば穴二つ。
神を祀れば穴一つ。
柱が立って十年で村は豊かになった。近くの村で干ばつや水害があってもこの村だけは無事だった。金色の稲穂が重そうに首を垂れる。村人たちが笑っている。彼もきっと笑っているだろう。私もきっと微笑んでいるはずだ。
村は豊かになった。村人の数も増えた。
私が遠くの都を追い出されてこの村にたどり着いたころとは比べようもないほどだ。それなのに私はまだ飢えている。まだまだ、皆の行いが報われているようには思えない。まだ足りない。その年の冬、私はまた神に巡り合った。
冬のころだった。
良い着物を着ているのにみすぼらしいそれが彼女だった。
私は彼女に粥をやった。彼の血肉を吸った土地の米だ。彼女は一心不乱に粥を喰らった。誰も奪わないのに彼女は目を煌々とさせていた。私は彼女に何も言わなかった。それなのに彼女は様々なことを語った。自分の生い立ちのこと。何があってこの地に流れてきたか。ここまでの道のりで何があったか。だから、私は彼女のことについて詳しくなった。
感情がくるくると変わるのが彼女だった。怒って笑って、拗ねて、また笑う。彼女と過ごはじめて私は彼が寡黙な人間だったのだと気づいた。彼はなにも語らなかった。ただ黙っていた。それでいて柔らかに笑っていた気がする。
その年、初めて村の収穫が減った。豊作続きだったのが普通になった。そうなのかもしれない。しかし、この十年を豊作ですごした人々にとって普通は豊作であり。普通は不作であった。人々は口々に不安を口にした。また、昔のように貧しい暮らしに戻るのではないか。
彼女は皆を励ますように笑っていた。
不安を押し殺した笑顔だ。絶望するほどではない。だけど希望には届かない。中途半端が感情を惑わす。村人たちは互いのことをよく思わないようになった。誰かだけが得をしている。自分は損をしている。口を開けばそんな言葉ばかりだった。
ある日、彼女は額に怪我をして帰ってきた。
新参者の彼女に慰められたのに腹を立てたのか。コロコロと変わる彼女の感情が天気のようで理不尽だったのか。彼女のいうことだけでは真実は分からない。だが、彼女は怪我よりも皆の不仲を心配していた。彼女は優しいのだと私は思った。
その冬、私はまた柱を立てた。彼の柱の隣だ。
神への祈りを口にする。その口は乾いて、喉は嗄れそうだった。そのたびに私は自分が飢えていることに気づいた。どうしてこんなに足りないのか。満たされないのか。分からない。私は彼女を埋めた。これでまた豊作が始まるに違いない。そうすれば私は満たされるはずだ。
次の十年で村はもう町と言えるように豊かになった。
米を食えぬ日はないし、雨風に身体を濡らすこともない。それでも、私は餓えていた。それは人々も同じなのか。あれが欲しい。あれがどうなればもっと良いのに。もっともっと欲しい、と熱病のように繰り返した。
それは私と同じだった。
満たされぬのだ。何か一つが満ちても次がやってくる。
永遠に繰り返されるような渇きと餓えがある。だから次は柱を二つ立てた。町にやって来たのは兄妹の神だった。兄は常に妹のことを気にかけていた。初めてあったとき兄は「俺はどうなってもいい。だから、妹をここにおいてほしい」と地面に額をこすりつけて言った。私は兄の頭をあげさせてこの町にいさせた。兄は周りのものが驚くほど働いた。誰よりも早く起きて働き、夜遅くまで働いた。妹はそんな兄を見習ってか小さいながらによく働いた。
私は兄妹によく菓子をやった。
甘いものなど少しまでは買えもしなかったが、いまでは容易に買える。菓子の口に広がる甘みはどこか懐かしく口の中でほどけてどこか幸せな気持ちにさせてくれる。だが、最後には甘みに喉が渇くのだ。だから、私は菓子が好きではない。
兄妹はそうじゃないのか。私が菓子をやるととても喜んだ。
妹は兄の分まで欲しがり、兄は妹に分け与えた。兄は満たされたように笑い。妹も微笑んでいた。その光景を見て私は嬉しくなった。そして、願いが生まれた。この頃になると私も老いていた。村だったこの地に来て四十年以上のときが過ぎていた。だから、ちょうど良い、と思った。私は私の仕事を妹に教えていった。妹はそれを覚えていった。
役割を得るということに妹は貪欲だった。
誰にも必要とされない。それがどれだけ餓えることなのか知っているようだった。だから、冬の日に兄を埋めたとき彼女は私の教えの通りそれを行った。私はその姿を見ながら妹の顔を眺めた。その顔には餓えがあった。まだたりないのだという渇望。満たされたいのに満たされない半端なことへの憤り。
私は穴に降りると、自身の首を指さした。
妹は小刀を私の首筋に突き刺した。熱と痛みが渇いた身体に広がる。まだ生きていたいという根本的な欲求が沸き上がる。満たされない。渇く。餓える。笑いが込み上げる。最後まで求め続けた。浅ましいはずなのに笑えてきた。口からは声は出ない。血がぶくぶくとあふれるだけだ。
いまこそ、鏡が見たかった。
私は埋めてきた神たちと同じ表情をしているのか知りたかった。
あるいは私を穴の上から見下ろす妹のように満たされない顔をしているのか知りたかった。
きっとこれからも柱は増えるだろう。妹はいくつの柱を立てるだろうか。私はその数を知りたくなった。もう何も見えない。知ることはできない。それなのに渇いている。餓えている。ああ、神を埋めなければいけない。空白を消すには何かを埋めるしかないのだから。
埋めよう。
もっと埋めよう。もっともっとだ。